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2008年 08月 10日 ( 1 )

envelops the bass tuba

昨日に続いて、今日も、暑いです。
東京よりも、当地の方がやはり1~2度、気温が高いですね。34度と35度だと車のエアコンの効きも違いますし。

昨日、渋谷で坂道登りをしたのは、いつも車で移動している、田舎ものにはきつかったです。横断歩道橋なぞという障害物までありまして。

手ぶらならともかく、かばんを提げて歩くのはつらいです。PCもあるのですが、本とか資料といった類が結局、紙なので、重い。それと、東京は人が多い、当たり前か。

納税者の権利について、包括的に、つまり、歴史的、法学的、財政学的、行政手続手法的見地から検討し、さらにモデル法まで提起しているオーストラリアの学者の本について、8人ほどで一年かけて勉強をするということになりました。Duncan Bentley 著のTaxpayers Rights: Theory Origin and Implementation (Series on International Taxationという本です。アマゾンで25,000円ほどの値段がついている本なのですが。

帰りの飛行機の中でFZを聞いていました。それに続けて夜もFZを聞きました。シュアー とソニーとではヘッドフォンの音が全然違うなんていうのは当たり前ですけど、外では遮音性に優れたシュアーを使うことが多くならざるを得ないわけです。どちらも一長一短としかいえませんが。

聞いていたのは、Waka/Jawaka、家へ帰ってThe Grand Wazoo という感じです。多重録音をしていますが、ホーンのアレンジメントはよいですね。
気付いたこと、順不同で。

ワカ・ジャワカでは、FZは、ギター・ソロをレコード・ヴァージョンと差し替えているという疑念を再び強めました。LPときちんと聞き比べればいいのですが。
まあ、この手のことを専門に話題にしているサイトもあるのですけど。

FZは、作曲、編曲、アンサンブル演奏ではそれほど感じませんが、ギター・インププロブについては、30年前とは逆に、オーソドックスとはいえないとしても、ブルース・ギターの系譜にあるのだと思います。

この二つのアルバムではダブを重ねていますが、80年代になってからのブラス入りのFZのバンドでは、ライブでミスなく、はるかに複雑なアレンジのものをこなすようになるのですけれど。

ここで、気になるのが、Joo’s Domage なのですね。クレジットは、Frank Zappa: guitar, vocals 、他に指示、Tony Duran: guitar、Ian Underwood: keyboards、Sal Marquez: trumpet、Malcolm McNabb: trumpet、Ken Shroyer: trombone、Tony Ortega: woodwinds、Alex Dmchowski: bass、Aynsley Dunbar: drumsということで、イアン・アンダーウッドをのぞくと、ワカ・ジャワカ、グランド・ワズーのレコーディング・メンバーと一致するわけで、これらのレコーディングに先立つリハーサルをカセットで録音したものだとされているわけです。
こんなものをZFTが出すことに意義がないだけではなく、優先順位の高いものが他にもっとあるはずだということは先に書きました。

なぜ、カセット録音なのかという疑問があります。つまり、誰が何のために録音したか。スタジオにいた誰かですね。個人的には、そもそもこの録音は、ワズー等のレコーディングのリハーサルなのかということに疑問がないわけではないのです。ほとんどの人が耳にすることのない演奏だし、こんなもの金を出して買う価値のないものであるのは間違いないので言ったもの勝ちを承知の上ではありますが、ワズー等の録音のあとのリハーサルである可能性です。
FZは、変拍子で難しい和声のメロディーをこうやるんだって歌ってみせ、あるいは、さらっとギターで弾いてみせているのですが、指図の中に何度も出てくる言葉が、二つあって気になるわけです。
ひとつは、コンサートでは云々といういいかたで、これはホーンセクションに言っています。あと、何度もJimmy という名前を呼ぶのですね。ワカ・ジャワカもグランド・ワズーもドラマーはもちろんエィンズリ-・ダンバーなのですね。それからのこの二枚のアルバムのレコーディングに参加しているミュージシャンやエンジニアでファースト・ネームがJames という人物がいないのです。
クレジットされはいないけれど、ジミーと呼ばれていたメンバーがいたということを否定はしませんが、このころFZは、ジミーという名のミュージシャンと関わっています。
ワズーの完成後、二週間弱で客の入りその他の問題点があってキャンセルになってしまったツアーがあって、それがプチ・ワズー・ツアーと呼ばれるものであるわけです。
メンバーは基本的に上記のクレジットと一致するのですが、ドラマーがJim Gordon なのですね。Joe's Domage に収録されている断片敵なドラム演奏だけで、ドラマーが誰かなどと判断する力は私にはないのですが。

というここまでが前振りで、これから本題というか、メモとして書かなくては思うことです。


税務調査の場面で手続きで争うのは損するだけというのが、課税庁はともかく納税者や納税者の代理人としての税理士にとっては、常識であって、現実には、泣き寝入りすることが多いというのが、共通認識だと思われます。
ただ、課税庁が調査する場合においても、調査を受ける納税者、代理人である税理士、みな何をもって日本の税法上の手続的適正性の判断をするべきかが明らかではないと本来言うべきでしょうが。

