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don't call me by number, me, a free man

快晴、サクラが蕾を膨らませ、4月の入学式も近い。

しかし、この重苦しさってナンだ。

3月11日の大震災の前後で日本は完全に変わった。後へは戻れない。
天災と人災のダブル、トリプル・パンチ。

天災は仕方が無い。人災は、違う形で日本を変えた。

4月1日以後、公共広告機構のCMが減り、普通の番組編成に近くなり、いつの間にやらバラエティが復活。
あんなものをバラエティといえるなら。

しかし、某国内重大事件については、報道統制がなされたようで、何も報道されなくなった。
ある日、汚染された水を海洋投棄するなんていいうだけで。
慌ててするからには、逼迫した事情があったんでしょうが、そもそも事件が無いことにしたんだから。

震災の悲惨さを伝える過剰な報道の後、一転して、何事もなかったように、それと節約倹約を勧める広告のオンパレード。一億火の玉とどこが違う。

竹槍でB29を落とせないように消火器で原子の火は消せない。

普通にいつものように暮らしているのが、信じられない。周りの人は知らないけれど、どこかで感じた、見たかのような、意識が。

子供の頃見た、「Prisoner」の世界にいるような錯覚・・・というのは正しくなくて、プリズナーの世界にいるのだから正常な感覚なのか・・・

私は、誰だ、ここはどこだ、何が起こっているのだ。私は私で変わらないはずなのだけれど。ここがどこかが解らない。何が起きているのかが解らない。だから、解らない私が誰かが解らない。
私だけの妄想なのか。

やかんの底が抜けてしまい、誰も手を施すことができないのだとしたら、それを知らされない方が幸せなのか。
やかんの存在を最初から知らず、底が抜けたのじゃないかということも感じさせられていないのなら知らずに死んでいくだけでしょう。
だけど、やかんがあり、底が抜けた可能性をを否定しないのだから。もちろん、健康には影響が無いので心配していません。
短期的に影響が無いってことは長期的には危ないってお琴でしょ。

やかん、湯沸しの話をしています。

ストーブの上のやかんを蹴飛ばしてはいけません。ストーブの上に洗濯物を干したら火事になりやすい。
油が燃えたら水をかけてはいけない。

私の住む県にもやかんが、二つあって故障中。以前、自身にもあってるし。

やかんのお湯が必要だと国民皆が思っていたから、最終的には国民みんなの責任なんですか。それは、この前の戦争のときの一億層ざんげと同じで、何も建設的な結果を生まなかったわけですぜ。

やかんの教授を受けたことを私も認めますが、やかんを作ったわけじゃないし作ってくれとも頼んでいない。
きちんと責任のある立場の人間、機関は落とし前をつけないと。

国際機関だからといって客観的、相対的正義を体現しているわけで無いことも重々承知ですし。

何か、音楽。



ヴァッサー・クレメンツは、昔から好き

タンゴは、いいですぜ、旦那



で、トニー・ライスはいかが



ジミヘン



火事の歌も歌ってたっけ、ジミヘン
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by nk24mdwst | 2011-04-05 15:27 | その他

call me a vegetable not any number

3連休は、道を走る車も少なく、ショッピングモールの人でもまばら。明らかに自粛ムードですね。
精神的なものもあるでしょうが、経済的な先行き不透明感が財布の紐を締めさせている。

ジミ・ヘンドリクスのエンジェルは、決定版がないのです。


も一つ、ジャム


ジミヘンは、パフォーマーとしても優れていたと思うのですが、それを見るのは40年前に不可能になってしまった。レコーディング・アーティストとしてのジミは、全く新しいアイディアの持ち主の一人だったはずなのだけど、66年から68年始めにかけて、三作出したきり。後は膨大なデモの山。
全部ゴミだといってもいいです。ゴミを集めたから言えます。

最後は、DBT。


Buttholeville というのは酷い名前ですが、何をというかどの町を指すのかは想像がお付かと。物議を醸した曲です。
DBTは、マスル・ショールズ・リズム・セクションの息子が中心になっているということで、世代と育った環境を理解してみる。ハリウッドで、おじさん二人がアカデミー賞を取ったというランディ・ニューマンのアラバマ版といったら、石が飛んでくるか。

アーティストはタグを三個まで入れられるので、リック・ロバーツのいるころのフライング・ブリート・ブラザーズ。


共通番号制度の話とかあるのは、明日。
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by nk24mdwst | 2011-03-22 17:02 | 音楽

happened as such

なんとなく、梅雨が近づいてきたような天気であります。

車の中では、マスル・ショールズもの、仕事場では、Barbara Thompson とかBob Downes などというブリティッシュ・ジャズをなぜか聞いてます。

これは、サッカーの話なんですが。
Global Soccer
The Bigger They Are, the Harder They Fall
By ROB HUGHES
Published: June 6, 2010

LONDON — One by one, they fall. Michael Ballack, the captain of Germany. Rio Ferdinand, captain of England. Didier Drogba, the leader of Ivory Coast. Michael Essien, Arjen Robben, Wilson Palacios, John Obi Mikel, each of them influential on their national teams, are either out or doubtful for the World Cup.
http://www.nytimes.com/2010/06/07/sports/soccer/07iht-SOCCER.html
ドログバ、バラックといったワールド・カップ出場各国の主将レベルのスターが相次いで故障して、大会に出られないという記事です。

かつてのベッケンバウアーの時代とは違い、完全にマネー・ゲームの世界になったおかげで、スターは休んでいる暇がない。
'70年代の初めに、ロックが若者市場での商品価値を増し、アリーナをいっぱいにする時代となり、ロック・スターは、クスリ漬けになりながら巡業していた頃を思い出させます。金だけはあったから、クスリもついてきた。
アメリカのプロ・スポーツは、昔からずっとかなりクスリに甘かったので、足の骨にひびが入ったラニング・バックやクウォーター・バックは、ペイン・キラーで痛みを抑え、気合を入れるのに薬をもう一発決めて、出ていた、なんて時代もありました。

アルコールやタバコ、チョコレートやコーヒーもみんな嗜好性の依存性のあるドラッグで、個人差はありますが、肝臓その他の臓器に最終的には悪い影響を与えるわけです。法律で禁止されているものとそうでないものの違いというのは、肝臓等に与えるダメージが早く出るかどうかだけなんて意見もあるくらいで。
だって、不満を抱える貧乏人を黙らせるためには、何らかの楽しみを与える必要があるのだ、かな?!

薬物に対する規制は、60年代半ば以後、強力に強くなるわけですが、それ以前は、そうでもなかったわけですよね。だって、LSDが公開実験されていたりしたわけで。
イギリスでは、60年代半ばまで、医者に処方されたアルカロイド系のクスリは合法だったのだそうです。商戦を書いた医者は、金持ちになったのですね。
ジンジャー・ベイカーは、この処方箋組みだったそうで。

ウィリアム・バロウズは、後年NCRになる会社の創業一族でジャンキーですが、ジャンキーになった理由をこう語っています。
欲しいものが何もないことに気がついたとき、そこに、それがあった。
震顫譫妄症状態になるのは、アルコールでも同じですからね。

医療用カンナビスの話。
The Legal but Largely Unregulated World of Pot Merchants Thrives

By KATE McLEAN
Published: June 5, 2010

In his nondescript San Francisco flat, Kevin Reed operates a sleek, efficient marijuana delivery service.
http://www.nytimes.com/2010/06/06/us/06bcpot.html
サンフランシスコ市に15,000ドルを支払って商売を許可してもらっているのだと。

ドイツ政府も歳出削減と増税を計画しているようです。
German Coalition Sets Out to Find Deep Cuts
By JUDY DEMPSEY
Published: June 6, 2010

BERLIN — Beset by squabbling ever since it took office eight months ago, the center-right coalition of Chancellor Angela Merkel met Sunday to try to reach agreement over how to save as much as €10 billion a year in Germany’s national budget from 2011 to 2016.
http://www.nytimes.com/2010/06/07/world/europe/07iht-germany.html
社会保障支出を減らし、タバコやガソリンに対する課税強化をする。

