人気ブログランキング |

on a fine day

今日も、秋晴れ、静かな日でした。

夕べは、実に久しぶりにChunga's Revenge を聞きました。
エインズリー・ダンバー、フロー&エディー、ジョージ・デューク、それに、ジェフ・シモンズが登場するわけです。

歌手としてのザッパをどう評価するかなんていうのには、あまりお目にかかったことがないのです。
ザッパは、もともと声が低い方だと思いますが、30歳のこのあたりまでの声は、まだ聞けます。
例のロンドンでのコンサートでステージから突き落とされて怪我をして長期休養に入ってしまうのですが、その怪我で両足の長さが変わった、それと、声が二音下がったと本人が語っていますね。

声も結局、声帯という筋肉を使うので、普通は年齢を重ねるにつれ声の音が下がり、高音が出なくなります。
80年代のザッパの声は、本当に低くなってしまいます。

最晩年のThe Yellow Shark の冒頭で「今晩のシークレット・ワードは・・・」などといつもの調子で言っている声は、低いだけではなく、力もないように感じられて、体調がもうよくなかったのだと感じるのですね。
このアルバムも、私のウォークマンで再生頻度が高いかというと、そうでもないです。再生頻度が高いやつというのは、ほとんど聞かずに寝ているやつばかりですから。

このコンサートで、ザッパは、あんたらシークレット・ワード、聞きたいだろと言って、シンセサイザーがビヨーンと鳴って、会場は拍手喝采となるのです。このときの拍手が一番大きい。
次いで、アンサンブル・モデルンが紹介され、一曲目にDog Breath Variations が終わると大きな拍手。
後は、クラシック・コンサートらしく、一曲終わるごとに、拍手があるのですが、心なしか、だんだん拍手が小さくなっていくような気がするのですね。

ザッパのアンサンブル・モデルンを使ったザッパのためのコンサートだと思えばそれまでですが、必ずしも、聴衆がみんな喜んでいるわけではないように聞こえます。
ロック・ファンが半分、クラシック・ファン、それも現代音楽なぞという変なものを金を出して聞く人が半分でしょ?ロック・ファンというか、プロ・ザッパ・ファンといっても時は、80年代のアメリカであるわけで、ハロウィーン・コンサートのおふざけ大好きって人も多かったはずです。

西洋古典音楽の中のいわゆる現代音楽として、ザッパのこのときの演奏をどう位置づけるかなんて、そんな話は、私の身の丈を超えているのでどうでもいいのです。
しかし、これがザッパのスワン・ソングだとしたら、ちょっと切ないかな。

パッチワーク大好きのザッパのギター・ソロをいっぱい聞かせてもらったおかげで、私には、ザッパが、ブルース・ギタリストにしか聞こえなくなっているのですが、彼がギター・インプロヴで使っていたフレーズがあちこちにはめ込んであるのに気づきます。それが、どうだといわれても、何にもならないのですが。

ここで話は、急転回して、クリス・ヒルマンの話になります。バーズではほとんど歌わず、ブリートスでやっと前に出て歌うようになった彼は、年齢を重ねても高い声が出るというそれだけの話です。
同年代だけど、声がガラガラになっちゃったのがスティーヴ・スティルズですね。

ニール・ヤングとスティルズが、ロスで偶然で再開してバッファロー・スプリングフィールドを作ったというのは、本当かもしれませんが、あまりできのよくない作り話のように思えます。
大体、Southern Man なんて歌、スティルズに対する当てつけかって、今は、思います。

この曲を聞いたころというのは、こっちは15歳過ぎ、そして、レナード・スキナードがアンサー・ソングのSweet Home Alabama なんて曲をヒットさせたので、スティルズの出自のことを忘れていました。というよりは、良くわかっていなかった。
レスター・マドックスの名前と写真は、ランディ・ニューマンのおかげで昔から知っていました。しかし、彼が、当時、人種差別主義を売り物にしたジョージア州知事(1967~1971)だったって知ったのは、今世紀になってからです。シドニー・ポアチエ主演の映画を思い出します。
あの映画で、ポアチエは、フィラデルフィア市警の刑事という設定でしたが、フィラデルフィアも差別がきついところで知られているわけで。

カナダ人のニール・ヤングが行ったこともないアメリカ南部人をステレオ・タイプで非難するのは勝手なんでしょうが、おそらく本当に仲が悪かったと思われるスティルズが反論しなかったか。あるいは、オールマンズが反論しなかったのか。

スティルズ、オールマンズとヴァン・ザントたちとの間にもどうも境界線があったようですね。

アーカンソーへ冬になると戻っていたホークス時代のザ・バンドの連中は、路上でサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ(ライス・ミラー)が、意味なくぶん殴られるのを見て呆然としたそうですが、驚くほどのことじゃないってリーヴォン・ヘルムは、他の連中に言ったのだと自伝に書いてありました。
まあ、ジョニー・ローガンの本だから話半分ですが。

どうでもいいこと、グダグダ書いていて、馬鹿ですね。

きょうは、タイトルに意味があって、天気のいい日、空電状態のよい日は、キング・ビスケット・フラワー・アワーでサニー・ボーイが生で演奏するのが、カナダでも聞こえたのだそうです。本当かうそかは知りませんが、リクエスト葉書が来たので一番遠いところは、キプロスだったとか。

いずれにしろ、サウス・ポーなんて言い方自体差別的だと左利きの私は思いますね。
メジャーでも、変なことをするやつがいると、どうせ、あいつはサウス・ポーだからだって、タグ・マグローが「スクリュー・ボール」という自伝で書いてました。

オールマンズとスキナードとの間の線と関係するかはともかく、ゲイロード・ペリーというスピッターを操り、メジャーで322勝したピッチャーの話を思い出します。ノース・カロライナのタバコ農場で働く家で生まれ、育った彼が、初めて自分用の新品の革靴を履いたのは、徴兵で入営したときだったと、「Me And The Spitter」という自伝に書いてありましたっけ。15歳までは木靴しか履いたことがなかったと。彼は、1938年生まれです。

ジャッキー・ロビンソンがカレッジ中退だったのとは大違いです。

要するに、アメリカなんてさっぱりわからん国だってことですね。

1970年代半ばのNFLのレギュラー・ライン・メンは、南部出身のアフロ・アメリカンを除くと、その7割ほどがニューヨーク州とペンシルヴェニア州の境にある山岳地帯の出だというデータもありました。古い炭鉱地帯なのですね。

高校生のころ、夜、一所懸命、ラジオのチューナーを合わせて中日ドラゴンズの中継を聞いていたのと同じか。全然違うか。とにかく頑張って、ラジオを聴いて、ほとんど全試合、スコアブックつけてましたけどね。

昔は、神宮球場へドラゴンズを見に行くと、いつも同じ堰に同じ顔がいて、スコアをつけている人もちらほらいたりしたものですが。初めて、ナイターを見たときは感激しましたね。
ロッテにいて、ドラゴンズに移籍していた打てないショート・ストップだった広瀬の一塁への送球を見て、さすがに商売人は違うと思いました。
by nk24mdwst | 2009-10-30 19:27 | 音楽


<< what’s remainin... down in south >>