the year of iq86

今年も、当地は、空梅雨なのでしょうか。
山沿いは、降っているような感じですが、2週間ほど雨がほとんど降らず、曇ってはいるのですが、挨拶は、雨が降りませんね、です。

その年、6月は、やたらと雨が多かったです。記憶に残っているのには理由があって、移動手段としてその1カ月間、自転車を使っていたからです。
免停で6月の間、自動車の運転ができず、ちょっと遠くへ行くには自転車を使わざるを得なかったというわけです。

ちょっとの晴れ間を見つけて出かけたつもりでも、帰りは、いつもびしょぬれでした。

ジェイムズ・ブラッド・ウルマーなどといった音楽との縁も切れ、当然、当時の流行の音楽にも興味はなく、レコード店を覗くと絶版だったアナログ盤の復刻が並んでいました。
ちょうど、CDへの転換期だったのですね。
この頃、CDは移行する前に各社はアナログ盤の復刻をしていたのだと思います。

GEが、白熱電球工場の償却が終わるまで、既に実用化されていた蛍光灯を商品化しなかったのと同じですね。

わたしは、指をくわえて、欲しかったレコードの再発を見ているだけでした。

当時、二度目の失業中で、二ヶ月余りの待機が終わるのを待っていたのです。
ウルマーのような音楽と縁を切ることができたのは、勤めを辞めたからです。
この前の失業期間のときは、県庁所在地の職安に行かなければいけませんでしたが、このときは、私の住んでいる町にハロー・ワークができたので、行くのは楽でした。歩いて、数分でした。

この二度目の失業の前には、その同じハロー・ワークへ求人募集に行ったこともありますし、新入社員の資格取得届、辞めた社員の資格喪失届を出して離職票を出してもらいにいったこともありましたが。

職安時代とハローワークと称するようになってからとでは、失業手当をもらうために認定に来る人に対する職員の接し方が大きく変わったなと当時感じたものです。

この年の5月の初めにチェルノブイリで事故がありました。
1985年はプラザ合意。

自宅待機をしている間に、日本はバブルへまっしぐらだったのでしょう。免停が解け、平日に山道を走ろうと繰り出すと、突然、県外ナンバーの観光バスの隊列にいくつも遭遇するようになったのもこの後だと思います。

FZが、Does Humor Belong in Music? とかJazz From Hell を出した年です。かれは、シンクラヴィア中毒から脱してライブ活動を再開することになるわけです。

わたしは、ひたすらSleep Dirt を聞いていました。
本も図書館に入り浸って読んでいましたね。蔵書が貧弱だったのですが、建物は立派でした。
[PR]
by nk24mdwst | 2009-06-18 10:07 | 記憶


<< who killed a si... a mission possible >>