日本でも方向転換するのでしょうか。
消費税増税不可避論者(となるように財務省に洗脳された)人たちが表に出てきていますね。
消費税増税論不可避か、消費税システムの問題ということもありますが、所得税法等を改正する法律の附則104条は、ちゃんと生きていて、そこでは景気が回復するのを見極めながら消費税の増税を含めた抜本改革をするとか、納税者番号制度を入れる、給付付き税額控除を入れると書いてあるのは、先日、このブログで条文を引用しているとおりです。
この法律の条文が存在することを、前の首相も今の首相も、与党のみなさんも、どの程度ご承知なんでしょうね。この法律には麻生政権時代に工程表までついていたわけでありまして。

UBSをめぐるアメリカ政府とスイス政府の昨年8月の情報提供合意の効力について、スイスの議会では、まだ、結論が出ていません。
Crunch vote looms for Swiss-US deal in UBS tax row

By FRANK JORDANS
The Associated Press
Sunday, June 6, 2010; 7:17 AM

GENEVA -- The Swiss government is hoping to rid itself of a long-running headache over banking secrecy Tuesday when lawmakers are expected to approve a treaty to hand files on thousands of suspected tax cheats to U.S. authorities.
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/06/AR2010060600991.html
上院の方は、何とか政府の合意を認める議決がなされたのですが、下院を通るか微妙なのです。
中道左派ないし右派勢力のどちらかの賛成票がないと、現在の中道少数与党政権の提案が通らないのですね。
中道左派勢力は、銀行幹部に対する高額ボーナスを規制することの立法化を条件にし、他方、右派は、スイス伝統の国民投票に賛否を問うことを要求しています。

バーバラ・トムソンは、Jon Hiseman の奥さんで、サックス、フルート奏者で作曲家です。ローランド・カークとかディック・へクストール=スミスのように2本咥えて吹く人です。
ブリティッシュ・ジャズは、'70年前後にアメリカのモダン・ジャズに対するコンプレックスを無くしたような時期があったように思えるのですが。カンタベリー系のプログレ・バンドと一体化してしまうところもあります。
いずれにしろ、イギリスの場合は市場が狭いので、どこへ行っても同じ人が出てくる。

最近、寝つきが良くて、毎晩、Electric Ladyland を聞いているのですが、Crosstown Traffic が終わる頃に寝てしまいます。ジミヘンの音の重ね方は、実に繊細で細かい。
この後膨大な録音を残しながら、結局、スタジオ・アルバムを一つも完成させられなかった理由でしょう。
ライブでだらだらインプロブをするジミと、スタジオにこもるジミは別人です。
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by nk24mdwst | 2010-06-07 15:05 | 租税法(アメリカ)

cherry blossom

一昨日は、雪が降り、昨日は、晴天で暖かい日でした。
今朝も、19度ほどあり、桜の枝先もほんのりと赤みを増したように思えるのですが、今日は、また、お昼ごろから気温が下がってきました。

昨年末からほとんどCDを新たに購入していないのですが、購入したCDの中に、Jimi Hendrix の新譜があります。Valley Of Neptune です。
思ったより、良かったです。ゴミをいっぱい買わされていることを思えば、特に。

ジミの生前に出たもの以外で購入する価値があるものがどれほどあるかというのは、かなり大きな問題で、ないと言い切っても、それは、間違いといえないように思います。
このValley の演奏、録音を聞くとより一層、そういう風に思えるのですね。

ジミは、ライブでのパフォーマンスの印象が非常に強いわけです。彼は、デルタ矢シカゴの出身ではありませんが、Chitlin’ Circuit を若い頃に回っているので、アメリカのアフロ・アメリカン社会における音楽的な遺産だけではなく、芸人として伝統もきちんと受け継いでいるのですね。
演奏技術に優れているとか、感性が鋭いだけではなく、そういうドサをまわっている生活を送っていながら、ディランのHighway '61 Revisited を凄いアルバムだと仲間に吹聴して回っていたわけです。ディランの曲のインタープリテーターとしては、ジミは傑出していたと思います。

元へ戻りますが、ライブ・アクトとしてのジミとスタジオ録音における音楽制作者としてのジミとの間には相当の乖離が存在するように思えます。ステージでは、歯でギターを弾こうが、結局、ギターとその効果音、それに歌とバック・バンドによってしか表現ができないわけですが、スタジオでは、録音でしか行えない色々な技術を駆使することができるわけですね。
ジミのこの録音音楽に対するこだわりが、Electric Ladyland を1968年に発表した後、1970年11月になくなるまで、膨大な録音を残しているにもかかわらず、新しいアルバムを完成できなかった所以なのでしょう。

Valley Of Neptune は、1969年の前半(Noel Redding が、まだいる)と後半(Billy Cox が登場)のスタジオ録音集です。この年の真ん中当たりに、ウッドストックへの出演があるわけですが、1968年に少し垣間見えたファンク路線への接近(回帰?)がかなり現れてきています。
このアルバムの内容については簡単にまとめると、やっている曲自体は、ファンなら基本的に知っている曲ばかりだけど、アルバム・ヴァージョンを知らないものもあるというところですね。演奏は、ジミを中心としたトリオにパーカッションが加わっている程度でほとんどオーヴァー・ダブもありません。
オーヴァー・ダブを重ねて仕上げるつもりだったものなのか、それ以前のデモ・レベルなのかは、余り良くわかりませんが、タイトな演奏をしていて、録音状態、マスタリングはよく、いい音で楽しく聞けます。
誰がこれを必要とするかとは、別の話ですが。
何も知らなくても楽しく聞けるのかもしれません。
Sunshine of Your Love はステージで好んで演奏していたもので巣が、スタジオ・ヴァージョンを初めて聞きました。ベースとドラムのソロがあるのがご愛嬌。ライブ・ヴァージョンの方が倍速でファン・サーヴィスになっていたと思います。

このアルバムを楽しく聞けるか、誰が必要としているか、そりゃ、カラスの勝手でありますね。数多あるブート音源、あるいは、アラン・ダグラスが版権を握って出した一連の再発と比べてどうかという話です。
このアルバムに入っている曲で知らないものがあるかというと、ほとんど知っている曲だし、別のヴァージョンで聞いたことがあるというべきでしょうね。かなり編集されていて、聞けないような演奏の部分や、会話等はカットされているのでしょう。
少なからぬ曲で、ジミのギター・ソロになるべきところが、リズムを刻むだけになっていたりするわけです。
結局、ジミの迷走の中の時期をとらえたものでしかないのかなと。
版権が移動したから、ジミの家族が版権を握っていたときに出していた一連のアウト・テイク集の方がまだましでしょう。

暇があれば、このアルバムに入っている曲は他のアルバムのどの曲と関連するのか、別ヴァージョンなのか、同じヴァージョンのミックスを変えたのかってやればやれるかもしれませんが、五万とゴミを交わされたあとでそんなことをする時間は無駄ですね。
やっぱり、生前に出た3枚のアルバムで十分。ライブは、音質の良し悪し、演奏の良し悪しが順列組合せ無数であるわけで、聞きたい人は聞けばいいということでしょうか。
演奏のできその他、問題無しとはしませんが、生前に出ているFilmore Live つまりバンド・オヴ・ジプシーズの演奏は、二枚組みの新しいセットの方なら、チューニングの狂いとか修正されているので。
Buddy Miles に興味のある人向き・・・私はどうなのか?!
ボックス・セットは、まあ、悪くないけど、オリジナルの三枚があるという大前提でしょう。
それとBBCライブかな。
ボックス・セットの価値は、個人的にはただ一点にしか認めていません。リズム・ボックスだけをバックに弾き語りするAngel の出来がいいこと。ただ、これ、デモだから最後、適当に笑いながら終わってしまうんですが。

そう思うと、FZが倉庫に眠らせている膨大なテープの山の価値ってどれくらいあるのかな。
コンサートごとに切り出して、売り出してくれれば、馬鹿なファンは買うと思うのですが。FZの遺志には外れることだと思いますけどね。


ギターを壊したり、火をつけ、Puple Haze のような手垢のついた曲の演奏をステージでのジミに求めていた当時の聴衆(ガキの私だって、似たようなものでした)が、この手の曲についてきたかどうかは、ちょっと微妙かもしれません。
ギター・ブルーズにしては、ファンクっぽい、ファンクにしてはロック色がつよい?!

