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it's snow

春の淡雪、もう、解けてしまいました。

特に意味があるわけでなく

Neil Young のSouthern Man



お馴染みLynyrd Skynyrd のSweet Home Alabama



Ronnieは、ニール・ヤングのことなんか話したくないと

Warren Zevon のアンサー・ソング Play It All Night Long



これを、もとのスウィート・ホーム・アラバマの歌詞に登場するThe SwampersのDavid Hoodの息子Patterson Hood がやってるDrive-By Truckers がカヴァー。



全体を見渡して見ると。

現在、ジョージアのアトランタ在住のアル・クーパーがスキナードを売り出し、彼は、その前にスティーヴ・スティルズとスーパー・セッションをやっているとか。
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by nk24mdwst | 2011-02-26 10:28 | 音楽

Survivors

明日2月3日は、Buddy Hollyが亡くなった日です。
有名な話ですが、1959年2月3日、Buddy Holly, Richie Valenz、それにDJのJ.P. "The Big Bopper"Richardson とパイロットが飛行機事故で亡くなったのです。
冬のウィスコンシンの片田舎の出来事です。当時既に大スターだったバディ・ホリーが、身重の妻をおいて辺鄙なウィスコンシンくんだりまで出かけなければならなかった裏には、金銭的な事情があったのですけれど。

今日は、Waylon Jennings を流して仕事をしています。ウェイロン・ジェニングズは、当時、バディ・ホリーのバック・バンドのベーシストでした。ウェイロンは、ビッグ・バッパーに席を譲ったおかげで事故をまぬがれ生き残ったわけです。
Eddie Hinton 関連でウェイロンのCDを持っていたりするのですけれど。

Too young to die, too old to Rock 'n' Roll なんてアルバム出してるバンドもありますが、バディ・ホリーは享年22歳でした。

James Dean も若くして亡くなっていますが、本当に24歳だったのかと個人的には疑問を持っています。当時のハリウッド映画で、実年齢に近いほど若い役者を主演させるなんて事があっただろうかと疑問を持つのですね。Harrison Ford やRichard Dreyfuss がAmerican Graffiti に出たときの年齢を考えると・・・。

ウェイロン・ジェニングズは、当初アンフェタミン、後年コカイン等の薬物中毒に苦しみます。Johnny Cash なんかも同様ですが、ツアーはやはりきついのでしょうね。
でも、生き残ったものの辛さというのもあったりするのではと。
ウェイロンの奥さんは、Jessi Colter ですが、ジェシ・コールターの別れた旦那はDuane Eddy なのですね。

ナッシュヴィルでは、薬はかなり流行っていたようですね。Everly Brothers なんかもそうだったと読んだ記憶があります。

Riot on Sunset Strip: Rock'N'Roll's Last Stand in Hollywood by Domenic Priore の97ページにエヴァリー・ブラザーズのステージ写真があります。ちょうど、ナッシュヴィルからハリウッドへ拠点を移した1965年ごろのものと思われ、James Burton がフェンダーのファイア・バードをもって横に立っています。ドラム・ストゥールに座っているのは、スーツを着てネクタイを締めて緊張気味の表情のJim Gordon です。ジム・ゴードンは20歳くらいでしょう。
エヴァリー・ブラザーズもShindig のレギュラーになるのですね。

飛行機事故で亡くなったといえばOtis ReddingLynyrd Skynyrd のヴォーカリストRonnie Van Zant, ギタリストの Steve Gaines, バッキング・ヴォーカルの Cassie Gaines、Stevie Ray Vaughn が思い浮かびます。
スティヴィー・レイ・ヴォーンも薬に苦しみ、復活した直後、ECのクルーの誘いでヘリコプターでシカゴに帰ろうとして事故にあいます。

全く取り留めのない話になってしまいました。

Delaney & Bonnie を寝る前に聞き、FZの本とTBORの本を読みながら、ウェイロン・ジェニングズを今日は聞いてますが、Grateful Dead をかけながら仕事をし、車の中ではFaiport Convention を聞いているという感じでして。

1977年にLynyrd Skynyrd の事故は起きています。

レーナード・スキナードって本物なのかフェイクなのかよくわかりません。Strawberry Alarm Clock にいたEd King なんかが加わるってあたりが不可思議です。
ストロベリー・アラームクロックは、Incense and Peppermints などのヒット曲で知られている、いわゆるサイケデリック・ロック・バンドのはしりなのですけど。

個人的には、ストロベリー・アラーム・クロックは ソフト・コア・ポルノ映画監督のRuss Meyer の映画" Beyond the Valley of the Dolls"(邦題「ワイルド・パーティ」)に出ていたのを覚えています。リアル・タイムでこの映画は見ているのですが、画像は映倫のおかげでめちゃくちゃでした。
映画自体は、Jacqueline Susann原作の1967年の"Valleiy of Dolls"(邦題「哀愁の花びらたち」)のパロディというかなんというか。
ここでいっているValley というのが Laurel Canyon 名のだなと今はわかります。

1967年ごろに登場した一連のサイケデリック・グループというのは、一部の例外を除きレコーディング自体は、サーフ・ロック、フォーク・ロックをやったハリウッドのプロのお仕事です。

Al Kooper なんて商売人が売り出したバンドなので、レーナード・スキナードにインチキさ池・バンド上がりのエド・キング氏なぞが加わるとその正体は何かなどと思うのですね。

ただ、数年前に出た、Skynyrd's First: The Complete Muscle Shoals Albumに、収録されている演奏なぞを聞くと、サザン・ガレージ・ブルース・ロック・バンドだったということはわかります。

Free Bird を既にやっています。まあ、それくらい、Duane Allman というのは、南部の中流以下の少年たちにとっては衝撃だったのでしょう。

Allmans 創設のときに一番のネックになったのが、Greg Allman のレコーディング契約です。ブロンドで長身、ハンサムな南部青年は売れるとハリウッドのレコード会社は踏んだわけです。ちょうど、the Byrds にジョージア出身の若者が加わり、Sweetheart of Rodeo が評判を呼んだので、二匹目のドジョウを狙っていたわけです。

ジョージア出身の若者は、ハーバードをドロップ・アウトしたGram Parsons ですけど。グラムもやっぱりミリタリー・スクールに押し込められていたことがあるのですね。
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by nk24mdwst | 2008-02-02 13:19 | 音楽