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April 4, 1968

Martin Luther King, Jr.がメンフィスのモーテルのバルコニーで撃たれた日が、1968年4月4日です。JFKの暗殺の日の記憶は、それより4年半ほど前であるにもかかわらず鮮明にあります。しかし、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが撃たれた日の記憶は、ないです。

この日がBlack Music における、白人セッション・メンの地位を決定的に変えたのだと、Jimmy Johnsonは語っています。

モータウン・サウンドが基本的にハリウッドで録音されたのだと私も考えていますが、1969年頃には、Booker T. & MG's の連中もハリウッドに現れます。

南部のセッション・メンのハリウッド進出ともともと南部出身でハリウッドで仕事をしていたLeon Russell やDelaney Bramlett なんかが絡み合って当時のあのブームが起きたのか。宿題です。

1970年ごろ、Muscle ShoalsにやってきたRod Stewartは、ジミー・ジョンソン、Barry Becket, David Hood, Roger Hawkinsからなるマスル・ショールズ・リズム・セクションの四人組を見て、驚いたそうです。全員白人だったので。

アメリカに渡ってからのロッドは、どうでもよいのです。はっきりいって嫌いです。
Maggie May で一発あてるまでのロッド・ステュアートのソロ・アルバムは嫌いじゃないのです。声は、好き好きでしょうけど、1960年代終わりごろのロッドは、イギリスのブルース・フォーク・ロックの雄だったと思います。
まあ、FZが嫌う他愛のないteenage love songとは少し違う、イギリスのワーキング・クラスの生活が嗅げるような気がしたのです。

ただ、FZは、イギリスの音楽シーンについてファッション先行で中身がないとけなしていますね。そりゃ流行の先端であるはずのハリウッドからやってくると二流のやつらが偉そうにしていると感じたのでしょう。

Jeff Beck と一緒にやってたロッドは逆にあまり感心しないんですね。二人で全開すればよいというわけじゃないですからね。
Aynsley Dunbar(ex-Bluesbreakers, pre-Mothers, Journey andi ,Jefferson Starship)がTruth では、3曲ほど叩いてましたっけ。

Duane Allman が最初にボトル・ネックに興味を持ったのはジェフ・ベックの演奏だそうです。ブリティッシュ・インヴェイジョン・バンドが、アメリカ南部の青少年に与えた影響は大きいようです。

Booker T. & MGsは、半分が白人だったわけですけどね。

同姓同名で失敗を何度もしているのです。

マスル・ショールズのジミー・ジョンソンと、Syl Johnsonの兄貴のブルース・シンガーを同一人物と勘違い、彼のアルバムを集めてしまったりしていまして。

Mothersのキーボード・プレーヤーとLeon Russellと一緒にやっていたギタリストがともにDon Prestonという名前ですが別人です。
ギタリストのドンの方は、George Harrisonのバングラデシュ・コンサートでソロをやってましたっけ。ECよりも冴えてましたね。リオンのライブでもやってます。実はベテランだったのです。

Jim Gordonも少なくとも二人いて、Wrecking Crewの一員のエース・ドラマーで、キーボードもたまにやり、まあ、Laylaの作曲者の一人としてクレジットされているジム・ゴードンの他にWoodwind Player のジム・ゴードンがいます。管楽器奏者のジム・ゴードンもハリウッドで少なからざるセッションに参加しています。
ジム・ゴードンは二人いることに長らく気づかず、ドラムにキーボード、管楽器と凄いやつだと思っていました。

ちなみにホーン・プレイヤーのジム・ゴードンの経歴は、こんな
Jim Gordon graduated from high school in 1955, moved to L.A., got a scholarship to the L.A. Conservatory of Music, and recorded a jazz piano album for Delcro Records, "Garden Party". Studied clarinet, saxophone and flute with William Green. Studied composition and arranging with Marty Paich and Paul Weirick.In 1970 was on a concert tour/train trip/party with Delaney & Bonnie, Janis Joplin, The Band, The Grateful Deal, Buddy Guy and others. Check out the Festival Express movie.
http://www.jimsjazz.com/

感じです。

Festival Express は、上記の他、Flying Burrito Brothers, Ian & Sylvia なんて皆さんが出てます。列車の中でへろへろでJerry Garcia, ジャニス・ジョプリンたちがジャムっているシーンもあり面白いです。

ここで問題は、ブリートス、それからディレイニー&ボニーのバック・バンドのドラマーが誰かということです。ドラマーの方のジム・ゴードンはブリートスのレコーディングで叩いてますし、D&Bのレギュラーだったわけでこの時期は、ドラマーのはずなのですが、写らないのですね。
ホーン・プレイヤーのジム・ゴードンのみ参加だったのかな。

ドラマー・ジム・ゴードンは不世出のドラマーです。Laylaの話はいつかするかもしれません。

リオン・ラッセル一家のJesse Ed Davisのアルバム Keep Me Comin' では、キーボードでジム・ゴードンがクレジットされていますが。ジェシ・エドは、バングラデシュ・コンサートでもやってますね。
このときは、ECが薬のせいで体調が悪く出られそうもないというので声がかかり、ECは、みなさんご承知のようにちゃんとコンサートに出ているわけですけど、ジェシ・エドもちゃんと出してもらってます。

グレン・キャンベルも、12弦ギターの名手でウィチタ・ラインマンでスターになったGlen Travis Campbellと、イギリスで活動したJuicy Lucy, Misunderstoodで鋭いスティール・ギターを聞かせるGlen Ross Campbellがいます。

