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changin' or not changin'

昨晩は、久しぶりに気心の知れた仲間同士で、慰労会をしました。

みな、寄る年波には勝てず、かつての元気はどこへやら。今の日本の状況と同じです。
25年来の友人と、久しぶりに夜半過ぎまで、来し方、行く末について話をしました。結局、昔とちっとも変わらない、危機意識のある人が少ない、あるいは、偽りの危機意識を煽られて本当の危機を知らされていない、知ろうとしない。
まあ、酒を飲んでの愚痴のこぼしあい。

橋本消費税増税前夜、結局、落ちるところまで落ちないと人はでてこない。可愛そうだけど、我々の子供の世代が苦労をして、孫の世代が何か新しいものを始めるしかないのかという話になってしまいました。
1996年に遠出する電車の中で話し合っていたことの蒸し返しです。

その友人と私は、幸か不幸か、先の大戦の最中、あるいは戦後の混乱の中で生きるか死ぬかの思いをして生き延びてこられた世代の話を直接聞くことができたのですね。
既に、そういう世代の方々はほとんど鬼籍に入ってしまわれていて。

昨年亡くなった、ある先生が、15年ほど前に、「もう時効だからお話しますけれど、実は、私は、シャウプにあったことがあるのです」と切り出されてときのことを思い出します。
戦後の日本税制の根幹を作るのに大きな役割を果たした、カール・シャウプ博士が来日調査をしたときにあったという話なのですね。
現場じゃ、本当はどうなっているのだと聞かれたというわけです。

こんな話は、匿名だということになっている私が、昔、自分はシャウプとあって話をしたとおっしゃる方の話を聞いたことがあるというだけで、意味は何もないですが。

事実かどうかはわかりません。シャウプ以外に実在する戦後史の有名な人の名前も出ました。
シャウプ・ミッションは何だったのかという本質につながるのかもしれませんが、そもそも、「お話」の部分は、誰も確かめようがないですし、私がその話を聞いたということも、本当かどうか、誰にも証明できませんけれど。

前振りでシャウプ勧告の話を持ってくるということは、シャウプ勧告が旨としていた包括的所得課税論にもとづく所得税の累進税率による総合課税とそれを、日本の実情に合わせて適合させた、あるいは、シャウプ税制の崩壊過程と呼ぶ人もいるわけですが、現在に至る日本の税制の変遷の話にいたるのですね。

1994年にアメリカで、アメリカは確定決算主義じゃないといわれて目からうろこが落ちましたが、上記のときは、その先生が、日本は20数年前において既に分類所得税であると喝破されたことでしょうか。

所得税法の本法は、基本的に累進税率による包括的所得税論的な総合課税制度として作られています。しかし、あまたの租税特別措置法が、実質的に日本の所得税を分類所得税化しているのですね。

包括的所得税と分類所得税の意義は、金子租税法に詳しいので、その辺りを参照していただければと。
簡単にいえば、アメリカが典型ですが、事業から生ずる所得も不動産賃貸にもとづく所得も、勤労による所得も、それから利子や配当といった投資性所得も、さらに、土地や株式等の売買によるキャピタル・ゲインも全て合算して、その合計に対して超過累進税率を適用するというのが包括的所得税です。

イギリス等のヨーロッパの国々は伝統的に分類所得税なのですが、現在はこれが包括的所得税に収斂しつつあるなんて学者の本には気楽に書いてあったりします。

アメリカではキャピタル・ゲイン課税は低率分離課税されているので、アメリカでもそんなものはもう存在しないのですね。ただ、利子所得のような日本では源泉分離課税で課税関係が終結してしまうものも合算して申告することになっています。
日本の配当所得課税の抱える問題点は数多あって、基本的に分離課税で優遇されているということだけを記しておきます。

要するに、総合所得課税で全ての所得を積み上げそれに高額所得者ほど高い税率をかけるというのは、かつては、税による諸特採分解効果をもたらすものであり、さらに、景気調整効果もある(バブルが生じたときにその液を税によって吸収する、不況のときは自然減収するけれどそれによって景気下支えをする)という基本的な教科書的な議論が主流だったわけです。

今、この手のことを本気で主張すると、アメリカからロシアまで、世界中で、コミュニスト呼ばわりされることは間違いありません。

このような累進所得課税は勤労意欲を阻害し経済成長と発展の妨げになり、さらに脱税の誘引となるだけで百害あって一利なしとしたのが、フリードマンに代表されるいわゆる市場原理主義者的な経済学者、財政学者ですね。政府そのものを否定しているとしか思えないブキャナンなんてやつもいます。
ちなみに、日本にブキャナン(ノーベル賞とっています)を紹介したのは加藤寛さん、つまり、石氏の前の政府税調委員長ですね。

まあ、世界中で金持ち優遇税制をやり、その金持ちも実物経済に投資をするのならともかく、カジノ資本主義で、博打を打って利ざやを稼ぐというシステムが構築されたときに、超過累進税率なんて代物は邪魔なだけです。
税引き後の手取りがいくらかが勝負です。
つまり、税率と勤労意欲なんて関係ないはずなんです。成績が上がって年俸が上がればたくさん税金を取られるからといってイチローはヒットを打つのをやめるかって話です。

