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rainin', cold'n' pain

Talkin' to Myself

はじめに

今日は、私の中学生時代について書いてみようと思います。私の中学生時代は、ちょうど1960年代におさまるのです。あまり音楽に触れず、かつ、個人が特定されないようにプライバシーに触れず、書けたらお慰みということですね。

1.学校

 私の通っていた中学校は、それまで通っていた小学校と軽自動車が通れるほどの細い道を隔てた南側に校舎が建っていました。どちらも、どちらの学校の校舎も今は取り壊されて新しい校舎になっています。間の、細い道は、二車線に街路樹と歩道がついた道に拡張されています。
 私の家から中学校までは直線距離で1キロらいだったと思います。
 この細い道のところに自転車置き場の入り口がありました。記憶では、通学距離が2キロ以上の生徒が自転車通学を認められていたと記憶しています。

 当時、私の住む町には中学校は2つでした。今は、5校になっています。文部省の方針が変わったせいです。私が通っていた当時は、5校の小学校の生徒が集められた小学校でした
 校舎は、終戦直後の6-3-3 制に学制改革が行われた直後、物資不足の時代に建てられた校舎で安普請、隙間風が吹き込み、石炭ストーブが冬に教室内に入れられても少しも暖かくならないという校舎でした。ストーブの前の席は熱くてたまらず、残りのみんなは寒いというわけです。

 昔は、今とは違い、冬は積雪があり、学校の玄関前の広場や小学校との間の道の除雪をしたものです。授業を短縮して除雪することもありましたし、体育の授業が除雪の時間になることもありました。
 道が全て今のように舗装されているわけではありませんでしたが、舗装された道路で車が通るような所はすぐにアイス・バーンになったものです。そこで、学校帰りに、かばんを滑らして遊んでいたのだからのどかなものです。バスやダンプが通る道なのにそんな子ことをしていたわけですから。

2.授業

 クラスは45人前後、学年9クラスで三学年ですから、1,200人前後の生徒がいたわけです。小学校のときも1,200-1,300 人ほどでしたからそれが普通だと思っていました。小学校のときは、学年4ないし5クラス、6学年だったのです。
 当時、私の通っていた学校では誰の主導提唱によるものかは知りませんが、グループ学習形式による主体的学習が行われていました。具体的には、クラスを6人程度からなる班に分けます。8つ前後の班においては、班長を決め班ごとに掃除当番をする、などというのは当たり前ですね。

 国語、英語、数学、理科、社会といった科目の勉強も班ごとに予習し授業中には、互いに教えあうというのが基本でした。科目担当の先生は何をするかというと、基本的な勉強の進度のスケジュールを立て、理解の難しい所を教えるというスタイルだったと思います。
 個々の先生によってこのグループ学習というか集団学習スタイルの理解の仕方、得手不得手、それより、好き嫌いがあったのでしょう、班ごとに分かれているものの、普通の授業のように自分が中心となって教える人が過半ではありました。質問等を発する場合にグループを単位にするというくらいが普通だったように思います。ただ、グループ単位の主体的学習方針に忠実な人もいたのは事実です。

 今考えてみると、自分で学習でき、お互いに教えあい、それでもわからないところは教師に聞くというのはある種の理想刑かもしれませんが、それで、数学や英語のような生徒には未知の部分が本質である教科の教育を行おうというのは無謀だったと思います。
 私のような他人に強制されるのが嫌いなタイプには向いていた気がしますが、英語の授業をほとんどこれで押し通した先生もいました。

3.先生

 昔は、手を上げて殴る先生というのは少なからずいたものです。それはそういうものだと生徒も親も受け入れていました。暴力を授業中に振るうというと大げさですが、しかるときにぶん殴る、といっても、大概平手でしたからたいしたことではないのですが、それはそれで理由があるときに限られていたように記憶しています。

 ただ、いつの時代にもいろんな人がいて、なぜそこで、拳骨を振るうのかが判らない先生もいました。この手の人は、全校から恐れられていました。それはそうです、いつ何時どんな理由で殴られるのか予想がつかないのですから、遠くに姿を見かけたら近づかないようにするしかありません。

 思い出に残る先生の内の一人は、このような先生です。この先生は、体育教師だったのですが中学校一年生のとき、私をプールの足が底に届かない場所まで引っ張っていき置き去りにしました。泳げなかった私は、クラス全員の見ている前で、もがき、沈み、飛び上がって息をし、一緒に水を飲み、要するに溺れました。自力で何とかプールから這い上がりましたが、プール・サイドで吐いてしまいました。そのまま、医務室に直行し、午前中は、医務室で寝ていました。土曜だったのでお昼に帰宅しました。
 後にも先にも医務室で寝たのはそのときだけです。おかげさまで、それ以来、水が怖くて泳げません。いわゆる海軍式の鍛錬法ですね。親父は、不良上がりで海軍にとられましたが、戦後、水泳で国体に出たこともあるのですけれど。
 若いときに、水難の相があるといわれたのだそうで、一度も私に水泳を教えてくれませんでした。親父のことは私の本質につながる話なのでこれだけにしておきます。

 中学二年のときの担任の先生のことを書きます。この先生をなぜ覚えているかという、共働きだった私の母親を私の素行不良のせいで学校へ呼びつけたからです。それだけではなく、夜、自宅の近所にあったその先生の自宅に呼ばれて説教されました。何を説教されたかはよく覚えていません。勉強しているだけでよいというものではなく、ちゃんとルールを守らないとろくな人間になれないぞとかいわれたのだと思います。
 なぜ、このようなことになったかということです。冬でストーブが教室にあるときでした。図工の時間でエッチングをしていました。それで、各自、家から千枚通しのような先のとがったものを持ってきていたのです。当たり前のことですが、危ないものだから授業中以外はしまっておくように注意されていました。
 まあ、そこは悪童ぞろいですから、千枚通しや釘で遊びます。具体的には石炭置き場が人気が少なかったので、掃除の時間にあつまり、そこでダーツのように千枚通しを投げて遊んでいたわけです。だんだん距離も長くなり、変な自信をみんながつけだしたというわけです。みんなではなく、私がというべきでしょう。
 この後は予想がつくとおり、教室で同じことをするにいたるのは当然です。教室の後ろの掲示板くらいを的にしている分には問題なかったのですが、馬鹿だったんですね、教室で振り返ってみると黒板があったわけです。次の的は、黒板という次第。これも特に問題はなく、詰まらんなと。ここからが本当に大馬鹿者だと思うのですが、教室のストーブの煙突、当然、鉄製ですが、これを的にしてみたわけです。穴が開いていたら大変なことになったと思うのですが、幸か不幸か見事に煙突に跳ね返され、千枚通しは、下に落ち、ストーブの上においてあったブリキの洗面器を直撃しました。千枚通しはブリキには勝ったようで、洗面器には穴が開き、そこからお湯が全部漏れてしまいました。つまらんというのが私の感想でありました。ここで、終礼のベルが鳴り担任だったかの教師がやってきました。
 この日の当番は、なぜか私で、私が起立、礼と号令をかけ終礼の進行をするために先生の横に立っていました。私の後ろにはストーブがありました。型どおりに終礼が進む中で、その先生が洗面器を見ると水が無く、危ない、ちゃんと規則を守れといって洗面器を手に取りました。そして洗面器の穴を発見したというわけです。やったのは誰かとクラスに問いかけ誰も手を上げないので、そりゃそうです、やってないのに手を上げる馬鹿はいませんが、横で私が手を上げました。こう書くと、みなの様子を見て私が手を上げたようですが、先生の問いと同時に手を上げていたのですが横にいたので気づくのが遅れたという話です。
 なぜ、こうなったといわれたのでありのままを話しましたが、そりゃ、怒られて当然です。ひとしきりクラス全員の前で私に説教した後、先生が足元を見ました。教師の板の床の私の足元に数個の穴が焼け焦げた痕を残して開いていました。これは、なんだ、誰か説明しろということになりました。
 私が手を上げ、ストーブ用の火かき棒をストーブに突っ込み、半分くらい真っ赤になったやつを床に押し当て穴を開けたのだと説明しました。連発だったので、怒り心頭だったのでしょう、母親が呼ばれたという次第です。全て私が悪いのですが、母は今でもこのときのことを覚えていて私に釘を刺します。
 先生の家へ行ったなどというのは後にも先にもこのとき限りの経験です。覚えているのは、洋酒といってもダルマ(サントリー・オールド)とグラスを飾った棚があったことと本棚に並んだ本でしょうか。私の家には洋酒を飲む人間がいなかったので珍しかったのです。本棚には、中央公論社から出ていた、世界の歴史シリーズ9冊の緑の背表紙が並んでいました。このシリーズは、母に買ってもらっていたので、全部読んだって言ったのを覚えています。今、考えると、対して給料も高くなくて共稼ぎ、父親は飲んだくれの生活の中で母は、高価な投資をしたものだと思います。その先生は、おそらく全巻読んではいなかったのかもしれませんが、さすがに驚いていました。
 私は読書好きだったことには間違いありません。