グレン・ロス・キャンベルもアメリカ生まれなんですけどね。そもそもジューシー・ルーシーは、イギリスでJohn Peelに見出されてレコーディング・キャリアが始まるのですが、もともとアメリカ西海岸のガレージ・ロック・バンドです。ベトナム戦争時代、徴兵を逃れてイギリスに渡っていたのです。

レッキング・クルーとモータウンの話には、あまりまだ触れたくありません。しかし、Carol Kayeが主張するように、Berry Gordyはまともにギャラも払わないろくでなしだったと思います。

ハリウッドで録音したにもかかわらず、ファンク・ブラザーズ伝説なんかでっち上げたのは、なおさら、ひどいです。もちろん音を聞けば、わかる人には解ってしまうわけではありますけれど、時代がハリウッド録音だということを言えなくしてしまった・・・ゴーディは最初から言う気はなかったでしょうけど・・・なんて側面があるのかもと考えています。

1960年代後半から70年代初頭にかけてのサザン・ロック・ブームが起きたcrew ならぬclueに近づいたような気がしています。

Shindog とShindigs、River Deep Mountain High, IkkettesにPhill Specterという線と、Macon, Memphis, Muscle Shoals, New Orleans を結びつける線を探しているのです。

要するにサザン・ロック・ブ-ムの前に一連のスワンプ・ロックなどと呼ばれたものの出自ですね。そうすると,D&B とその一党がリンクなのだと感じます。

D&Bとその一党は、基本的には、Ike & Tina Turner のパクリそのもだという認識とアイク&ティナにとっても、実演は別にして、River Deep Mountain High のレコーディンがうターニング・ポイントであったのではないかと考えています。
というのは、このレコーディングのプロデューサーがPhill Spector だったからです。
アイク&ティナのパクリとしてのD&Bのバックにシンドッグの音楽監督であり、スペクタ-・スク-ル卒業生のLeon Russell とその一党が中心となったのは、必然というべきなのでしょう。です。

時代のおかげで、Duane Allman や Clarence White がバックで演奏しているものがあったりするわけですが。
by nk24mdwst | 2008-01-21 17:06 | 音楽

Self-taught

Frank Zappa, Lowell George は、いずれもself-taught musician であることは、自身が認めています。ジュリアードへ行って、Stan Getzが二級下にいたAlan Greenspanとは違うのです。

FZについていえば、バイトで写譜をしていたくらいですから、実にきれいな楽譜を書きます。それはともかく、音楽理論に関しては、正統派の理論と当時の最新のMusichology を独学で学んでいます。エドガー・ヴァレーズに電話する高校生、それもモハーベ砂漠に住んでいたわけで、変なやつそのもの。

ロウェルも、まあ、似たようなもので、ハイ・スクールのブラス・バンドでのはみ出し者だったと、これも自ら語っているところです。いわく、楽譜を後から吹いて見せたらおっぽり出されたと。稚気あふれる彼らしいところで、自らが創設したバンドをおっぽり出されるのも似たような理由でしょう。

FZは、音楽的に才能があったのは間違いないのですが、逆にscholarship に対する嫌悪感を常に顕にしていました。自らの書いた歌詞、楽曲、演奏に対する批評をことさら嫌っていたわけです。
学者に対するコンプレックス(Love & Hate)もあったでしょう。あるいは、体制・反体制(古いな。)のいずれにしろ学者もその一部である社会全体に対する冷笑的な批評精神にFZの本質があるにもかかわらず、自らに対する批評を全て否定する態度というのもいかがなものかとは思います。
盗作、引用などという話とは別の次元において、公にされた楽曲、歌、演奏、アレンジ、詩や批評等は全てその時点でPublic Domainとしての性格を有することになるわけですから。

それを考えると、ウェブの世界は無法地帯ですね。ウェスト・コーストのカウンター・カルチャーの影響下にある的な考え方はFZのもっとも嫌うところでしょう。

self-taught 税金オタクの私には、その気持ちがよくわかります。小学校から高校までずっと休まずに学校へ行きましたが、教科書は全て独習したのです。もっとも、高校3年生の1学期が終わる頃、高校の教科書は全て終わってしまったので、2学期から学校へ行かなくなりました。不登校の始まりです。
登校していたときも、授業中は自習していたのですけどね。

日本でも、学者は、いわゆる実務家の書いたものを馬鹿にしています。不幸なことです。実務家が書いたものの程度が低いマニュアル本ばかりならそれでもいいかもしれません。しかし、中には、御用学者以上の識見を持って数々の著作を著しているにもかかわらず、いわゆる学会でほとんど評価をされていない先生もいます。
その理由というのは、主張の程度が低い、誤りがあるということではないのです。ただ単に、その先生の書かれるものが、いわゆる、論文としての作法に欠けるというその一点だといっても良いのです。

法学についていうと、特に行政法の世界ではそれが顕著ですが、その分野で最も知識、情報量を持っているのは、日本の場合は、いわゆるキャリア官僚システムだったわけです。過去形になりつつあると言うのがわたしの認識です。
なぜ、キャリアが行政法分野の第一人者であるかというと、東大法学部で一番だった人は、学者にならず、キャリア官僚になって権力を振るうかどうかは別にして、行政に関わる立法を行うことになるわけです。

