人は、永遠には生きられない。永遠に続く今日を生き続けるだけなのだけど、それには、当然限りがあって、それがいつか、普通はわからないからなんとなく日々をすごしていられる。
一応、私は、半世紀以上、生きてきたわけで、これから先の方が短いことだけは確かです。何をすべきか。それを考えるだけで何もせずにすごすなんていうのありかもしれません。限られた人生なのだから、有益に使おう、などと殊勝なことを考えたりもする。 まあ、最低限、母親とかみさんの母親が存命なので、それより先に、この世からおさらばというわけには行かないと覚悟だけはしているものの、結果がどうかは神のみぞ知る。 今日もザッパを聞いているけれど、ザッパなんか50代半で、亡くなったし。ラヴィ・シャンカルは、まだ、生きてたとは知りませんでした。 生きている間は元気でいたいと思うけど、これだって解らない。とはいうものの、元気いられる間に何をすべきか。もちろん、こんな駄ブログ、書いているのが一番の無駄。 食って寝て、ボーっとして、それでいいか。もちろん、それは最高ですね。 ボーっとしてられるか。残念ながら、それは無理です。理由は簡単で、関与先のために働かなければならない。嘘です。自分の食い扶持(借金の返済)のために働かなければならない。これは、仕事があるだけましなのだけど、消費税率の引上げと同時に生活全般の危機に陥ることは目に見えてる。まあ、日本全体が沈没すると思っていますけどね。みんなで沈没するから恐くない?馬鹿いっちゃいけない。どこかの馬鹿のおかげで沈没の巻き添え食うのなんて真っ平御免です。だけど、所詮、私の稼業は、中小礼さ事業者のコバンザメなので、サメが死ねばおしまいです。 仕事って一応アウトプットなのかな。真面目に仕事しようとするとインプットが必要なのですけどね。 アウトプットとインプットのどちらに時間を割くべきかって考えてしまいます。経済成長が必要か論に通じる。ははは、得意のジャンプしたのでついてこられませんね。 人生の残された時間で読むべき本、聞きたい音楽、これがたくさんなある。このブログに少しそうやってインプットしたものをアウトプットしたい。原稿の締切りとかあって、とにかくそれが嫌で、これ、書いてるのです。原稿のテーマはとても難しい。簡単すぎて難しい。個人の価値判断や経験則、私の個人的な考えを求められていないので難しい。というか、やる気がわかない。2万字、あるわけじゃない殻、取り掛かったらすぐにできるという頭が半分。逆に、残りの半分は、誰が書いても同じ答えだから個性を出すのがとてつもなく難しい。個性って書くとかっこいいけれど、誰かの盗作、丸写しにしないようにするのは難しい。かれこれ4ヶ月抱えていて、出来野は、単なる天邪鬼。途中で、循環の新聞原稿を5回連載する羽目になって、毎週の締切りにあわせて原稿書いたりしたのだけど、あれは、テーマ自体は自分が選び、好きなように書いたから。 一本だけの約束だったのが、書くはずだった某有名弁護士が、飛ばしちゃったので、週末までに一本とかいわれて書いたのが運のつき。勝手に、続くなんて終わりに入れられたので続けざるを得なくなった。そのテーマとは違うやつを一本書いて、ごまかそうとしたら、一回お休みにして、次でおしまいなんて風に持っていかれたので、最後の総論的まとめを一本入れた。 本当は、ネタ集めはしてて、日本の消費税法の抱える問題点を比較税法の視点も入れて少し長いものを書こうと思ったのだけど、そんな余計な原稿が入ったので、消費税法再訪は、このブログにあるやつを全面利ヴァイズしたところでおしまい。アーロンとかペックマンの議論をいれ、さらに、イギリスのVATの話までぶち込むところまで行かなかった。 何をしたいかって話ですよね。このブログを始めた頃の気分に戻って、日本の税法を実務をやっているものの目から見直したい。そこに比較税法の視点を入れてやりたいというのが私の望みなんですね。