ですから、この手続で争うというのが全部駄目かどうかというのは、一概にはいえないのだと思います。納税者の言い分が裁判において認められた北村事件のような場合もありますから。この事例は、いずれ紹介する機会があるかもしれませんが、税務署の調査手続が常識で必要と考えられる一線を越えていると裁判所が判断し、課税処分がすべて取り消されています。
ただ、このような事例は非常にまれです。

まあ、市井の税理士風情としては、お上に逆らって勝てるわけがない、損をするのは、納税者、税理士に決まっていると考えるのが大人の選択ですか。この判断が正しいかどうかは別にして、税理士の面子で争ってはいけないのだと思います。

この面子論は、ちょっと難しくて、法的に税務調査等を行う課税庁が変なやり方をしているという部分もあるかもしれませんが、暗黙の紳士協定というか、法的根拠はないけれどお互いに意思疎通を図ることにより調査を円滑に終結させるという部分において認識の違い、意思疎通の欠如等が生じ、結果的にはそれに起因して訴訟にまでいたりとんでもない結論が出てしまうということもあります。

この面子で争って大失敗をした実例が、「本坊事件」だと思います。平成17年3月10日の最高裁判決ですね。当事者であった税理士の頭の中にある適正手続概念とそれまでの訴訟等でかなり確立されていた法人税の青色申告承認取消し処分及び消費税における仕入税額控除否認と帳簿の保存・提示論との乖離を充分に理解しないで最高裁まで行ってしまい、案の定、負けてしまったわけです。
私は最高裁の判断が正しいなどとは努々考えてはいませんが、青鳥に関する最初の最高裁判断であったという点で画期的なものでした。課税庁にとっては鬼の首をついに取った、納税者にとっては、将来まで大きな禍根を残す判決であったと考えています。

重複しますが、本坊事件は誤りのない帳簿が存在することを誰もが認めながら調査時に、帳簿提示をしなかったということにされ、仕入税額控除否認と青取りをされたわけです。帳簿等は現実に存在し、それらの存在等については不服審査等においても確認されているわけですが、税務調査時に求めに応じて提示しなかったから、保存がなかったという論理です。
調査開始時点において、調査の事前通知がなかったもので、税理士が態度を硬化し書面で誤らない限り見せないなどと突っ張ってしまったことの結末です。
確かに、条文は存在といわず、保存といっているわけで提示がなければ保存の確認はできません。
しかし、存在しないものは保存することもできず、当然、提示できるはずがないのですが、提示がないことと保存がないことは違います。あってもみせないなら調査拒否、だとすれば、まず調査拒否に関する条項を適用する、それから実体法上の処分をするべきだと私なぞは考えます。

あの訴訟は消費税に関しては、三件目の仕入税額控除と帳簿提示に関する最高裁判決ですが、青取りと帳簿提示に関しては、実は、最初の最高裁判決です。ですから、あの訴訟の持つ意味は非常に大きい。法の矛盾が本来糾されるべきところが逆になってしまったと残念でなりません。

ところで、この本坊事件判決の前に、滝井反対意見のついた平成16年12月20日の岡村税理士の関与した事案は、帳簿不提示を青取りの要件として最高裁に判断されることを恐れて最高裁に敢えてあげなかったのではないかと思えたりもします。個人的な水素幾でしかありませんが。

そうすると、逆に、多数の学者や実務家が評価した滝井反対意見は、青取りに関し、帳簿の提示がないことを取消し事由に該当すると最高裁で述べた点において、消費税との整合性が取れないことを理解していない馬鹿な補足意見であると私は前から考えていました。しかし、消費税レベルの話だけにとどまらず、法人税法の領域において、まだ最高裁が判断を踏み込んでいなかったことに関し、踏み込んだ意見を述べたという意味で、納税者の立場に立った血の通った意見などではなく、二重に過ちを犯した本当にどうしようもなく擁護の仕様のない意見だと考えます。
誰も言っていないし、課税庁ならともかく、良識のある最高裁判事なら絶対に言ってはいけないことをいったものだと考えます。それこそ、課税庁の思う壺。
本坊事件の横尾和子判事という外交官出身の判事の判決には納得のいかないものが多いのですが、滝井反対意見をも含めて議論を最初から再構築して、提示と保存と問題について議論しなければならないと考えます。

税務調査の事前通知にレベルの話に関して言えば、犯則事案でなければ、事前通知をするなんていうのは世界の常識、日本の非常識ではありますが、日本の裁判所は、この点に関し、一点の疑義も持っていないわけです。

裁判官が、ある朝起きたら、玄関に複数のこわもての税務署員が勢ぞろいしていたなんて危険をすることがこの国では絶対にありえませんからね。

ぐるっと回って、納税者の権利理論というのは、手続法上のものだけではなく実体法上のものである必要であり、日本の現状においては国税通則法、各個別税法においてそれらの規定が不十分であることをきちんと検証しなければなりません。
個別税法には、訴訟に関する部分はありませんが、通則法においては事後救済手続きとしての不服申立て制度について規定されています。さらに、税務も含まれることになる行政不服審査法の改正が日程に上っている以上、納税者の件理論について検討することの意味は、やはり大きいと考えています。
by nk24mdwst | 2008-08-10 15:18 | その他