人気ブログランキング | 話題のタグを見る

howling machines are digging

今日も、良い天気です。気温は、こころもち上がったかなというところでしょうか。

なんだか、嫌な世間になってきましたね。

祖母の母、つまり私の曾祖母は、スペイン風邪で亡くなっています。
祖父の実家の墓にある墓碑銘を見ると、この年に、何人もの人が亡くなっていることが記されています。

カントリー・シンガーのVern Gosdinが亡くなったのですね。
Vern Gosdin, ‘The Voice’ of Country in the ’70s and ’80s, Dies at 74

By THE ASSOCIATED PRESS
Published: April 30, 2009
NASHVILLE (AP) — The country singer Vern Gosdin, who recorded hits like the award-winning “Chiseled in Stone” during a 30-year career, died on Tuesday. He was 74.
http://www.nytimes.com/2009/04/30/arts/music/30gosdin.html
この記事では、余りThe Byrds の誕生やChris Hillman との関わりに触れられていません。1980年代に成功したカントリー歌手という扱いです。

FDさんご指摘のDuane Allman と ECの関わりについては、「Skydog」という彼の伝記がためになります。

この中で、Bobby Whitlock のインタヴュー(著者自身による)があって、当時のハリウッド・スタジオ・ミュージシャンの一群が渡英した事情が書かれています。
要は、Blind Faith の前座をDelaney & Bonnie がやったというところから話が始まるのですね。Wiki の記述は必ずしも正確だとは思われない部分があります。

D&Bのバックのハリウッド・オール・スターズは金でもめて、そのまま、Joe Cocker のバックになるのですね。中心は、当然Leon Russell です。ここで、一緒に行かなかったのが一人だけいて、それがウィットロックなのですね。彼とECがサリーのECの邸宅にこもって曲作りを始めるというのがDominos の原点のようです。

当然、食えないので、この時期、つまり1970年の初めから半ばにかけて2人は、イギリスでセッション・マンとして金を稼ぎます。Badfinger なんかはここに重なるのではないかと考えています。

長年の疑問というのは、D&Bは西海岸を拠点としていたのに、なぜ、デュアンがセッションに参加する機会があったのかということと、金で仲たがいした連中はどう和解したのかというあたりです。前者は下記のサイトを見て了解しました。
www.duaneallman.info
このサイトが一番充実しているように思います。1970年から1971年の彼のスケジュールは普通じゃないです。

Layla のリックがAlbert King が、ネタだというのも前から知っていましたが、疑問は、Chris Spedding がECのことをもっとも良くアルバート・キングを研究したやつだって述べている点に引っかかったというか引っかかっています。

レコーディングのとき、アイディアを出したのはデュアンなのですが、その元ネタ、ECは知らなかった?!

それからコーダに関しては、Layla Sessions のとき、Jim Gordon が一人で自分のためのアルバムを作ろうとしていたのを他のメンバーが聞いてという話になっています。リタ・クーリッジはこの際、余り本筋ではないのです。
ジム・ゴードンは多才ですが一人でアルバムを作ろうとしていたというのはおそらく、真実ではなくて、ECが体調不良でスタジオに出てこられないときに残りのメンバーがやっていたのでしょう。貴重なスタジオ時間を無駄にすることはないです。あのアルバム、二週間のやっつけですし。

フロリダのCriteria で録音していた連中が、近くでABBがコンサートやっていると聞いて見に行ったのだそうです。最前列にいたECにデュアンが気づき、突然、演奏を止めたのだとか。演奏終了後、ABBは、夜中にCriteria へ行ってジャムっています。ドラムがジム・ゴードンと一瞬思うのです。そりゃ同じドラムだから同じ音がするわけですよ。でも、直ぐにButch Trucks だとわかりますが。だって技量が違います。

ABBに比べるとLynyrd Skynyrd の方がはるかにワーキング・クラスの匂いがして、逆に人種混合編成のかけらもなくて、このバンドとかその後の三流サザン・バンドと一緒くたにされる連中の方がアメリカの歴史から言うと重要なのかも知れません。

1965年ごろ、オールマン兄弟のライバル・バンドのリード・ギタリストがEddie Hinton です。Dickey Betts は、でかいハーレーを乗り回した怖いお兄さんだったとか。

個人的には、1960年代のゴスディン兄弟に興味があるわけですけど。アラバマ生まれで、綿つみをして育っていたのだそうです。その後、カリフォルニアに移住。
FZがいうところの、Inland Empire に住むんですね。

FZは、Whippin' Post を知らず、客が歌うのを聞いて「ジョン・ケージの作のように聞こえる」なんて言ってました。Peaches Regalia とWhippin' Post を山ほど持っているというのもね。おまけにDead もあるし。
by nk24mdwst | 2009-05-01 10:20 | 音楽


<< still workin... trouble no mo' >>