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talking to myself

きょうで、このブログを始めて丸1年です。正確には、1年と1日。
先週、おっちょこちょいの私は、勝手に1年経ったと勘違いして書いてしまいましたが、書き始めたのは、1年前の11月24日でした。
ですから、昨日11月23日で丸一年経過、今日が一周年記念ということです。

きちんと今日のための原稿を準備しようと思ったりしたのです。
はじめに、おわりにをつけ、タイトルを振り、文章を書き、貼り付けて校正しようと考えました。
でも、時間的な制約から、いつものとおりの、いきなり投稿画面に書き込む、アドリブ・スタイルです。去年の今日は暇だったかもしれませんが、今日はスケジュールがいっぱいでして。

ブログって何か。そも、誰が誰のために書くか。何を書くか、よくわかりません。

私がブログを始めることになったきっかけは、自身がスパムと化していたことに気づかず、畏敬すべき先達から絶縁されたからです。
ここでいうスパムというのは、いわゆる、無差別機械的に書き込んでくる広告の類の意味ではありませんが、ブログを書いている方にしてみれば結果的には同じことです。

これは、自分がブログというスタイルでネットに存在を示してみないとわからないことだということを知りました。

ブログ主催者の意に沿わない書き込みはスパムと変わりません。ブログはそれを書いている人のものですから。
意に沿わないというのは、そのブログの書き手の個人の判断によって異なるので、書き込む方としては、なかなか理解が難しいのですね。
そのブログの過去ログを全て読み返したとしてもそのブログ主催者の個性が、つまり判断基準がわかるかどうかは判りません。

ところで、無料のブログの所有者というのは誰なんでしょう。書いている人のものであるように見えますが、ブログをやっている会社に踊らされているだけのような気もします。

ブログの個性は、そのブログの構成や書いている文章、全体を読んでわかる可能性が高まるという程度でしょう。読む人の知見や性格、同様に書いている人の知見、性格、これが相互に作用しますから簡単に結論は出ません。

結局、他のブログに実際に書き込んでみるということでしか判断できません。しかし、どの線がセーフとアウトの境目なのかは、これまた非常に難しい話です。

ブログで自分の職業や社会的背景などを表明しているのは、広告目的として自分を売り込むことをためらわない人でなければできないことでしょう。

私は、このブログにコメントをつけたい方がいらっしゃればコメントをつけていただいて欲しいと思っています。機械的なスパムで無い限りですが。
検索ワードで引っ掛けて読み進んでも何を書こうとしているのか思考がどんどん飛躍するこのブログに書き込むのは、私でも躊躇いますが。

人と議論しているときも、躁鬱的な私の思考は、勝手に会話や議論で活性化され、議論の本筋とは全く異なることを考え初め、色んな思い付きが浮かび、それを口にしてしまいます。相手にとっては迷惑きわまる存在です。
ブログで脱線して方向性が無くなるのも同じです。前振りを少しして本題と思って書き始めているうちに前振りから、新しい事柄が次々に思い浮かび、そっちへ勝手に脱線していくわけです。
ひと様にお見せするためのものでないことは事実です。

ところで、ブログの個性ですが、それを書いている人の年齢、世代といってもよいですがかなり大きな要素を占めるのではないかなと思います。もちろん、人は100人100通りですから、2008年生まれが全員に共通する性向を持っているなどというつもりはありません。

それから、ドリアン・グレイの肖像ではないですが、自分自身に似た存在にたいしては、近親感を覚えると同時に、一つ間違うと強力な反発、拒否反応を起こす可能性が高いのではないかとも考えます。自分が二人いると気づいたら片方を消してしまわないと精神の安定が保てません。
精神疾患の世界ではこの手の二重自我というやつは一番怖い代物です。芥川龍之介もかわやでもうひとりの自分を見たのだそうです。
どちらを消すという話になれば、実際に存在するのは自分の方であるのは間違いないので、それを消すしかないという話です。