もっともAre You Experienced? は、聞けば解りますが、ギターの音の細工を除けば、かなりストレートなR&Bの延長線上にある曲が多いと私は思います。あのスケジュールのなかで、アルバムを3枚連発したことからすると、既に懐で温めていたアイディアを一気に吐き出したというべきだったのかもしれません。
チャズ・チャンドラーが拉致したおかげです。

他人のアルバムのランク付けに文句をつけても意味がないのはわかってますが、ロバート・パーマーは、ロック・アルバム・ベスト・テンにジミヘンとゼップを入れています。ただ、どっちもボックス・セットをあげるというのは、反則じゃないかと。

ジミヘンの話しか出てません。こういうのは、珍しい。
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by nk24mdwst | 2010-04-01 14:45 | 音楽

this hot cold summer

本日は、秋晴れで、山がきれいに見えます。

Jimi Hendrix のElectric Ladyland を引っ張り出して聞いています。
ジミ・ヘンドリクスは、チャズ・チャンドラーのコントロールを離れてこのアルバムを作ったわけです。彼は、非常に守備範囲の広いギタリストであるだけでなく、スタジオでの音作りにもこだわっていたのだと感じます。
ライブでの演奏とスタジオでの彼は、別人ですね。
懲りすぎて、かなり収拾がつかなくなる前のぎりぎりの線でとまっているのがこれで、この後は、ライブ音源しかない。
ボックス・セットには、いろいろなスタジオ・ヴァージョンが入ってますけど。

ライブではショーマンシップ満点ですが、スタジオでは細部にこだわっている。結局、436;成品のAngel は、彼が生きている間にはできなかった。

前も書きましたが、'Axis:Bold As Love' が一番完成度が高いと言うべきなんでしょうね。'Are You Experienced?' は、まだR&B の骨組みが残っている感じです。

Jimmy Carl Black もMothers 時代にジミと同じステージに立ったと語っていました。モンタレー・ポップ・フェスティヴァルの2週間前で、MOI の方が知られていたと。1ヶ月しないうちに、立場が変わってしまったって。

このエレクトリック・レディランドは、DVDのおまけ付きヴァージョンです。DVD自体は、一部をテレビ放映されたもので一部を見たことがあります。
Buddy Miles, Noel Redding, Mitch Mitchell みんな他界しましたが、まだ、元気でインタヴューに答えています。舞台回しは、エンジニアのエディ・クレーマーとチャズ。
ゲストでは他に、Jack Casady とSteve Winwood が、いてVoodoo Chile のセッションの模様を語っています。

1967年から1968年にかけて製作されたこのアルバムは、全米ツアーの合間をぬってスタジオで録音したというハードなものだったようです。除け者にされる、ノエル・レディングは、ジミと呼ばず、ヘンドリクスと呼んでいるのが象徴的。

知っていることもあれば、新しい発見もあり。セッションの映像が残っていたりするのですね。
Little Miss Strange は、思ったとおり、ワウワウは、ジミですが、あとのギターとベースはノエルだということだそうです。All Along The Watch Tower にDave Mason が12弦で参加しているのは知っていましたが、ジミもアコギの6弦を弾いているのですね。パーフェクト・リズム・ギタリストだと二人がほめています。
あと、ジミの手がでかい。左利きの彼は右手でネックを押さえるわけですが、親指でセーハできるほどだったと。
微妙なバランスのアルバムだったということが解りました。まあ、大概の人には退屈でしょうが。

Gypsy Eyes は、40テイクもやったとか。

オーヴァー・ダブの鬼だったと。

昨日の晩は、The Souther Hillman Furay Band を聞いていました。やっぱり、いいドラマーがいると違います。Eagles とどこが違うんだろうと思うのですが、あたりませんでしたね。
同じようなバンドが二つあってもしょうがないのでしょう。それと、イーグルスは、かなりハードなツアーをやったのでしょうかね。

何やっても、昔なじみに先を越される Ritchie Furay は、音楽止めて、自分で教会を作ってしまいましたが。
デヴィッド・ゲフィンの二匹目の泥鰌は当たらなかったというわけです。イーグルスのようなキャッチーで、一度聞いたら印象に残ると言う曲はないですね。

イーグルスは、私にとっては灰色の学生時代の思い出につながるので苦手です。

車の中ではDead を聞いていました。いつも代わり映えのしないものばかりです。

今晩からしばらく、Eddie Hinton を聞こうかなと。彼のソロ・アルバムが終わったら、セッションに参加しているやつですね。
結局、マスル・ショールズものを引っ張り出すと言うことですが。
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by nk24mdwst | 2009-09-17 17:28 | 音楽

so, all three's gone

Jime Hendrix のバンドのドラマーだったMitch Mitchell が亡くなりました。享年62歳。
Mitch Mitchell Dies at 62; Drummer for Jimi Hendrix
By BEN SISARIO
Published: November 12, 2008

Mitch Mitchell, the jazzy and versatile British drummer in the Jimi Hendrix Experience, died on Wednesday in a hotel in Portland, Ore. He was 62 and had recently finished a national tribute tour, Experience Hendrix.
http://www.nytimes.com/2008/11/13/arts/music/13mitch.html?partner=permalink&exprod=permalink
ミッチ・ミッチェルが亡くなって、The Jimi Hendrix Experience にいた三人は全員鬼籍に入ったというわけですね。

Buddy Miles も亡くなったし。

今日は、ジミヘンの日にします。

ミッチ・ミッチェルは、自然死だということのようです。ポートランドのホテルでなくなっているところを発見されたわけですが、Experience Hendrix(ジミの遺族の会社)による全米18都市を回るツアーの最後の都市で、それを終え、ロンドンに戻る休息中だったと。
やっぱり、ドラマーは、ヘビーな肉体労働だから寿命が短いんでしょうかね。Ian Wallace、先日は、Jimmy Carl Black も60代で亡くなってますから。
このツアーは、Billy Cox. Buddy Guy, Hubert Sumlin, Kenny Wayne Shepherd, Jonny Lang, Brad Whitford(Aerosmith), Robby Krieger(the Doors), Mike McCready(Pearl Jam),Los Lobos のメンバーといったオール・スターだったようです。
ミッチェルは1946年生まれですから1966-1970年という生きているジミと活動したのは20-24歳だったということですね。
かれは、その後いくつかバンドもやっていますが、エンジニアのEddie Cramer と二人でジミヘンの残した未完成テープを完成させるために一生を送ったようなものに思えます。

Room Full Of Mirrors の歌詞です。

I used to live in a room full of mirrors
All I could see was me
Well I take my spirit and I crash my mirrors
Now the whole world is here for me to see
I said the whole world is here for me to see
Now Im searchin for my love to be
Hey!!

Yeah yeah yeah yeah yeah!!!

Rubber glass was all in my brain
Cotton screamin crying in my head
Rubber glass was all in my brain
Just the thought of my dreams cut me in my bed
And just the thought of my dreams cut me in my bed
I said a makin love was strange in my bed
Yeah yeah yeah yeah yeah!!!

