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lou didn't try to gall me

昨日は、月に一度の墓参りの日でした。風が少しありましたが、ろうそくと線香にちゃんと火がつき、すっきりしました。
新しい墓石を多く見かけるようになったのですが、あまりお参りをしている形跡がないのですね。

その後、いつもショッピング・モールで一週間分の買い物をしました。先月半ばあたりから目に見えて客が減りました。
ガソリン価格上昇のせいかも知れません。地方の小さな町に住むものにとっては、車は生活必需品です。
私は好みませんが、いくつもの大規模ショッピング・センターを回るようなことをする人が少なくなかったのです。そのような人たちが、近いところで全て済ますようになった結果かもしれません。
駐車場の車の台数が目に見えて減っています。かまぼこやちくわも小さくなっているし。
デフレ下で静かにインフレが着実に進行しているようです。
地方経済がやっと上向いたと感じられる間もなく風向きは変わっています。
かつて、人口一人当たりの小売業の売り場面積が最大となったことのある町に住んでいるのですが。

午後は、先週の続きで原稿の校正。以前はファクスで来たものですが、今度の出版社はゲラ校正がPDFで来ました。
例によって校正段階で全面的に見直しました。初稿を出すときにちゃんと書けと言われそうですが、性分は直らない。しかし、つまらん題材で時間と資源の無駄を感じました。あてがわれた題材は、やっぱりつまらない、興味がわかないから書けない、読まされるほうは気の毒ですが。

FZを聞きながら、午後は原稿を見直し、夕食を食べながらスカパーでアキラの「高原児」を見ました。やっぱり大したものだと。
デジタル・リマスターされた昭和30年代の日本の青空が青いですね。

クレイジイ・ゲンという黒ずくめガン・マン役で郷 鍈治さんが出てきます。「荒野の七人」のユル・ブリナーそのまま。
「荒野の・・・」は、黒澤のパクリですが、こちらは1960年製作、日本公開は61年春で、「高原児」は、61年8月製作です。

殺し屋役で台詞のない榎木兵衛さんが、アキラの頭に届くところまで両足とび蹴りをしたのには、さすがに驚きました。
原っぱの真ん中だからワイヤーなんかあるはずないし。

小林旭の歌が三曲もあって、アクションは当時のハリウッドの正統派西部劇をきちんと踏襲しています。
ほとんどスタントを使わないアキラの身軽さが素晴らしい。
日活映画の日本語はきれいだといつも思います。身についたものなのかな。

夜は、Adrian Belew を聞いているうちに寝ました。3曲目になる前に寝てしまったようです。

ご先祖様をありがたいと思う、伝統的な日本の伝承宗教観の私なぞが思うのは、墓参りもせず、つまり、現在の自分の存在は全て自分のおかげだと思っていれば、自分も含めて人間の命の価値なぞ、どうでもよくなるのでしょう。

仕事に出てくると、佐川急便の不在票が入っていました。いつもは担当者に直接電話するのですが、初めてコール・センターに電話しました。
機械による電話の応対に番号入力で答えると、今日の午後配達しますと優しいお姉さんの声がして電話が切れました。
Philip K. Dick 描く小説の世界そのままだと感じました。つまり、優しい機械と冷たい人間です。
ここでいう「冷たい人間」というのは、ディックの小説では、アンドロイドという言葉で表現されている「もの」たちのことをいいます。

「『アンドロイド』は既にいる、他人に対する愛情、思いやりにかける「もの」たちのことだ」とディックは言っています。

ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』('Do Androids Dream of Electric Sheep?')
を原作にした『ブレード・ランナー』(Blade Runner)の評価はともかく、冒頭のシーンで、人間とアンドロイドを区別するテスト・シーンがあります。あの中で、一連の質問が行われるのですが、質問の内容は、基本的に「人間的優しさ」を持っているかどうかを問うものです。