ところで、ブログというのは、ネット上の日記なのでしょうか。

日記は、本来他人に見せるものではないですよね。偶然、他人に読まれるということはあるかもしれませんが、書き手は読まれることを前提にしていないはずです。
ネットという公衆浴場のようなところで、自分の個性や秘密をさらけ出す日記をつけるという行為はどういう位置づけなのでしょう。

仮に日常思ったこと、起きたことに関して、全てをあからさまに書くことは非常に危険だということ以前に、他人に見せることを意識した日記を書いている自分というのは、見せない日記をつける自分とは違うはずです。

ネットで個人を特定される危険性云々というようなことはネット社会論なので脇へおきます。ただ、危険を承知で、書くということはどういうことかと考えてみなければなりません。
自ずと個性、自分自身はよそゆき、仮面をかぶっていても出るものですから。

仮面をかぶった自分が公衆の面前でつける日記とはなんでしょうか。
これは、自分が何某で職業、住所、年齢等を明かした上で書いたとしてもやはり仮面をかぶる・・・偽装というと変ですが、他人に見せることを前提としている以上、露出狂的に見せなくてよいところまでさらけ出すということでない限り、仮面をかぶった自分がつける日記でしょう。

ですから、そもそもブログとは日記なのか。
色んなブログがあって、日々日常生活を書くものや自分の趣味、音楽、映画、小説等について書くもの、政治性、社会性あるいは教育性を意図して自分の意見を知らせたいとして書くもの、色々あるでしょう。
私のブログは、これに私の感情の起伏が反映された手のつけられないものでありますが。

ここでも、素直に自分の意見を公衆浴場ないし駅前広場で述べることには一定の危険性が伴います。
やはり仮面をかぶった自分ですね。

印刷媒体に署名入りで書くときは、少なくとも同様のスタイルによる批判は受け入れ反論することができます。ネット上ではそれが同様のレベルでできるかどうか疑問です。

ところが非常に面白いのはネットは参入する障壁が低い分、またある種の匿名性があるとされているその本質の性で、有名評論家が権威があるとして、あるいはインタヴューを重ねた、又は調査や研究を重ねた結果として紙媒体上で意見や事実として報告する場合よりも、事実が語られている場合が少なくないのも事実なのでしょう。

広告主等の制約が無い分、趣味的な領域においては特にそういえるかもしれません。

あるいは、情報として流通するための障壁が低い分だけウェブ上では信頼性の薄いものや、程度の低い記述等も人の目に触れやすくなり、それらは大量のゴミ情報となる可能性が高いのですが、逆に、障壁が引くが故に事実が知らずに表面化するということもあるのでしょう。
ただ、何が事実なのか、どのような意見が論理的で正当性があるのかということの検証のすべがないのがウェブの特徴かもしれません。

ウェブを捨てて書へ戻ろう、ということでしょうか。

一方、租税領域における問題のように専門領域については、違う側面が現れます。
租税制度、系ザ取引等に関する知見、識見がどれだけあるかということ、さらに、それを取り上げる人の立場や考え方、思想性というのはおこがましいですが、結果的には世界観、社会観が反映されざるを得ません。
それだけではなく、租税というものの本質が極めて政治的であると同時に、極めて技術的で非常に専門性が高い側面を持っているのでネット上で意見を表明するということは、それを提供する人や組織固有の意見や立場が反映されていることにならざるを得ません。
このことは、権威があるとされる、政府や課税行政庁のHP自体がそうであるのです。

情報公開法のもとでは、行政庁や大企業はその責任としてもっている情報は、一種の社会財としての価値のある者が少なくないので、できるだけそれを客観的な形で公表することが必要なのだと思います。
映像、つまり映画、音、つまり音楽等の著作権の関連するものについては、現実社会においては著作権法上の問題が常に生起し、一番わかりやすいのが論文や小説等の紙媒体で発表されたものということになりますが、盗作、盗用の議論が起こります。しかし、ウェブという媒体は、功罪はともかく、上記のものに関して、ある種治外法権的な世界が既に現出しているのですね。