学者は実務も知らないし、それほど新しい海外税制を勉強している人もいない。まして海外の税制の実際なんか知るわけないわけで、どれも浅いけどかなり客観的に広い視点からものを見ているのだと勝手に自分では思っているわけです。というか、私みたいなへんてこなやつは、日本にいない。色んな学会にも出たし、雑誌なんかに書いている人たちとも一通りの面識ができて感じたのがそういうことです。 財政学者は簿記も法律も知らないし、税法学者は実務を知らない。裁判官は税法知らずに判決書くし、税法知らなくても、税金かちあげる税務職員が一番。 何を書いてるんだろか。 インプットとアウトプットの話でした。意味ないアウトプットをしなければいけない、つまり原稿の締切りとか毎月の決算(意味がないことはなくて、納税義務の確定、多くの人の関わる出版だから私の個人的感情よりはるかに、重大だけど)に追われているので、インプットができない。いいわけです。インプットできないのはアウトプットに追われているから。だったらアウトプット早くやれ。あるいは、アウトプットしなくてすむようにしろですね。 ザッパのThing Fish 聞いてます。まあ、下らない話だけど、なんだか今の社会を四半世紀前に予言していたようなというか、その頃から既に十分に予見できたのだけど・・・政府の管理社会に対するザッパ的批評・・・これ、拒否反応のある人覆いと思う・・・なまじソフト・ポーンだったりするし・・・音楽自体は悪くない・・・とはいうものの、ベストでもなく・・・いや、これくらいは簡単にできたろって・・・ しかし、日本の今の歌、何を歌っているのか言葉が聞き取れない。ザッパのアルバムの歌、しゃべり、言葉はわかる。意味が全部解るとはいわないけれど、ストーリーくらいは理解できる。どこか変です。あ、Thing Fish 派ナレーション自体が、意味不明の黒人なまりの英語なので半分くらい解らなかったりするんだけど。ところが、何度も繰り返して聞いていると自然にわかるのですね。チョムスキー的な言い方ですが、人間の言葉だから、生来的に理解する能力があるってやつ。自然生成文法論って左翼思想なんだって思いますけど。 進化論における断続平衡説と同じ。 途中に特に説明もなく、進化論の話まで来てしまってて、どうしてこうなったのやら。 ちょっとお休み。 #
by nk24mdwst
| 2012-12-13 14:50
| 記憶
タイヤを冬タイヤに替えたら、ちゃんと雪が降りました。いや、その前から降ってたのでひやひやしながら走っていたのですけどね。
何を書こうか、頭の中に何もなし。仕事場では、朝からザッパが流れてて、今聞こえているのは、レイ・コリンズの歌声。レイ・コリンズ時代のマザーズ、やっぱり好きですね。特に最初の方、セッション・ミュージシャンを参加させている頃。 音楽感想文、書こうと思うとかえって、気楽に書けなくて。まあ、とにかく風は吹いてるさって。 秋からずっと宿題を抱えていて、今週の初めには上げている約束なのだけど、うーん。いや、やろうという気持ちは、あるのです。まあデモ・・・言い訳してもしょうがないので止めますね。 最近は、睡眠導入音楽無しに、9時過ぎに寝床に入ると直ぐに寝てしまう。朝、起きるのも遅くなってて6時半まで寝てる。ぼんやりしながらFBに、朝、起きた、眠いって書いておしまい。 We're Only in It for the Money は、やっぱり、傑作ですね。これが一番。Freak Out!との違い、Uncle Meat は、また違う、どこが、なぜ、なんて話、準備しないと書けないので。 ザッパのインストもの、私、好きですが、それもオーケストラの入ってるやつが好みであります。 初期のマザーズのギター・サウンドとパーカッション・サウンドってハリウッドでしか、それも当時のハリウッドだから作れた音です。ビーフハートのSafe As Milk も同じ音がするので好きです。