勤労性の所得でないからこそ、要するに全て机上で計算してスキームを組むものだからこそ、税金も重要な変数としてカウントされるということなのです。少なくとも私はそう考えます。

スーザン・ストレンジのカジノ資本主義を探してこないと。

ここまで、前振り。本題は。これです。
税制調査会 専門家委員会 第1回 納税環境整備小委員会(平成22年3月12日)
資料一覧
http://www.cao.go.jp/zei-cho/senmon/sennouzei1kai.html
野暮用だらけで、中身をまだよく見てないのですが。

戦後日本にやってきた占領軍の正体が何であったにしろ、彼らの中には大きなバックボーンとして大恐慌を戦争をやることによってしか克服できなかったというニュー・ディーラーたちが大勢いたわけです。
シャウプなども典型ですね。

上の私の文章ですが、例に拠って下手な文章です。ニューディーラーは戦争をやることによって大恐慌を克服すると誤った読み方をされるかもしれませんから。日本語の表現は正確ではないけれど、書いていることはまぐれ当たりだったりするかもしれませんが。

戦争を肯定しません。人間が他の人間の命を奪うことは、どのようなことがあっても許されないと私は考えます。そうです、私は、死刑廃止論者です。
身内がひどい目にあったときはどうなんだという被害者感情ですか。
法は、許さないことを十分に理解していますが、私的報復の衝動に駆られるに違いないであろうということも自覚しています。ただ、暴力を振るったことがないのでどうやって振るえばいいのかがわかりませんけどね。

国家は、国民以上の存在、人間以上の存在であるはずがないので、国家による殺人も私は、認めることができません。死刑制度というのは、国家による殺人です。
戦争も国家が殺人をし、勝った方には褒美が出るという点が違いますかね。

カーティス・ルメイに日本が勲章を贈っていたっていうのには、感激しますね。あの東京大空襲をやった張本人だし、例のキューバ危機のとき、水爆落とすってわめいたやつです。

ちょっと感情論に走りました。

戦争は、シュンペーターがいう破壊と創造そのものかどうかはわかりませんが、破壊と想像であるのは間違いない最大の国家規模、それも多国間規模の公共事業ですね。

昔、会社四季報を立ち読みしていて、阪神電鉄の大株主の中に後楽園球場があったのには、笑いました。
プロレスとどこが違うのって。

まずいですね、この文脈だと戦争はプロレスだって話になるわけです。それも賭けの対象となるプロレス。
賭けに勝つためにはどうするか。そりゃ、勝つ方に賭けるしかないですね。しかし、万が一ということもありますから、ヘッジをする必要もあります。裏張りも必要ですね。
それから、賭博参加者は、ゼロサム・ゲームなので百戦百勝ならともかく、リスクはゼロではないわけです。
八百長をやったって。
八百長を仕組んだ試合がひっくり返るというのは、映画や小説の典型的なプロットです。

胴元が一番ですね。寺銭だけ取りますから。

賭けの話をしているわけですが、賭けを成立させるためには、甲だけでは賭けは成立しないので対戦相手の乙が必要ですね。乙がいなければ、博打の胴元は、乙を仕立てる必要があります。
日本は、馬主が馬券を買うが紳士の国イギリスでは馬主は馬券を買わない。
競馬なんかリスクと見返りからして利にあわないから、やらないのでしょう。

公共事業の話にします。戦争の話ではありませんよ。

公共事業を行う場合、日本だと建設国債というものが発行され、まあ、将来的には税金で返済されるというわけですが、国債を購入するのは金融機関や保険会社を通じて日本全体の貯蓄だというわけですね。

自力で国債が発行できないというか、国内で国債の引き受けてがない場合は、外国の銀行団がコンソーシアムを組んだりするわけですね。国力がないから国債を国内でしょうかできないという場合もありますが、事業規模が大きすぎて国の背丈に見合っていない場合もありますね。
そういう時も海外から協調融資の形で国債を買ってもらうしかないのでしょう。
まあ、公共事業とは違いますが、日露戦争のときに日本の国債を引き受けたのは誰だったかとという話もありました。

原則論として、あるいは、個人的信念として戦争には絶対的に反対でありますが、一般論としては、戦争って公共事業だって考えています。
冷戦という虚構を考えた連中は、頭が良かったと思いますね。
'60年代半ばから後半にかけて、神秘体験をする前の一連のディックの作品のテーマは、目に見えているものと現実は同じものなのかという共通点があったというか、それだけでした。

私は、本当に私なのか。

例の「アンドロイド・・」では、主人公のデッカード自身が、自分が本物の人間なのか確かめるための試験を自分に課すという話が出てきます。

ディックの話は、する積もりなかったのに。

金融資本とは何か。会社とは何かっていう疑問を持っていて、東インド会社からお勉強と思っているだけで進まない。
そもそも、今、こんなものを書いているべきではなくて、他に書かなければいけないものがあるし、生活のためにしなければならないこと、金にはならないけれどしなければならないこともあるのですが。

満鉄って何だったのかって、誰も教えてくれないのだとしたら調べるしかないですね。

アメリカの大陸横断鉄道は太平洋を越えて、満鉄、シベリア鉄道、欧州横断してドーバー海峡を渡るんでしょう。日露戦争のときに、金の融通をしてくれたの誰でしたっけ。
by nk24mdwst | 2010-03-17 17:34 | 租税法(日本)


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