人気ブログランキング |

what's tax

Wats Riot では、なくてTax について、以下のように書いたものを見つけました。

Taxation is the means used to support a civilise society - it funds government goods and services which give meaning rights.

Oliver Wendell Holmes, Jr. の定義よりもよい定義だなと思いました。これを書いたのは、Michael D'Ascenzo 氏で肩書きは、 Commisioner of Taxation です。

Taxes are what we pay for civilized society. というのがホームズ判事の言い方です。
税制が社会をより良くするために使われると言っています。さらに租税国家がなすべきことに言及している点ではるかに洗練されていると感じます。

ホームズ判事の言葉について、the がcivilized society の前についていると勝手の思い込んでいろいろ、書いてきました。この点については、誤りを認めます。the があるとないとでは、解釈が異なるという意味においてです。
the がついていれば、civilized society は限定を受けることになり、それを前提とした解釈、批判は的が外れていたということです。

ただ、この問題の一言の出てきた判決、その背景、それもその事案の背景だけではなく、事案が起こった当時のアメリカ社会の背景、現在のアメリカのそれに非常に似通ったものだと私は考えますが、そこまでを深く検討してこの言葉の意味を検討しているのではありません。

ホームズ判事の父親が差別主義者であるということは事実だとしても、ホームズ判事の政治的立場、アメリカ法史上に占める地位等については、まだまだ不勉強なので、もう少し知見を深めてからこの言葉の意味について見当を重ねてみたいと考えています。

租税に関する定義というよりは、租税制度の意義と捉えるべきで単純に比較はできませんが、少なくとも pay for the civilzation という言い方と、support a civilise society という言い方の間にはかなり距離があります。後段の、租税の使途と政府の関係について述べている部分も大切だと思います。

ホームズ判事が差別主義者だったかどうかはわかりません、また、オーストラリアがかつては、白豪主義という差別政策を採っていたのも事実です。しかし、ホームズ判事の時代と現在を比較すると世界は福祉国家体制というものを経験していて、それ尾を抜きにした国家というものも、いかに市場原理主義を持ち込もうが存在し得ないと私は、考えます。

出所ですが、依然触れたことのある、オーストラリアのDuncan Bentley の Taxpayers Rights: Theory Origin and Implementation の巻頭言です。
Australian Taxation Office 長官が巻頭言を書いているわけです。

ホームズ判事の租税に関する一言に比べると、租税制度の本質についてはるかに洗練された言い方をしていると思います。

ベントリー教授の本は、先進国の納税者権利法制のベンチマークとなるであろうし、発展途上国が続くべきものというような言い方をしています。

納税者権利法制を明文化することが有用性と税務行政執行の円滑化に資する意味を持つこと、税務行政執行側からすべてに賛成できるわけではないことを断っていますが、日本の現状からすると考えられないような立場の人が巻頭言を書いているというわけです。

オーストラリア納税者連盟に言わせるとオーストラリアの税務当局、税理士は、納税者のことなぞ考えていないということでした。また、私がかつて、オーストラリアの税務オンブズマンが自ら、日本での研究体験を踏まえて、日本とオーストラリアの税制、税務行政の同質性を指摘していたことを考えると、感慨深いものがあります。

日本では、納税者権利保障論を振りかざすとそれだけで、色分けされてしまう現実がないわけではないように感じますが、お世辞にしろ、その国の税務行政のトップが巻頭言を書いているということの意義は大きいと思います。

オーストラリア国税庁は、植民地時代の名残で非常に強い権限を持っていて、形式的には、アメリカのIRSや日本の国税庁以上の権限を有しているのです。

要するに、納税者権利保障法制を整備すること、それも明文化した形で立法すること自体は、納税者にとっても税務行政を執行する側にとっても有意であるということは、間違いのない事実だと考えるわけです。

ただし、日本の場合においては、納税者、納税義務者、納税の義務のあるものの三者があり、原則として大多数の給与所得者は、この納税者というカテゴリーから外れるという問題があります。

これは、所得税の制度設計自体の問題なので、権利保障論とは、別個に論じる必要があるでしょうし、実現可能性、あるいは、国民経済全体における便益を考慮しなければならないとは考えますが、サラリーマンが納税者の地位を与えられていない現実を論じること自体が、日本の納税者権利保障法制を考えるときの論点のひとつになるのだと思います。

逆に、日本においては、地方税法、あるいは濃く見年金法その他の社会保険関連法において、その徴収手続に関して、国税徴収法を準用する形で法が規定されています。
その意味で、国税レベルにおける納税者権利保障を論じつることは、地方税、社会保険料における納税者、保険者、被保険者等の権利と権限を論じることに結果的につながるはずだと考えます。

