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fear and rage

昨日は、昼過ぎに、バケツをひっくり返したような雨が降り、市内を流れる川の水位がみるみる上がり、また冠水、浸水の被害が出るのではという日でした。
夕方は、小雨の中で、素晴らしい夕焼けと虹を見ることができました。

昨日の午後、Oliver Wendell Holmes, Jr.判事のかの文明と租税の話についてブログに書いたこととを思い出し眠れなくなりました。
租税と戦争、アメリカで免税団体である教会、それをなじるFZの言葉、戦時国債と日本への無差別空爆、新型爆弾の人体実験と思い起こし、ここからが例によって私の常なのですが、突然違うテーマに行き着いて、既に怒りで眠れなくなっている状態に収拾がつかなくなりました。

裁判員制度です。
先日、新聞で裁判員制度の問題点を取り上げていました。その記事によると、最高裁は否定するものの裁判員候補者から裁判員を選任するときの想定問答集がHPの中にあり、そこから説き起こして問題点を指摘していました。
想定問題集はまだ見つけられないのです。なにせ、膨大な広報データばかりあって時間をかける余裕もないものですから。ただ、代わりに既に、各地で行われている裁判員制度の予行演習の様子は広報として大きく取り上げられているのをいくつも読むことができましたけれど。

想定問答集にあるとされた質問は、私が予想したものと同様のものでしたので、自分で他にどんな質問があるか考えてみたのです。別にひねり出す必要性はなく、アメリカの陪審員選任のときの質問を思い浮かべ、日本の事情を加味しただけですけれど。
こんなことを考えているだけで眠れなくなるのは当然ですが、結局、裁判員制度の是非そのものについて考えてしまうことになります。

現在予定されている裁判員制度は、特定の刑事訴訟においてだけがその対象です。そのあり方について、以前から、そして今も色んな問題点が指摘されています。

個人的怒りが治まらなくなったのは、裁判員制度に関し、具体的な制度設計自体が現在のものでよいと考えていないこと、おそらく行われるであろう実際の制度運用が引き起こすであろう問題に対する危惧のせいではありません。
制度運用自体は、現実に運用してみると、案外、最高裁や政府・法務省が考えているようにはならず、私の危惧しているような事態にならない可能性が案外高いのかもしれません。

公平な裁判を行うことのできる裁判員制度というものが存在するという前提をおかないと政府も最高裁も嘘をついていることになるので、私は彼らを嘘つきだと思いますが、嘘に騙されたことにした上で、裁判員制度の適用対象が一定の刑事裁判だけに限定されていることを考えてみました。

公平な裁判が求められ、それも一般の国民の常識的判断が求められ、裁判員制度が、公平な裁判を担保することに一定の有効性があるのだとしたら、いつも国民が負ける行政訴訟において、なぜ、裁判員制度を導入しないのかという問題が頭に浮かび、眠れなくなりました。

ここで、いかんと思い、音楽を聞きだし、それに集中したら1時間近く、細部までよく聞こえ色々考えたのは事実ですが、眠ることができました。

現行の裁判員制度は、法解釈をせず事実認定をするだけという大前提があるので、法解釈をすることがほとんどの場合、最大の論点である租税訴訟を含む行政訴訟において現行制度のままの導入は不可能であること自体は当然のことです。
しかし、行政訴訟において、その当事者である国民の参加の道を開くという考え方がこの国において出てくるのは、百年河清を待つのと同じでしょうか。

行政訴訟においては、行政が行った行為が法的に正しいかどうか問題となるわけです。行政が行う行為、つまり行政処分等を行うための資金は国民の税金ですしその行政処分等は国民のために行われるものであるはずです。
また、行政処分等の対象となるのはこれまた国民なのです。

非常に難しい法律判断が必要だということが適用除外の理由とされることは充分に認識していますし、日本の現行の法体系、裁判体系において無理があることも認識しています。しかし、同様の矛盾は、今回の裁判員制度においてもあるのではないでしょうか。

誤解を招くといけないので、あるいは、誤解をさらに深めるかもしれませんが補足です。

上では行政訴訟というのを明確に定義せずに用いていると自分でも感じますが、行政が行った、行う、行おうとしている行為に関して起こされる訴訟全体、つまり、原告ないし、被告として行政機関が登場する訴訟全般において提起すべき問題点があるのではないかということです。

行政不服審査法の改正も行われようとしていますが、こちらは、訴訟ではなく、審査請求一が対象ですね。税大論叢においても税務行政と行政不服審査法の抜本改正についての論文が掲載されています。神川 和久 税務大学校研究部教育官による
「行政不服審査法の抜本改正に伴う税務行政への影響等について 」
です。

導入されようとしている裁判員制度の是非とは別の問題として、仮に、司法に対する市民参加、国民参加ということが望ましいという立場に立つのであれば、行政の関わる訴訟においても一部に市民参加、国民参加の余地があるのではないかという論点です。
この点に関し、特定の行政訴訟に関しては、租税訴訟、知財訴訟等に代表されるような専門性、特殊性、技術性が高いものが存在することは充分に認識していますが、全てを一律に除外すべきという結論にはならないと考えます。

ドイツにおいては財政裁判所において租税訴訟を取扱い、市民裁判官が任用されているというような海外事情については、背景が異なるので、日本における導入の是非論にまでは簡単に踏み込めませんが、それぞれの国において色々な制度があるということは、事実です。

それから、アメリカの陪審制度において、陪審員が量刑判断する場合があるということも最近、知りました。

昨日の晩、聞いたのはFZのYCDOSAM Vol.5です。デジタル向きに作り変えてありますね。
細部がよくわかる、演奏、言葉、双方です。

アナログのLPというのは、原音をそのままレコード盤に刻んであるわけではなくて、RIAAカーブにより変換されて刻まれた音を、針で拾い、さらにプリ・アンプでもとの音に変換しパワー・アンプで拡大し、スピーカーを鳴らして聞くということになるのですね。

