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who needs me?

朝一番の電話がG-menからということで今日はいい日です。

ずっと秋晴れが続いていて良いのですが、連休明けで電話ばかり。いい話ならいいのですが、今の娑婆で早々いいことなんてないわけで。

Van Morrison を聞いているとなぜか心が休まるように感じます。20代の若々しい声も魅力だし

最近、わかってきたのは、人間は変わらないということですね。自分も変われないけど他人も変わらない。自分を管理できない人間に他人の管理はできない。
自分自身を帰られない人間に他人を変えられるはずがない。

いや、別に他人を私の思い通りに変えたいなぞと言う大それたことを考えているわけではなく、いつもいつも、繰り返し々人に同じ質問をされるということです。心底疲れます。

最近、自分が誰か、何が好きかとかわからなくなってきています。
音楽は、どんな音楽が好きなのか自分でもわかりません。まあ、一応、個人的な基準があってその水準に達していないものは、そのアーティストの全作品を網羅的に集めた時期があったとしても、今は聞けないという感じです。

大方の音楽ブログで話題にされているような大物アーティストの類は最初から興味がないし。おかげであまり金を突っ込まずに済んではいますが。

Highway 61をDr. Feelgood に続いて、Steve Marriottがやりだしました。

アルバムをばらして聞いていると、聞けない連中の曲も何とか我慢できるかなとは思います。
マリオットとフィールグッドはというと、もともとの出来が違うと感じますが、必ずしも正当な評価がなされているようには思えません。

晩年の売れなくなってからのマリオットは、最近、再発されていますけど、捨てた物ではないです。今度はマリオットの別ヴァージョンになりました。スライド・ギターも渋い。
余計な音を使わないのが良いです。いいグルーヴ感、あります。

最近いつも感じるのは、1960年代にポピュラー音楽が、アメリカでもイギリスでも絶頂期であったということです。当時のアメリカやイギリスは、同時代の日本よりはるかに豊かでしたし、所得階層間の乖離も少なかったという社会背景が大きく貢献しているのだと思います。

アメリカでも北部と南部、西海岸と東海岸、中西部、全てを同列に論じることはできないでしょうし、同じ地域でも色んな人がいたわけですけれど、1920年代や現在に比べるとはるかに均質性の高い社会だったと思います。

2008年9月15日は、天が落ち始めた日として記憶されるようになるのでしょうか。

1990年代と今世紀に入ってから二度、アメリカはグリーンスパンが意図的に過剰流動性を作り出した結果がバブルを生じさせたのでしょう。特に、今世紀の初めの例の事件のあと、市場の動揺を防ぐという名目で意図的に過剰流動性を生じさせ不動産バブルにいたったのは当然の帰結ですね。

不動産債権を証券化することにより、個々の債権リスクが分散化市、リスクが減少するという理論は見事にはずれ、リスクをばら撒き、リスクの大きさの評価もままならないという状況です。

借方の資産の評価が下がっても貸方の債務は簿価のままです。

会計が時価主義を導入するなどといっても、現場の一線で取引している連中の行っていることを後追いでルール化するのが会計学者や会計審議会。
税法の分野でも同様で先に、既存の税法を前提として金融商品、節税商品を編み出す人がいて、後から穴をふさぎにかかる。穴ふさぎですから、精緻で美しい租税法理論などというものではないわけです。

会計処理の原則としては伝統的な取得原価法による評価と時価主義による評価法があります。
取得原価法に対する批判としては、取得時から時を経ることにより、取得原価が現在価値として意味を成さないことがあるということですね。減価するものであれば減価償却後の取得原価がです。

資産の陳腐化等の問題を脇へのけると、時価主義の有用性は、インフレ時ないしデフレ時において意味があるということになります。有価証券、棚卸資産、減価償却資産、土地等の不動産のいずれにおいても、貨幣価値の変動を財務諸表にどう表すかということは難しい問題です。