社会保険料をも含んだ意味における租税に関しては、その税額の確定(申告納税制度か賦課課税制度かという問題は二次的です。)、調査、不服申立て、訴訟等がすぐに日本の場合は問題とされますが、最終的には、税額の徴収という形で租税債務に関する政府と国民の債権債務関係は解消されることになります。
そして、各国の歴史を見ていると、この最後の徴収の場面におて、さまざまなトラブルが起きたことが権利保障法制制定のきっかけとなっているという不幸な事実があることを念頭に置かなければいかないと思います。

夕べの晩は、Flo & Eddie Mothers のおしゃべりを聞いているうちに寝てしまいました。

1970年代前半までは、FZは、その楽曲のストーリー、あるいは自分のギター・ソロのためのビークルとしてドゥーワップを用いていたことがよくわかります。
70年代後半以後は、レゲェをビークルとして用いるようになるのですね。

'Playground Psychotics’は、喋りが延々続き、途切れ途切れに出てくる演奏は、非常に良いと思います。
このアルバムは、Flo & Eddie 時代のMothers のFilmore East Live とJust Another Band From LAという二つのライブ・アルバムの補遺という位置づけでしょうか。
それと、あとからThe Grand Wazoo とかOrchestral Favarite 、Sleep Dirt に断片として登場する、FZが当時企画していて、例によって没になったオペラの曲の一部が登場したりします。

おしゃべりでは、Jeff Simmons が200 Motels の台本を練習していてほかのメンバーに笑われているところとか、Mad Shark の元となるエピソードをシアトルのホテル従業員に聞いているところとか、マニアックというか資料的な価値はあると思います。

200 Motels の設定自体がそうなのですが、ツアー・ロック・バンドの日常とグルーピーの話について、FZは、異常なこだわりを持っているように思えますが、それが一般大衆の興味を引くものであるかどうかは別の話でしょう。

私小説的日常を映画にするというのであれば、それはそれで違うアプローチがありえたのかなと思うのです

まあ、FZの音楽は、関心のない人は無視していれば、それでいいのだと思いますが、彼の音楽をライブ音源を中心に俯瞰する視点というのはやはりひとつ重要なポイントかなと感じます。
だから、変なかすみたいなものではなくて、ZFTは、コンサートを丸ごと編集しないで出すという姿勢でやってほしいなというのが偽らざる感想です。
オリジナル・マザーズのメンバーが生きているうちに出すべきものはあると思いますね。
ZPZなんかはサイド・プロジェクトだと。

いずれにしろ、'Playground Psychotics’は、1960年代のMothers のスタジオ時代の曲を軽々とステージでやって見せ、かつ、ワーナーの頚木から逃れてからFZが発表しだす曲の原型を提示しているという意味で重要なものでしょう。

普通のリスナーに親切なやり方としては、移動中の数々のおしゃべりや、インタヴューの録音の部分を除いて、リアル・タイムで出た2枚のライブ・アルバムとセットにして当時のマザーズのライブをストレートに表現するものになっていればよかったのかなとは思います。
雑談は、一度聞けば十分ですから。

この時代のマザーズでは、歌うのはフロー&エディー、それにTurtles OBでベースのJimmy Pons, FZは、ナレーションです。彼らが抜けた後はFZが前面に出て歌いだしますが。

演奏は、Aynsley Dunbar がドラム、Ian Underwood がリード及びキーボード、Don Preston がキーボードです。
FZのギターはブルース・ギター・ソロ風ではなく、控えめなアンサンブルによるバッキングの一員に徹しています。

この後のイギリス・ツアーでFZは、ステージから落とされ、車椅子生活を強いられ、その間ツアー等ができなくなり、フロー&エディーは宙ぶらりんな状態に置かれてしまい、最終的には分かれてしまうことになります。

例の火事の一件はともかく、いろんな意味でイギリスでの大怪我は、FZにとっては不運な出来事だったと思います。音楽的にもそうですが、彼の病気の遠因になったのではないかと思わないでもありません。
カリフォルニア東部の砂漠の町で1950年代を過ごしたということは、ネヴァダの核実験によるフォール・アウトをかぶった可能性が強いこと、骨折による大怪我でレントゲン写真を大量に取ったのではないかと思われること、それとタバコを食べるというほど吸いまくったこと、どれもが彼の病気の複合的な原因要素足りえます。

それとストレスかな、中小企業の親父としての。現代の作曲家は長生きして死なないなんて皮肉るから、自分にお鉢が回ってきた。
by nk24mdwst | 2008-09-05 08:27 | 租税論


<< mad shark what's new? >>