租税法という領域は、学問の領域でいうと日本においては、依然として行政法の一部という位置づけから脱却しきれているのかどうか微妙なところです。

租税法領域において国際比較をするときにもっともと有力な情報を持っているのは、財務省主税局をおいて他はありません。学者と呼ばれる人たちも、最先端の情報は、他国の課税当局が持っている以上、主税局以上の情報を得るのは非常に難しいというべきです。

アメリカなどの場合は、優秀な法律家は、民間の法律事務所のキャリアの他に、行政府のスタッフ、議会、議会の委員会、あるいは議員の立法関連スタッフ、それとロー・スクールをぐるぐる回るという感じです。
裁判所の判事というのはいわば、あがりのポストであるという特徴があり、それに対し、色んなレベルの検事という役職はキャリア・ステップのための重要なポストです。

上記のような違いがある以上、東大教授になった人といえども、情報量、ソースの点でキャリア官僚組織には敵いません。ここに、御用学者が誕生する所以があるのでしょう。

また、三流実務家が、学者もどきになりたがるというのも事実です。所詮、良くてオタクなのに、見苦しいです。

現代国家は、租税国家であり、租税法領域にもっとも優秀な知性が本来必要とされるはずであるのに、現代日本における状況は、アメリカに比べると財政学領域も含め、惨めという他ありません。

キャリア・システムが優秀なシンク・タンクとして戦後の日本で機能してきたことを私も認めますが、法律の行間を埋める性格を持つ政省令、さらには通達等にかんしては、優秀なノン・キャリア群がいて、彼らの職人的経験なしにはなりたちませんでした。
しかし、このノン・キャリアの職人集団も画一的輪切りによる教育の浸透により従来の輝きを失ってしまっているようです。

しかし、先に私がご紹介した先生も、FZと同様、意固地になっているようにも思えます。ただ、それには、それなりの理由がないわけではなく、その理由は広く世間に知られるべき性質のものでもないわけで、FZも同様のことがあったのかなと考えたりします。

ブログやネットというのは、学者の言う作法、つまり、書いてあることを他人が文献等で確認してその考えが正しいかどうかを検証するすべがありません。コピペ・レベルの話ではありません。
引用しているのなら、どこから引用しているか書いてなければ検証できないのです。

[今朝、私は、みかんを食べた.]と私がブログに書き、それが、真実かどうかなんてことは、誰にも関係のないことです。しかし、意見、考え、証言、事実と主張するとなる話は異なります。

ブログは中毒性があることは、わかりましたが、自分の経験以外のことを書くときには、常に、こそばゆい感じがします。

ロウェル・ジョージの歌の検討にでも戻りましょう。It's so Cold!
by nk24mdwst | 2008-01-20 13:24 | 記憶

Ton-Ton Macoute!

本当は、Lowell George と Little Feat に触れ、その後で、Duane Allman の話にしようと思ったのですが、歌詞なんて相手にするもんじゃないですね。ちょっとやそっとで終わらない。

というわけで、Ton-Ton Macoute! にします。

Duane Allman がほとんどの曲に参加していますが、控えめ、かつ、余裕のある演奏で気に入りました。Johnny Jenkins のブルース・アルバムとして素直に楽しめます。

Layla Sessions のときよりもはるかに、デュエインの演奏がいい、いいかえると調子がいい。逆に、レイラでの彼の演奏は、かなり出来が悪いものだと私は考えています。

Allman Brothers with Duane のライブです。曲は、'Don't Keep Me Wonderin"。Thom Doucette のハープがいます。Fillmore Live のような気がしますが。
デュエインの特質が歌伴奏ギタリストであることが良くわかります。


ECにスライドを教えるので疲れちゃったんでしょう。
この話は、いずれレイラ;セッションでも取り上げるときがあったら、ですね。

Johnny Sandlin によるとこのアルバムの原型は、1968年Rick HallFame Studio B、MUSCLE Shoals にあったわけですが、で録音が始まりました。デュエイン・オールマンのソロ・アルバムという企画だったわけです。Duane がギター、ヴォーカル、Berry Oakleyがベース、Paul Hornsbyがピアノとリズム・ギター、サンドリンがドラムです。
このとき録音されたのは、Down Along the Cave、Going Down Slow, No Money Down, Neighbor Neighbor, Happily Married Manです。これらの録音が完成する前にPhill Waldenがデュエインの契約をリック・ホールから買い取り、Allman Brothers Bandの結成となるわけです。

フィル・ウォルデンは、ジョニー・ジェンキンズをJimi Hendrix風に売ろうと考え、先に録音されていたデュエインがリード・ヴォーカルのテープの歌だけジェンキンズに入れ替えてみたのですが、結果的に残ったのは、アンソロジーにも入っているDown On the Caveだけでした。

そこで、MaconのCapricornのスタジオ・バンドの登場となるわけです。ギターがPete Carr(Hourglassのベーシストでした。)、ベースがRobert Powell、それにホーンズビーとサンドリンがキーボードとドラム、それに、オールマンズから何人かが加わったのです。

曲目紹介です。

1.I Walked Guilded Splinters, 2.Leaving Trunk, 3.Blind Bats and Swamp Rats, 4. Rollin’ Stone, 5. Sick and Tired, 6. Down Along the Cove, 7. Bad News, 8. Dimples, 9. Voodoo in You , 10. I Don’t Want No Woman, 11. My Love Will Never Die

