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i'm hiding, 'cos i'm scared so much

ウェブというのはとても怖いです。
私は、だから隠れているつもりです。
でも、我が家の犬と同じです。頭隠して尻隠さずですから。

正体を探そうと本気になられれば、すぐに正体がばれることくらいは重々承知しているのは当然ですが、一応、隠れている「つもり」なのです。知らない振りをしていればばれないだろうと勝手な自己満足です。どこかの国の役人、政治家、ロビーストはどうもこのあたりを本気で信じているみたいなので、つまり、馬鹿な国民をずっとだましとおせるという意味ですが、そこまで馬鹿じゃないけど、振りだけはしていることは自覚しているのです。
隠れようとしているけど、ちゃんと見張られていることは自覚しているのです。
表面上、名を秘しているものがどの程度他者のことを評することが許されるか。持ち上げるのもけなすのも同じです。ほめ殺しという言葉もありました。

評する場合の表現もいろいろあるでしょう。
私は、少なくとも一般に名前の知られていない町内の誰かをけなすようなことはしたことはないし、するつもりもありません。
しかし、有名誌に署名入りでものを書いている人に対しては、その言っていることに賛同できないときはそう書いてきましたし、これからも書くでしょう。

音楽のような趣味レベルの話なら、商売の妨害になるかもしれませんが、少なくとも批評の観点が違うということは、あるいは勘違いがあると思ったときはそう書くでしょう。
もちろん、私の方が勝手に間違えていたり、誤った思い込み先入観の類にとらわれている可能性が低くないことを否定はしません。

税制というような租税国家である日本やアメリカの現実に直結するものに関してどう書くべきかという問題があります。こちらの方が大きな問題ですし、こちらの方は心底、怖いと思っていて隠れていたいのです。

誤った情報が権威があるとされている人やそのような機構から流され、社会がそれを受け入れようとしているとき、それに対する批判的な意見をどのように表明するかという問題があります。
活字の世界できちんと名乗ってそれを表明する機会があるかも知れず、そうするべきときはそうします。というよりは、少なくとも、自分の名前が表に出ている場合であっても体制に阿るようなことを自分の意思に反して書くようなことはしたことがないつもりです。

ウェブ上でいわゆる匿名性があるとされている場でそのような意見を表明することの当否は難しいですね。誰も見ていないというナイーブな前提に立ち、独り言のようにつぶやいていればいいのでしょうかね。

新たなごみを撒き散らすだけなのでしょうね、所詮。

現実社会の方はどうか。

見張られているということが、あるいは、さらに監視が強くなろうとしていることが、あるいは、偽情報によってだまされつつあることをどれほどの人が感じているのかということに危惧を持っていますが、それも単なる思い上がりかもしれません。

権威に弱いのは誰しも同じです。
大勢と違う見解を述べる人をこの国の人たちは排除するのが大好きです。
自分が一般に常識とされていることと違う真実を探求しようとしている人も、常識とされているものを掘り下げようとしているものも同じように自分と異質なものを排除しようとします。

自分自身がそうだから良くわかります。近親憎悪という言葉は当たらないかもしれませんが、自分と似ていればいるほどそのような感情はわくものだとも思います。

日本の普通の人は、権威に弱いです。役所という名前を聞くとすぐに信じ込む、震え上がる。それをちゃんとわかっているのが、いわゆる役所を騙る振込み詐欺をやっている皆さん。
権威に弱い日本人と、肝心の情報を知らせないようにしている日本の役所の体質の両方をよく理解している。
そこに、機械操作が苦手で、人の言いなりになるように飼いならされた人たちが引っかかるのは悲しいことです。

政府の愚民政策の結果といっては終わらないでしょう。

飼いならされた羊という言い方は、源泉徴収制度と年末調整システムと日本国民の関係について表現した斎藤貴夫氏の言い方です。
源泉徴収制度と年末調整制度、さらには給与所得控除の本質まで含めて考えることが必要です。
繰り返して書くことになりますが、源泉徴収制度自体は他国にもあり、日本よりはるかに詳細な情報申告システムのある国もたくさんあります。
ただ、年末調整制度を整備してサラリーマンと課税当局の関係を断絶させているところに日本の特徴があるわけです。この制度自体は、戦時下と特別的な措置、非常時体制下のシステムだったのですが、あまりにうまく機能するので手放せなくなったのです。

この制度が機能する前提が団塊の世代の大量退職、若年労働者を中心とする雇用の流動化によって崩れてしまい、これに対応するシステムを見付けられないでいるというのが現状だと考えています。

ウェブではごみ情報を撒き散らすべきかどうかはともかく、本物情報があっても、あるいは、本音の情報があっても、あまりに膨大なごみの山、たとえばこのブログですね、それを掻き分けてたどり着くのは難しくなる一方ですね。

掻き分け方はPCがパーソナルがゆえに普及した(私の勝手な思い込みかもしれませんが)、100人100通り。だって、何をごみ、何を宝と思うかということ自体がちがいますから。

