rainy season?

雨は、降りません。朝日がまぶしい。

1986年は、本当に雨が多かったのです。来る日も来る日もでした。原因は、あまり考えたくないです。

図書館で読んでいたのは、歴史関係の本とか自然科学関係の本。脈絡ないですね。
旧ソ連崩壊途上だったと、今、振り返るとおもうのですが、ハイエクを発見したのもこのときでしょうか。

ハイエクを発見したのは、本当は、その前の失業時代だったのですけれど、何冊もわからない訳文ながら読んで、なんとなく言いたいことがわかった気分になりました。
ハイエクは、第二次大戦末期ないし大戦直後の著作を読んだのですが、ソ連圏崩壊の理由がわかったと感じました。ただし、当時、ハイエクが問題視していたのは、ソ連でナチでもなく、労働党政権下のイギリスの福祉国家政策だったわけですが。

ケインズの著作って読んでわかりますかと、先日、財政学の先生に聞いたら、「わからん」と。新訳が出たそうだけど読んでないとも。宇沢弘文先生も、「新訳が昔出ていたら、ちゃんと解ったのに」と書いていたなんていわれた次第で。

ケインズもシュンペーターも、そしてハイエクもエリート主義ですね、つまるところ。民主主義を信用していないようです。
エリート政治家(世襲という意味ではありません)や、メリット主義で採用された官僚機構による統治を前提としてそれらの是非を問うているようです。

これらと関連するかどうかはともかく税制と官僚機構、民主主義を比較法的に論じた本としては、「税制と民主主義―近代国家の財政を賄うためのスウェーデン・イギリス・アメリカのアプローチ」、スヴェン・スティンモ (著), 塩崎 潤, 塩崎 恭久(訳)(今日社1996年)がありますが、絶版状態ですね。
個人的にはいろいろな意味で思い入れのある本なのですが。
今日社というのは、大蔵省OBでその後衆議院議員になった塩崎 潤氏の会社です。1986年のアメリカの税制改革のための大規模な調査報告の翻訳なども出しています。

翻訳というのは大変な仕事ですね。

エリート主義は、私のような半端者には鼻につきます。エリート主義の是非の前提として優れたエリートの存在というのがあると思います。エリートをどう定義するかということ自体、議論があると思いますが、その国で最も優秀な人たちで人格高潔な人だと仮にします。
山で例えると富士山とかエベレストの頂上に相当する人たちだと。
そうしたとき、山の底辺自体が小さくなっていたら山は高くなりません。あるいは、山の底辺が地盤沈下していたら頂上は相対的に下がります。この両方が起こっているとしたら、頂上は、以前よりも低くなるということなのですけれど。

民主主義が衆愚政治に通じるというハイエクの議論も、エリートの質の低下に対してはどう反論するのでしょうか。

自然観の問題かもしれませんが、一つのメリットシステムやサークルにより選別するのではなく、多様性を持たせることが自然というか、この地球の生物体系を維持しているのだと思うのですね。だとすれば、多様性を容認するところから始まるのかな?!

今の米国大統領のスピーチがわかりやすいとか何とかといいますが、あれは、そういう教育を受けているからです。アメリカのロースクールで学生が一番最初に交わされるというか、最初に叩き込まれるのが、リーガル・ライティングです。つまり、簡潔で論理的な文章を相手に誤解されないように書く訓練。
そのためのテキストが、学生のベストセラーです。

このような教育を重視するようになってから以後のアメリカの裁判所の判決文や、法律関係の文献は、はるかに理解しやすくなったように思います。私が理解できるといっているわけではありませんけれど。

アメリカで昔から文章が読みやすかったのは、スポーティング・ニューズは専門紙ですが、スポーツ記事ですね。スポーツ記者から作家になった人や色んな分野の評論家になった人が少なからずいます。
リング・ラードナーが直ぐに思いつく名前ですけど。リング・ラードナー、Jr.の方は映画のタイトル・ロールで製作者名としてよく見かけたものですが。

きのうは、疲れていたのでデッドを聞き始めて直ぐに寝てしまったようです。

実は、誰もが認める60年代末から70年代にかけての大歌手の素晴らしさを今頃発見しました。あまりに、恥ずかしいので、名前を出せません。
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by nk24mdwst | 2009-06-19 07:02 | 租税法(アメリカ)


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