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2008年 01月 20日 ( 1 )

Self-taught

Frank Zappa, Lowell George は、いずれもself-taught musician であることは、自身が認めています。ジュリアードへ行って、Stan Getzが二級下にいたAlan Greenspanとは違うのです。

FZについていえば、バイトで写譜をしていたくらいですから、実にきれいな楽譜を書きます。それはともかく、音楽理論に関しては、正統派の理論と当時の最新のMusichology を独学で学んでいます。エドガー・ヴァレーズに電話する高校生、それもモハーベ砂漠に住んでいたわけで、変なやつそのもの。

ロウェルも、まあ、似たようなもので、ハイ・スクールのブラス・バンドでのはみ出し者だったと、これも自ら語っているところです。いわく、楽譜を後から吹いて見せたらおっぽり出されたと。稚気あふれる彼らしいところで、自らが創設したバンドをおっぽり出されるのも似たような理由でしょう。

FZは、音楽的に才能があったのは間違いないのですが、逆にscholarship に対する嫌悪感を常に顕にしていました。自らの書いた歌詞、楽曲、演奏に対する批評をことさら嫌っていたわけです。
学者に対するコンプレックス(Love & Hate)もあったでしょう。あるいは、体制・反体制(古いな。)のいずれにしろ学者もその一部である社会全体に対する冷笑的な批評精神にFZの本質があるにもかかわらず、自らに対する批評を全て否定する態度というのもいかがなものかとは思います。
盗作、引用などという話とは別の次元において、公にされた楽曲、歌、演奏、アレンジ、詩や批評等は全てその時点でPublic Domainとしての性格を有することになるわけですから。

それを考えると、ウェブの世界は無法地帯ですね。ウェスト・コーストのカウンター・カルチャーの影響下にある的な考え方はFZのもっとも嫌うところでしょう。

self-taught 税金オタクの私には、その気持ちがよくわかります。小学校から高校までずっと休まずに学校へ行きましたが、教科書は全て独習したのです。もっとも、高校3年生の1学期が終わる頃、高校の教科書は全て終わってしまったので、2学期から学校へ行かなくなりました。不登校の始まりです。
登校していたときも、授業中は自習していたのですけどね。

日本でも、学者は、いわゆる実務家の書いたものを馬鹿にしています。不幸なことです。実務家が書いたものの程度が低いマニュアル本ばかりならそれでもいいかもしれません。しかし、中には、御用学者以上の識見を持って数々の著作を著しているにもかかわらず、いわゆる学会でほとんど評価をされていない先生もいます。
その理由というのは、主張の程度が低い、誤りがあるということではないのです。ただ単に、その先生の書かれるものが、いわゆる、論文としての作法に欠けるというその一点だといっても良いのです。

法学についていうと、特に行政法の世界ではそれが顕著ですが、その分野で最も知識、情報量を持っているのは、日本の場合は、いわゆるキャリア官僚システムだったわけです。過去形になりつつあると言うのがわたしの認識です。
なぜ、キャリアが行政法分野の第一人者であるかというと、東大法学部で一番だった人は、学者にならず、キャリア官僚になって権力を振るうかどうかは別にして、行政に関わる立法を行うことになるわけです。

租税法という領域は、学問の領域でいうと日本においては、依然として行政法の一部という位置づけから脱却しきれているのかどうか微妙なところです。

租税法領域において国際比較をするときにもっともと有力な情報を持っているのは、財務省主税局をおいて他はありません。学者と呼ばれる人たちも、最先端の情報は、他国の課税当局が持っている以上、主税局以上の情報を得るのは非常に難しいというべきです。

アメリカなどの場合は、優秀な法律家は、民間の法律事務所のキャリアの他に、行政府のスタッフ、議会、議会の委員会、あるいは議員の立法関連スタッフ、それとロー・スクールをぐるぐる回るという感じです。
裁判所の判事というのはいわば、あがりのポストであるという特徴があり、それに対し、色んなレベルの検事という役職はキャリア・ステップのための重要なポストです。

上記のような違いがある以上、東大教授になった人といえども、情報量、ソースの点でキャリア官僚組織には敵いません。ここに、御用学者が誕生する所以があるのでしょう。

また、三流実務家が、学者もどきになりたがるというのも事実です。所詮、良くてオタクなのに、見苦しいです。

現代国家は、租税国家であり、租税法領域にもっとも優秀な知性が本来必要とされるはずであるのに、現代日本における状況は、アメリカに比べると財政学領域も含め、惨めという他ありません。

キャリア・システムが優秀なシンク・タンクとして戦後の日本で機能してきたことを私も認めますが、法律の行間を埋める性格を持つ政省令、さらには通達等にかんしては、優秀なノン・キャリア群がいて、彼らの職人的経験なしにはなりたちませんでした。
しかし、このノン・キャリアの職人集団も画一的輪切りによる教育の浸透により従来の輝きを失ってしまっているようです。

しかし、先に私がご紹介した先生も、FZと同様、意固地になっているようにも思えます。ただ、それには、それなりの理由がないわけではなく、その理由は広く世間に知られるべき性質のものでもないわけで、FZも同様のことがあったのかなと考えたりします。

ブログやネットというのは、学者の言う作法、つまり、書いてあることを他人が文献等で確認してその考えが正しいかどうかを検証するすべがありません。コピペ・レベルの話ではありません。
引用しているのなら、どこから引用しているか書いてなければ検証できないのです。

[今朝、私は、みかんを食べた.]と私がブログに書き、それが、真実かどうかなんてことは、誰にも関係のないことです。しかし、意見、考え、証言、事実と主張するとなる話は異なります。

ブログは中毒性があることは、わかりましたが、自分の経験以外のことを書くときには、常に、こそばゆい感じがします。

ロウェル・ジョージの歌の検討にでも戻りましょう。It's so Cold!
by nk24mdwst | 2008-01-20 13:24 | 記憶