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2009年 11月 12日 ( 1 )

talkin' 'bout everyday people

雨が少し、ぱらつきましたが、まあ、昨日よりはましな天気でした。

現代資本主義国家は、シュンペーターがいうように租税国家であるというわけで、税を語ることは、すなわち、国を語ることであるのです。北野先生の受売りです。

まあ、いずれにしろ、税金を論じるときには、現在の制度を所与のものとして、個別の事例をどうするかという問題もあります。租税訴訟について考えるときは、基本的にこれですよね。訴訟で負けているのに、これは制度がおかしいといっても始まらない。

あるべき制度を論じるとすれば、当然に、論者の生活体験、背景、経済に対する考え方、はたまた国家感、あるいは、税務行政手続論だけではなく、組織論にまで発展するわけです。
ここで、比較法的な考え方をどう取り入れるかという点が問題です。
結局、かなりの国が同じような租税制度を採っているわけです。具体的には、所得課税と付加価値税や固定資産税は普遍的に存在する税です。
また、手続的には、申告納税制度が多くの国で採用されるようになって来ましたし、源泉徴収制度自体は、日本に特別なものであるわけではありません。
番号制度についても、色んな形がありますが、かなりの国で用いられています。ただし、番号制度の導入がどの程度適正課税、適正納税に資しているかなんて研究は、寡聞にして知りませんが。

番号制度について、一番、拒否反応が強いのは、ドイツですね。ナチの記憶が強いのです。

番号制度に対して原理主義的に反対はしませんが、番号制度を入れないと透明な租税制度ができないなんていうのは幻想です。ただし、アメリカでは、これまで課税の網からもれていた現金取引の個人事業者に対して個人所得課税を強化するための番号導入を新たに定めたという点は、注目しておくべきでしょう。
*今年の税制改正の中の、隠れた目玉だと思っています。

税務調査を巡る手続について言えば、事前通知をしないでガサ入れをするなんていうのは、犯則事件、つまり刑事訴追を前提としたもの以外においてそんなことを認めている先進国は日本だけです。

先日、リースや、ノン・リコース・ローンのことを調べていて、英米法における債権法の知識がまったくないことに気がつきました。
アメリカの債権法における例外的存在としての内国歳入法典における徴収規定が存在するのだということにやっと気がつきました。リーエンのことです。
リーエンの意義について、日本の国税徴収法(民法の債権法の延長線上にあります)の知識を前提に理解しようと思っても駄目なのだとわかりました。

ただ、そもそも、アメリカの法律もわからないし、国税徴収法自体もよくわかっていないことを認めた上で、です。

アメリカの債権法の原則を最低限、勉強しないと具体的なことは書けないので。

税法は、法律なのかなんて議論があって、法律だ、社会科学の一分野だとおっしゃる北野弘久先生の気持ちもわかりますし、税務会計学公準が存在すると主張される富岡先生の気持ちもよくわかります。でも、所詮、税法は、行政法の変種です。
国民の財産権にかかわる、あるいは租税国家の根幹をなす法律でありながらその立案と解釈はすべて、特定の官僚組織の手にゆだねられてきたのはこの国の歴史における真実です。
財政に直結する法律であるという切り札を使うのは、実は他の国でも同様で、アメリカやオーストラリア、カナダ等においても、税法は特殊な位置づけを与えられています。

議員立法の国であるアメリカと議院内閣制のオーストラリアとは、当然違いますし、日本も違うのですが、租税関連法案の立案、立法、施行ということに関しては、行政組織、つまり、税務当局の意向、あるいは、財政当局の意向が優先するのですね。
ただ、どうもこの一般則の例外であったのが、ブッシュ政権時代のアメリカであったように思えます。クローにー・キャピタリズムは、身内だけの不当な利得を生じさせるわけですが、究極的にはそれらに対する課税会費立法にまで及んだというのがブッシュのアメリカですね。
最大の公共投資である、戦争を行い、それらは、特定の人たちの石油利権等と密接に結びつき、さらにそれによって得られる利益も上位のごく一部に集中させただけではなく、それに対する大幅な減税措置を行った当然の帰結としての膨大な財政赤字ということなのだと思います。


この税法を系統立てて学問仕立てのものとして、それも、精緻な官僚法学としてでっち上げることに成功したのが金子宏という人なんでしょう。
行政法論全般について、この国では、その立案、立法、解釈のすべてに通暁しているのは霞ヶ関なのですね。そのための訓練を受けていますから。東大法学部の位置づけはそういう観点から見るべきなのだと思います。

私は、個人的には、「べき」論として論ずるときは別として、所詮、ツールなのだと割り切っていますが。

だから、解釈なのか事実認定なのかなどという点について、あるいは、手続き上の問題なのか実態芳情の問題なのか名度と、法に値しないと私には思える税法の議論において、大上段に振りかぶる人と私の議論は、かみ合いません。

それから、税法は実に多用な借用概念を用いている癖に、都合が悪くなると、勝手に民法等の私法上で認められている方形式を無視するということをやります。
まあ、こういうことをすることを認めるかという問題ですが、実務的な解釈や訴訟においてそれを行うのは、やはり、反則でしかないと考えています。実定法に、きちんと明文の定めをおくのが法治国家というものでしょう。

しかし、今の政府税調の議論って結局、摺合せなしに主税局の言い分が通り、予算編成では主計局の言い分が通る、財務省復権のサイクルのように思えます。

日本のキャリア官僚純粋培養システムがいいのか(フランスも似ていますが)、アメリカの回転ドアシステムで人の入れ替えがあるほうがいいのか。
アメリカでは、租税に関して、課税当局、財務省や議会での政策立案、あるいは企業の財務部門、さらには司法における弁護士ないし検事、それと大学での教鞭をとるといったことを繰り返しながら、能力のある人が選抜されていくように見えます。
一見、確かにそうした形で選抜されているのは事実だと思うのですが、そもそもそのサイクルに入り、その中にい続けるということ自体が特権なのではないかという気もします。

ただ、日米交渉なんかのときには、純粋培養組は、娑婆の泥水を知っている、あちらさんの言い分に言い負かされるのでしょうね。というか、そもそも、まともに議論して甲乙つけるというタイプの人間は、キャリア・システムでは生き残れないのだと思いますし。

今、思い出しました。本当は、きょう、考えてみたいと思ったこと。
アメリカのキリスト教原理主義というか宗教右翼というか、具体的には南部のバプティストの教義と史上原理主義の親和性の問題を考えないとと思ったわけです。
これ、さかのぼると、結局、プロテスタントと資本主義、おいおい、ウェーバーかい、ですし、そもそも、オランダってどういう位置づけなのか。
17世紀の西欧の歴史の根っこを考えるという話なんですが。

Gov't Mule の新作よりは、40年前のPeter Green の方がまだいいですね。ウォーレン・へインズもにつまり気味。
by nk24mdwst | 2009-11-12 18:13 | 租税法(日本)