そもそも録音に用いられたオープン・リールのテープ自体も録音開始と終了時ではリール径が異なるのでスピードを変えながら録音したのですね。

かつてのオーディオ・ブームの時代には、このような複雑な過程を経ていて、それぞれの段階で各種ノイズ、歪みが生じるのをいかにして解消して再生できるシステムを作るかというのがマニアの課題だったように思います。
さらに、カートリッジやターンテーブル、アーム、アンプ、スピーカー、コード、聞く部屋の環境、かけるレコードの音楽の種類、メーカー、日本版か英盤、米盤科など、無数の順列組み合わせがあって、さらに同じアンプやスピーカーがいつも同じ音でなるわけではないというのも事実でした。

高価な機器をそろえているかどうかは別にして、メーカーによってそれぞれ固有の音を持っていましたし、聞くほうの好みもあったわけです。
いずれにしろ、デジタルよりもはるかに臨場感があるように聞こえる瞬間があったのも事実です。臨場感として心地よいものだとここの人間が錯覚するといったほうが正確かもしれませんが、よい録音のレコードは良い音がしました。SP も、馬鹿でかい装置で聞くと大した音がします。

真空管なんて歪みの極みなのかもしれませんが、管球アンプ独特の音がするのも事実です。
ただ、今のCDをマッキントッシュの管球アンプ+JBLのパラゴンで聞いたらどんな音がするか。

友人が10数年前からパラゴンを持っているので聞いたことがありますが、ちゃんと発売されたときの音がします。つまり1950年代のAMラジオの音なのですね。細部が明確に見えるとか、臨場感などというものとは無縁な音作りが設計思想に反映されているように思えます。

自宅にあるヤマハの1000Mは、25年以上前に片方100,000円しました。当然、二本ありますが。今、仕事場では、MP3に圧縮した音源を、ヤマハのスピーカー1本以下の値段のシステムで聞いてますが、それなりに良い音がします。
居住まいを正して聞くなんて事はしませんけれど、ちゃんとベース・ラインもバスドラも聞こえますからね。畳の部屋では低音がどんなにいいスピーカーがあっても低音が駄目でした。

でも、なにか、雰囲気、錯覚として頭の中で膨らむものはデジタル化で消えたように感じます。

ボンヤリしているほうが良いものも、世の中にはあるはずなのですけれど。
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by nk24mdwst | 2008-08-29 07:29 | その他

ankle beat

Delmore Schwartz の詩は、初めてでしょうか。

     For The One Who Would Take Man's Life In His Hands

Tiger Christ unsheathed his sword,
Threw it down, became a lamb.
Swift spat upon the species, but
Took two women to his heart.
Samson who was strong as death
Paid his strength to kiss a slut.
Othello that stiff warrior
Was broken by a woman's heart.
Troy burned for a sea-tax, also for
Possession of a charming whore.
What do all examples show?
What must the finished murderer know?

You cannot sit on bayonets,
Nor can you eat among the dead.
When all are killed, you are alone,
A vacuum comes where hate has fed.
Murder's fruit is silent stone,
The gun increases poverty.
With what do these examples shine?
The soldier turned to girls and wine.
Love is the tact of every good,
The only warmth, the only peace.

"What have I said?" asked Socrates.
"Affirmed extremes, cried yes and no,
Taken all parts, denied myself,
Praised the caress, extolled the blow,
Soldier and lover quite deranged
Until their motions are exchanged.
-What do all examples show?
What can any actor know?
The contradiction in every act,
The infinite task of the human heart."

戦争は、金がかかります。税金が先か、戦争が先か。

税金が文明の対価であるという言い方をする場合は、その文明とはなんでしょう。
Oliver Wendell Holmes, Jr. が我らが文明を維持するために租税が支払われるものなりといったときのアメリカは、福祉国家であったか。裸の資本主義精神を体現する資本家が南北アメリカの権益を手にし、さらに、カリブ海やフィリピンにまで手を伸ばしていたのではないですか?
カリブ海に住む人たちの文明という概念、フィリピンに住む人の文明なんて概念を持っていたはずがありません。

税金は自分たちの文明を維持するための対価であるなら、文明の対立(この概念に与するわけではないですが)があるとしたら、異文明が自己の文明の妨げになるのであれば、当然、排除されるべき、あるいは、収奪の対象であるはずで、そのためには金がかかり、その元手は戦時国債を経由するかどうかはともかく、最終的には租税ですね。
戦時国債の金利を払うのも租税でしかできません。

戦時国債で思い出しましたが、クリント・イーストウッドの日本の硫黄島映画がありました。アメリカが舞台の方は、硫黄島の戦士として戦時国債を売るためのお人形にされた人たちの話でしたね。硫黄島は、三月に陥落、そのあと、東京大空襲その他日本各地の諸都市への無差別空爆、そしてヒロシマ、ナガサキへと続くわけでね。オキナワもあります。
あの時点で戦時国債により調達されたお金は、形を変えて私たちの父母、祖父母たちの頭の上に降ってきたということではないですか。

そういう意味でホームズ判事の言葉を捉えなおしてみる必要がありそうです。

文明と戦争が不可分であるという前提に立ち、人類全体を一つの文明のもとの運命共同体という事実が存在しない以上、租税は、文明、すなわち戦争の対価なのでしょう。

人類みな家族なんて考え方は、少なくとも私は真っ平御免であります。

アメリカの連邦制を考えた場合において、アメリカ合衆国の利害と個別の州、ないし市、郡、学校区その他雑多な地方自治的組織との利害自体も一致しないはずですし、アメリカ文明としてくくられる平均的なものは存在すると仮定しても、それは、100人、100通りなのではないでしょうか。

ただ、マス・メディアは、多元的な価値観を単一化する方向に働いてきたようには思えますが、そのサイクルも終わろうとしているのか、また同じサイクルを違う形で始めようとしているのか。

金子宏「租税法」は、田中二郎ではあまりに露骨に見える官学としての租税法学を上手にオブラートに包んだものであって、非常に洗練されて入るものの、その本質は官学そのものであると個人的には考えています。