逆に、租税分野に話を限定してみますが、課税庁は、納税者の納税義務の確定と密接な関連のある内部の情報を全て開示しているわけではありません。もちろん、情報公開法がありますあから、開示請求によりそれらを開示させることは可能です。
しかし、開示請求による開示に関しては、開示される情報の一部にマスキングがあるなどという問題以前にどのような情報があるか自体が不明であるということが問題です。つまり、文書等を特定できないと開示請求ができないシステムだからです。

内部の事務連絡というような行政文書も公共財だと思います。それ以上に公共財としての性格が強いのは、判決、裁決例です。これらは、登場する個人の個人情報保護の問題をどう捉えるかという問題はありますが、判決等によって税務通達の変更が行われたりするわけですから、これらは、課税庁内部の資料として秘匿されるのではなく広く一般に公開されるべき性質があるものだと思います。

行政訴訟資料、行政文書の公開論に話が横道へそれてしまいましたが、ブログ主催者のニッキではなく、情報ソースとしての意味を一義的な目的とするブログも多数存在するのが事実なので、情報の問題について言及してしまいました。

評論、データベース、その他諸々の意味をブログに付加することは可能です。無料で、著作権的には問題があるであろう音源や映像を提供しているブログも多数存在します。

訴訟データ等を無料で提供しているブログというのはあるのかどうか、現在のところ寡聞にして知りません。

10年余り前に、アメリカのロー・スクールで話を聞いたとき、ロー・スクールでは高価なレクシスネクシスという判例データ・ベースを利用できます。しかし、卒業生は、大手の法律事務所に就職した場合等を除くとこの高価なシステムを個人的に利用することは難しくなるので、従来どおり黄色いリーガル・ペーパーを使って紙ベースの判例を探すやり方を教えるのだと教授が話してくれたことが印象的です。

しかし、この有料であった判例データ・ベースに関して、アメリカでは、登録は必要ですが、レクシス・ネクシスやFindLaw といったサイトでほとんどの判例がネット上で入手できる状況に変わってきているようです。

この先日本の状況がどのようになっていくのか非常に興味深く思っています。

さて、このブログですが、結局、その人の私の心情吐露のはけ口でしかないということです。
ついで、出先等で利用する個人的データベースないし、思いつきメモ帳としての役割ですか。
つまり、基本的に他人に読んでもらうことを前提にしていないのだという振りをしています。これは、スペルの間違い、文章として日本語の体をなさないものをそのまま載せていること、あるいは漢字の変換ミスや入力ミスの訂正を行っていないことに対する言い訳でしかありませんが。

アメリカの税制と詩、歴史に音楽に映画、それと日本の税制、その日の感情全てが無茶苦茶に出てくるままの状態で混在しているので、メモ帳としても使いにくいのです。ただ、一応、自分が書いているので、検索機能を利用して探してみているという馬鹿な状況です。

最後にPaul Krugman の引用についてです。
サブ・プライム・ローンに関する問題を調べる必要があり、色々探しているうちに行き当たり、面白いと思い引用し始めました。あくまで個人的備忘録プラス感想レベルくらいの意図でした。
昨年夏の問題について調べていたのです。そうしたら、今次の金融危機が生起するところに図らずもぶつかったという次第です。

アメリカの租税訴訟に関しては、私の関心のある分野に関わるものを、暇ができたら読み直そうと思って引用しています。これらも非常に難しくて、簡単に論評できるようなものではありません。先の、98年改正法後のサモンズをめぐる訴訟などは、おそらく連邦最高裁まで行くことになるでしょう。
この訴訟を素材にして修士論文の一つや二つかけそうな代物に見えます。つまり、私の手に負えないということです。ただ、好奇心だけはあるものですから。

さて、今日は頑張って仕事しないと。
by nk24mdwst | 2008-11-24 08:35 | その他


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