 3人目の先生は、中学3年生のときの担任の先生です。おそらく、先生本人が意識している以上に私の人格形成に影響を与えた人だった思います。当時、若くてやる気に満ちた生徒の生活に飛び込んでくるような先生でした。先にも書きましたが、班ごとに、グループ日誌というのをつくり、各班で毎日、一人が何か書いて、朝礼で先生に渡します。終礼までに先生がコメントをつけ各班の次の生徒に渡すということを一年間繰り返しました。

 班単位の交換日記ですね。他の生徒の書いたこと、それに対する先生の赤インクで書き込まれたコメントをみなが見るわけでブログのようなものでしょうか。何かを必ず書くことを要求されましたが、何をどれだけ書けというような指導は一切ありませんでした。ですから、ノートに4行くらいしか書かない生徒、書いてない日もあるわけですが、その先生はかならず、そのページが埋まるだけのコメントを書いてくれていました。生徒の方が、2頁も3頁も書くこともありました。短く端的なコメントのときもありましたが、生徒が2頁書いたら3頁コメントをつけるという先生でした。

 このように長い文章を生徒の誰かが書き始め、先生がそれにコメントをつけるということが始まると、その班の日誌において、その話題について議論が始まることになります。8つあまりの班を相手に、このようなことを続けることができたのはその先生も若く、私のようなひねくれ者以外は、みな真面目だったのですね。
 だって、なぜ、今、私たちは勉強しなければならないのか、受験というのは何のためなのかなどということが話題になるわけですから。

 このあたりで今日は、息切れですね。John Einarson with Chris Hillman の Hot Burritos - The True Story Of The Flying Burrito Brothers を読まなければなりませんから。

About Einarson's book; i've read about half of this book yet and find it interesting. it's good written by interviewing survivors of the original band. i'm happy to find one where chris hillman & the co. are telling what it was as it was, not the myth of GP's.
so, this book is not for a fan of GP's but worth reading.

GPファンのみなさんもご一読されるとよろしいかと存じます。
November 29, 2008, 12:03 pm
The Keynesian moment

Uncle Alan and his counterparts, by controlling the money supply, could do the job of stabilizing the economy, and Keynesian fiscal policy seemed irrelevant.

To be sure, Keynes failed to foresee the postwar rise of the “marginal efficiency of capital” — the way that economic growth combined with inflation would create an environment in which interest rates were high enough in normal times that monetary policy was effective at fighting slumps. Hence the long era in which Keynes didn’t seem all that relevant. But his analysis remained as valid as ever, under the right conditions. Those conditions reappeared first in Japan during the 90s; now they’re everywhere.
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/29/the-keynesian-moment/
やっぱり最後に出てくるのが日本の失われた10年、その裏のゼロ金利政策の無力というわけですね。
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by nk24mdwst | 2008-11-30 14:46 | 記憶

not raining, but still feelin' pain

足指の亀裂骨折というのは、性質の良くないもののようです。サンダル履きは卒業し、靴を履いて歩いているのですが、痛みが残っています。

足の甲の腫れなどは、はるか昔に消えたのですが足指の付け根が傷みます。普通に歩いているのですが、小指というよりは薬指の付け根から踵にかけて足裏に痛みがあります。
医者で痛みがあるかと聞かれたのは、足の甲の方ばかりでしたが。

骨髄が血を作るので亀裂骨折があるとない出血するのだ、それが青黒く見えるのだといわれたのです。内出血をしているらしい様子は外観殻は狭くなっていますが、相変わらずそれらしき変色がわかります。

まあ、足裏は患部だからしょうがないと思うのですが、一月かばって歩いていたせいか、右足の膝に痛みを感じることがあります。右足をかばうせいか左の膝にもたまにですが痛みを感じます。

膝が痛いなどというのは、70歳を越えた母の言い草でしたが、私にとっては初体験です。年は取りたくない。それと、人間を機械論的に部分の治療がすべてというのはやはり間違いでしょうね。体全体で一個の人体、どこかが痛めばその影響は全身に及んでいる。
もともと変な頭の状態も良くなるわけがない。

前振りだけのつもりがここまで来てしまいました。何を書こうとしていたのか忘れてしまって。
忘れるから何度もバブルが起こるのだと昨日書きましたっけ。

クルーグマンは次なるバブルに備えよって書いていました。
今回の世界的な金融危機、混乱が世界的な金融恐慌、それこそ1930年以来のものになるなどという妄言に惑わされるなと日経の今日のコラム大機小機にもありました。例として、1980年代のS&L危機以来の事を例示しているのでもののわかった人の言説です。

まあ、色んな立場や考え方の人がいるので現状に対する評価、それとそれに対する各国財政東京く及び中央銀行の対応等に関しては色々な評価の仕方があるのだと思います。

私は、1930年代以来の世界的危機なのだという基本的認識で根本的なパラダイムの転換が必要なのかもしれないと直感的に感じているのです。感覚的な人間で論理的な思考は後から行おうというタイプですし。
嘘をついてしまいました。論理的思考ができないのです。直感に全てをかけているタイプです。

バブルの形成にかかった時間とバブルの大きさからするとどんな処方を用いようと日本が10年を失ったのと同様の時間とコストがかかるはずだと考えます。ただ、それが、時間的にもし短く処理できたとしたら、それは、優秀な金融財政当局の国際協調ができた、人類の経済学の知識の向上のおかげだということになるでしょう。

直感ですが、もしかすると、案外早めに収束する可能性もあるのかもしれません。
ただ、これまた直感なのですが、早めに収束した、あるいはさせた場合は、その処方箋として考えラれるのはパラダイムの転換が行われたのではなく、新たなバブルの種がまかれたということであったりするのではないか、そしてその先には、また新たな未曾有の金融と危機ということであっては困るのですけれど。

一昨日の晩、何を聞いたのかを思い出しました。それと昨日、聞いた音楽をねたに書こうと思ったのに。

一昨日の晩は、Eric Clapton のRainbow Cocert のライヴを聞きました。ドラマーの正体がわかりません。Jim Karsteinという人の正体がよくわかりません。別のJim なら良くわかるのですが。

それから、夕べの晩は、Doug Kershaw を聞いていました。
Flying Burritos は、GPが抜けた後、もっといえば、Chris Hillman が抜けた後でも、個人的には気にしているバンドですが、Gib Gilbeau とドウグ(と自分で発音しているようです。)カーショーとは同じCajun フィドラーでもリーグが違いますね。
2Aとメジャーくらいの違いだからしょうがないです。

ケイジャン・ミュージック、Steely Dan とBlood Sweat &Tears とかについて囲うと思っていたのですが、一応、ここに書いておけば、また思い出すでしょう。人間は忘れますから。
November 28, 2008, 1:47 pm
Was the Great Depression a monetary phenomenon?

