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everyday life for anyday people

きょうも、朝からからりと空が晴れ、8月ですから30度を超えてはいますが、いわゆる酷暑という感じは無いです。
風は、なぜか乾いていて、さわやかに感じるというと変ですが、もう少しじっとりしているのが、当地の夏のはずなのです。

隣の田んぼの発掘は、どんどん掘り進んでいます。発掘作業をしている人たちの頭は、立っていても地表より1メートルほど下にあります。

最初に出てきていた、住居の後らしきものの下の層へ進んでいます。
歴史の教科書に出てくるような、発掘現場そのものなのです。今、発掘がおこなわれているのは、明らかに住居とは違う建物の遺構ですね。
住居と違うということは、柱のあった穴の太さ、間隔等から推測してのことです。大きな建物が、いくつかあったところだろうということが想像されます。
発掘をしている人に聞いたわけではないので、単に私の推測でしかありませんが、荘園時代の何らかの大きな建物の遺構なのだろうと思います。地名等から考えると、恐らく、鎌倉初期ないし平安時代にこの地の荘園主だった寺社等の出先であったのではないかと思います。
周辺には、今も、古い神社がいくつもありますし。

氾濫を繰り返していた川を中心とした扇状地の真ん中あたりなのですが、昔から小高い場所だったのでしょうね。同じ場所に何層も遺構があるということは、ここが氾濫があっても水没しにくいところだったという証でしょう。

私の住んでいる、この町の周辺、つまり、この扇状地の中の地名には○○島というものが沢山あります。
要するに、洪水があっても水没を逃れる小高い場所だということです。

この扇状地を作った川は、現在の位置にいたるまで、何度もその川筋を変えています。それらの古い川筋を基にして、江戸時代に農業用水が計画的に作られています。

立退きさせられるなんてことが無ければ、楽しく、社会科の勉強ということになるのですが。

昨日から、ずっとDead を聞いています。それほど期待していたわけじゃなくCD3枚組みで2,000円ちょっと、1977年のデッドだから演奏は悪くないだろうとは思っていたのですが、これは、いいです。
タイトでグッド・グルーヴ。
しかし、この後のスタジオ・アルバム、つまりTerrapin Station あたりで、ちょっとデッド、つまり同時代のデッドとは縁が切れてしまうのですね。

アメリカにいてライブを見ている環境に無いですからね。

昨日の晩はFZを聞いていました。You Can't Do That On Stage Anymore Vol.3です。
なんだかよくわからんのですが、去年の今頃なら80年代のFZも悪くない、だんだん良くなる法華の太鼓だという感じを持っていたのに、今は、やっぱり80年代は、スタジオ録音ものはどうなんだろうなどと思い出しています。
80年代のFZが、そのアルバムで主張していたことについては、ちょうど結論まで出たところだから、考えなおす良い機会です。
演奏、音楽に関しては、もう一度最初に戻って・・・Lumpy Money を聞いたというのが、かなり衝撃だったんだなと個人的に思います。 聞いたときはそうでもなかったのですが、80年代ものを聞きなおしていて、そう思うわけです。すでに、1967年には、完全に自分のスタイル、マスター・ピース作っちゃったということを確認させていただけたわけで。
by nk24mdwst | 2009-08-04 14:01 | 音楽


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