ところで、平和憲法を持っている日本は、今、税金で何をしているのでしょうか。アフガンでボランティアの青年が殺されたニュースのあとに、なぜ、某国営放送は、インド洋のガソリンスタンド法の話との関連に触れないのですか。
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by nk24mdwst | 2008-08-27 18:47 | Tax Poems

just one more rhyme

夕べも、Leo Kottke を聞きながら寝ました。Mudlark、 Chewing Pineなど、昔、よく聞いたものです。いま、聞いていると、Roy Estrada, Larry Taylor などのベース、Paul Lagos, Kenneth Buttreyがドラムの前者はともかく、Bill Petersonのベース、Bill Berg のドラム、それに Bill Barber がピアノ・キーボードの後者は、彼らが明らかに邪魔です。

30年前には、ドラムとベースなどが加わると、Ry Cooder、Lowell George と同様の流れの中にいる人のように思えました。カントリー・ブルース色は、一見強めだけど、そのような路線で売ろうとされたのかもしれません。
いまは、彼が、全く違うバック・グラウンドから現れた12弦ギターのギタリストで歌もときに歌う人というべきでしょうね。
他人の曲をやらないことはないのですが、彼のインストゥルメンタル曲のほとんどが若干のトラッドをアレンジしたものを除くと基本的に彼の自作だということが案外、重要に思えます。
独特のコードの使い方、彼独自のテクニック、リズム感と曲が一体化しています。
彼の技術を活かすための曲といういい方もできますし、彼の頭の中で鳴っていた音楽をやるために独特の弾き方を編み出したというのも事実でしょう。

John Fahey のナンバーもやっていますから影響下にあるように見えますし、ちょっと聞くとカントリーないしカントリー・ブルース、あるいはブルー・グラスの強い影響下にあるギタリストに聞こえるのですが、少なくとも1970年代の彼の自作曲は、いわゆるホワイト・ブルース・ギタリストなどとは明確な一線を画す独自性があるように聞こえます。

1980年代になってフィンガー・ピッキングの負担を和らげるためにソフト&メロウというか、オーソドックスなギター・テクニシャン風の曲が増えたような気がしないでもないです。

おなじみ投稿サイトに映像がたくさんあるのですね。テレビ出演等をかなりしていたようですから。

Duane Allman のLittle Martha などをやっていますが、軽々とやってみせるのは当然だとして、彼独特の和声を交えています。

話は変わりますが、期間税と遡及効についての議論も大事な論点だと思いますが、8月の季節柄というと不謹慎ですけれど、いわゆる戦争犯罪という事後法の遡及効の問題についてニュルンベルク及び東京裁判の意味、意義を考えてみる価値はあるのだと思います。

どちらの裁判もドキュメンタリー映画が製作されています。ドキュメンタリーという手法の映画にも当然シナリオがあるわけで、実際に起きた事件、事象を写し取ってはいますが、それを映画として提示するときには、製作者の意図が当然反映されます。
ただ、製作者の意図がどこにあろうと、でっち上げ映像を差し込んでない限り、どうしても隠しきれない事物の本性は現れるのだと思います。
もっとも、これらの裁判自体にシナリオが設定されていたということ自体まで見えてきたりするのですが。

「東京裁判」、「ニュルンベルク裁判」の映画自体は、30数年前に見ましたし、最近、何度か見直しもしています。
昨年、ルドルフ・ヘスを題材にしたドキュメンタリーを初めて見る機会がありました。映画「東京裁判」の冒頭で、大川周明が東条英機の頭をポカリとやるシーンがあって、その部分だけでもあの映画は見る価値があると思ったりしていました。
大川周明は戦争犯罪の被告として登場するのですが、かのポカリ事件により、精神に異常を来たしているとして、裁判から完全に外されてしまいます。
彼が本当に精神に異常を来たしていたのかどうかはわかりませんが、ヘスの記録映画を見て、ヘスがニュルンベルク裁判の公判中に取った態度とその背景について少し知ることができ、脚本を壊す可能性のあるものは最初から排除しておかないと拙いという判断が働いたのだと理解できました。

東京裁判というとインドのパール判事が云々ということに良くなっているようですが、パール判事は脇役以下ですね。

どちらの裁判も共通するのは本来主犯として登場すべきであったであろう人物が登場しない(できない)ということが大前提にあったと言う事でしょう。

事後法による遡及による処罰を適正手続論からどのようにして正当化できるのかという点については、否定的にならざるを得ません。

逆に考えなければならないのは、正当化できないものを正当化することによって守られたものは何か。守られたものは、戦勝国にとって必要であっただけではなく、敗戦国にとっても必要だったのではないかというようなことがずっと私の疑問として残っています。というくらいにしておかないとと。なにせ、問題がセンシティヴですから。

平和に対する犯罪、戦争犯罪という概念を戦争終結後、戦争に勝った国が作り出し、それによって負けた国の「戦争指導者であったとして特定された人」を裁くことの法手続的適正性の問題が先ず、あります。

仮に、上記の法的適正性を認めたとして(私が個人的に上記の裁判の合法性を単純に認めているということではありません。)、戦争犯罪人として法廷に引きずり出された人たちは、本来そのような罪で裁かれるべき人だったかどうかという点についても検討されるべきでしょう。

元へ戻るかもしれませんが、まず、ニュルンベルク裁判、東京裁判の法的正当性について検討される必要が当然あります。
次に、実際に裁判自体は行われているわけですから、その裁判における訴訟手続自体が適正手続原則に適合しているかどうかという問題があります。
次いで、被告として裁判を受けた人たちは、本当に被告とされるべきだったかという問題があります。さらに、最大の問題は、被告とされるべきだったのは彼らだけだったのか(当然、被告とされるべきではなかった人もいるのではないかという議論と表裏一体です。)という問題があります。

私は、当時の日本の戦争指導者とされた人たちをなんら擁護する考えは持ちませんが、東京裁判自体は本来、被告としてその責任の有無を追及されるべき人物を最初から除外していたという点において、大きな問題があると考えています。