All right
Ooo ooo
Yeah yeah yeah

Yeah yeah yeah
Yeah yeah yeah
No place stumpin
No place far
Cant find the floor
No where at all
See nothing but sunshine
All around

Love comes shinin over the mountains
Love comes shinin over the sea
Love wont shine on my baby
Then Ill know whos exactly for me
Lord, Ill know wholl be for me
In the meen time, which is a groovy time

頭の中のゴム・ガラス・・・。例によって、意味があるようで意味不明。
FZもいつも録音していましたが、生前のジミも膨大な録音があってブート等で出回るわけです。
でもジミヘンの歌は、演奏と組み合わせで聞くべきなどとすると、彼自身がまとめきれないというのが実情だったと感じます
彼に能力がなかったというよりは、高い完成度を求めたのはともかく、制約を取り払われると切りがなくなったのでしょうね。
だから、Chas Chandler のプロデュースというかコントロール下にあった最初の二作、つまり、Are You Experienced?, Axis:Bold As Love はコンパクトにまとめられ捨て曲がなくて間違いないですね。

ボールド・アズ・ラヴの方が、自分のスタイルが出てきています。デヴュー作の方は、ヒット曲も多いですが、R&Bのフォーマットの延長線上にある曲が多いかなと思います。
彼のフィード・バックのかかったギターにだまされてしまいますが、曲自体はシンプルです。

Electric Ladyland になると自由度が増したのはよいのです、それから、演奏レベル自体も悪くない、ただ、アルバムの統一性が・・・などとないものねだりをしたくなります。

あとは、やたらとブートとライブがありますが、Experience Hendrix, L.L.Cの Complete The Experienceと題したディスコグラフィにあるもの以外には手を出さないということでしょうね。泥沼を望むのでない限り。

それから、このリストの中のコンピレーション物は、それぞれそれにしかないものがあるのですが、4枚組ボックスだけにしておくべきでしょうね。
ライブは、出来不出来があるので難しいところです。Band Of Gypsys とLive At The Fillmore East は、異なるテイクなのですが、生前に出た前者より、後者がよいです。
Live At Berkley は、出来が良いという定評のあるものですが、個人的な好みからいうと・・・。

Live At Woodstock は、ベースとドラム以外は場壊しとしかいいようがない、特にリズム・ギター、というわけですが、このCDヴァージョンはそのあたりを上手く処理してあって、チューニングの狂ったサイド・ギターがほとんど聞こえなくなったいるのです。
誰もいないといってよい野原でのジミの早朝演奏は、Duane Allman のFilmore East Last Live(平日で関係者しかいず、デュエンがしけるぜとか言うのですが)と同様、独特の熱気を感じます。
映画のあのフィード・バックの音だけをイメージしていると、案外儲けものだなと感じるのですね。

ただ、ストックホルム・コンサートやアルバート・ホール・コンサート等に関してはこの中に全体を通したものがないのですけど。
ロイヤル・アルバート・ホール・コンサートでは、当時Traffic のDave Mason, Chris Wood が飛び入りしています。

Vulcan という故クリス・ウッドのソロ・アルバムを入手したのですが、最後の一曲はJim Gordon のいるTraffic のアウト・テイクでありました。

今日は、クリス・ウッドあたりから話を始めるつもりだったのですが・・・
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by nk24mdwst | 2008-11-14 09:52 | 音楽

eddie, are you a song writer?

押し売りAmazon.Com が、無人島へ持っていく音楽という趣旨の本を薦めてきました。
要するに、マイ・フェイヴァリット・アルバム10を選ぶということなどだと思いますが、天邪鬼な私は、余計なことを考えるわけです。

三食昼寝付き、空調完備の無人島かなって。

無人島であれば、ロビンソン・クルーソーじゃないですが、まず、生き延びるすべを見つける必要は無いのかって。

CDだのLPだの携帯音楽プレーヤー、PCでも構いませんが、いずれにしろ電化製品であるわけで電源があるのか。
無人島へ持っていくという条件なら、本でしょう。

無人島へ持っていきたいスポーツ・カーなんて本、あり得ますかね。

フェイヴァリット・テンなんていうのは選ぶのは、実は至難の業ですね。昔、LPを2,30枚しか持っていない頃は、全部、聞き込んでいて、一曲終わると次の曲のイントロが頭に浮かんだものですが、最近のボーナス・トラック付きリマスターがオン・パレードなんて状況では、何を聞いているのかわからなくなるというか、何を聞くべきなのかわからなくなってしまいます。

まあ、家人に言わせると何百枚CDがあろうが、全部同じに聞こえるのだそうで、それはそうだろうなとも思います。
このあたりの購買者のプロファイリングをして要らざるものを交わせるのがアマゾンの手口ですね。購買中毒になります。

棺おけに入れる三枚・・・当市の斎場では棺に遺品を入れるのを非常に嫌がるのですね。CDなんか入れるとダイオキシンが出るなんていわれそうです。

そうすると、骨になってから墓へ入れてもらう三枚というあたりでしょうか。

もうひとつ、自分の葬式にかけて欲しい曲なんて選択もあります。

Jimi Hendrix のPurple Haze あたりをかけると顰蹙でしょうかね。

三曲の候補というのは、考えています。
Allman Brothers Band のLittle Martha、Derek & The Dominos で The Thorn Tree In The Garden、あとの一曲は、ジミのAngel かな。

最初の二曲は、どちらもDuane Allman が加わったアクースティックもので、ギターが三人スタイルですね。前者はインスト、後者の歌は、Bobby Whitlock です。

ジミの「エンジェル」の方は、ラブ・ソングかなという感じがしますけど、同様の曲想のLittle Wing の方は、ドラッグ・ソングのようにも思えます。
Slim Gaillard の Gomen Nasai というのも悪くないかなと思ったりしまして。

まず、リトル・ウィングの歌詞です。

     Little Wing

Well she’s walking through the clouds
With a circus mind that’s running round
Butterflies and zebras
And moonbeams and fairy tales
That’s all she ever thinks about
Riding with the wind.

When I’m sad, she comes to me
With a thousand smiles, she gives to me free
It’s alright she says it’s alright
Take anything you want from me, anything
Anything.

Fly on little wing,
Yeah yeah, yeah, little wing

彼女が雲の中から小さな羽根をつけて歩いてきた。天使のイメージではありますが。
circus mind というのが難物ですね。
蝶やシマウマ、月の光、おとぎ話と一緒にぐるぐる回る・・・

セカンド・ヴァースで、寂しいときに彼女はやってきて笑いかける。何でも思いのままよ。小さな羽根で飛びなさい。

飛ぶというイメージは、やはりクスリを想起させます。
Dominos のヴァージョンでは、クスリでぶっ飛んでいるDuane Allman のギターが非常にロマンチックな情感たっぷりに聞こえたりするのですが、ジミのオリジナルでは、ヴァースの間でディストーションのかかった不協和音が入るのですね。
不安感を強烈にイメージさせます。

さて、エンジェルはというと。

     Angel

Angel came down
From heaven yesterday,
Stayed with me just long enough
To rescue me....

And she told me a story yesterday;
About the sweet love
Between the moon and the deep blue sea.

Then she spread her wings high over me.
She said, ‘I’ll come back again to see you tomorrow....

And I said fly on, my sweet angel.
Fly on through the sky.
Fly on, my sweet angel.
Tomorrow I’m gonna be by your side....

Sure enough,
This woman came home to me.
Silver wings silhouetted against a child’s sunrise....

And my angel,
She said unto me,
’today is the day for you to rise.’
Take my hand, you’re gonna be my mind,
And she took me high over yonder.....

And I said fly on, my sweet angel.
Fly on through the sky.
Fly on, my sweet angel.
Tomorrow I’m gonna be by your side....