演奏メンバーは下記のとおり。

ジョニー・ジェンキンズが全てのヴォーカル、2・6~8でハーモニカ、4でギター、10・11でリード・ギターです。ドラムスは、1・9が、ブッチ・トラックス、それ以外は、サンドリン、ベースは、4・6・7がベリー・オークリー、それ以外は、ロバート・パウェル、4と10を除きピート・カーがギター、4~6・8を除きポール・ホーンズビーがキーボードです。デュエインは、8を除き参加しています。

ところで、Eddie Hintonが9にCowbell で参加してます。

エディー・ヒントンがなぜ、70年代初頭のサザン・ロック・ブームのときに波に乗り遅れたかということが、個人的な疑問なのです。かれは、インタヴューでもわかるように、非常にシャイな田舎の好青年、ちゃんとセッション・プレイヤー、ライター、シンガーとして仕事をしてきていたのに、忘れられた存在になったのはなぜか。

Lynyrd Skynyrd が売れてなぜ、エディ・ヒントンは駄目だったか。Charlie Daniels を聞きながら自問しています。
by nk24mdwst | 2008-01-19 16:03 | 音楽

Oliver Wendell Holmes, Jr.

ワシントンD.C.のIRS本庁舎の外壁には。次のような言葉が刻まれています。
"Taxes are what we pay for civilized society."-Oliver Wendell Holmes, Jr. Compania de Tabacos v. Collector, 275 U. S. 87, 1000(1904)


これが、金子宏『租税法第11版』(弘文堂)18ページにある
「ホームズ裁判官の『租税は文明の対価(price of civilization)である』という言葉」
のもとですね。

オリヴァー・ウェンデル・ホームズ二世最高裁判事は、19世紀末から20世紀はじめにかけて合衆国連邦最高裁で重要な判決にいくつも関わっています。ホームズ判事は、the Civil War(いわゆる南北戦争)の後、西部開拓とネイティヴ・アメリカン・ジェノサイドとに並行して起こるアメリカの産業革命期において非常に重要な役割を果たした法律家という位置づけが一般になされています。

金子氏がそれを知っているかどうかは別にして、この時期にアメリカにおける資本主義の原型が形作られるわけです。
いわゆる独立戦争(American Revolution)は、本質的には、イギリスからアメリカからやってきてヴァージニアその他の東部、東南部諸州において土着化したアメリカ民族資本とイギリスの本土資本=具体的には東インド会社=との争いだったわけです。この最初の戦いにおいては、アメリカ土着資本が一応勝利を収めた。

*ボストン・ティー・パーティーで投げ捨てられた紅茶は、東インド会社が当時イギリスの植民地というよりは、東インド会社が支配していたインドで生産し、売れ残ったものだったわけです。本来、関税がかけられるべきところを、東インド会社がイギリスの国王に頼んで無税になるようにしたので、現地の業者が怒ったというわけです。

南北戦争は、奴隷解放という面から見るのではなく、二度目のイギリス資本対アメリカ民族資本=北部対南部の争いであったわけで、今回はイギリス資本が勝利します。このときまでに、東インド会社は全ての権益を取り上げられ消滅していたわけですけど。

イギリス資本が、例えば、J.P.Morgan商会(モルガン・スタンレーのもと)が資金繰りをして大陸横断鉄道をつくるというわけですね。Butch Cassidy & Sundance Kid(明日に向かって撃て)が狙った金は、Halliman Brothersの金だったわけで、そりゃ、モルガンさんの金をかっぱらえば、地の果てまで追われます。
彼らの末期は、ボリビアの銅山だったかと記憶してますが、かの銅山を経営していたのも同じ資本ですからね。

素晴らしく脇道にそれてしまいました。金子訳のprice of civilization というのはもとの判決の原文にあるのでしょうかね。確認してみないと。

ホームズ判事の言葉は、「諸税は、われらが文明社会を維持するために必要たるものなり」という感じでしょうかね。
19世紀末にアメリカは、連邦所得税を導入したのですが、合衆国連邦最高裁は、関税その他の税以外の税を合衆国が、第一義的には州民である市民に課すことは連邦憲法違反であるとして違憲判決を出しました。それを受け、連邦議会は、連邦憲法を改正して、連邦所得税導入への道を作ったのです。
その意味で、taxes を単に租税とやってしまっては、つまらない。

合衆国市民が納める諸税は、彼らの文明社会を維持するために使われる・・・この論理は、その後の合衆国の戦争の全てを合理化する論理に通じます。

ラテン語はできないので英語ですが、
"Where there is an income tax, the just man will pay more and the unjust less on the same amount of income."-Plato, The Republic, bk K, 343-D
というのがあります。

プラトンは大人ですね。「所得税あるところにおきては、所得が同じであるなら、正直者がそうでないものより多くを負担することになろう。」というわけです。私見を少し入れさせていただくと、正直者は、わかっていても喜んで余計に支払い、嘘つきは、これも意図して税金を誤魔化す、それもまたむべなるかな、あたりですか。

今日は、Lowell George とFZの話にするつもりが・・・
by nk24mdwst | 2008-01-18 14:58 | 租税法(アメリカ)

Malllard

Noel Harrison のコンピレ-ションを聞いてます。バックは、James Barton、Carol Kaye、Hal Blaine、Jim Godon、Earl Palmerといったハリウッドの一流どころ。
ノエル・ハリソン自身は、映画俳優として一般に知られているわけですが、元来、アイルランド出身のフォ-ク・バラッド・シンガ-なのですね。
DonovanLeonard Cohenの曲等をやっていて、悪くないです。