So here we are, facing a new crisis reminiscent of the 1930s. And this time the Fed has been spectacularly aggressive about expanding the monetary base:
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/28/was-the-great-depression-a-monetary-phenomenon/
このコメントは興味深いです。

クルーグマンにたどり着いたというか、また戻ってきたのはグローバリゼーションと税制というテーマについて考える機会が与えられたおかげですが、それに関する論文等で今日、引っ掛けたやつを個人的メモとして。
経済のグローバル化と所得税橋本恭之
経済のグローバル化と税制 佐藤主光(もとひろ) 一橋大学経済学研究科・政策大学院抜本的税制改革 安心社会の建設と経済活性化の両立を―. 21 世紀政策研究所 研究プロジェクト. 「抜本的税制改革に向けて−法人税改革のあり方」 研究主幹 森信 茂樹というところです。

中は、まだ詳しく見ていません。みなさん、よく研究されている方々であるようです。皮肉ではありません。

ヘッジ・ファンドに敬意を表して、The Incredible String Band の1967年のアルバムThe 5000 Spirits or the Layers of the Onion からMike Heron 作のこの歌はいかに。

     The Hedgehog's Song

I'm not the kind to complain
That I never had a girl to love.
Many a fine girl I tried hard to know,
But I think I never tried enough.

Sitting one day by myself,
And I'm thinking, "What could be wrong?"
When this funny little Hedgehog comes running up to me,
And it starts up to sing me this song.

Oh, you know all the words, and you sung all the notes,
But you never quite learned the song, she sang.
I can tell by the sadness in your eyes,
That you never quite learned the song.

Every day when the sun go down,
And the evening is so very still,
Many a fine girl I've held in my arms,
And I hope there's many more that I will,
But just when everything is going fine,
And absolutely nothing is wrong,
This funny little Hedgehog's always around
And every time he wants to sing me this song.

Oh, you know all the words, and you sung all the notes,
But you never quite learned the song, she sang.
I can tell by the sadness in your eyes,
That you never quite learned the song.

One day when the moon was full I thought I might settle down,
Found myself a pretty little girl,
And I stopped all my running around;
But just when the preacher come along,
And he's just gonna pop on the ring,
This funny little Hedgehog comes
running down the aisle,
And I don't have to tell you what he did sing.

Oh, you know all the words, and you sung all the notes,
But you never quite learned the song, she sang.
I can tell by the sadness in your eyes,
That you never quite learned the song.

I'm not the kind to complain
That I never had a girl to love;

Many fine girls I've tried hard to know,
But I think I never tried enough.
But now I'll be looking all my days,
And it isn't just me I got to please,
There's this funny little Hedgehog
Who's always around,
And the only words he ever sings to me are these.
Oh, you know all the words and you sung all the notes,
But you never quite learned the song, she sang.
I can tell by the sadness in your eyes,
That you never quite learned the song.

思えば、15歳のときにこの歌、よく歌っていたなと思い出しました。歌詞を読むより、やっぱり彼らの演奏と歌で聞かないと、ですね。ベースは、Danny Thompson だというのが良いのです。

ヘッジ・ファンドは隠れそこなったわけですね。しかし、ゼロ・サム・ゲームの金融博打、誰が儲けたのでしょう。時間という因子があるのでまだ結果はでていないのか。
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by nk24mdwst | 2008-11-29 15:16 | その他

it hurts you, me ,us or them

きょうは、朝から雨がしとしと降る肌寒い日です。気分も滅入ります。週末の月末、なれど、今月のやることが全部残っているという感じで。
がんばってはいるつもりなんですが、つもり、つもりでしかないか。といって自分を責めてみてもしょうがない。まして他人を責めてもしょうがない。ゆっくり生きましょう。

けさ、この歌、寝床で聞いたのです。Dolly Parton の1971年くらいの曲です。

     Coat of Many Colors

Back through the years
I go wonderin’ once again
Back to the seasons of my youth
I recall a box of rags that someone gave us
And how my momma put the rags to use
There were rags of many colors
Every piece was small
And I didn’t have a coat
And it was way down in the fall
Momma sewed the rags together
Sewin’ every piece with love
She made my coat of many colors
That I was so proud of
As she sewed, she told a story
From the bible, she had read
About a coat of many colors
Joseph wore and then she said
Perhaps this coat will bring you
Good luck and happiness
And I just couldn’t wait to wear it
And momma blessed it with a kiss
Chorus:

My coat of many colors
That my momma made for me
Made only from rags
But I wore it so proudly
Although we had no money
I was rich as I could be
In my coat of many colors
My momma made for me

So with patches on my britches
Holes in both my shoes
In my coat of many colors
I hurried off to school
Just to find the others laughing
And making fun of me
In my coat of many colors
My momma made for me

And oh I couldn’t understand it
For I felt I was rich
And I told them of the love
My momma sewed in every stitch
And I told ’em all the story
Momma told me while she sewed
And how my coat of many colors
Was worth more than all their clothes

But they didn’t understand it
And I tried to make them see
That one is only poor
Only if they choose to be
Now I know we had no money
But I was rich as I could be
In my coat of many colors
My momma made for me
Made just for me

気取らずに、シンプルなバックで歌っています。ハリウッド・ドリーではないドリー・パートン。
歌詞も一読、難しい言い回しや比喩もなく、歌を聞いたら直ぐに光景が目に浮かぶ。最近の日本人の歌手の日本語の歌よりも聞き取りやすいです。
というよりも、わざわざ書いたのを読むほどのものではないですね。ドリーのちょっと鼻にかかったサザン・ダイアレクトで歌うのを聞いているほうがずっと訴えかけてきます。
母さんが手袋編んでくれたってうたですし、昔は、貧乏だったけど幸せだった。

1970年頃に振り返っているわけですから、1950年代前半のアパラチアの思い出というところでしょうか。バート・レイノルズの映画かなんかの台詞で、「南部のやつらが頑固って言うけど、山のやつら(アパラチアの連中)は、頭をぶち割ってもへこたれない×××だ」とか何とかあったような気がします。