昨日、天国からエンジェルがやってきたという始まり方です。自分を助けにやってきたと。

このエンジェルをドラッグと捉えるか、現実の女性として捉えるか。
こちらの方は、天使のような女性なのだと考えたいのです。
ジミの永遠のラブ・ソングで、つまり、まだ見ぬ恋人へのラブ・ソングだから、イギリスに渡って直ぐのころからこの曲に取り組んでいたのに、亡くなるまで、完成した曲としてジミが発表することはなかったのですね。

しかし、1988年のFZのビッグ・バンドは大したものだ。彼は、晩年、大急ぎで仕事を纏め上げてあの世へ行っちゃったのは事実ですね。
FZなら、ジミヘン的な感傷も笑いのめすだけですけどね。
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by nk24mdwst | 2008-05-18 14:22 | 音楽

it can happen nowhere, but

Blues をテーマにした詩です。Mark Riesenberger の作です。

      Whiny Woman Blues

(to the music of Lightnin’ Hopkins’ classic 12-bar ‘Morning Blues’)


Woke up this mornin’ with them whiny woman blues
Yes, woke up this mornin’ with them whiny woman blues
Lord, knowin’ this woman’s got me payin’ my dues

You know she troubles my nights with all those sad songs
You know she troubles my nights with all those sad songs
How to love a woman who’s been done too many wrongs

Woke up this mornin’ with them whiny woman blues
Yes, woke up this morning; with those whiny woman blues
Lord, she just needs some respect and I can’t refuse

She’s been through the hurt and understands my own
She’s been through the hurt and understands my own
Our lives ain’t been perfect but they’re all we’ve ever known

Woke up this mornin’ with them whiny woman blues
Yes, woke up this mornin’ with them whiny woman blues
Lord, I finally found somethin’ I don’t want to lose

Lightnin’ Hopkins のブルース・クラシック ‘Morning Blues’ に習っているというか、その節で歌えるというわけです。

whiny woman とうのは、文句ばっかりいってる女性って意味ですが、語り手の連れ合いは、そういう女性で、それを愚痴っているわけです。
でも、人間は、そう簡単に別れられるものじゃないってことですね。本当に大事なものは何か。

Woke up this mornin' 、つまり、朝起きると、というフレーズで始まるブルースは、星の数ほどあるわけですが、これはブルース・クリシェというよりは、Delta Blues その他ブルース誕生時以来、それを歌っていた人、聞いていた人たちの地域社会で広く共有されていた音楽的財産ともいうべきものでしょうね。

多くのブルース・ギター・リックも同様だと思います。

12-Bar Blues、つまり12小節ブルースというのは、最初の4小節でテーマを提示、次の4小節で通常、これを繰り返し、三連目の4小節で締めるというブルースのもっとも基本的スタイルです。

このスタイルは、聴衆を前にして初期のブルース・マンが、客に合わせていくらでも話を広げられるというスタイルでもあったわけですね。

Mark Riesenberger は、このブルース形式自体をタイトルにした詩を書いてます。

      12-Bar Blues

There are some nights, like tonight,
when only the Blues will get me through,
especially when Elmore’s ‘Sky Is Crying.’

Sonny Boy’s Blues harp is moaning
‘Sad To Be Alone’ and Jimi bares his ‘Bleeding Heart’
while Muddy’s whiskey voice is telling me
‘You Can’t Lose What You Never Had.’
Little Milton’s ‘Walking The Back Streets And Crying’
and Howlin’ Wolf is ‘Moaning At Midnight.’
Freddy asks me ‘Have You Ever Loved A Woman’
while John Lee is begging ‘Baby Please Don’t Go.’

And listening from down below, and smiling,
Is RJ, who met his Devil at the ‘Crossroads’
and sold his soul for a bottle-neck guitar
and thirty songs, holy scripture of the Blues.

誰もが知っているブルース・マンと代表曲が出てきます。

Elmore James, Sonny Boy Williamson Ⅱ(Sad To Be Alone が採り上げられているので、Rice Miller の方ですね。)、Jimi Hendrix,Muddy Waters , Little Miton, Howlin' Wolf, Freddie King, John Lee Hooker、そして、RJ こと Robert Johnson 。

ジミ・ヘンドリクスをいわゆるブルース・グレートの列の中に入れていることについては、異論もあるでしょうが。
ロバート・ジョンソンは、悪魔に魂を売ったかどうかは別にして、30曲余りの録音しか残っていないのは、紛れもない事実です。

クロス・ロードで悪魔に会うとか、悪魔と取引して人間技を超える歌声やギターの腕前を身につけるという話も、ディープ・サウスに広く伝わるフォークロアというか伝承説話です。

ロバート・ジョンソンは確かに、何度聞いても凄いと思います。どうやって弾いているのかわからん。かつ、同世代、マディやウルフ、Son House なんかとは交流があったわけですが、彼らと同じ伝統の上に立っているのは間違いないのですが、完全に独立したスタイルを確立しているのです。

ロバート・ジョンソンは、アラン・ロマックスが探しに来たときには既に殺されていて、彼の残したレコーディング自体は同時代のブルース・マンに直接的影響を与えていません。

マディたちが、1940年代半ばにシカゴに移り、シカゴにアーバン・ブルースが誕生するのですが、アーバン・ブルースに直接的な影響を与えているとは必ずしもいえないと思います。

ロバート・ジョンソンは1960年代初頭のフォーク・ブルース・ブームの中で発見されるのです。それを受けて、Joe Boyd を含むハーヴァードの学生を含むチームが南部へ行き、半世紀あまりも歌うのを止めていたサン・ハウスを発見するという次第です。

ロバート・ジョンソンをもっともよく研究したギタリストは、おそらくJohn Fahy を嚆矢とするのだと思います。

イギリスでは、同時期にブルース・ブームが起こります。アメリカで白人聴衆の間で人気を博していたBrownie McGhee(guitar, vocal) とSonny Terry(harp)のコンビの渡英がきっかけです。

注意しておかなければならないのは、1940年代に既にジャンプ・ブルース・スタイルでエレキ・ギターやサックスを入れたバンドで演奏していたサニー・テリーたちは、白人インテリ聴衆の要求に合わせて、アクースティックな「フォーク・ブルース」を50年代終り頃からやることにより、人気を博したということです。

ブルース・マンは、昔から客に合わせるのが常、求められたものは何でもやるのがプロというものだと思います。だから、マディがニュー・ポートでエレキを捨てさせられてもそれはそれでよかったのだということにしておきましょう。

サニー・テリーたちが体調を崩した時期があったせいで、サニー・ボーイやマディがイギリスに渡りました。彼らは、普段のシカゴ・スタイルのエレクトリック・ブルースをやって見せイギリスの青少年に強力なインパクトを与えたわけです。
かくて、イギリスに一夜にしてエレクトリック・ブルース・バンド群の誕生するということになったのです。

マディ・ウォーターズはイギリスの連中のブルース好きについて
'They loved blues so badly and played so badly.'と後年語っています。

イギリスでは、Bluesbreakers でECの前任ギタリストだったTony McPhee は、より「ピュア」なアクースティック・ブルースをやろうとしてバンドを去ったわけです。

ジミ・ヘンドリクスは、シアトル生まれで、レコードやラジオでR&BやR&R,C&Wに親しんでいたかもしれませんが、ディープ・サウスの出ではないので、隣人がブルースをやっているという環境になかったと思われます。
chitlin' circuit を色んなバンドの一員として回っているので、肌で覚えること自体はできたのだと思います。

ディープ・サウスの出ではないジミにとって、イギリスに渡り、ブルースの王様として崇められることには大きな抵抗があったのではと推測します。Bob Dylan を聞いてるブルースの王様ですよ・・・


>Is RJ, who met his Devil at the ‘Crossroads’/and sold his soul for a bottle-neck guitar/and thirty songs, holy scripture of the Blues.