さて、昨日のつづきです。

Captain Beefheart's Magic Band は1975年の訪英直前に全員が抜けるという事態に至ります。残ったメンバ-が作ったの、というか抜けたメンバ-が作ったのがMALLARDというわけです。

メンバ-は、Captain Beefheart の 1969年のTrout Mask Replicaから 1974年Unconditionally Guaranteedの間におけるMagic Band の中核そのものです。すなわち、ギタリストの Bill Harkleroad (a.k.a. Zoot Horn Rollo)、ベ-シストの Mark Boston (a.k.a. Rockette Morton) それに、当時のドラマ-だったArt Tripp(ex-Mothers)が中心というわけです。
バンドが分裂した直接的な原因は、Unconditionally Guaranteed の録音時の軋轢なんですが、結局、それまでの不満の爆発ですね。

ズート・ホーン・ロロこと、ハークルロードによれば、1970年代になってからも彼は、親に飯を食わせてもらってたそうですから。金の切れ目が縁の切れ目。
曲は、基本的にビル・ハ-クルロ-ドが書いています。

Jethro Tull
Ian Andersonの口利きでVirginから二枚のアルバムを出して入るのがセットでCDになっています。
ア-ト・トリップは、一枚目だけで抜けていますけれど。

ウェブを見ていたら、このバンドのことを英国産スワンプ・ロックだと勘違いしたのにぶつかり、絶句いたしました。

Dave Marshは、疲れたような歌声のぱっとしない演奏なんて評していましたが、マ-シュは、耳の悪い人なので無視しましょう。

Little Feat が好きな人なら気に入るアルバムだと思いますね。特に、リトル・フィ-トのデヴュ-・アルバムと通ずるものがあって、フィ-トは、一枚目が一番だと思ってる私は、気に入っています。ビル・ハ-クルロ-ドのギタ-が泣かせます。
単にリトル・フィートのファーストが好きな私がマラードも好きだといっているに過ぎませんが。

FZとMothers については、FZ名義のものとMothers 名義のものが出た由来、さらに、Hot Rats の意義・・・Grand Wazoo につながるわけで・・・とか、ロンドン・フィルの主席トランペット奏者が一晩で練習なしにトランペット協奏曲をやれといわれてもできないと言ってサボった話とか、ズービン・メータとLAフィルのこと、もろもろあります。さらに、MOFO以前についての話もあるのですが・・・

四行でやめるつもりが長くなり、これでは繁忙期が思いやられます。
by nk24mdwst | 2008-01-17 12:51 | 音楽

Original Mothers-2

オリジナル・マザーズを片付けておきます。
Mothers of Invention というバンドの名前の由来は、言わずもがなということですが、もとは、Mother******sとしたかったけど、そんなのが許されるわけもなく。
しかし、1966年当時、Frank Zappa は26歳で、有罪判決を受けて服役経験のある立派な大人であったわけで大人気のない話といえば、それまで。

Freak Out!、それに続くWe're Onliy In It For Money あるいは、Lumpy Gravy あたりには、ハリウッドのプロを少なからず起用しているわけですが、それとは別に、ニュー・ヨークのGarric Theater で公演をやり、ロンドンにも渡りという、ロードをこなしていたメンバーについて、メモしておくことにします。

レコードとして発売されたものについては、発売順序と録音順序は必ずしも一致しておらず、これは、別個に検討するということにします。

一応、1966年のフリーク・アウト!のジャケットには、Frank Zappa,Jimmy Carl Black,Roy Estrada, Elliot Ingber,それにRay Collinsが写っているわけです。

ここから、エリオット・イングバーが抜け、Billy Mundi, Don Preston, Bunk Gardner, Jim Sherwood が加わります。
FZのギター、ロイ・エストラーダがベース、ジミー・カール・ブラックとビリー・マンディの二人がドラムス、ドン・プレストンがキーボード、バンク・ガードナーとジム・シャーウッドがサックスですね。8人編成プラスアルファでSuzy Creamcheese という感じでしょうか。

ビリー・マンディが、ライノセロスに引き抜かれ、その後にIan Underwood, Arthur Tripp が加わります。マルティ・インストゥルメンタリストのイアン・アンダーウッドとパーカッションのアーサー・トリップが加わり、バンドは9人プラス・アルファに。

イアン・アンダーウッドは、Yale で作曲を学び、UC Berkeley において作曲で修士取得、モーツァルトが専門のコンサート・ピアニストとしての訓練を受けています。ロンドンでのBBC交響楽団との共演あたりでその腕前は十二分に発揮されているというわけですね

レイ・コリンズが抜けたので、 Lowell Georgeがリード・シンガーとして加入するわけですが、代わりが勤まるはずはなく、ですね。ザッパは、ギターを弾きながら歌うことを苦手としています。特に60年代はそうです。また、80年代になってからは、歌ったり、しゃべったりしているときと、ギターを弾くときとは別人になってますし。

なお、この時代に、Don Sugarcane Harrisが公演によっては参加、ギャリック・シアターでは、当時まだ学生だったRuth Kommanof (その後、Ian Underwoodと結婚します。)がそれぞれ、ヴァイオリンとパーカッションで加わっています。