平和に対する罪などというものは、ニュルンベルク裁判以前には存在しない概念だったわけですが、それ以前においても少なくとも非戦闘員に対する無差別攻撃は戦争犯罪であるという概念は確立していたはずです。

ここで問題となるのは何かというと、ナチス・ドイツによるロンドン空爆、日本軍による重慶爆撃が先行するわけですが、はるかに大規模かつ計画的に行われた連合軍における例えばドレスデン空爆、東京大空襲その他日本の大都市空爆、そしてヒロシマ、ナガサキへの原爆投下についてです。

仕事場で今日は、Richard Thompson が流れていますが、イギリスのトラッドって戦争の歌ばかりです。

租税は文明の対価であるといういい方が正しいかどうか。
文明という言葉を多元的に理解するかどうかで決定的に違ってくるはずです。
文明を多元的に理解するなら戦争は起きず、戦争のための費用をまかなうための租税も不要ということになりますからね。
Oliver Wendell Holmes, Jr. 連邦最高裁判事は、アメリカが大陸国家化しミシシッピ以西でジェノサイドをやった時代を生きている人ですからね。

リチャード・トンプソンのギターの弾き語りを聞きながら、Whiz Kid だった彼は、ちゃんと立派な男性になっているのですね。右手の小指で引いてる音が聞こえます。Bert Jansch は、昔は、ギタリストだと思っていましたが、彼はシンガー・ソング・ライターというべきだと。トンプソンの方がはるかに歌もギターも安定しています。
まあ、ジャンチの独特のふらつきに魅力はあるのですが。

ついでに返す刀で、James Blood Ulmer しゃんとしろ、ジミヘンと同い年だろうがと。昔、Are You Glad To Be In America? にぶっ飛んだことがあったのですが、まあ、あの頃の私が変だったのは事実だし、彼のギターが心地よく聞こえたという方が間違い。
最近の体たらくを見ていると、ギターのチューニングもまともにできないへたっぴといわれてもしょうがない。

だって、まともに年、食ってもやってるやつはやってますから。そうです、中日の山本昌のことです。
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by nk24mdwst | 2008-08-05 12:53 | 音楽

oh no, no more

Ogden Nash を二つです。

     I Do, I Will, I Have

How wise I am to have instructed the butler
to instruct the first footman to instruct the second
footman to instruct the doorman to order my carriage;
I am about to volunteer a definition of marriage.
Just as I know that there are two Hagens, Walter and Copen,
I know that marriage is a legal and religious alliance entered
into by a man who can't sleep with the window shut and a
woman who can't sleep with the window open.
Moreover, just as I am unsure of the difference between
flora and fauna and flotsam and jetsam,
I am quite sure that marriage is the alliance of two people
one of whom never remembers birthdays and the other
never forgetsam,
And he refuses to believe there is a leak in the water pipe or
the gas pipe and she is convinced she is about to asphyxiate
or drown,
And she says Quick get up and get my hairbrushes off the
windowsill, it's raining in, and he replies Oh they're all right,

it's only raining straight down.
That is why marriage is so much more interesting than divorce,
Because it's the only known example of the happy meeting of
the immovable object and the irresistible force.
So I hope husbands and wives will continue to debate and
combat over everything debatable and combatable,
Because I believe a little incompatibility is the spice of life,
particularly if he has income and she is pattable.

結婚してしまったものはしょうがない。別れるエネルギーと一緒にいるエネルギー、どちらを選択するかという話ですが。

最後の一節から話を飛躍させて、日本における税制上の配偶者控除論、あるいは、国民年金保険制度における三号保険者論をしても・・・いいはずないですね。

もうひとつ、Bylone Berline を聞きながら。

     So Does Everybody Else, Only Not So Much

O all ye exorcizers come and exorcize now, and ye clergymen draw nigh and clerge, For I wish to be purged of an urge. It is an irksome urge, compounded of nettles and glue, And it is turning all my friends back into acquaintances, and all my acquaintances into people who look the other way when I heave into view. It is an indication that my mental buttery is butterless and my mental larder lardless, And it consists not of "Stop me if you've heard this one," but of "I know you've heard this one because I told it to you myself, but I'm going to tell it to you again regardless," Yes I fear I am living beyond my mental means. When I realize that it is not only anecdotes that I reiterate but what is far worse, summaries of radio programs and descriptions of caroons in newspapers and magazines. I want to resist but I cannot resist recounting the bright sayins of celebrities that everybody already is familiar with every word of; I want to refrain but cannot refrain from telling the same audience on two successive evenings the same little snatches of domestic gossip about people I used to know that they have never heard of. When I remember some titlating episode of my childhood I figure that if it's worth narrating once it's worth narrating twice, in spite of lackluster eyes and dropping jaws, And indeed I have now worked my way backward from titllating episodes in my own childhood to titillating episodes in the childhood of my parents or even my parents-in-laws, And what really turns my corpuscles to ice, I carry around clippings and read them to people twice. And I know what I am doing while I am doing it and I don't want to do it but I can't help doing it and I am just another Ancient Mariner, And the prospects for my future social life couldn't possibly be barrener. Did I tell you that the prospects for my future social life couldn't be barrener?

いつも、詩は、コピペで貼り付けています。著作権のことが常に頭をよぎり、おまけにアメリカの政府機関へリンクを貼ってあったりして、連邦最高裁まであるのですが、気になるのですが、一応ネットに転がっていたということで。ただ、権利関係を明示してあるものもあるので、気にはしているのです。

Gov't Mule を三晩続けて聞いて、結論は大体出ました。Matt Abts の本質は、ジャズ・ドラマーだと。現在の私にとって、このカテゴリーに入るということはランクが下がるということですね。

The City のJim Gordon を聞き納得しました。Carol King たちは、このアルバム、基本的に歌っているだけでしょう。余り上手くないピアノやベースが聞ける曲もあるので演奏しているものもあるという位ですね。Danny Cootch も一応参加しているくらいでしょうか。
ドラム・レスのグループだから、コーラス・グループというかThe Byrds のデヴューと同じ位置づけかな。