ビーチ・ボーイズ、バーズ、ヴェンチャーズの音。ただし、金のかけ方はこっちが当然Bグレードなので。 ジョニー・サンドリンの自伝読んでるのですが、ダンヒルと契約したデュアン・オールマン率いるアワーグラスも当然、同じ音がします。ギターでデュアンが加わっているのは確かですが、他のメンバーはどれくらいレコーディングに参加してたかっていうと。 同時期のエアプレーンよりも演奏能力は高かったし、歌えた。スタジオ録音の経験もアラバマで積んでいるのだけど、ハリウッドではお客さんですものね。サンドリンは、ハル・ブレインを見て勉強になったって言ってます。ジョニー・サンドリンはドラム、キーボード、ベースにギターなんでもやってますが、自分ではちゃんとどれも一級品じゃないって自覚してる。 聞けば解りますが、バッファロー・スプリングフィールドもバーズもマザーズも同じギターの音がします。とても上手くて私はどれも好きです。速弾きがいいのではなくて、音を重ねるところがいいのですね。 ザッパのテーマとアレンジについて詳細に分析したものってありそうでないのですよね。同時代批評性の強い歌は、ソフト・ポーン言ってもいいのだけど、同時代性ゆえに古びるのです。80年前後のシンセを使った演奏も今、聞くと古臭い。デニー・ウォーリーのギターだけが凄い。 ロウェル・ジョージがドン・プレストンの和声をザッパが真似たって言ってますが、ドン・プレストンの最近のソロ・アルバムを聞くと納得できます。もちろん、知らない人が聞けばザッパ・スタイルでやってるって感じるんでしょうが、実際は、逆なんでしょう。 ここで起こるはずがないって言ってるから帰りましょう。 #
by nk24mdwst
| 2012-12-12 18:26
| 音楽
ジョニー・サンドリンの自伝、読んでます。邦訳でないでしょうね。ディスコグラフィーもちゃんとしてて、不備があると思うけど、これで今のところ我慢してねって。1960年代、アメリカのサザン・ロックがどうやってメインストリームに登場するか、その背景。要するに、彼のセミプロ時代の話は、ジョン・フレンチの本と共通するようで、環境の違いって大きいですね。
いつか、頭がすっきりしてるときに。 寝不足で頭が、ぼんやり気味。宿題あるのに、こんなもの書いているときか。 来年のことをいうと鬼が笑う。その前に、今月のタスク・リスト・・・こんなところに書くこっちゃない。 税金のことを書くか。日本は、一応、民主主義の租税国家だから、租税について語ることは政治について語ることで、うーんとこれも、いつもなら来年の税制改正大綱が出ててって話とか、海外の税財政改革状況とかって話なんだけど、ご承知のような日本の政治情勢。 しかし、キャリア官僚全体の能力が落ちていると思うな。学者っていってる人たちは明らかに知識と経験不足だし。役所から給料もらっている(私学も助成金があるって意味です)から、政府の政策に批判的な立場は確信的な人を除くとほとんどいないという悲しい状況です。 小学校時代の話、書きましたね。母方の祖父の話も書きました。2.26事件直後に亡くなっているけど、田舎の人なので、関係なんかないと思うのだけど。山王ホテルというのが一つだけ、気になっているのですね。 具体的に何と、まだ確信がないので。 中学の話、しますかね。 小学校時代は、本が好きでした。まあ、ずっとそうですけど。小学校6年生になる前から、週刊新潮、オール讀物、小説新潮は、読んでました。これもいつか書いたかな。祖母が読んでたから。子供が読んではいけないものだと勝手に思っていたので、祖母が読み終わって、縄で縛ってごみに出すために押入れに入れてあるのを解いて読んでました。本だけじゃなくて新聞の折り込み広告なんかと一緒に縛ってありました。思い出したけど、分別なんかしていないので、新聞の束の中から探し出すのが大変だったんだ。 理科とか歴史は、いわゆる事典をせがんで買ってもらって読んでました。