ロバート・ジョンソンのボトル・ネック・スタイルは、Charlie Patton の流れを受け継ぐものであるのは事実なのですが、つまり、Deep Delta Blues の正当な流れを受けついているのですが、左手のフィンガリングを併用しているのですが、その技術とスタイルは同時代、同世代の連中(マディやウルフは、ちょっと若いだけなのですよ。)とは全く異なります。

フィンガリング・スタイルは、それこそ北部へ行って身につけた可能性が高いのですね。
アラン・ロマックスは、ロバート・ジョンソンの代わりにRobert Jr. Lockwood を連れ帰ります。ロックウッドは、RJとは10歳ちょっとしか違いませんが、義理の息子、つまり、ロックウッドの母親とRJが仲良くなったというわけです。

人間関係はともかく、ロックウッドがRJから手ほどきを受けたのは事実ですし、ロックウッドはシングル・トーンで演奏する最初のエレクトリック・ブルース・マンになるのです。

しかし、気ままに思いつきで書いていると本当に好きなアーティストのことをちゃんとかけなかったりするから困ります。
Richard Thompson, Sandy Denny, Bert Jansch(半年前と正反対の見方をするようになっているのですが)、Faiport Convention (Byrds, Beach Boys の影響を受けたグループがThe Band の登場によりどのように変容したか)、Stever Marriott, Eddie Hinton、それにVan Morrison のことを登場させられません。

あと、Gene Clark かなあ。

Ry Cooder のInto The Purple Valley は、高校時代にコピーしていたのですが、彼に対する見方も今は全く変わっています。

当時、ピアノで一緒にやっていた、James Luther Dickinson の方が最近は、ずっと気に入っています。ぶっ飛び親父になってます。
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by nk24mdwst | 2008-05-09 11:45 | 音楽

real meaning

april fool の本当の意味かどうかはともかく、少なくとも私にとっては、4月の意味がわかったような気がします。
4月末日を前にした今日、休日なれど、通常なら仕事をしているはずなのに自宅のベッドでPCに向かい、あるブログを読んでいて、今、ふと気がつきました。

4月は、キ印には、大きな関門なのだと。実体験が言わせます。

この数日のこのブログは、Jimii Hendrix と FZ 、1966年に関する詩をコピペ、わけのわからんことを書いていて、本当に馬鹿には付き合いきれません。
一昨日は、英語しか並んでないし。

Ventures と同様、シアトル出身のジミヘンの歌を一つ。
意味がわかるとは言いませんが、美しい詩だと思います。ドラッグがどれほど関係しているかはわかりません。

      The Wind Cries Mary


After all the jacks are in their boxes
And the clowns have all gone to bed
You can hear happiness staggering on down the street
Footsteps dressed in red
And the wind whispers mary

A broom is drearily sweeping
Up the broken pieces of yesterdays life
Somewhere a queen is weeping
Somewhere a king has no wife
And the wind, it cries mary

The traffic lights, they turn, uh, blue tomorrow
And shine their emptiness down on my bed
The tiny island sags down stream
’cause the life that lived is,
Is dead
And the wind screams mary

Uh-will the wind ever remember
The names it has blow in the past?
And with this crutch, it’s old age, and it’s wisdom
It whispers no, this will be the last
And the wind cries mary

ジミ・ヘンドリックスは、幸いにしてリアル・タイムで知っているアーティストです。
1970年9月に亡くなっているので生前に発表されたのは、Are You Experienced、Axis: Bold as Love の二つが1967年、1968年にElectric Ladyland のスタジオ録音ものが三作、あと、ベストのSmash Hitsが出ているだけです。
1970年4月にThe Band of Gypsy の同年1月1日におけるFillmore Live が出ていて、あと、モンタレー・ポップとウッドストックの映画、サントラについては、前者の映画は出ていたはずですが、サントラは微妙ですね。

この後膨大なレコード、CDが現れては消えていきます。
版権等について色々トラブルがあったこと、録音マニアでやたらと未編集、マスタリングされない音源が存在したこと、それにブートレッグが星の数ほど。

全部、ごみだと思っていいと考えます。
Allan Douglas がやった仕事はひどいものだと思いますし。

逆に、ジミの生前、自らが関与して出したアルバム三作は、ノー・フィラーといって良いと思います。

一作目は、Chas Chandller のプロデュースで曲それぞれの完成度は高いと思いますが、ジミの本領というかジミがまだ自身のやりたいことを模索しているというところです。まあ、ずっと模索している人なのですが、チャスが、余計なものをそぎ落としてすっきりさせています。逆に、ジミのルーツということに私自身は抵抗を覚えますが、ジミが南部でドサ回りしながら身に着けたR&B,R&R,Bluesの伝統、延長線上にあると位置づけることが出来る曲が半分ほどかなと。

Electric Ladyland は、1968年作なので1967年に私が買えるはずはないわけですけど、とほほ、1968年にティーンネイジャーになったばかりの私が買得たということですが、ここではゲストも多彩ですが、逆にNoel Redding がもう嫌気をさしていたりして、さらにジミの試行錯誤がまとまっているとはいえないものですね。

というわけで、今日歌詞を採り上げたAxis: Bold as Love がベストということになるのかなと。アクシス・アウト・テイクスなんてものも出ていますが、手を出してはいけません。経験者は語る、ということです。

ですから、スタジオ・アウト・テイクなんかに手を出すのは愚の骨頂です。ライブものは、出来不出来が激しいのでどれをともいえません。
あと、Jimmy James 時代に、つまり、イギリスへわたる前に色んなR&Bバンドのメンバーとして参加していると称されるものにも、一切手を出さないことです。

今はDVDも加えて5枚組みの紫色のボックス・セットがありますが、あれは、ひどい演奏や録音はないし、オリジナルとも基本的にはダブらないので悪くはないですけど。

でも、あのボックスの中で価値のある曲は、一曲しかないと思っていたりしまして。
Angel です。Rod Stewart がヒットさせたって後で知りました。
ロッドは、ソロで最初の三枚目(Every Picture Tells A Story)までは、嫌いじゃなかったのですけどね。

「エンジェル」は、生前、ジミがもっとも大事にしていたと思われる曲ですが、結局、完成したトラックを残せませんでした。First Rays of Rising of the New Rising Son に後年、Mitch Mitchell 、Eddie Cramer がまとめたヴァージョンが入ってはいますけど。
Little Wing とセットというか、本体はAngel の方だと感じます。

1966年にアルバムを二枚発表し、次のエレクトリック・レイディランドまで2年弱かかっています。

後からアウト・テイク等で軌跡をたどると多くの曲について長い間暖め続けていたことがわかります。ボックス・セットは、ライブ音源も含めてそのあたりのところをうまくまとめてくれてはいますが。

要するにいろんな面で煮詰まっていたわけですね。Joe Boyd 曰く、あまりに多くの人を喜ばせようとしすぎたからだと。

ジミヘンが歯で演奏したり、ギターを背中に回して演奏したりするのは、Blues の伝統の中で言うと、Charlei Patton 以前からみながやっていたことです。T Bone Walker だってやってるし、Howlin' Wolf は、190センチを超える巨体でカーテンをよじ登ったという話です。

対照的なのがFZです。

1 the mothers of invention: freak out! (1966, 2lp, usa, verve)
2 the mothers of invention: absolutely free (1967, lp,usa, verve)
3 the mothers of invention: we're only in it for the money (1967, lp, usa, verve)
4 frank zappa: lumpy gravy (1967, lp, usa, verve)
5 the mothers of invention: cruising with ruben & the jets (1968, lp, usa, verve)
6 the mothers of invention: mothermania (1969, lp, usa, verve)
7 the mothers of invention: uncle meat (1969, 2lp, usa, bizarre)
8 frank zappa: hot rats (1969, lp, usa, bizarre)
9 the mothers of invention: burnt weeny sandwich (1970, lp, usa, bizarre)
10 the mothers of invention: weasels ripped my flesh (1970, lp, usa, bizarre)

同時期のFZのペースです。
録音マニア同士でも大した違いです。

Freak Out!の曲の中には、1950年代後半にオリジナルをさかのぼれる物もあり、基本的には、ニュー・ヨークのGarric Theater でのMothers のレパートリーとして1965年間で二完成されていたものではありますが。

ガリック・シアターのオーナーがDavid Lee Roth の親父だったなんてどうでもいいでしょうけど。

FZは、1960年代に自らの作風をかなりの程度まで完成させるわけですが、それは、必ずしも、彼一人の力によるものではなかったのは確かです。
特に、60年代後半においては、Don Preston, Ian Underwood, Art TrippⅢ, Bunk Gardner といった正式にクラシック音楽の教育を受けたメンバーのアイディアや演奏にヒントを得ているところは少なからずあるはずなのですね。