アパラチアの山からアフガンやイラクへ送られているのでしょうね、今でも。

夕べは、Roger McGuinnのソロを聞いているうちに寝たような記憶があります。移動中、Humble Pie (Peter Framptonがまだいるころ)の演奏を聞いているのです。A&Mに移ってから、キーボードが中心の演奏が悪くないのですが、また頭を悩ませてくれるわけです。
ニッキー・ホプキンズには聞こえないし、ドラムが誰かな・・・
Jerry Shirley はちゃんと叩ける人ですし、彼がやっているのだと基本的には思うのですが、彼ではないような気がする曲がいくつかあるのですね。

Allmans の1980年ごろの世評の良くないアルバムを今日は聞いています。ある種の到達点と位置づけてもいいのじゃないかな・・・どんな到達点なのだ?!・・・それほど悪くないと思います。珍しくスリックな仕上がりだと思います。だから、受けなかったのでしょう。
Eagles のようにも聞こえたりするというのは、褒め言葉なのかどうなのか。特にBrothers Of The Road では、Dan とDavid のToler 兄弟がギターとドラムで参加、つまり、Johanson がいないわけです。
その分、リズムがタイトです。好き嫌い、良し悪しとは別にして。

ここで聞こえるGreg Allman は、ハード・ロック路線に転向したイーグルスのように聞こえないわけでもなく、この録音の10余年前にPoco のオーディションに行ったなんて話を思い出させてくれるわけです。

音楽的に絶対評価として聞かないと損をするというレベルではないですが、ゴミだと思って聞いたら案外良かったというあたりでしょうか。オールマンズのルーズなところが駄目という感じを持つ人もいるでしょうし、私自身、気分次第で緩々だなと思うのですが、それはないです。
案外、今のメイン・ストリーム・カントリーに近いなんていうと四方八方から攻撃されそうですけれど。

PRESIDENT-ELECT OBAMA’S TAX PROPOSALS: A FORECASTは、以前にもひっぱたような記憶がありますが。

いずれにしろ、人間は忘れるから人間であるのですが
Lest We Forget
By PAUL KRUGMAN Published: November 27, 2008

One senior policy maker asked, “Why didn’t we see this coming?”

About those precedents: Why did so many observers dismiss the obvious signs of a housing bubble, even though the 1990s dot-com bubble was fresh in our memories?

Why did so many people insist that our financial system was “resilient,” as Alan Greenspan put it, when in 1998 the collapse of a single hedge fund, Long-Term Capital Management, temporarily paralyzed credit markets around the world?

Why did almost everyone believe in the omnipotence of the Federal Reserve when its counterpart, the Bank of Japan, spent a decade trying and failing to jump-start a stalled economy?

For once the economy is on the road to recovery, the wheeler-dealers will be making easy money again — and will lobby hard against anyone who tries to limit their bottom lines. Moreover, the success of recovery efforts will come to seem preordained, even though it wasn’t, and the urgency of action will be lost.

So here’s my plea: even though the incoming administration’s agenda is already very full, it should not put off financial reform. The time to start preventing the next crisis is now.
http://www.nytimes.com/2008/11/28/opinion/28krugman.html?partner=permalink&exprod=permalink
現在の金融危機の本当の規模、影響がわからず、まして、どのような形で収束するのもわからないうちに、皮肉屋は、次の危機に備えろ、忘れるなって言っています。

30年周期というのは世代交代があるので忘れるというのは理解できるのです。しかし、ドットコム・バブル、LTCMの破綻を経験し、さらに、バブル崩壊後の日銀の苦闘を見ていながらなぜにこんな馬鹿なことになったのだって聞くお偉方に、馬鹿だなってクルーグマンは言っています。

つけをずっと払ってきたのは日本経済だったのですが、今度のつけはどうやって誰が払うんでしょう。逆に、権力の空白を狙って不穏な動きが見られるだけです。

大きなパラダイムの転換時期なのではないかと誇大妄想狂の私は思うのです。

でもまあ、犬も人間も忘れるから生きていけるのですね。本当の災厄が起きたら、記憶もへったくれもないでしょう。

不動産譲渡益非課税論を今朝の日経で読んで、本当に何とかにつける薬はないなと。

不動産譲渡損失の損益通算をできないような意味の通らない改正を合憲だとして、景気が悪いから譲渡益非課税論。財源不足は、将来の消費税でまかなうんでしょうか。

欧州の付加価値税率の引下げ論の実効性について思うのですが、付加価値税はいわゆる景気に中立的だというのが売り物で、要するに景気が悪くなっても税収が減らないのですね。
ここで税率を下げることによって景気刺激策となるかどうかという実験はいまだかってなされたことがないように思います。

逆に、デフレ下にあるにもかかわらず、付加価値税である消費税率を引き上げて正真正銘の真性デフレをもたらすという愚を犯した政府が一つあります。その意味で村山、橋本両政権が犯した失敗は、第二の敗戦へとつながるわけです。

橋本行革路線の正統な後継者が小泉政権であり改革と呼ばれたものです。そして、その改革を現実に法律化して国民生活を根底からがたがたにすることをやったのが、安倍政権だったのですね。
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by nk24mdwst | 2008-11-28 10:04 | 音楽

live till you die

きょうも、良い天気です。一昨日までの冬型と一変、山がきれいです。

Ogden Nash です。年齢を受け入れるということは簡単ではありません。特に、私のような人間にとって。どういう意味か。書いてから考えています。

     Peekabo, I Almost See You

Middle-aged life is merry, and I love to
lead it,
But there comes a day when your eyes
are all right but your arm isn't long
enough
to hold the telephone book where you can read it,
And your friends get jocular, so you go
to the oculist,
And of all your friends he is the joculist,
So over his facetiousness let us skim,
Only noting that he has been waiting for you ever since
you said Good evening to his grandfather clock under
the impression that it was him,
And you look at his chart and it says SHRDLU QWERTYOP,
and you say Well, why SHRDNTLU QWERTYOP? and he
says one set of glasses won't do.
You need two.
One for reading Erle Stanley Gardner's Perry Mason and
Keats's "Endymion" with,
And the other for walking around without saying Hello
to strange wymion with.
So you spend your time taking off your seeing glasses to put
on your reading glasses, and then remembering that your
reading glasses are upstairs or in the car,
And then you can't find your seeing glasses again because
without them on you can't see where they are.
Enough of such mishaps, they would try the patience of an
ox,
I prefer to forget both pairs of glasses and pass my declining
years saluting strange women and grandfather clocks.

中年とか老年という概念は、30年前と違うような気がします。
相変わらず1968年ごろを中心とした音楽を聞いているのです。しかし、1968年から40年遡ると1928年、かの1920年代です。
デルタ・ブルースが誕生してそのスタイルを確立しつつある頃。Robert Johnson もちろんまだ主役ではありません。
ロバート・ジョンソンが主役になるのは・・・1960年代になってからですけどね。
November 26, 2008, 1:56 pm
About that advisory board
But the Obama administration’s new economics advisory board would seem like a very good place to give progressive economists a voice. There are a number of excellent people whom Obama might not want to put in line positions but would be very much worth bringing in to offer well-informed alternative views. At the risk of insulting those I forgot to mention, I would think immediately of James Galbraith, Larry Mishel, Dean Baker, Jared Bernstein.
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/26/about-that-advisory-board/
クルーグマン自身は、ワシントンD.C.なんかで仕事はしたくないのだそうです。
性格的にあわないと。
そりゃ、外から野次馬の方が楽です。火中の栗を拾うまでもなく、名誉は得たし、悪態ついていれば言い訳ですから。
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by nk24mdwst | 2008-11-27 08:41 | Poetry

snow on the moutain top's so white and shining

今日は、雲ひとつない快晴。山頂だけではなく山の上部三分の一ほどが新雪で輝いていました。
隣県の山も遠くに見え、実に、よい気分の日でありました。外は気分がよいのですが、中にいると気が滅入ることばかりで。
November 25, 2008, 12:23 pm
Conservative crisis desperation

So we’re having a crisis, reflecting the policy failures of the past 8 years. But the usual suspects insist that the crisis is all the more reason to persist with those policies — indeed, make them permament.