Laura Nyro は、ニュー・ポートの上がりっぷりはひどいものでしたが、スタジオ物は悪くないですね。彼女の声がふらつかなければもっといいのですが。
つまり、歌手が本職なら言うことなしということですけど。
David Geffen は、1970年ごろはローラ・ニーロの付き合っていたはずですが、Cher がGreg Allman と結婚する直前に付き合っていたのは彼なのだそうで。

寝る前に聞いてる音楽なんだから気楽に聞き流せばいいのに、なぜ、分析的になるのか。どうせ分析するならコピペした詩の分析をしろ・・・と言われても、力不足でありまして。

アメリカ詩は、大学時代に勉強したというか、アメリカ詩のクラスを採ったというわけです。マンモス大学の法学部でもアメリカ詩のクラスに誰が来るか。
最初は、4人でしたね。うち、一人は、文学部から来ていた女性、もう一人は東京の有名国立大学出身の社会人の方が聴講に見えていました。もう一人は、いたはずですが、直ぐに消えたので。
Ms. Phillips というマヤコフスキーと言うロシアのアヴァンギャルド詩人を専門に研究する女性が先生でした。
毎回、彼女が詩のコピーを持ってきてそれについて自由に話し合うという感じでした。この一行の意味がどうのこうのってことにはなるはずもなく、授業は全て英語で進行するし。

このクラスに続けて出られたのは女史の魅力に惹かれたからですね、今、思うと。雰囲気は、アメリカ映画なんかだと生徒に嫌われる中年独身女性教師という風情ではありましたが、話をすると実に楽しかったですね。
英語が特に上手に話せたなんてことはないですが、とにかく主張することだけは主張しないという態度でした。アグレッシブで典型的な日本人だって言われて、言われた本人がびっくりしたわけです。

女史はちゃんとした大学を出て大学院へ進み、奨学金をもらってロシア留学していたような人でしたが、アメリカ社会の機微とか本質的な階層性、階級性の問題等について率直に話してくれたのが記憶に残っています。

そうでした、寝る前に分析的に音楽を聞くなでした。気持ちがよければそれでいいのです。詩は、目で見て声に出して読んでみてどう感じるかでしょう。
ロックとかブルースの歌詞も、大体、昔の歌詞カードの間違いの多さからわかるようにそもそも英語を母国語とする人でも聞き間違いをしているわけですし、まあ、それを狙っているものもあったりしますが、イギリス英語とアメリカ英語の違いなんていうのもあって、詮索してもしょうがないと大抵割り切ります。

つまり、耳から入って理解できるだけで充分だとするわけです。だったら、このドラムは誰だなんて気にしなければいいのに、と言うことになりますが。

イアフォンというかヘッドフォンで聞くと昔のようなステレオ・システムで聴いているのと違う聞こえ方がしますね。ステレオ、まあ、モノラルでもいいのですが、あの頃は音場感が一番でしたが、ヘッドフォンになると細部にこだわりたくなります。
もちろん、ドラムやベースなんていう基礎部分はヘッドフォンだろうがスピーカー・システムだろうが関係ないですけど。

歌詞もヘッドフォンだと言葉がわからないのに頭に直接響いてくることがあってぞっとすることがあります。Warren Zevon を聞いていてそれを感じた事があります。

別に自慢をしているわけではないのですが、70年代半ばくらいまでの歌だと英語の歌でも、歌詞が聞こえます。意味がわかりはしないとしても歌詞が言葉として聞こえます。
ラップが嫌いなのはさっぱり意味がとれないからです。意味がとれなくても構わない、音韻だけを楽しめばよいのだということは理解してもいいのですが、趣味じゃない・・・少なくとも私の生活環境とは無縁ですから。

問題は、最近、と言ってもこの10年ほどですが、日本語の歌の歌詞がわからない。言葉が聞こえないのです。非常に大きな苦痛です。
同世代だからいいますが、南部全員集合バンドは、きらいです。特にしゃがれ声のリード・ヴォーカリスト。分不相応にもLowell George Tribute なんかに一曲入っていて、同世代だから影響を受けたことはわが身を省みてよくわかりますが、できは最悪ですね。

馬鹿なDave Marsh は、Dead がまともなリード・シンガーもいないのに長く活動を続けたのはヒッピー・バンドだからだろうなんて書いていました。同じことがFairport にもいえそうです。
でも、歳月って不思議なもので、若造の私は、そうだそうだって思ったのですが、最近は、Jerry Garcia の歌も悪くないなんて思うわけです。Simon Nichol も捨てたもんじゃないとかって。

勝手に自分で解った気分でいるというのと、半数以上の人が納得する解釈を示すと言うのは全く異なることだと思います。

辞書を引かないことにしてからペーパー・バックが読めるようになりましたが、業としての翻訳、業とはしていなくても翻訳ということになると全く違う営みなのだと思います。

それと、基礎的な語学やその分野の知識があるかどうかということもありますが、翻訳するという行為の中には、翻訳者の価値判断が入ります。この翻訳者の価値判断が入っている国際制度比較をするのが上手なのが財務省主税局ですね。
それをネタにいくら議論したところで答えは自ずと決まってくるわけです。
社会的識見の高い人として政府税調委員になっている人に言っているのです。税調特別委員と称している学者の人にもそういいたいのです。

Oliver Wendell Holmes, Jr. の判決文にない言葉を勝手に英語にしている金子租税法の現在の版を書いている人にもいいたいわけです。

このブログをやって本当に良かったと思うのは、コモン・ローの父とされるホームズ二世判事の父親が有名な詩人で人種差別主義者だとわかったことですね。

The Civilization の中には、日本の文化、文明、少なくともペリーが来る前までのものはカウントされていないのです。

さて、Paul Krugman がファニー・メイとフレディ・マック救済、要するに日本が昔やったように税金で破綻した住宅ローン会社をなんとかする法案を議会が通したことを評価しつつ、これで終わりじゃなくて、これが始まりだといっています。
Op-Ed Columnist
Another Temporary Fix
By PAUL KRUGMAN
Published: July 28, 2008

So the big housing bill has passed Congress. That’s good news: Fannie and Freddie had to be rescued, and the bill’s other main provision — a special loan program to head off foreclosures — will help some hard-pressed families. It’s much better to have this bill than not.