玉川学園大学が昔、子供向けのシリーズを出してましたね。中学の図書室にあるのをみつけましたが、小学校のときに全部読んでました。 単に背伸びしてただけなので、小学生でスタンダールとかトルストイも読んだけれど、もちろん、中身がわかるわけではなく、つまらないことだけ解った。不幸な体験。祖父が小学校の音楽の教師だったことと関係があるのかどうかはともかく、小学校6年生のときにギターを買ってもらったときは、自分で教則本、買って練習しました。譜面、読めたのですね。 いやなに、学校で教科書に書いてあるようなことは小学校や中学校時代は、数学はともかく、全部知ってました。歴史は、中央公論から出てた日本の歴史シリーズ9冊ほど、中学2年のときに全部、読んでました。 なぜ、覚えているかというと、学校で悪いことばかりしてたので、母が、仕事中に担任に呼ばれ、その夜、家の近くだった担任の家へ行って説教されたとき、その書斎に同じシリーズが並んでいたので、全部読んだって言ったのを覚えているから。 記憶力だけは、良かったですね。読んだら忘れなかった。ノートを取るとか、線を引くなんてことをしたことがなかった。 試験の点数なんていうのは人間を図る意味では何の価値もないし、知識があるってこともたいした意味がない。自分の価値観でものを判断するかだと思うけれど、価値観って結局、親兄弟、祖父、あるいは、学校の先生によって養われるのですね。 一番影響を受けたのは、恐らく、中学校三年生のときの担任の先生だったと思うのですが、中学校の校長で退職した後、同窓会であったら、なんだこんな人だったのかって思った。というか、中学時代に知ってた人と変わってなかった。 中学3年生から見ると20代後半の若い先生は、大きな刺激だったけれど、私が40代半ばで、再開したときは、昔と変わらない青年のままだったということです。 あの中学時代の勉強スタイル、高校での放任主義って話、いずれします。 #
by nk24mdwst
| 2012-12-09 16:33
| 音楽
私の姓をXとすると、両親の姓は、Xと甲となるのが普通。父親がXだから祖父がX、祖母の旧姓は、違うのが仏だけど、なぜか、X。これは、どうも偶然であるようで、少なくとも六親等レベルの親族ではなかったようです。ただ、遠い親戚であったことは間違いない。田舎ですからね。
母の旧姓は乙で、これは母の祖母の姓と同じ。母の祖母と同居していた母の伯母夫婦の姓は丙でした。長女の母の姉と結婚した伯父は、本当なら養子になって家を継ぐという約束だったのだそうだけど、そうしなかったのだそうです。まあ、伯母夫婦には娘が二人で、二人とも結婚して姓が変わったので丙という家は、もう、なくなったというわけです。墓参りはしてますけどね。 祖母の姓と祖父の姓がが違ってたので、中学三年生はびっくり仰天したのです。母は、生まれて直ぐ祖父母の名前と共に、祖母の籍に入っていました。祖母自身が、「他家」という名前で曾祖父母は、養女に出すつもりだったようで、生まれて直ぐ、親戚で跡継ぎのいなかった乙という家に養女に出されています。乙という家は、伯父が継いでいれば残ってた。少なくとも伯父の世代までは。 母の祖父の姓を丙としますが、乙と丙の家の両方を残そうということで入籍していなかったようです。一種の足入れ婚だったのですね。そんなこと13歳には解りませんでしたが。母は、生まれて直ぐ、祖父の養女として入籍されてて丙の姓を継いでいました。ところが、まだ母が幼女のころに、祖父が急死し、母は、祖母の乙の姓に戻っています。これについて、母は、理由がわからず、納得がいっていないようです。 今、私が推測するに、祖父の家の家督相続の問題があって、将来的には母に婿を取るつもりだったのが予定が狂ったのでしょうね。祖父の生前に遡って、養子縁組を破棄し、別の親戚の男子を養子として迎えていました。 このあたりは、戦前の親族法における家督相続の考え方がわからないと理解できないということです。最初、私は、母が妾腹なのだと思いましたからね。 顔を見たことがない祖父の名前をグーグルで検索してみたら、祖父の祖父らしき人物の名前が県立図書館の県史の中にあることがわかったということです。その祖父と似た名前で同郷の人が書いた随筆が、中学校の教科書に載ってたので、なおさら、おいおい妾腹?って思ったのですが。 #