Thus, John Taylor — a very good economist, when he wants to be — insists that we must respond to the economy’s temporary weakness with a permanent tax cut. Let us reason together. Does it make sense to let one recession dictate tax policy in perpetuity? What happens if there’s a boom; can we increase taxes (no, because then the cut wouldn’t have been permanent.) What if there’s another recession? Do we permanently cut taxes again? Is there a tax-cut ratchet (or maybe racket)? Think this through, and it makes no sense at all.

And Taylor’s argument against the obvious answer — government spending as stimulus — is pure gobbledygook:

The theory that a short-run government spending stimulus will jump-start the economy is based on old-fashioned, largely static Keynesian theories. These approaches do not adequately account for the complex dynamics of a modern international economy, or for expectations of the future that are now built into decisions in virtually every market.

Translation: la la la I can’t hear you.

Meanwhile, at a panel discussion with Rich Lowry of National Review, I heard the latest argument against the Employee Free Choice Act: now would be a really bad time to make union organizing easier, because it would hurt business confidence in a recession.

Recession, recovery, whatever: it’s always proof that the Bush years should continue forever.
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/25/conservative-crisis-desperation/
経済政策としての租税の役割について、検討する資料として。

累進税率の所得課税は、所得再分配効果と景気調節機能があると昔の財政学の教科書には書いてあったものです。というか、ちゃんとした財政学の教科書には書いてあるものです。
これに反する方向へ、1980年代初めから各国の税制が変わってきたのですね。

一つは、消費税もそうですが、大型間接税の導入・・・これは、逆進性をもっています。欧州は従来から付加価値税を持っていたわけですが、カナダとオーストラリアにおけるGST導入は日本のあとです。

それからキャピタル・ゲインやその他利子・配当といった資産性所得に対する所得課税を低くする競争も起きました。さらに、各国が争って法人税率の引下げに走ったのも忘れてはいけない点です。

ゴードン・ブラウン英国首相の提唱するVATの税率引き下げはどれくらいの減税効果というか景気刺激効果があるのでしょうか。クルーグマンは懐疑的です。
イギリスのVATは、EUの標準税率に近い税率なのですが、実際には広範囲の軽減税率ないしゼロ税率が用いられていて税収規模自体が大きいとはいえず、実効性はどうかなと私も思います。

税収規模でいえば日本の消費税収はドイツの付加価値税収と同規模ですからね。税率の問題ではないのです。

ゆうべ、Susan Tedesch を聞いていました。Janis Joplin +Bonnie Raitt というくくりとはかなり違うと思いますね。音楽に関しては、ちょっと、落ち着いてからという感じでしょうか。

Joe Cocker のファンはともかく、The Grease Band それもChris Stainton のいないヴァージョンを追いかけている物好きっているんでしょうか。ここに一人いることだけはわかっていますが。
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by nk24mdwst | 2008-11-26 19:10 | economics

anyhow, i'm still alive and

今年は、冬の足音が聞こえます。この数年にはないことです。近くの里山の頂上付近にも白いものが積もっています。
早めにタイヤを換えたほうがよさそうです。

いつも、11月の今頃、換えているのですが、元旦は快晴という感じです。今年は、違うかな。
雷も鳴り方が違います。

さすがのクルーグマンも呆れているようで。
November 24, 2008, 7:29 am
Citigroup

Mark Thoma has the rundown of informed reactions. A bailout was necessary — but this bailout is an outrage: a lousy deal for the taxpayers, no accountability for management, and just to make things perfect, quite possibly inadequate, so that Citi will be back for more.

Amazing how much damage the lame ducks can do in the time remaining.


http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/24/citigroup/
シティ・グループに対する救済プランが馬鹿げて大きいと。おまけに、限がないぞといっています。

サンフォード・ワイルが率いるシティ・グループがどんなだったかについて、日付を遡りますが、こんな風に書いています。
November 23, 2008, 9:04 am
The few, the proud, the destructive

Reading this article about the downfall of Citigroup — a downfall clearly many years in the making — I suddenly remembered an article just a bit over a year ago: The Richest of the Rich, Proud of a New Gilded Age.

The tributes to Sanford I. Weill line the walls of the carpeted hallway that leads to his skyscraper office, with its panoramic view of Central Park. A dozen framed magazine covers, their colors as vivid as an Andy Warhol painting, are the most arresting. Each heralds Mr. Weill’s genius in assembling Citigroup into the most powerful financial institution since the House of Morgan a century ago.

I also found myself thinking about the Kaplan-Rauh paper finding that Wall Street was largely responsible for the surge in very high incomes, which was widely taken as evidence that the new rich were really earning their money (though to be fair Tyler Cowen didn’t say that.)

Time for some reevaluation, don’t you think?
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/23/the-few-the-proud-the-destructive/
金持ちが金持ちになるのは当然だという空気だったのに、みなが博打ですったから助けてくれかという話ですね。

クルーグマンがリンクを貼っているページの記事が面白いです。

しかし、サブ・プライム・ローンにしろ、デリバティブと呼ばれる派生商品にしろ、結局ねずみ講と同じで最後は破綻する、つまり、臨界点に達するということですね。
金を貸し続けることは、誰にもできない。信用を証券化という手口で従来以上にスピードで拡大することは可能であったにしろ、地球の表面積は限られているということです。
表面積と時間の制約を受ける。

よくわからないのは、派生商品の中でも債務担保証券というやつの仕組みです。宿題です。

それと、市場という幻想の中でも、結局、ゼロ・サム・ゲームのはずなので誰かが儲けたのか。
ある時点で儲けが出たとしても、時間の経過に負けてしまったのか。

ジョージタウン・ロー・センターの租税法と証券関連部門が同じ領域として扱われていたのを思い出します。博打だから税引き後の手取りの話に必ずなるわけで。
というか、税金をいかにして払わずに取り分を残すかということだったのでしょう。

税務会計は、まさしく税法の領域そのものですね。金もうけというべきかな。

日経の私の履歴書のJR東日本相談役の手柄話、予想以上にひどいですね。あれほど人の心を踏みにじれる人柄に敬意を表します。読んでて反吐が出そうになることを自慢話として書けるのは偉い。

第三者機関である中労委が不当労働行為だといっているのを最高裁という非常に政治的な場所で勝訴できたから正しかった。よくいいます。
差別された側の人の気持ちが分からない。
国鉄職員の息子として恥ずかしいです、私は。
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by nk24mdwst | 2008-11-25 19:40 | economics

talking to myself

きょうで、このブログを始めて丸1年です。正確には、1年と1日。
先週、おっちょこちょいの私は、勝手に1年経ったと勘違いして書いてしまいましたが、書き始めたのは、1年前の11月24日でした。
ですから、昨日11月23日で丸一年経過、今日が一周年記念ということです。