しかして、時価とは何ぞやという問題に突き当たるのですね。さらに、この時価なるもので評価すべき対象が特定の市場価格のある株式等の有価証券であったり、特定の不動産単体であったりすれば、時価に接近する方法も考えられますが、これらを証券化し、さらにそれらの証券を束ねて証券化しということを繰り返すと、誰にも正体が見えなくなるわけですね。

みんなが買いたいと思っている限り、証券の価額や不動産価額は上るでしょう。需要と供給の関係だけではなく、どれだけ手元に資金があるか、要するに中央銀行の金融政策にも左右されるというわけです。
そして、ある日、みなが突然、誰も買う人がいないことに気づいた=要するに値段が上りすぎて利回りとしてペイしないことにきづくわけです。池よりもカエルが大きくなるということが起こるわけです。
ねずみ講と同じですが、無限に買い手は存在しないのは自明です。

池よりもなぜカエルが大きくなることができるかというと、資金余剰が金融機関の融資を促し、取引参加者は、簡単に融資を受けることができるようになります。

簡単に借入ができ、つまり掛け金を吊り上げることが可能になり(レバレッジを利かせるなんていうと洒落て聞こえます。)、大穴狙いに一発ドカンとぶち込んで破綻する・・・と一般に思われがちです。確かにモラル・ハザードが生じて危ない借り手に貸し込むということもおこるというのは、事実でしょう。
しかし、現実に起きるのは、サラリーマン・トレーダー(高給取りですが)は、リスクを取るのを恐れ、一番人気、つまり最もリスクの少ないものに投資をする傾向があります。リスクが少ない代わりに利回りも当然の帰結として低いわけです。コンマ数パーセントのさやを取ろうとするわけです。
ここで、レバレッジによる、要するに借金によって掛け金を高くすることに意味が出てくるわけです。金融工学のトップを走っていると自認する連中は、絶対にはずれないようばくちをうつ、利回りが小さいので掛け金を莫大にするというわけです。
100×10<100,000,000×0.1というわけです。
LTCMは、この理論で結局破綻してしまったのですね。

忘れることができるというのが人間の特技なのでしょう。

クルーグマンが1920年代とこの30年余りとの近似性を昨年の本で指摘しています。

税制、世界中の税制という意味ですが、今回のバブルの形成に一役買っているのも事実なのです。

ここで話が急変、FZについて心覚え。

Freak Out!でTommy Tedesco他ハリウッドの一流が勢ぞろいしているのに、肝心のHal Blaine はいないのです。
ハルの後継者で最高のロック・ドラマー(何でもできる人ですが)である、Jim Gordonは、Imaginary Disease というライブ・アルバムで演奏しているのですが、このあたりにヒントがあるように感じだしました。
ZFTの出したものだから、このアルバムの選曲、構成自体にどうしようもない問題がありますが、このプチ・ワズー・ツアーの記録というのは非常に貴重です。
演奏水準は、高い、音楽性としてはFZの過渡期という具合に色々個別に分析することは可能なのですが、非常に頑張って演奏しているジム・ゴードンとFZの音楽の間に大きな違和感を感じます。
前任がAynsley Dunbar なのですが、ダンバーより上手いゴードンが間違えずにプレイしながら違和感を感じるのですね。
指揮者に指揮されるのになれていなかったとしか言いようがないのかな・・・

1970年代半ば以後、FZは、トップ・セッション・ドラマーの起用をやめ、若い才能あるドラマーの発掘をするという方向転換をします。
ジム・ゴードンは当時既に十二分に自分の地位を確固たるものにしていたわけでFZに箸の上げ下ろしまで指図されるのは苦痛だったとしか思えません。

Terry Bozzio 以後の連中はみな、無名でハングリーかつ才能があるやつらばかりです。

テリー・ボジオがFZのアルバムで最初に登場するのがBongo Fury なのですが、これをFZのカタログの中に位置づけるべきではなく、Captain のカタログの中に位置づけるべきなのだと最近考えていて、前も書いていますが、Trout Mask Replica は、ビーフハートを演者としたFZのアルバムなのだと思うのです。
by nk24mdwst | 2008-09-16 09:32 | その他


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