But I hope nobody thinks that Congress has done all, or even a large fraction, of what needs to be done.
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The back story to the current crisis is the way traditional banks — banks with federally insured deposits, which are limited in the risks they’re allowed to take and the amount of leverage they can take on — have been pushed aside by unregulated financial players. We were assured by the likes of Alan Greenspan that this was no problem: the market would enforce disciplined risk-taking, and anyway, taxpayer funds weren’t on the line.

And then reality struck.
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The moral of this story seems clear — and it’s what Barney Frank, the chairman of the House Financial Services Committee, has been saying for some time: financial regulation needs to be extended to cover a much wider range of institutions. Basically, the financial framework created in the 1930s, which brought generations of relative stability, needs to be updated to 21st-century conditions.
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But let’s hope that the sheer scale of this financial crisis has concentrated enough minds to make reform possible. Otherwise, the next crisis will be even bigger.
http://www.nytimes.com/2008/07/28/opinion/28krugman.html?_r=1&oref=slogin
納税者に尻拭いさせるようなことになるまで自体をホ負ったら貸しにしていた真犯人は、誰かって名指しで批判していますね。グリーンスパンみたいな輩、単独犯じゃなくて十把ひとからげの一人扱いですが。

今回のアメリカにおける税金投入策は、住宅ローンの返済が滞って差押えを食らっているような人にはこうかがあるかも知れないわけですが、本体はそんなところではなく、証券化され世界中にばら撒かれているわけですからね。

1930年代の規制の時代を思い起こせという結論、時代がやっぱり一巡りしtな尾ですね。
1960年代までの経済政策を担った人たちは30年代の不況の怖さを骨身に沁みて知っている。その世代が退場し、80年代以後に経済政策を担ったのは、豊かさが当然だという世代です。それも、その第二世代になっている。
アメリカにおける階層間の移動、社会の流動性、自由の国アメリカなんていうのは幻想だと民主党のクルーグマンも共和党シンパのケヴィン・フィリップスも異口同音に行っているところに病根の深さがあるのでしょう。
あるいは、本当にターニング・ポイントに来た、潮目は変わりつつある。

ボケているのは、極東の某国でしょう。
法人税率が低い、消費税を福祉財源に・・・・確かに一理あります。
無駄を省こう・・・そりゃ、タクシー代は無駄かもしれません
本当の無駄ってどこにあるのでしょう。
寒いから当直が艦橋に入っちゃう船とかって無駄じゃないですか?

バターがないなんていってましたが、昔、大砲かバターかなんて議論があったのですよ。
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by nk24mdwst | 2008-07-29 09:41 | Poetry

down shoes don't fake it

Grateful Dead を聞いています。Europe ’72 は、LP発売当時、三枚組のセットで出ました。発売と同時に買いました。
この時点で、デッドのライブ・アルバムは、Live/Dead, Grateful Dead の三種類となったわけです。
それ以前のアルバムにもライブ音源が部分的に用いられていましたが、完全ライブというのは、という意味です。

繰り返し聞いたのは、ライブ・デッドでした。72年のライブに関しては、いい演奏だと感じたのですが、当時のレコード、私が買ったのは国内盤だったからかも知れませんが、音が物足りないと感じたのです。
音がきれい過ぎる、やせていると感じたのですね。
ライブ・デッドの方が音が臨場感のある音がしたと感じていたわけです。
演奏も、後年に比較するとはるかに荒削りだと思いますが、ライブ・デッドのインパクト、というかメドレーで演奏されるナンバーにスリルを感じました。

CDになり、ボーナスも追加され、さらにデッドの72年の欧州ツアーのライブ・ヴァージョンは他にHundred Year Hal, lRockin' the Rhein with the Grateful Dead が後年出されたわけですね。
CDになってからは、この時代のデッドを一番、聞くようになりました。

あと、私がLPで買った History of the Grateful Dead Volume One (Bear's Choice) は、録音日時が戻るのですが、これもよく聞いていました。
これは、1970年2月のFillmore East ライブで、このときの前座がAllman Brothers Band だったということですね。
デッドのレーベルから出ていて私が探しているABBのフィルモア・ライブCDは、このときの録音だと思われます。

デッドについて語る資格は私にはないので、Midnight Riders と著者のScott Freeman にけちでもつけることにします。

有名アーティスト、評判のよい本にけちをつけ、アフィリエイトなんていうものと反対のことをしているつもりでも、世間は色々で、あいつがけちをつけているなら、逆に買った方がいいという人もいるかもしれません。

私の場合で言うと、Dave Marsh がけなしているものなら、一度くらい聞いてみる価値はあるのではと思うわけです。

この本がABBについて最初に書かれた伝記本としての価値は認めます。入手困難で最近、やっと手に入れて読んだのですが、色々と気になる点がありますね。1995年の出版だということは、考慮しているのですが、それでもというわけです。

もっとも、最近出たからといって、先に紹介したEC本のようにゴミはゴミですけれど。

書かれたときの状況がそうさせる、あるいは、インタヴュー対象の話に制約を受けることは認めますが、本来、もっと話を聞くべき人の話が欠落しているように思うのですね。

ジャム・バンド・スタイルは、オールマン・ブラザーズ・バンドが嚆矢であるというのは、言いすぎでしょうが。ウェスト・コースとでデッドなんかを見ていなかったらあんなスタイルがその時点でやれたかというと、疑問符をつけざるを得ません。
そりゃ、サザン・オリジン・バンドとしては画期的だったと思いますが。

映画のEasy Rider に出てくるアメリカの南部のイメージがありますね。ステロタイプのC&Wしか聞かない白人の社会と隔離された黒人コミュニティーという図式です。
それが半分ほど当たっているとして、そんなところに13歳からボンドを吸っているDuane のようなやつが生まれ育ったのも事実だし、彼らがBritish Invasion Band のコピーに熱中し、周囲の若者もそれを受け入れたというわけです。