きちんと今日のための原稿を準備しようと思ったりしたのです。
はじめに、おわりにをつけ、タイトルを振り、文章を書き、貼り付けて校正しようと考えました。
でも、時間的な制約から、いつものとおりの、いきなり投稿画面に書き込む、アドリブ・スタイルです。去年の今日は暇だったかもしれませんが、今日はスケジュールがいっぱいでして。

ブログって何か。そも、誰が誰のために書くか。何を書くか、よくわかりません。

私がブログを始めることになったきっかけは、自身がスパムと化していたことに気づかず、畏敬すべき先達から絶縁されたからです。
ここでいうスパムというのは、いわゆる、無差別機械的に書き込んでくる広告の類の意味ではありませんが、ブログを書いている方にしてみれば結果的には同じことです。

これは、自分がブログというスタイルでネットに存在を示してみないとわからないことだということを知りました。

ブログ主催者の意に沿わない書き込みはスパムと変わりません。ブログはそれを書いている人のものですから。
意に沿わないというのは、そのブログの書き手の個人の判断によって異なるので、書き込む方としては、なかなか理解が難しいのですね。
そのブログの過去ログを全て読み返したとしてもそのブログ主催者の個性が、つまり判断基準がわかるかどうかは判りません。

ところで、無料のブログの所有者というのは誰なんでしょう。書いている人のものであるように見えますが、ブログをやっている会社に踊らされているだけのような気もします。

ブログの個性は、そのブログの構成や書いている文章、全体を読んでわかる可能性が高まるという程度でしょう。読む人の知見や性格、同様に書いている人の知見、性格、これが相互に作用しますから簡単に結論は出ません。

結局、他のブログに実際に書き込んでみるということでしか判断できません。しかし、どの線がセーフとアウトの境目なのかは、これまた非常に難しい話です。

ブログで自分の職業や社会的背景などを表明しているのは、広告目的として自分を売り込むことをためらわない人でなければできないことでしょう。

私は、このブログにコメントをつけたい方がいらっしゃればコメントをつけていただいて欲しいと思っています。機械的なスパムで無い限りですが。
検索ワードで引っ掛けて読み進んでも何を書こうとしているのか思考がどんどん飛躍するこのブログに書き込むのは、私でも躊躇いますが。

人と議論しているときも、躁鬱的な私の思考は、勝手に会話や議論で活性化され、議論の本筋とは全く異なることを考え初め、色んな思い付きが浮かび、それを口にしてしまいます。相手にとっては迷惑きわまる存在です。
ブログで脱線して方向性が無くなるのも同じです。前振りを少しして本題と思って書き始めているうちに前振りから、新しい事柄が次々に思い浮かび、そっちへ勝手に脱線していくわけです。
ひと様にお見せするためのものでないことは事実です。

ところで、ブログの個性ですが、それを書いている人の年齢、世代といってもよいですがかなり大きな要素を占めるのではないかなと思います。もちろん、人は100人100通りですから、2008年生まれが全員に共通する性向を持っているなどというつもりはありません。

それから、ドリアン・グレイの肖像ではないですが、自分自身に似た存在にたいしては、近親感を覚えると同時に、一つ間違うと強力な反発、拒否反応を起こす可能性が高いのではないかとも考えます。自分が二人いると気づいたら片方を消してしまわないと精神の安定が保てません。
精神疾患の世界ではこの手の二重自我というやつは一番怖い代物です。芥川龍之介もかわやでもうひとりの自分を見たのだそうです。
どちらを消すという話になれば、実際に存在するのは自分の方であるのは間違いないので、それを消すしかないという話です。

ところで、ブログというのは、ネット上の日記なのでしょうか。

日記は、本来他人に見せるものではないですよね。偶然、他人に読まれるということはあるかもしれませんが、書き手は読まれることを前提にしていないはずです。
ネットという公衆浴場のようなところで、自分の個性や秘密をさらけ出す日記をつけるという行為はどういう位置づけなのでしょう。

仮に日常思ったこと、起きたことに関して、全てをあからさまに書くことは非常に危険だということ以前に、他人に見せることを意識した日記を書いている自分というのは、見せない日記をつける自分とは違うはずです。

ネットで個人を特定される危険性云々というようなことはネット社会論なので脇へおきます。ただ、危険を承知で、書くということはどういうことかと考えてみなければなりません。
自ずと個性、自分自身はよそゆき、仮面をかぶっていても出るものですから。

仮面をかぶった自分が公衆の面前でつける日記とはなんでしょうか。
これは、自分が何某で職業、住所、年齢等を明かした上で書いたとしてもやはり仮面をかぶる・・・偽装というと変ですが、他人に見せることを前提としている以上、露出狂的に見せなくてよいところまでさらけ出すということでない限り、仮面をかぶった自分がつける日記でしょう。

ですから、そもそもブログとは日記なのか。
色んなブログがあって、日々日常生活を書くものや自分の趣味、音楽、映画、小説等について書くもの、政治性、社会性あるいは教育性を意図して自分の意見を知らせたいとして書くもの、色々あるでしょう。
私のブログは、これに私の感情の起伏が反映された手のつけられないものでありますが。

ここでも、素直に自分の意見を公衆浴場ないし駅前広場で述べることには一定の危険性が伴います。
やはり仮面をかぶった自分ですね。

印刷媒体に署名入りで書くときは、少なくとも同様のスタイルによる批判は受け入れ反論することができます。ネット上ではそれが同様のレベルでできるかどうか疑問です。

ところが非常に面白いのはネットは参入する障壁が低い分、またある種の匿名性があるとされているその本質の性で、有名評論家が権威があるとして、あるいはインタヴューを重ねた、又は調査や研究を重ねた結果として紙媒体上で意見や事実として報告する場合よりも、事実が語られている場合が少なくないのも事実なのでしょう。

広告主等の制約が無い分、趣味的な領域においては特にそういえるかもしれません。

あるいは、情報として流通するための障壁が低い分だけウェブ上では信頼性の薄いものや、程度の低い記述等も人の目に触れやすくなり、それらは大量のゴミ情報となる可能性が高いのですが、逆に、障壁が引くが故に事実が知らずに表面化するということもあるのでしょう。
ただ、何が事実なのか、どのような意見が論理的で正当性があるのかということの検証のすべがないのがウェブの特徴かもしれません。

ウェブを捨てて書へ戻ろう、ということでしょうか。

一方、租税領域における問題のように専門領域については、違う側面が現れます。
租税制度、系ザ取引等に関する知見、識見がどれだけあるかということ、さらに、それを取り上げる人の立場や考え方、思想性というのはおこがましいですが、結果的には世界観、社会観が反映されざるを得ません。
それだけではなく、租税というものの本質が極めて政治的であると同時に、極めて技術的で非常に専門性が高い側面を持っているのでネット上で意見を表明するということは、それを提供する人や組織固有の意見や立場が反映されていることにならざるを得ません。
このことは、権威があるとされる、政府や課税行政庁のHP自体がそうであるのです。

情報公開法のもとでは、行政庁や大企業はその責任としてもっている情報は、一種の社会財としての価値のある者が少なくないので、できるだけそれを客観的な形で公表することが必要なのだと思います。
映像、つまり映画、音、つまり音楽等の著作権の関連するものについては、現実社会においては著作権法上の問題が常に生起し、一番わかりやすいのが論文や小説等の紙媒体で発表されたものということになりますが、盗作、盗用の議論が起こります。しかし、ウェブという媒体は、功罪はともかく、上記のものに関して、ある種治外法権的な世界が既に現出しているのですね。