まあ、FZは、アントレプレーナーなので常に、自分で資金調達をしてやりたいように音楽を作曲し、編曲し、講演し、録音したわけです。他方、Jimmy Carl Black に代表されるように、バンドの他のメンバーは、ロック・スターとしてもてたい、それ以前に生活しなければいけないという状態だったわけです。

後年のメンバーはともかく、このオリジナル・マザーズの面々をFZが雇用していたというのは、おそらく法的にはそうだったのでしょうが、複雑な関係だったというべきです。

あまたの訴訟の起因ともなるわけですね、これが。それから、ZFTと元メンバーやファン・サイトとの揉め事もこの辺りに遠因がある。

全ては、Royalty の話になるわけです。ジミー・カール・ブラックが子供が養えないって文句を言って辞める訳です。Ray Collins が最初ですけど。

レイ・コリンズの代わりにというと変ですが、取り巻き立ったLowell George が加わるのですが、Ruben & the Jets を録音したときのメンバー並みの歌唱力をMothers ないしザッパのバンドが持つことになるのは、Flo & Eddie 時代を除くと80年代のバンドを待たねばなりません。

しかし、ジミヘンの歌、The Wind Cries Mary は、風がMary と叫ぶっていうところ以外、意味不明だし、そもそもこのタイトルがわからんですね。

>A broom is drearily sweeping/ Up the broken pieces of yesterdays life/ Somewhere a queen is weeping/ Somewhere a king has no wife/ And the wind, it cries mary

FZは、Byrds, Peter Frampton, Who(Roger Daltry), Jimi Hendrix, Cream, Steven Tyler その他色々、実名を挙げたり、あるいは、その演奏を模したりして悪意ある悪ふざけをしていますが、例外といえるのが、Beach Boys だと最近気がつきました。

しかし、いくらFZの購入歴があるからといってEdger Varese のアルバムを買えといってくるアマゾンもひどい。

FZについて私がどう感じているかなんてどうでもよいことですが、結局、最初が良かった論を採るか、年を経るにつれ音楽家としての円熟度が増したと捉えるか、常にここへ戻ってきます。要するに術中に、はまっているだけなんですけどね。

客観的に評価できるほど対象化できていないもので気分次第で考え方が180度変わるのですね。まあ、危険物だから、少なくとも私にとっては、しばらく遠ざけておくべきなのでしょう。

Whippin' Post やPuple Haze のザッパ版は、面白いのですが。

FZの毒は、結局、自分自身に回ったのかな?!
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by nk24mdwst | 2008-04-29 13:25 | 音楽

1966

David Barlow の1966年についての、モノローグ。

Jimi Hendrixを含む、1966年のヒット・チャートのところだけ抜き出そうかと思ったのですが、全部、引っ張りだしました。


        1966 (A Monologue)

Thank you to David Harris for the idea for this piece from his Work Summer of 63 (A must read.)


As David says at the start of his Piece everyone will have a year they never forget. Well I think he is right and for a number of reasons mine is 1966.

I was 18 and King of the Hill in 66, knew it all, but knew nothing at all.

Things that happened to me and around me, World events, People and the Music, all effected me at the time and influenced my life, some of it stays with me even today.

To set the scene in January 1966 Harold Wilson is Prime Minister, Lyndon B. Johnson is President, the Vietnam War is raging. Carnaby Street in London is the place to be seen and to get the latest World leading Fashions. Mary Quant is Queen, Twiggy Models and George Harrison gets Married.

The Music had been amazing throughout the Sixties but 66 was a good year. The hit makers in 66 were. The Beatles, The Rolling Stones, The Kinks. The Beach Boys, The Supremes, The Temptations, Jimmy Ruffin, The Four Tops, Dusty Springfield, The Mamas & The Papas, Frank Sinatra, Wilson Pickett, Hermans Hermits, Dionne Warwick, The Mindbenders, Bob Dylan, Donovan, The Monkees, Percy Sledge, The Hollies, The Lovin’ Spoonful, Simon and Garfunkel, Stevie Wonder, The Byrds, James Brown, Otis Reading, Jimi Hendrix, The Isley Brothers, The Who, Ike and Tina Turner, Spencer Davis Group, Junior Walker & The All-Stars, The Small Faces, The Troggs, Manfred Mann, Nancy Sinatra, The Walker Brothers, Jackie Wilson, Cher, The Chiffons, The Animals, Ray Charles, Neil Diamond, The Four Seasons, The Righteous Brothers, Sgt. Barry Sadler, Lee Dorsey, Mitch Ryder, The Rascals and our very own New Vaudeville Band, to name just a few. Wow just reading that list back blows my mind again and there were so many more wonderful Artists around on the Motown and Country & Western labels alone.

I played in a Group of course, it seemed like everyone did at that time, we were called “The Jailbirds” and no we had not “done time” it just seemed like a well hard name. I was lead singer and my friends Ron, Al and Frank made up the rest of the Group. We did a lot of Chuck Berry, Wilson Pickett, Rhythm and Blues sort of stuff with some of our own Master Pieces thrown in like “Daves Date” or “Fuse Blues” about the night one of our Amplifiers blew up on stage. We wore Leather Bomber Jackets, Jeans and T Shirts, a sort of James Dean meets Elvis look. We were never going to hit the big time but we had a lot of fun and played some great Venues. We played at some of the places we used to go as 16 year olds to Dance and watch Groups so it was quite a thrill to go back to some of them as the main attraction. Most of the time our Van was broken down so we used to hire a Mini Bus. Many a night the Mini Bus was out on other jobs and the Bus Company would send a 52 seat Coach for just the 4 of us and a few random girls. I think people expected Glen Millers Band to be getting out not just four scruffs and some very beaten up gear.

Our claims to fame are very limited, we did get on a Newspaper cutting with Tom Jones and the Kinks at one Club. Not playing on the same night, we did the mid week low lifes nights but it was still a thrill. We played with a Band called Jed & The Mysteries who had just Toured with the Rolling Stones and we played the famous Elizabethan Ballroom at Manchester's Belle Vue where Jimmy Saville was DJ. It was all good fun, we even got paid sometimes. I still have the Press cutting and all our Songs with the running order and even some Groupie type Fan Mail.

In April 1966 I slept with a girl for the first time. It was a fumbling and clumsy sexual encounter with a girl called Maureen (18) from work. Neither of us had made any pretence of being in love, I guess we were both experimenting with Sex at that age. We were both virgins and didn’t have a clue so it was all a bit comical really. I was a promising young Footballer and had broken my Leg badly in a game a few weeks before this encounter so my left leg was in Plaster. During the course of the evening with passions running high I somehow managed to break the plaster. I spent most of the next day at the Hospital getting my Leg reset and trying not to explain exactly how I had broken the plaster. Although the encounter was a disaster I do remember the thrill of holding a naked woman next to me for the first time, I think I nearly fainted. We never went out again after that night, I can’t think why.

Sport and Football in particular was my life at the time and I was grounded with the Broken Leg and a number of follow up operations for over 5 months. I found that really difficult to cope with at times particularly as I also suspecting that my Footballing ambitions would have to change. However I did meet my first real love during this time Sandra Cullen (18.) We had an on off relationship for 3 years which was unconsummated, much to my regret. I learned a lot about the bigoted attitudes some people had and I guess still have about Religion. She was Catholic and I was nothing in particular but had been brought up Church of England. Her parents and the local Priest put enormous pressure on her to give me up as I was not Catholic. Some years after we had eventually split, Sandra Married a fellow Catholic. I learned much later that their Marriage had ended in Divorce a couple of years before my first Marriage ended the same way. It will always be a great mystery of life if we could have been happy and made a Marriage work.

Amidst all this angst I wrote my first Poem for Sandra called “My Love” sadly it has been lost to the world but the first line went.