リドリー・スコットの映画『ブレード・ランナー』に関しては、ディックに対する評価とは別個に検討する必要があるのだと思っています。スコットは、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を全く読まずに撮ったとか語っていますから。それ派それでいいのだと思いますけど。

1970年ごろからFBIなぞに自宅を家捜しされたりしたことや、私生活等の問題もあり、ディックの精神状態は、余りすぐれないものとなっていきます。
1970年のFlow My Tears, The Policeman Said あたりからその傾向が出てきていますが、1973 A Scanner Darkly (1977)あたりは、現実と妄想、自分と他人の区別がつかなくなってしまう主人公が登場します。
これは、出版時にペーパー・バックで読みました。当時、ディックは邦訳がほとんど絶版状態でしたし。

ディックの小説は、主人公の不機嫌な目覚め、安物アクション的物語展開、ちりばめられた晦渋と韜晦、哲学、宗教的引用、そして唐突な終わり方、それも、主人公が大抵死ぬのですが、この傾向がどんどん強くなっていきます。
1976 Radio Free Albemuth (1985)、1978 VALIS (1981)、1980 The Divine Invasion (1981)、1981 The Transmigration of Timothy Archer (1982)あたりは、サンリオ文庫で出たので一応目を通しましたが、訳文等、かなり読むのが辛かったですね。

ディックの小説で唯一ハッピー・エンドで終わるのが「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」です。他は、主人公は自らを見失い、命もなくなりという感じですよね。

かなり荒っぽいストーリー展開は、A.E.ファン・フォクトに通じますが、ファン・フォクトは小説の中でつじつまが合わなくなるなんて無茶苦茶があるので荒唐無稽の小説のように見えますが、今思い起こすと、非常に書かれた当時の時代、世相を反映していたと。
ナルAシリーズなんか、第二次大戦当時のアメリカ、ヨーロッパ、ユダヤ人差別をそのまま書いていただけですね。

まあ、三人称、一人称、入り乱れ、最後に自分はディックだなんて小説の中でいいだす始末です。Grateful Dead が出てくるのですよね。
小説の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』では、主人公のデッカードの同僚の賞金稼ぎの名前がフィル・レッシュという名前でした。デッドのベーシストと同名です。

キージーとデッド、アシッド・テストについては触れません。
ディックは、クラシック音楽のファンでしたが。

彼の講演録が、一番面白いです、晩年では。先に述べたように、アンドロイドは既に存在するって言い切ってますから。'The Shifting Realities of Philip K. Dick: Selected Literary and Philosophical Writings '(Philip K. Dick ,Lawrence Sutin (Editor) )です。邦訳は、『フィリップ・K・ディック 我が生涯の弁明』 だったと思います。

現実と虚構、あるいは妄想、存在と非存在、いわゆる正しいものとそうでないものの違いというのは、案外、はっきりしないというのが正しいのでしょう。

自衛隊の合憲性、イラク戦争への参加の合憲性自体を判断するだけの識見は持ち合わせてはいませんが、高等裁判所のレベルで、インド洋における給油活動に関し「違憲だ」と野判断が出たにもかかわらず、そんなの関係ないなどと政府首脳がいっている国や、それを見過ごしている人というのはどうなのでしょう。
多くの人が空は青いというから空は青いのか、ということです。
多数派の意見が正しいとは限らないわけで。
空の青というのも、私が見ている青と他の見ている青とは違うのじゃないかというような疑問を持つかどうかですけれど

ディックには、もう少し長生きして欲しかったです。
というか、FZやディックよりも私の方が既に長生きしていることになりつつありますから。

無垢なアメリカというものの存在を信じていたのでしょうか、Walt Whitman は。

     On The Beach At Night, Alone

On the beach at night alone,
As the old mother sways her to and fro, singing her husky song,
As I watch the bright stars shining—I think a thought of the clef of the universes, and of the future.