逆に、租税分野に話を限定してみますが、課税庁は、納税者の納税義務の確定と密接な関連のある内部の情報を全て開示しているわけではありません。もちろん、情報公開法がありますあから、開示請求によりそれらを開示させることは可能です。
しかし、開示請求による開示に関しては、開示される情報の一部にマスキングがあるなどという問題以前にどのような情報があるか自体が不明であるということが問題です。つまり、文書等を特定できないと開示請求ができないシステムだからです。

内部の事務連絡というような行政文書も公共財だと思います。それ以上に公共財としての性格が強いのは、判決、裁決例です。これらは、登場する個人の個人情報保護の問題をどう捉えるかという問題はありますが、判決等によって税務通達の変更が行われたりするわけですから、これらは、課税庁内部の資料として秘匿されるのではなく広く一般に公開されるべき性質があるものだと思います。

行政訴訟資料、行政文書の公開論に話が横道へそれてしまいましたが、ブログ主催者のニッキではなく、情報ソースとしての意味を一義的な目的とするブログも多数存在するのが事実なので、情報の問題について言及してしまいました。

評論、データベース、その他諸々の意味をブログに付加することは可能です。無料で、著作権的には問題があるであろう音源や映像を提供しているブログも多数存在します。

訴訟データ等を無料で提供しているブログというのはあるのかどうか、現在のところ寡聞にして知りません。

10年余り前に、アメリカのロー・スクールで話を聞いたとき、ロー・スクールでは高価なレクシスネクシスという判例データ・ベースを利用できます。しかし、卒業生は、大手の法律事務所に就職した場合等を除くとこの高価なシステムを個人的に利用することは難しくなるので、従来どおり黄色いリーガル・ペーパーを使って紙ベースの判例を探すやり方を教えるのだと教授が話してくれたことが印象的です。

しかし、この有料であった判例データ・ベースに関して、アメリカでは、登録は必要ですが、レクシス・ネクシスやFindLaw といったサイトでほとんどの判例がネット上で入手できる状況に変わってきているようです。

この先日本の状況がどのようになっていくのか非常に興味深く思っています。

さて、このブログですが、結局、その人の私の心情吐露のはけ口でしかないということです。
ついで、出先等で利用する個人的データベースないし、思いつきメモ帳としての役割ですか。
つまり、基本的に他人に読んでもらうことを前提にしていないのだという振りをしています。これは、スペルの間違い、文章として日本語の体をなさないものをそのまま載せていること、あるいは漢字の変換ミスや入力ミスの訂正を行っていないことに対する言い訳でしかありませんが。

アメリカの税制と詩、歴史に音楽に映画、それと日本の税制、その日の感情全てが無茶苦茶に出てくるままの状態で混在しているので、メモ帳としても使いにくいのです。ただ、一応、自分が書いているので、検索機能を利用して探してみているという馬鹿な状況です。

最後にPaul Krugman の引用についてです。
サブ・プライム・ローンに関する問題を調べる必要があり、色々探しているうちに行き当たり、面白いと思い引用し始めました。あくまで個人的備忘録プラス感想レベルくらいの意図でした。
昨年夏の問題について調べていたのです。そうしたら、今次の金融危機が生起するところに図らずもぶつかったという次第です。

アメリカの租税訴訟に関しては、私の関心のある分野に関わるものを、暇ができたら読み直そうと思って引用しています。これらも非常に難しくて、簡単に論評できるようなものではありません。先の、98年改正法後のサモンズをめぐる訴訟などは、おそらく連邦最高裁まで行くことになるでしょう。
この訴訟を素材にして修士論文の一つや二つかけそうな代物に見えます。つまり、私の手に負えないということです。ただ、好奇心だけはあるものですから。

さて、今日は頑張って仕事しないと。
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by nk24mdwst | 2008-11-24 08:35 | その他

so and so

今日は、午前中、墓参り、月に一度の恒例でありますが、をしてきました。買い物をして戻ってくるまで腫れていました。今、雨がしとしと降り出しました。
ご先祖様のご配慮か。

さて、クルーグマンは新政権の陣容がだんだん明らかになるにつれ、こんなことをいっています。
November 22, 2008, 1:05 pm
The grownups are coming

So, it appears that a sinister cabal is taking control of economic policy, not only in the United States, but in much of the world.

Seriously, isn’t it amazing just how impressive the people being named to key positions in the Obama administration seem? Bye-bye hacks and cronies, hello people who actually know what they’re doing. For a bunch of people who were written off as a permanent minority four years ago, the Democrats look remarkably like the natural governing party these days, with a deep bench of talent.

That doesn’t mean they’ll succeed — this might be a good time to reread The Best and the Brightest. But what an improvement!
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/22/the-grownups-are-coming/

大人が戻ってくるぞというわけです。金目当ての連中、身内の仲良しグループ、さようなら、仕事のわかるみなさん、ようこそと。
4年前と比較すると、最近は民主党が豊富な人材を持つ政権党として見違えるような変貌を遂げたというようなニュアンスでしょうか。

釘を刺しています。だからといって成功するわけではないと。ケネディ政権時代の政権内部次女を描いたハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」を読み返してみる必要があるかもしれないというわけです。
キューバ危機からベトナム戦争へと突入していくわけですからね。それに、LBJの偉大な社会なんてやつも関係してきますし。

ケネディ政権は非常に若くて優秀な人材を集めた政権だと期待を集めたわけですが、実際にそれが何をしたのか、歴史を振り返る必要はあります。

大恐慌についても歴史を振り返れと。
November 22, 2008, 5:57 pm
Depression analogies

Daniel Gross pushes back against analogies with the Great Depression: Instead of workers with 5 o’clock shadows asking, “Brother, can you spare a dime?” we have clean-shaven financial-services executives asking congressmen if they can spare $100 billion.

But I think he misses the point. The reason we’re making analogies with the Great Depression — and the reason I’ve come out with a new edition of The Return of Depression Economics — is the collapse of policy certainties. In particular, the Fed’s sudden impotence — its inability to cut rates any more, because they’re essentially zero — is a very real parallel with the Depression, and necessitates drastic responses.

Now, if all goes well the Obama stimulus plan will head off the worst. But that will be precisely because we understood that the current crisis is, indeed, like the Great Depression in important ways. Only those who learn from history can hope to avoid repeating it.
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/22/depression-analogies/
小銭を恵んでくれという失業者の時代と1,000億ドル議会に、恵んでくれという、身だしなみのいい金融機関幹部とは違うというダニエル・グロスの指摘に対して反論しています。

共通点を見出しそれに対処することが大切だということですね。つまり、政府の政策余地の選択肢がほとんど無い点が共通しているというわけです。実質ゼロ金利になってしまい金利政策が機能しない状況であるのは大恐慌時と同じだと。
クルーグマンはここでは述べていませんが、この状況に関しては、日本人は十二分に学習しました。グリーンスパンを擁護するとすれば、彼は、これを防ぎたかったのだけれど結局先延ばしに下に過ぎず、結果的に傷口が大きくなる時限爆弾を仕掛ける結果になってしまったのでしょう。
いずれにしろ、現下の状況を歴史を学んで正しく理解すべきだというわけです。

私は、別にクルーグマン教の伝道者ではありません。彼の目を通したアメリカに興味があるのです。もちろん彼の目だけを通してみていれば、単なる追従でしかありませんが。
偉そうに書いてしまいました。他にどのチャンネルを通してみているのかって話になりますね。
ただ、クルーグマンの目を通してみたアメリカ経済、政治の実相というものに興味があるというくらいにしておきます。
一つの座標を決めてそこから物事を継続的に見つめる、さらにその座標自体が参照すべきものを提供してくれることは事実ですし、盲信、追従しない限り、一定以上の価値がある行為だと考えます。

あとは、他にどれくらい別の座標(時間的、空間的、思想的、社会的⇒ひっくるめて世界観・歴史観)を用意して見られるか、検討できるかということになるのでしょう。

究極的には、自分が今いるところがどこなのかをきちんと認識し、それは、時間的空間的にどういう意味を持つと自分が考えるかですが。
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by nk24mdwst | 2008-11-23 13:49 | economics

grootna, who?