グーグルは、営利サイトばかりを頭に持ってくるように変わってきているようですね。その方針は、趣味的な世界では非常に厄介に思われるのは事実でしょう。
本気で掘り下げているのは、金をもらって雑文を書く評論家諸氏ではなく、マニアのはずなので。
個々の見解に賛成するかどうかは別にして、誰も知らないようなことに関して探し回り、それについての真偽の別の判断は自己責任ということになります。ただ、常識的には、それを探すためには、スポンサーのいないところを探すのが良いのではないかと思います。

しかし、案外、グーグルも悪くないと思うこともないことはないのですね。最大のスポンサー、本当の権力を持っている人の情報がぽんと出てきたりするのだと最近感じます。
広報のためのサイトで情報は、実に使いにくいシステムにしてあるとしか感じられないほど、ほしい情報にたどり着くのに時間がかかるのです。税金で運営しているから、ちゃんと情報自体はどこかにあるのですけどね。

本当の権力というのは正しくない言い方か、と、ちょっとわき道へそれます。。

権力の「権」というのか、仮という意味です。権大納言という言い方をするのがレイです。権力の反対語は、だから実力ということになります。

まあ、国を統治していることになっている機構や政府は、やっぱり権力というべきでしょうね。実力という言い方はふさわしくない。
ただ、本当の権力というのはそれなりに意味のある言い方かもしれません。

People, get together, now! なんて言って、中学生の私をだましたPaul Kantner なんて人は偉いです。

しかし、生まれたときからウェブとゲームで育った人間というのは最強の部分と非常に弱い部分を併せ持つのでしょうね。

世代は違いますが、私は、自分が非常に弱い人間で小さな段差を乗り越えることもできないことを知っているので、それを知られないように強がりをいつも言っています。
空威張り、知ったかぶりは、本当に物を知っている実力者を相手にした場合は、足元を見透かされ、相手にされなくなります。
逆に、裸の王様は、こちらの仮面が見破れず見当違いの反撃をしてきます。

見切り、見極めと言うのはj非常に大切なことだと思うのですが、それは実際に顔を合わせて何度も話を重ねないとできないものですね。
ただ、人生の達人、本当の実力者はそれを最初から見る力をお持ちのようです。

半世紀も生きてきたけど、そこいらじゅうで石につまずき続けていて、あるいは、眠りウサギのように眠りこけていたりして、静かに臨終の日に向かって歩き続けているのです。

FZのClonemeister だった、Arthur Barrow がFZについて語っています。
      Frank Zappa

 A few tidbits about Frank and me that some may find interesting

Introduction:Audition: Rehearsals: Touring: Clonemeister: Saturday Night Live: Quotes: Joe's Garage: You Are What You Is: Tinseltown Rebellion: Man From Utopia: Shutup and Play Your Guitar : You Can't Do That On Stage Anymore
Introduction

I became an avid Zappa listener as a teenager in the 60's. At first, I related mostly to his lyrics, and gradually realized that even though the songs were often humorous or satirical, there was often some quite interesting music going on as well. The first album I really got into was "We're only In It For the Money". I learned how to play a lot of the songs by ear.
http://home.netcom.com/~bigear/Zappa.html#Touring
娑婆は3連休なのだそうですが、例によって仕事場です。

明日は、買い物で午前中は一服ですが、明後日も仕事場です。
娑婆が休みのときの方が、余計な電話がかからずよいです。

仕事場で仕事と称するものをしてはいるものの、仕事が収入に結びつくものだと言う定義をするなら仕事ではないと言うことになります。
いつ、仕事をしているのか・・・そもそも平日もこの定義で言う仕事をしているのか、最近、自分でも自信がなくなってきています。

例のよってウォークマンの電池が切れたので、John Stewart のThe Complete Phoenex Concerts などというものを聞いています。やっぱり、サザン・ダイアレクトなのだなと。
ドラムはJim Gordon です。
ハリウッドのスタジオとフェニックスなんかをとんぼ返りして仕事をしてれば、そりゃ疲れてしまうのは当たり前です。
Gary Usher を聞いて、次がこれ。この後は、Mike Keneally という順番の予定。

Spirit ですが、最初の方は、プロのお仕事、途中からそうではなくなったような感じですね。メンバーがやるようになった。
ドラマーのNick Cassidy はTaj Mahal のthe Rising Sons にいたとそこらじゅうに書いてありますが、Kevin Kelly がドラマーでRy Cooderが抜けた後は、俺だったとJesse Ed Davis はインタヴューで語っています。

バロウの後釜がScott Thunesですが、彼は、音楽から離れてしまっています。

彼のHPも数ヶ月前とはかなり中身が変わっているというかなんというか。Joe Jackson を見に行ったらよかったなんて、普通の人みたいなことをブログに書いていて。

テューニスは、バンドで嫌われ役を引き受け、頑張ったけど、その後成功せずというパタン。

Art Tripp は、カイロプラクティクやってるっていうし、Jimmy Carl Black は、性質の悪い病気にかかってようだし。

帰ってEddie Hinton を聞こう、です。心底疲れたとき、彼の歌声が励みになる。
曲を選ばないと、さらに落ち込むのですけどね。
by nk24mdwst | 2008-09-13 06:55 | 音楽


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