ギャリック・シアターを経営していたのは、David Lee Roth の親父です。

解散直前には10人程度にバンドはなっていたわけですが、FZ、バンク・ガードナー、アート・トリップ、ドン・プレストンそれにイアン・アンダーウッドと初見で弾ける連中を五人も擁していた訳です。ザッパは、毎日新しい曲、新しいアレンジ、リハーサルを繰り返し、雇っていた!!!他のメンバーにはきちんと給料を払いと几帳面なところを見せてはいたのですが、ヒット・レコードがあるわけではなく、金銭的に雇われたほうに不満がたまったということですね。

ザッパは、作詞、作曲、編曲、演奏とやっているので、ロイヤリティが入ってくるけれど、他のメンバーにはそれがなかった。

このあたりの不公平について、ロウェル・ジョージは、他のメンバー、特にドン・プレストンのアイディアが沢山活かされているのにそれが、金銭的に反映されていないとザッパをけなしています。自身も後年そういうことを言われるようになるとは思っていなかったでしょう。

この読譜能力とロイヤリティという点に関しては、Captain BeefheartMagic Band においても同様のことがいえます。Don Van Vliet は、独創的な音楽家であるのは間違いないですが、彼のハミングを譜面にしたのはDrumbo ことJohn French なのですね。

だから、オリジナル・マジック・バンドもキャプテンを見限るわけですね。

*ザッパとビ-フハ-トに関しては、もう少し期間を短く区切ってその録音、演奏等を検討する必要があると思うので、オリジナル・マザ-ズ論は、一から立て直すつもりです。2008.1.17

*マザーズ、フランク・ザッパのバンドについては、ドラマーとベーシストを区切りにして区分するやり方がある方と一つ考えています。
*ドラマー、ベーシストを基準に考える場合は、基本的にレコーディングで追いかけられる中に限定する。ただし、その場合、ライブの一連のシリーズ、あるいは、ギター・ソロを抽出したものをどうするかという問題は残ります。なお、John Guerin,Max Bennet 等のスタジオ・プロをどう扱うかという点ですが、彼らもライブ・ツアーに短期間参加している事実はあるのですが、それは、それなりの理由があったわけで大きな流れとは別の話になるかと。

*オーケストラとの共演をどうするか。さらに、Ensemble ModernLPOなどのクラシック音楽家がやったものをどう扱うか。

*さらに、個別のアルバムを時期ごとに区切って取り上げるか。

いずれにしろ、見果てぬ夢、ですか。
by nk24mdwst | 2008-01-16 16:15 | 音楽

Dixie Lullaby

Dixie Lullabyは、Leon Russell のソロ・デヴューに入ってる曲です。Leon Live では、Louisiana つまり、Dixie が生んだロック・ン・ロール・キングのLittle Richard に奉げるといって歌い始めています。

リオン・ラッセルとは関係ないのですが、もっとも筆者が、リオンのTシャツを着た写真があったりしますけどね、本の紹介です。

Dixie Lullaby: A Story of Music, Race, And New Beginnings in a New South by Mark Kemp  という本があります。

Skydog の死後何が起こったか、さらにもっと言えば、Allman Brothers Band というバンドの登場が、南部の普通の白人少年たちにとってどういうだったかということ、、自身の経験から説き起こして書いています。
人種隔離政策が連邦最高裁で違憲とされた後の南部の平均的白人大衆の感覚、具体的には、混乱と喪失感ですね、これが描かれています。

ハリウッドにいる連中にはわからない、あるいは、ハリウッドへ行った南部の連中が根っこに持ってたものは何か、という話ですね。

1970年代に南部でティーン・ネイジャーとして育った経験、同い年のWarren Haynes へのインタヴュー、オールマンズとLynyrd Skynyrd へのオマージュ、Red Neck Rock と南部の宗教右翼の問題、全ての始まりとしての人種差別とMartin Luther King Jr. の暗殺。

自伝であり、音楽史であり、南部アメリカ社会文化史という意味で興味深い記述に満ちています。焦点がぼけている、と評することもできるかもしれませんけれど、私には刺激的でした。

ハリウッドとの関連で言えば、70年代半ば以後、ハリウッドのレギュラー・セッション・メンがかなり、ナッシュヴィル、南部のテネシー州ですけど、に移ってきます。
背景にあるのは、ハリウッド音楽工場の変貌というべきですが、逆にナッシュヴィルに残っていたものは何かという視点もありかなとも。

Eddie Hinton は、登場しません。Muscle Shoals のレギュラーは、みんな出てくるのですけどね。Kemp が音楽を聞き始めた頃、ヒントンは、カプリコーンの破綻のせいでシーンの一線から消えてましたからね。

Tom T. Hall が1968年の大統領選挙のことを歌うのを聞きながら、手元に届いたばかりの思いがけずもイギリスから再発されたJohnny Jenkins の Ton-Ton Macoute!のジャケットを眺めながら。
リオン・ラッセルも再発が続いているし、All That Jazz が入手できたら、もういいかなと。

トン・トン・マクートは、Johny Sandlin が、まだRick HalのFame Studioに在籍し、Duane Allmanの契約もリック・ホールが持っていた時代、つまり、1969年ごろにデュエインのソロ・アルバムとして企画したものです。このとき6曲余り録音しているのですが、これについては、デュエイン・オールマン・アンソロジーに入っている、Down On the Cave だけが生き残っています。一曲だけ、エディー・ヒントンも参加してます。