by nk24mdwst
| 2012-12-08 10:12
| 記憶
今日は、叱られました。叱られるだけの理由があり、やるべきことをやらない私が悪い。さて、だとしたら、こんなこと書き始めないで、やるべきことをやれという話か。
どこから始めるか。再開するべきか。中学時代を振り返る? 私が初めて、自分の戸籍謄本を見たのは、高校1年の入学式の前、入学手続のために提出するものを見たときですね。私の兄弟、両親、両親の祖父母が誰かということが記載されているわけで、当時は手書きでしたね。まあ、その中身を見て驚いてしまい、そのことについては、20年近く、尋ねることができませんでした。なぜ、そのような記載が行われていたのかは、大学時代の民法の親族法の講義の最初の方で、なんとなく理解しましたが、まあ、真の理由はそれ以上のものだったようで。具体的に書いても別にかまわないのだけど、残念なことに、当時の事情を母より詳しく知っていたはずの伯母が鬼籍に入ってしまい、真相は憶測でしかありません。 昭和一桁時代のころの話なので、現在の民法とは違うのだという前提があるので、母よりも私の方が事情については推測がつくのですけどね。家督相続制度だったからしようがなかったのだと理解しています。 母方の祖父は、写真しか知りませんが、亡くなったのは、昭和11年2月28日だったようです。2.26事件の年です。私の一家は田舎なので、東京とは関係ないはずですけどね。 この祖父の名前をグーグルで検索してたら、似た名前をみつけました。県立図書館蔵書で、県史をきちんと調べればもう少し解るのだということを知りました。 話は、変わりますが、昔の戸籍の出生届ってかなりいい加減だったようですね。亡くなった私の祖母は、12月28日生まれだということになっていますが、どうも生まれたのは1月であるようです。1月生まれだと丙午になるので、12月末で届けを出したのらしいですね。 またまた話が変わるのですが、私の本籍の住所がどこかということはともかく、その住所を示す知名に使われている漢字、具体的には熟語ですが、これが、普通に使われるものと違っているのです。正しい熟語ではなく、当て字をしているだけならともかく、使割れている漢字自体が、誤字なのです。漢和辞典には存在しない寺です。明治時代に戸籍を手書きで作った人が、漢字を誤って書いてそれがそのまま残ったというわけです。 一日(いちにち)と書くべきところを一旦と書いていちにちと読まそうとしているのです。さらに、旦と書けば、まだ漢字としては存在しているのに、旦の下にもう一本、線が引いてあるという具合でありまして。ワードでは出ない漢字です。 何で、夜中にこんな意味のないことを書いているのか。戸籍の字が誤字だということぐらいはどうでもいいけど、戸籍に登場する人物の記載状態等をこんなところに書ける訳もなく。しかし、本当に親族法の講義を受けるまでは、かなり大きな誰にも言えない悩みでありました。 そうだ、何で、小学校や中学校の先生は、生徒に質問するのか理由が、理解できなかったってはなしでもすればよかったですね。 百科事典少年だったのはともかく、文学全集なんてものは読んでない方が良かったなって、今は、思います。13歳向きじゃないですから。 デュマのダルタニアン物語から始めるべきでした。 #
by nk24mdwst
| 2012-12-08 02:21
| 記憶
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