“My love, my love, when you are near the pounding of my heart I hear.”

I have no idea where it came from as I was Mr Testosterone at the time and not prone to such out pourings but the few people who read it liked it and I was quite proud of it. This did give me encouragement to do more but it took me nearly 30 years to actually do that. I think the Testosterone got in the way again but that is another story.

Some really bad stuff happened in 66. In America Race riots broke out in New York, Chicago and Cleveland and a lot of people were still getting killed and maimed in Vietnam. In Britain a Coal Tip collapsed in Aberfan, South Wales killing 116 Children and 28 Adults. The Television pictures of all these events were harrowing and at times heartbreaking.

Also making the News was Chairman Mao who proclaimed a Cultural Revolution in China and launched his best selling Little Red Book. In the December of 66 Walt Disney sadly died but what a great legacy he left behind.

For English Football on the other hand it was a very good year.

On the 30th July 1966 England won the World Cup beating West Germany 4-2 after extra time in the Final at Wembley Stadium London in front of a packed house and a very proud Queen. The whole Nation came to a halt for the day with everyone sat in front of a Television Screen. I was on Holiday and watched the game on Television in Norway with some Norwegian friends (who were all supporting West Germany.) I will never forget that game or that day, it was a Momentous occasion for all of England and the celebrations went on for months. The Team (set out below) instantly went into Football folklore and gained folk hero status. They are all still household names today and most of them have been awarded Honours by the Queen.

Gordon Banks,

George Cohen, Ray Wilson,

Nobby Stiles, Jackie Charlton, Bobby Moore(Capt,)

Alan Ball, Bobby Charlton, Martin Peters,

Geoff Hurst, Roger Hunt.

Kenneth Wolstenholme (BBC Commentator)

Flying (to Norway) was another first, quite a big deal in 66, on a Plane with Propellers non of your fancy Jets. It was also my first Foreign Holiday. Though still in Plaster I had a wonderful time in Oslo and in the Countryside on the Fiords. It is a beautiful Country and I would like to go back there one day.

1966 was a good and very memorable year for me on the whole. It was all heady stuff for an 18 year old but in the main it was a great time to be young and English. It was a long time ago but it all made a deep impression on me at the time. It did effect my life and started to form the person I am today. I have no regrets. I would like to meet Sandra again, just to talk and find out about her life and maybe to put the record straight a little. I should have kept in touch with my fellow “Jailbirds” Ron, Al, and Frank. Maybe I will look them up and we can do a Reprise Tour of all the Nursing Homes, which is probably where most of our fans are now.

Just a minute,

Some people are on the Keyboard, ^%$^@() *^&($£&() +*(&*&^

They think it is all over, %$”*&£$&*) (^*) **^$

IT IS NOW.

1966年の12月、クリスマスに叔母にギターを買ってもらいました。The Monkees のベスト・アルバムを買ったのもこの年です。
Electric Ladyland は、翌々年、夏、買いました。
ポリドールのLPは音がひどくて、特に低音ですが、Voodoo Child のJack Cassidy のベースがほとんどよく聞こえませんでした。Steve Winwood のオルガンは充分聞こえましたけどね。
このアルバムでは、Traffic の連中は、ウィンウッドの他にDave Mason(Crosstown Traffic でtrafiicc!!! って叫んでいる他、All Along The Watch Towar のアコギ。このレコーディングには、Brian Jones もいたということですが、演奏する機会がなかった。)、Chris Wood(とにかく神出鬼没)が録音に参加してます。

イギリス人であるDavid Barlow にとっては、イングランドがワールド・カップ優勝した年としても忘れがたいということで、メンバーを上げています。疑惑のゴール事件については、触れないでおきましょう。

夕べの夜8時からスカパーのMusic Channel を見ていたら、Steve Stills & the Manasas, Delaney & Bonnie with Friends, Chicago Transit Authority, Doobie Brothers のドイツのビート・クラブでのライブ映像を流していました。Santana も。

Chris Hillman はやる気なさそうにグレッチのギターを弾いてました。構え方が、フラマン風に見えたのは、偏見のせいでしょうか。Byrds デヴュー当時の口パクビデオでのベースの構え方もフラマン風では、ありました。
Al Parkins と Dallas Taylor を見たので、まあ、よしというのがマナサス。

D&Bは、当然、ギターにECがいるわけですが、Jim Gordon, Carl Radle, Bobby Whitlock がちらりと見えたので満足しないと。
Derek & the Dominos は、好きなバンドであるといえます。歌とギターの人はどなたかがおっしゃったとおり聞こえないように耳を塞ぎます。Duane Allman のできも彼にしては明らかに平均点以下なので効いていて辛いのですが。

ただ、Allman Brothers Band も好きなバンドということで現在に至るまで集めてはいるのですが、二人のドラマーがちょっと、です。特にJohanson は、勘弁して欲しい。

シカゴは、まだトランジット・オーソリティがついているというところが味噌ですね。
Tom Johnston と Pat Simmons が頑張っている時代のドゥービーズは、FENで耳タコでしたが、ライブ・バンドとしての迫力はありました。同時期のLittle Feat あたりと双璧かな。

Fresh Cream が1966年に出てチャート・インしているのに触れていませんね。

The Beatles, The Rolling Stones, The Kinks, Dusty Springfield, Hermans Hermits, The Mindbenders, Donovan, The Hollies, The Jimi Hendrix, The Who, Spencer Davis Group, The Small Faces, The Troggs, Manfred Mann, The Walker Brothers, The Animalsと言う列挙されているブリティッシュ・アーティストの中に、Cream が入っていないですね。
バーロウは、自分もビート・グループ風のものをやってとモノローグ中にありますが、ジミヘンOK, EC無視・・・・ですか。

1966年がどういう年だったか、1965年とどう違ったかというのは、まだティーンネイジャーにもなっていなかった私にはわかりませんでした。田舎の小学生でしたから。

1966年も遠くなったので Hubert Wilson によるこんな詩も出てくるわけです。

       Musically Inventive Concealing Knight

For all my old friends at GCHQ and their unique use of chocolate bars.

Music with such swagger!
Piercing like a dagger!
But just what does he conceal?
Why so surreal?
What goes on behind the scene?
Why does he own an Enigma code machine?
Is there a family tie to Bletchley Park,
Or is this just a lark?
Once a student at the London School of Economics,
Not just one of the usual rock 'n' roll comics?
If he is not so bright,
Then why is he a knight?
Connected to Marianne Faithfull's father and his old profession?
Another question -
Ties to Michael Jeffrey, Jimi Hendrix's old manager,
Rumored to kill in his former profession of danger!
Was their stoned behavior and music sometimes incidental?
Was there on occasion something much more instrumental?
Just what other unknowns
Are there related to Sir Michael Philip Jagger of The Rolling Stones?

同感であります。
ストーンズは、Brian Wilson じゃなかったBrian Jonesをくびにしてロックンロール路線へ回帰するわけですけど、同時期のFaces や Humble Pie の方がはるかにストーンズらしい音楽をやっていたと思います。

ストーンズのハイド・パーク・コンサートなんて最低だもの。Mick Taylor は痛々しいほど上がってるし、ミックも駄目。

あのコンサートの主役は、前座をやったKing Crimson だったはずです。KCの公式デヴューなのですけどね。
DVDでハイド・パーク・コンサートを見ると(昔、私はNHKで見ました。ヤング・ミュージック・ショーというやつですね。)、KCのRobert Fripp が呆然とステージを眺めている一瞬があります。知らずに見ると、ストーンズの演奏に感心しているように見えるかもしれませんが、ローディに殴られるようにしてステージから引きずり落とされ呆然としているのですね。

このときのKCの演奏を聞くと、RFにしては、珍しくソロを聞かせているなって感じます。Ian McDonald, Michael Giles, Greg LakeがKCなのだと良くわかる演奏です。ギター、いなくてもいいのです。
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by nk24mdwst | 2008-04-28 12:33 | 音楽