音楽だけ聞け、音楽と社会を結びつけるなって、ある人に言われました。昔から、音楽と社会を結びつける聞き方をしてきたことを反省、音楽そのものを聞くように方向転換。そこで一番いい材料になったのは、Byrds 、Frank Zappa、King Crimson。

フランク・ザッパは純粋音楽に最も近いロック音楽家であるが故、かえって最も社会的要素を音楽に持ち込んでいるという皮肉のせいで結局、音楽と社会を同列に論じないと 気がすまないのですね。

*フランク・ザッパが純粋音楽に近いから素晴らしいなどというつもりは全くありません。銭勘定に五月蠅い、アントレプレーナーであったのも事実だし。
ドラッグを嫌い、タバコは吸うんじゃなくて食べてるんだと自慢げに語るヘビー・スモーカーであり、周りには女性をはべらしてはいるものの、実際には仕事中毒の真面目なロック・スターとは正反対の生活を送った人物です。
アンサンブル・モデルンやブーレーズがやったザッパのクラシック音楽は、きちんと20世紀のアメリカの現代音楽の中で位置づけられる必要があるのかもしれませんが、それは、その音楽が絶対的に優れているとか、私が個人的に好きかどうかといわれると簡単に「はい、そうです」とはいかないわけで。

租税と社会は切り離せないにもかかわらず、租税論だけを論じる馬鹿な人が、役人、学者、実務家と称しているのにも我慢がならないのを違うところで発散してもしょうがないのですけどね。
by nk24mdwst | 2008-01-15 13:19 | 音楽

Who are taxpayers in Japan?

日本における納税者とは誰か。

納税者がいれば、権利が問題になります。日本の税法は納税者を規定しているでしょうか。

納税義務者、納税義務のある者について所得税法は規定しているわけですが、法人税法を含め、他の税法にも納税者という言葉はありません。

いずれにしろ、納税義務者や、納税義務のある者は納税者といえるでしょう。問題は、納税義務者等とは誰をいうかということです。

*ここは、簡単に納税義務者及び納税義務のある者の両者は、納税者であると言い切りましたが、ことはそう簡単に行くのか。

源泉徴収と年末調整で課税関係が完結する通常の給与所得者、あるいは、消費税と一般消費者、これらの人たちは納税者に該当するのかということですね。

*源泉徴収と年末調整で課税関係が完結する通常の給与所得者は、納税義務者でも納税義務のある者でもありません。

根拠となるのは、次に掲げる所得税法第121条(確定所得申告を要しない場合) のきていです。

「その年において給与所得を有する居住者で、その年中に支払を受けるべき第28条第1項(給与所得)に規定する給与等の金額が2000万円以下であるものは、次の各号のいずれかに該当する場合には、前条第1項の規定にかかわらず、その年分の課税総所得金額及び課税山林所得金額に係る所得税については、同項の規定による申告書を提出することを要しない。ただし、不動産その他の資産をその給与所得に係る給与等の支払者の事業の用に供することによりその対価の支払を受ける場合その他の政令で定める場合は、この限りでない。
 ◆1 1の給与等の支払者から給与等の支払を受け、かつ、当該給与等の全部について第183条(給与所得に係る源泉徴収義務)又は第190条(年末調整)の規定による所得税の徴収をされた又はされるべき場合において、その年分の利子所得の金額、配当所得の金額、不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額、譲渡所得の金額、一時所得の金額及び雑所得の金額の合計額(以下この項において「給与所得及び退職所得以外の所得金額」という。)が20万円以下であるとき。
 ◆2 2以上の給与等の支払者から給与等の支払を受け、かつ、当該給与等の全部について第183条又は第190条の規定による所得税の徴収をされた又はされるべき場合において、イ又はロに該当するとき。
  イ 第195条第1項(従たる給与についての扶養控除等申告書)に規定する従たる給与等の支払者から支払を受けるその年分の給与所得に係る給与等の金額とその年分の給与所得及び退職所得以外の所得金額との合計額が20万円以下であるとき。
  ロ イに該当する場合を除き、その年分の給与所得に係る給与等の金額が150万円と社会保険料控除の額、小規模企業共済等掛金控除の額、生命保険料控除の額、地震保険料控除の額、障害者控除の額、寡婦(寡夫)控除の額、勤労学生控除の額、配偶者控除の額、配偶者特別控除の額及び扶養控除の額との合計額以下で、かつ、その年分の給与所得及び退職所得以外の所得金額が20万円以下であるとき。

上記でわかるように、一般の給与所得者、いわゆるサラリーマンは、一ヶ所のみからの給与所得が2000万円以下であり、その他の所得の合計額が20万円以下であるときは確定申告を要しないわけです。
二ヶ所以上からの給与等があって合算して申告する場合とか20万円以上の他の所得があって申告する場合においては、確定申告を要し納税義務者となるのは一般にわかるところです。
しかし、住宅借入金等控除や医療費控除など確定申告により税金の還付を受ける場合においては、全ての所得を合算して申告する必要がありますし、納税義務者としての義務を負うということになります。