A vast similitude interlocks all,
All spheres, grown, ungrown, small, large, suns, moons, planets, comets, asteroids,
All the substances of the same, and all that is spiritual upon the same,
All distances of place, however wide,
All distances of time—all inanimate forms,
All Souls—all living bodies, though they be ever so different, or in different worlds,
All gaseous, watery, vegetable, mineral processes—the fishes, the brutes,
All men and women—me also;
All nations, colors, barbarisms, civilizations, languages;
All identities that have existed, or may exist, on this globe, or any globe;
All lives and deaths—all of the past, present, future;
This vast similitude spans them, and always has spann’d, and shall forever span them, and compactly hold them, and enclose them.

ホイットマンが夢想するような自然で自由な社会において現在の私たちは生きていくことはできないと思います。
一定のレベルにおける政府その他の福祉等が必要です。
ただ、気をつけなければならないのは、その福祉等を享受するためには、租税や社会保険料といった財産的な負担やある程度の個人情報その他個人の自由に対する制限、管理というものを受け入れなければなりません。
これらは、常にトレード・オフの関係にあるので、どちらかを一方的に享受するわけには行きません。

高福祉には高負担が付き物です。高福祉の享受を受けるものと負担を担うものは必ずしも一致しないというところに租税の租税たる所以があると考えます。
どのような社会制度を望むのかは、市民が自らの選択で決める必要がありますし、そのためには充分な情報の開示が必要です。
逆に、情報開示という権利を行使したからには、その権利行使に基づく結果に対しては、責任ないし義務が生じるということも忘れてはいけません。
全部お上にお任せで構わないならそれはそれですけれど。

情報公開法に基づく情報公開は、国民の当然の権利ですからそれを行使して情報を共有し議論をすることは非常に大切です。上で私が、情報公開を求める権利の裏側にある義務と責任について述べているのは、ネット上で公開していれば、あるいは、パブリック・コメントのような形で意見を募るという体裁をとっていれば結果はどうであれ、みなに情報開示をした、あるいは、新たな施策や法案に対して国民の意見を聞いたという議論ができるということにつながることの危険性です。

情報を圧倒的に集め分析する能力は、一個人や小さな民間団体レベルでできることではないのです。
しかし、それでも、いったん形式上、公開したということになれば、後の責任は、誰に付け回されるのかという話です。

日々、生活のためあくせくするので精一杯なのが普通の人間、でしょ?

テキサスという州がアメリカにあります。州財政に占める教育・福祉関連支出の割合がアメリカで最も低いといわれています。
同時に、州のGDPに対する租税負担割合が最も低い州のひとつであるのです。
この点に関し、かつて州知事だった人物の発言なのですが、曰く「最も少ない税収で効率よく行政運営がなされている結果である」と。
刑務所民営化なんてこともテキサスが最初でした。
決して偶然ではないのでしょう。

これらの対極として北欧諸国の高福祉国家体制というものが存在します。高福祉には高負担が付き物だということ自体に関し、国民的合意に基づいて行われているというのは事実だと思いますが、北欧の福祉国家体制というもにも検討の余地はたくさんあると思います。

The Economist やいわゆる市場原理主義的立場から国家の失敗、大きな政府がもたらす弊害論を説くのではなく、高福祉高負担国家の本質、あるいは、そこに暮らす国民、市民が背負わなければならない負担の本質というのは、金銭的な尺度で計れるものだけではないのではないかと考えています。

消費税の福祉目的税化、税率アップは不可避だということはそれほど自明ではありません。
財源論的立場から、福祉財源をどこに求めるかという議論もありますが、高い付加価値税率の国に暮らすということがどういうことか、そのために得られるもの、失うものは何か。
誰が何を得て何を失うのか。

受益と負担が一致しないのが租税の本質ではありますが、仮に「みなが負担して、みなが受益する=お互いが支えあう」という宣伝が仮に行われたとして、その本質が、「負担者は負担するばかりで受益しない」のだとしたらどうでしょう。

政治的には、そういうことをいうの自殺行為ですから誰もいうはずはないのですが。
by nk24mdwst | 2008-06-09 10:38 | その他


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