Whippin’ Post の11/4 のイントロだって、デッドのEleven なしには考えられないってミドル・ティーンだった私でも気付きましたからね。
フリーマンの方は、オールマン・ブラザーズがドラッグをめぐるごたごたで空中分解し、Warren Haynes の加入によって再編された時点で書かれているので、ドラッグの話その他、タブロイド的ゴシップは満載ですが、肝心の音楽に関しては明らかな弱点があるように思えます。

デッドとオールマン・ブラザーズの関係についていうと、オールマンの契約をRick Hall から買い取ったPhill Walden が、当初、頭に描いていたのは、Cream,Jimi Hendrix Experience のようなパワー・トリオで売ろうということでした。
ベーシストがいなくてBerry Oakley を引き抜きに行ったところ、ギターとドラマー、Dickey Betts, Butch Trucks も一緒にきたというわけです。
これにGreg Allman が加わるのですが、このツイン・ギター+ツイン・ドラムのスタイルは、デッドと同じですね。

Filmore East ライブに収録されているMoutain Jam はおそらく最低のできのものだと思いますが、Ludlow Garage などでのベッツのギターは、明らかにJerry Garcia の影響下にありますね。

特に意味があって聞きなおしているわけじゃないのですが、初期のライブから順に聞いていると、ベッツが悪くないと再認識したのですね。

Dominos がLayla を出したとき、当初の評価は低く、その理由として、誰かの歌がパッとしないこと以上に、やたらとオーヴァー・ダブされたギターのパートについて、誰がどのパートを弾いているのかわからないという不満があったわけです。
ミックスしたTom Dowd のせいということもできますが、後年のリマスターを聞いてはっきりしたのは、参加していない曲以外では、スライドはもちろん、普通の弾き方のところでもメインは完全にオールマンなのですね。もう一人は、他人をなぞっているので区別がつかない。

オールマン自身は、ギブソンを弾く自分とフェンダーの相方だからわかるだろって言い方になるわけですが、ABBでは二人ともギブソンであっても誰がどれかって迷うことはないです。

伝記、それも最近の話であっても、あるいは最近の話であるからこそかもしれませんが、筆者の嗜好や識見、集めたデータやインタヴューの制限を受けるわけですね。
インタヴューは、いろんな人の話を聞かないと駄目でしょうね。特にまだ現役で、自らの利害が絡む人に話を聞いている場合は、特にそう感じます。

だから、古代の歴史とかという話になると、何が正しいのか。
利害関係者はいなくなっていると思ったら大間違いですし。

ブログをはじめてよかったことは、アマゾンをのぞいて余計な買い物をしなくなったことですか。それと、よそ様のおっしゃっていることに影響を受けて、知らなかった音源をめったやたらと追い求めることがなくなったことでしょうか。

Emily Dickinson の詩集を買ったこと、Oliver Wendell Holmes, Jr. の本を買ったこと、この二つは、自らまいた種だからしょうがない。

Chad Wackerman とScott Thunes を個人的にどう位置づけるかということについて結論が出せたのも良かったと思います。

機械のように正確なアンドロイド・プレイヤーだと考えていたのですが、FZのバンドで演奏しているときは、息がぴったり合っていて大したやつらだと最近思うようになりました。

70年代以後FZは、有能な若い才能を発掘し、彼らをバンドという楽器として駆使するようになります。若い才能にとっては非常に貴重な学習の機会であるというべきなのかもしれませんが、FZ Alumuni を見ていると、その後音楽の世界で成功した、ないし、独自の地位を確立できたというのはほんの数人ですね。
燃え尽きてしまうほど消耗するのかと思わざるを得ません。

何人かのドラマーが成功しただけですね。

最高のセッション・ドラマーであっても、というか、最高だと認識しているからこそ、独裁的なバンド・リーダーに徹底的に指図され、かつ、独創的即興性を求められた日にはたまったものではなかろうと思います。
まして、それがツアーとして毎日続くとしたら、です。

FZは、くすりも禁じていましたたし。
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by nk24mdwst | 2008-06-29 06:59 | 音楽

eddie, are you a pianist?

税金がテーマとなっている、あるいは、その中に税に関連する事柄が出てくる詩は、たくさんあって、それぞれ、非常に興味深いわけです。

もちろん、税金を払うのが好きなんて人はいないわけで、昨日、紹介したもののように申告書作成自体の難しさという日常的なところから始まり、最後は、滞納処分が関わってくるような悲惨な事態について語ったものもあります。

さらに、いつも書いてますが租税国家ですから、租税政策、財政政策を問う内容を持つものも少なくないわけです。
これについては、重税感は、みな個人によって違うのですが、重税感を訴える、それと、金持ちや大企業、特定業種が優遇されていることに対する不満というのもそれぞれここの人の価値観によって、批判の対象は異なりますが、大きなテーマであるようです。

最近CO₂ と環境問題について世間が騒がしいわけですが、環境税に対して相反する意見を表明するものも少なからずあります。

最近読んで非常に興味深く思った本があります。『1491-先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』(チャールズ・C ・マン著他、NHK出版)です。
コロンブスによる新大陸発見以前のアメリカ大陸がいかに豊かな社会であったか、それがどうして滅びたのかについて書かれています。

前掲書234頁には、
「十九世紀の詩人であり医学者であったオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・シニアは、先住民を『赤いクレヨンでスケッチした原始人』に過ぎないと見なした。そして、『白人との関係にまつわる問題』を解決する手段として、'根絶やし’にすることを提案した。」
とあります。

Oliver Wendell Holmes, Sr. の詩は、以前紹介しています。
この詩人の息子がオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア連邦最高裁判事です。ホームズ・ジュニアの
「租税は、文明の対価である」
という言葉は、金子租税法に引用されていることも以前、書きました。
この引用が必ずしも原判決の文言に対する正確な訳ではないことも指摘しましたが、the Civilzation の意義について、私は、多元論に基づくあらゆる文明を意味するのではなく「彼らの文明」を意味するのだと考えると書きました。