また、消費税の納税義務者は、消費税の課税事業者であって、一般消費大衆ではありません。最高裁の判例があります。
商品やサービス等の購入者、つまり消費者ですが、消費者に関しては、消費税を負担すると税法設計上観念されているものといういい方しかできません。
これを担税者などといういい方をすることがありますが、本当に負担しているのは誰かということは、この担税者として意図されている消費者といういい方とは別の次元の話です。
仮に消費者が消費税を負担している、つまり消費者が消費税の担税者であるというときにおいては、消費税が全て消費者に完全転嫁されているということが前提になります。
ここで税金転嫁論が登場するわけですが、これに関しても、統制経済下でない限り、消費される財又は役務の価格は、取引当事者によって市場が決めるという話になるわけですから、意味がありません。神学論争です。

いずれにしろ、日本には、納税者を納税者、ないし納税い義務のある者という概念でとらえるとすると、国税収入のそれぞれ25%余りを占める源泉所得税、消費税においては、旧与党の支払い者である納税義務のある者、消費税においては、課税事業者が納税義務者であって、納税者については、Where are you, Japanese taxpayers? という論理になるのです。

要するに、納税者としての身分さえ、日本における普通の人は与えられていないわけでその中で、納税者の権利について議論することの空しさを感じます。つまり、まず、国民に納税者の地位を与えよということです。

日本の一般国民が税金を負担していないといっているのではありません。国税、地方税をそれこそ源泉徴収、特別徴収というような形で有無を言わされず徴収されているのですが、法的には、その地位は、納税義務者ないし納税義務のある者として位置づけられていないが故、納税者となりえないのです。消費税においても同様です。

日本国民の大多数は一方的に無権利状態で税金を払わされているわけですね。
by nk24mdwst | 2008-01-14 14:42 | 租税法(日本)

Legendary A & M Sessions

Captain Beefheart のLegendary A&M Sessions は、Magic Band のメンバーがどれくらい参加しているのか不明ですね。というか、基本的にハリウッドのスタジオ・ミュージシャンがバックのものがほとんどでしょう。

1967年のSafe AS Milk がビーフハートの最初の公式アルバムというわけです。Buddha からのリイシュー・ヴァージョンはボーナス・トラックも追加され、当時のビーフハートとマジック・バンドの姿がよくわかります。
ただし、冒頭の曲他、16歳のRy Cooder が参加しているのをどうとらえるかという問題があります。Ry がやっているVigilante Manは、元は、Woody Guthrie の曲ですが、私が、最初に覚えたスライド・ギターの曲でした。

このアルバムでも、明らかにセッション・メンがバックをつけて売るための曲とマジック・バンドが主体の曲があるわけです。


このアルバムでビーフハートは、de only white boy who's bin able ta sing blues だということを証明したと思います。Howlin' Wolf そっくりのだみ声と独特の低音から裏声までの声を楽器のように扱うのもブルースの本質なのだと思います。Paul Butterfield は、マウス・ハープでは素晴らしいですが、こんな風には歌えないわけで。

Don Van Vliet とマジック・バンドは最高のホワイト・ブルース・バンドであることをこのアルバムで証明しています。逆にいうと、ブルース・バンドをやっているから、売れそうな曲のバックをハリウッドのプロに入れ替えることも可能だったのかなと。

Trout Mask Replica に行く前に、Frank Zappa と Original Mothers をさらっておく必要がありますね。
by nk24mdwst | 2008-01-13 11:25 | 音楽

temporary

夕べは、Captain Beefheart を聞いていました。Legendary A&M Sessions、Safe as Milk を聞いていたら寝てしまいました。しかし、あれだけHowlin' Wolf に似ているのも凄いものです。

飛行機の中では、FZのLost Episodeを聞いていて、ドラムとベースをオリジナルのJimmy Carl Black と Roy Estrada のものから Chad Wackerman たちのに、入れ替えたものがCD化されているRuben & the Jetts のオリジナル・ヴァージョンの曲があるのに気づきました。ちゃんと聞いとけよな、ですけど。

The Colours of Music by Jeremy Lee

Music wears blue suede shoes
Music has breakfast at Tiffany's
Music is all that blues
Music is in the navy

Music tastes like green onions with tea
Like the purple haze in the morning fog
Like the deep purple colour at the bottom of the sea
Like the big yellow taxi in the parking lot

POW! James Brown's soul shakes your bones
The Blue + Brown King~ never tells lies
Mmm. Brown sugar tastes sweet on stones
Van created the girl with brown eyes^

The white stripes of a zebra play in the grass
Eric Clapton* sits in his silver chair
The music wears plain white tees
While the white unicorn flies in the air

The black dog is back in black
Barking at the black magic woman
Red hot chilli peppers spice up your life
While 99 red balloons float into the night


This poem is called the colours of music because i have included names of bands and songs that I like which have a colour in their title.
I have originally written this poem for an English assignment but I decided to publish it as well as hand it in.

*Eric Clapton refers to his band - Cream, and i consider that a colour.
^Van created the girl with brown eyes refers to the song - Brown-eyed girl by Van Morrison
~Blue + Brown King refers to Blue King Brown - a band

Jeremy Lee は、この詩は「音楽の色」と呼ぶのは、好きなバンドや曲でその名前にに色を表す言葉を用いているものを入れてるからだと述べていますね。
どんなバンドや曲が好きかは、個人の好みだから、構わないことにしましょう。

ECが好きなのも、勝手にすれば、です。

ただ、Van Morrison のBrownーeyed Girl については、この歌の元の題名、あるいは、意図ってわかってるのかしらん。
ヴァン・モリソンの話を書くつもりだったのですが、勝手に引いた詩が悪くてその気が失せたのです。
by nk24mdwst | 2008-01-12 15:07 | 音楽