changing horses

今朝は、恒例のリサイクルの日、といういことで、朝一に行ってきました。

Clarence Whiteを聞いてます。

ブログのスタイルを変えるか思案中です。まあ、下手な考え、休むに似たりですが。

まず、タイトルに意味をもたせるべきか。
ボリス・ヴィアンの「北京の秋」にひそみ、内容と関係のない無意味なタイトルを開設以来続けているのを止めるか。
止めた方が、読んでいただいている人には便利ですね。個人的にも便利でしょう。
タイトルをどうするかというのは、ブログを下書きしてから書くかという問題ともつながるわけですが。
付随的に過去のタイトルも改めるべきは改める。そんな後ろ向きは止めよう。

スタイルは、できる限りテーマ毎に一つの記事にまとめるべきなんでしょうね。無理やり、経済問題、税制、音楽、気分を混ぜるのをやめる方が、みんなのため。ここへいらっしゃる、心優しい方、不運な方のためというよりは、自分で自分が撒き散らしている雑音に我慢がならなくなってきたというべきでしょうか。
ブログを書く目的は何かということ、何を書くべきか論ですが。
いつかもこんなこと書いたな。雑記帳、夏休み絵日記、編集者のいない公衆トイレの落書き、殴り書き以上のものが自分に書けるかという話ですが。

基本的に、私のブログは音楽中心で始めたつもりだけど、実際には、目的はただ一つで、一日も欠かさずに続けること。これは実行している。生きている証、大げさですな。
テーマは興味のあることを書く。文章を練って書くのではなく、気分が赴くまま書く。だから、誤変換、変な日本語少なからず。などということは、ここへいらっしゃる方は良くご承知でしょう。
一度、こられて、二度と来るかと思われる方が多数いらっしゃるのだとは想像に難くありませんが。
ただ、エキサイトの貧弱なアクセス解析能力から判断しても、今では、初めてお見えになる方は少ないのですね。
余計なことですけど、今年は、アメリカの税制が大きく変わっていたので、4月15日前後まで、Googleでアメリカから来る方が多かったです。確定申告期限が過ぎたら、パタリととまりました。
それくらいネット上の情報が必要なのですね、あちらでは。IRSのサイトへ行けばいいと思うのですが、アメリカの平均的納税者でウェブを利用している人よりは、私の方がアメリカの税金関係の新聞記事や政府サイト等を見ているということなのでしょうか。
いきなり、あんな大きなサイトへ行くとどうやればいいのか困ります。
キーワード入れて検索かければいいんですが、5万件とかサイト内でヒットするわけなのですから。

また例によって、わき道へそれてしまいましたが、このブログを書いている個人的な意味としては、書くこと自体によるによる思考の飛翔の記録という意味があります。
私の思考の飛翔、飛躍の仕方は他人には理解しがたいのは当然なのです。
ただ、個人的特性は解る人には解るらしく、近しいある友人は、私のブログについて知らずに検索でたどり着き、読んでいるうちに、これは、私が書いているに違いないと確信したと聞かされました。その友人というか、尊敬する先輩なのですが、私の興味、文体、思考過程を熟知してるからわかったのです。

身内にもいわれるのですが、私は、話をしているうちに頭に血がめぐりだし、勝手に新たな思いが浮かび出てそれを口にするものだからついていけないと。複数の人を前にして、レジュメを作って報告するときでさえ、勝手にレジュメから飛翔し始めるから困ったものです。躁鬱気味なので、話しているうちに勝手に興奮するのです。こういうのは、読まされる方、聞かされるほうにはストレスでしかないです。
自分で、ブログをメモ代わりにしているのでキーワード検索で新聞記事を探したりするのですが、雑音だらけで呆れます。

ウェブからやってくる人はなおさらでしょうね。特定の単語に関して、このブログが上位にヒットするのですが、新たにやってくる人が減ったということは、その特定の単語に関して興味を持つ人も限られているということなのでしょう。
それと、税法とか詩のリポートのネタ探しにこのサイトがヒットしても、答えがないということが解る人には解ったのかもしれません。これは、もしかすると自分を買いかぶりすぎですね。

例外は、毎年、大学へ入って、同じ課題を出される学生さんでしょうかな。
税法と詩に関しては、定期的に同じポイントをついてアクセスがあることが検索キーワードのリストからわかります。申し訳ないことにその答えはほとんどの場合、このブログにはないのです。
詩人名+訳というパタンでは、アウトですから。
あるいは、税法学者ないし税法概念がキーワードというパタンです。
典型的な詩人の名前や学者、概念、条文の文言を書いてもいいのですが、それでヒットするとその方に余計なご苦労をかけるので書きません。
ただ、入り口だからしょうがないと思うのですが、いつまで経っても進歩がないなというか、税法はそんなところで立ち止まるのか、あるいは、詩人は、その人しかいないのかって思いますよ。
最近の有名最高裁判例なども、一応、知っているのですが、またご迷惑をおかけするので触れておりません。

ただ、最近、諸般の事情でブログのエネルギーが落ちているのですね。一つの理由は引越し、もう一つは金がないこと。もうひとつは、twitterを始めたことで、気ままに思い付きを書くという部分がブログから消えてしまった感じがします。あるいは、良くないところだけが残ったというべきでしょうか。
折り合いをどうつけるか。草稿を練ってブログを書くということはしたくないですし。
逆にあの140字という文字制限は、思考の飛翔という点では非常なストレスです。大して飛翔しないのですよね。勝手に分裂気味に思い付きを書き連ねているだけです。若いときはもう少し違ったのですが。

人より記憶力には少し優れていたようで、読書等により新しい知識を得ると、頭の中にある引き出しの中身を全部並び替えるということを、いつも繰り返している感じがしました。
小学生のときから百科事典少年だったのです。事典といっても、単語ごとに引くスタイルじゃなくて、項目ごとに分かれて説明されているものが好きでした。
一応、歴史の本も、中学時代に日本史、世界史の通史的なものは読んでしまっていましたし。
だから、一応、それぞれの時点で、私なりの世界観、歴史観が存在していたわけです。そこへ、例えば、ある時代の自称について詳しく書かれたものとか、経済学の考え方とか、音楽理論、まあ、なんでもいいのですが、この世界を構成している要素についての知識が一つ増えるたびに、私の中の、世界像、歴史像を全部荒いがえるという感覚があったのですね。

オールマン・ブラザーズと南北戦争、東インド会社、織田信長、お茶を飲む習慣、ドラッグについての規制の変遷、そんなものが一度に頭に思い浮かぶわけです。
だから、音楽の知識でも税法の引き出しの並び替えも起きるのですね。歴史上の新たな知見を得て、音楽や税法、社会認識全てを入れ替えたり、並び替えたりしていたという悪しき慣習が、そんなことをする能力は、既に老化してなくなっているにもかかわらず、このブログには悪しき残滓として存在しているわけです。

ブログを書くことの個人的な意味合いは、ウェブ上の情報を貼り付けておくことがひとつあります。リンクしてあるので他のPCを使って出先で物を書くときに便利なようにということですね。モバイルとデスクトップの情報共有させるツール。後は医者の待ち時間つぶし。

結論、出ないけど、長々書き連ねたので、いったんおしまい。

ダルシマーには、触ったことないけど、弾いてみたい。
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by nk24mdwst | 2010-09-01 06:56 | その他


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