有名な'Common Law'というホームズ・ジュニアの本もアマゾンから届いているのですが、雑事に追われていて。

夕べは、Gram Parsons を聞いていました。Byrds, Burritos, それ以前、それ以後と聞かずにいられませんでした。おかげで完全に睡眠不足です。
バーズのYounger Than Yesterday, Gene Clark with Gosdin Brothers などを参照までしてしまいました。
バックは共通するのにと感じましたね。
晩年のジーンの歌声です。
ゴスディン・ブラザーズのVern Gosdinの方が成功しました。Emmylou Harris とデュエットしています。

GPは、確かに別の次元から、忽然と登場した歌手ですね。
オリジナルも好いですが、Dan Penn の曲も泣かせます。

昼間、GPの伝記を流し読みしたのです。'Twenty Thousand Roads' というDavid N. Meyer が書いた今年出た本です。Amazon.Comの読者評が言うほどよい本とは感じませんでしたけど。
読みやすいかもしれませんが、孫引きがおおすぎるような気がしたのです。

オレンジで一家が財をなした点は、GP と Nick Drake の共通点ですけど。

ジョージア出身のGPは、ジョージ・ジョーンズなどのカントリー・カヴァーの他に、Dan Penn の手によるR&Bクラシックの採り上げています。
ダン・ペンは、1960年代半ばからSpooner Oldham とのコンビ、あるいは単独でサザン・ソウル・ヒットを送り出しています。GPが採り上げた . 'The Dark End Of The Street ’、.' Do Right Woman (Do Right Man )’もそういったヒット曲です。
彼のソロ・アルバムというと'Do Right Man’があり、オールダムと二人でやっているライブが、'Moments from This Theater ’です。
さすがにYouTube にも歌っている映像はなさそうですが、歌だけはありました。上記は、Aretha Franklinが歌っています。MCは、James Brown です。

無人島へ持って行くCDなんていう発想の本があるのです。まあ、お気に入りを選ぶという趣旨はわかりますが、その無人島って電気があるんでしょうか。

三食昼寝つき、空調完備の無人島へもって行く10枚のお気に入りアルバムということでしょうか。本をもって行くというのはわかりますが、電化製品は、無人島には合わない・・・どうでもいいですね。
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by nk24mdwst | 2008-05-17 13:06 |

America Drinks

Robert Creeley の詩をいくつか。

     I Know A Man

As I sd to my
friend, because I am
always talking,--John, I

sd, which was not his
name, the darkness sur-
rounds us, what

can we do against
it, or else, shall we &
why not, buy a goddamn big car,

drive, he sd, for
christ's sake, look
out where yr going.


アメリカ口語のスタイルがストレートでAllen Ginsberg なんかよりはるかに個人的には好きです。

愛と女性をテーマにしたものです、次のは。

    Something

I approach with such
a careful tremor, always
I feel the finally foolish

question of how it is,
then, supposed to be felt,
and by whom. I remember

once in a rented room on
27th street, the woman I loved
then, literally, after we

had made love on the large
bed sitting across from
a basin with two faucets, she

had to pee but was nervous,
embarrassed I suppose I
would watch her who had but

a moment ago been completely
open to me, naked, on
the same bed. Squatting, her

head reflected in the mirror,
the hair dark there, the
full of her face, the shoulders,

sat spread-legged, turned on
one faucet and shyly pissed. What
love might learn from such a sight.


大人の詩です。率直ですし。
    
     The Way

My love's manners in bed
are not to be discussed by me,
as mine by her
I would not credit comment upon gracefully.

Yet I ride by the margin of that lake in
the wood, the castle,
and the excitement of strongholds;
and have a small boy's notion of doing good.

Oh well, I will say here,
knowing each man,
let you find a good wife too,
and love her as hard as you can.


詩人の言うとおりです。
詩は、high brow ないわうる high art だから、このような言葉づかいをしても構わなかった。逆に、限られたサークルの中の話だから。
ただ、同じようなことを、Frank Zappa のようにレコードやステージ、つまり、ポップやロックというような low art としてやるとこっぴどくたたかれた。やる方もやる方だけど。
FZには、独学だという誇り、資金調達も自前だという誇りとともに、逆に、high art やアカデミズムに対する偏見に近い、コンプレックスがあったのは事実ですね。

それと、クリーリーは、当時のアメリカのクレンジングされた社会通念常道だったかは別にして、普通の人が経験するようなことを当たり前に述べている。
ザッパは、特定のターゲットを絞って、変化球を投げている。

    Water Music

The words are a beautiful music.
The words bounce like in water.

Water music,
loud in the clearing

off the boats,
birds, leaves.

They look for a place
to sit and eat--

no meaning,
no point.


簡潔かつ奥が深く、音韻も素晴らしい詩です。

     America

America, you ode for reality!
Give back the people you took.

Let the sun shine again
on the four corners of the world

you thought of first but do not
own, or keep like a convenience.

People are your own word, you
invented that locus and term.

Here, you said and say, is
where we are. Give back

what we are, these people you made,
us, and nowhere but you to be.


痛烈です。
Lincoln のゲティスバーグの演説について、日ごろ考えていたところに通じる部分があります。

The people って誰かってことです。
Oliver Wendell Holmes, Jr.がいう、the Civilization と同じです。
the がつくと限定された意味になるのですが、日本語にするとき一般化してしまうことが多いのは適切でない場合が少なからずあるのではないかと思います。

詩は、やはり限られたサークルのものなのですね。ポピュラー音楽のようにレコード会社とか、放送局等が関わってくると状況は違ってくるのでしょう。

夕べ、スカパーでEdgar Winter を見ました。エドガーの方が、兄貴より個人的には、好みです。Rick Derringerと掛け合いをやってました。
Osmonds も出てました。演奏はカラオケ、歌はリップ・シンクっぽかったのですが、悪く無かったです。
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by nk24mdwst | 2008-02-22 10:21 | Poetry