夕べは、Grootna を聞いたら眠れました。
さて、このバンドの正体は、そもそも、なぜ、うちにあるかがわからない。女性ヴォーカルが出てくるのですが。
Joy of Cooking に似た感じのバンドです。
このバンドも、演奏が実にしっかりしていて、これくらいの腕があるのなら後年、名を残すレベルだと思われるのですが、知らない人ぞろいです。

歌っているのはともかく、演奏しているのはちゃんとした方々かと存じます。

一昨日の晩は、Boz Scaggs のソロ・デヴューを聞きました。

Eddie Hinton のギターが聴けます。もちろん、Duane Allman のプレイが知られているわけです。
ボズ・スキャッグズを最初に私が見たのは、映画のフィルモア・ラスト・デイズでした。
この映画で記憶に残っているのは、あと、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスかな。

このアルバム自体はこけましたが、ボズの歌はよいです。バックは、マスル・ショールズのレギュラーですから安定していますが、ドラムがJim Gordon だったらなとかなわぬ思い。Roger Hawkins が駄目だといってるわけじゃないのですが。

私は、これ以前からボズを聞いて知っているのですが、FEN で毎日聞かされるようになるとはゆめゆめ思っておりませんでした。

このセッションでのデュエンの演奏は、中の上でしょうかね。セッションにしてはリラックスしている感じです。やっつけでリラックスしているのが不思議。
エディー・ヒントンがデュエンが来るまでの曲でリード・ギターですが、渋いなと思います。

話が突然変わるのですが、第三者に対するサモンズに関する上訴審判決で非常に興味深いものが出ました。
税務申告書を作成した CPAに対するサモンズの有効性、それと、連邦司法省も関わっている事件であるというものです。
SHAHID R. KHAN and ANN C. KHAN, et al.v. UNITED STATES OF AMERICA
ARGUED OCTOBER 31, 2008—DECIDED NOVEMBER 20, 2008
・・・・
The regulation’s interpretation of the statute is reasonable and in harmony with the statute. Legislative history supports this interpretation as well. The Senate Committee on Finance’s report that accompanied the legislation explains: “Under the bill, the Secretary may not issue any summons or commence any action to enforce a summons if a Justice Department referral is in effect with respect to the person whose tax liability is in issue.” S. Rep.No. 97-494, at 286 (1982) .
There is no evidence that Congress intended to expand this statute
to a summoned third party, such as Greisman, when a Justice Department referral has been issued for the third party witness.

We defer to the Treasury Department regulation. We hold that the IRS can summon Griesman in the investigation of petitioners even if the IRS referred him to the Justice Department concerning petitioners’ tax liabilities.
http://caselaw.lp.findlaw.com/data2/circs/7th/081743p.pdf
ということで、連邦地裁判決におけるサモンズの有効性を否定した判決を覆しています。

この判決自体に、私は非常に興味を持ちましたが、原審からの詳しく事件の内容を検討していないので現時点では、今後の研究課題であるということです。
なぜ、興味を持ったかというと、サモンズとそれをIRSが行使する正当性について争ったものであることなのはとうぜんなのですが、さらに以下の理由があります。
まず、第三者、この場合は申告書を作成したCPAに対するサモンズが問題になっていることです。この点は98年改正法において、IRSの調査権と第三者の顧客守秘特権が拡大された後の事案であるという点が注目されます。
次いで、連邦司法省が関連する事案であるという点ですね。この連邦司法省が関連している場合における調査権の主体がどちらにあるのかというのは長年の議論があるというべきか、あるいは、曖昧にしてあるところに意味があるというべきなのか、それ自体を検討すべきなのでしょうが。
なお、判決文の中で立法案に添付された議会の委員会報告の内容を検討している点は、アメリカにおける、この場合は税法ですが、法の法源性をどこにまで求めうるかということに関して示唆に富むものだと思います。
いわゆる慣習法、判例法を重視するといわれるアメリカ司法における成文法の位置づけがどう捉えられているのかということなのだと思います。成文法に関しては、選挙を経た議会が立法したものであるので、非常に拘束力が強い、さらに、成文法の解釈に関しては、その立法趣旨を知るために有用である議会、委員会における議事、委員会報告等をも参照する、換言するとそこにまで法源性を認めうるということですね。
逆に、この事案においては、財務省のレギュレーションとIRS長官による解釈、日本的にいうと運用指針、個別通達、事務連絡というような感じになるのかもしれませんが、それらの法適合性について判断しているという点も注目すべきなのでしょう。
興味深い論点がたくさんある判決と考えられ、特に改正法以後のものだということでよい検討裁判例であるように思われます。
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by nk24mdwst | 2008-11-22 14:44 | 音楽

wind's cold as you said, how's the sky?

お天道様は、やっぱり大したものです。濡れたズボンも、空っ風の中を歩いているうちに乾き、コートを着ていると汗ばむじゃないですか。
コートといっても、オーヴァー・コートなどという大層なものじゃなくて、単なるレイン・コートであります。
ただ、長い傘を、雲ひとつない空の下で持ち歩いているのは変ではありますが。

昨日の飛行機の中、モノレール、地下鉄とLinda Ronshtadt を聞いています。ボックス・セットを取り込んでウォークマンで聞いているのですが、何でこんな順番なのだって思います。
拘束されていなければ、きっと聞かないかなと。

ソロになっての最初の二作くらいは、まあ、悪くないかなとは思うのですが。必ずしも、個人的にはいてもいなくてもよい人かなと思うのです。いや、これは失言で、私としては必要としないというか、歌手としてどうしても聞きたい人ではないのです。

墓場へ持っていく三枚のLPなんて考えてみるときには絶対に候補に上らない人です。私の場合においてはということですが。

かなりLP、CD集めたけど、本当にこれは誰にも渡せないというものはそうはありません。いっぱいゴミも、私にとってという意味ですが、つかみました。
ゴミも含めて一応聞いたし、ゴミとわかっていても聞きなおすものもあります。参考文献、参照文献、リファレンスとして聞きたくなるという悪癖のせいです。

ロンシュタットのボックスがゴミだとか、特定のアルバムがごみだということでは全然ないので念のため。

参照対象としてのゴミというのは一般論レベルです。

さて、ここからどう進むか。墓場に持っていく三枚、言い換えるとあの世があるとして聞きたい三枚のLPという話にするか。
葬式で流してほしいアーティスト・・・どうでもよいですね。私が何が好きかなんて、自分でも気分で変わる部分が大きいのに最近驚いているので。

エーット、リンダ・ロンシュタット、ジャニス・ジョプリン、トレイシー・ネルソン、エミルー・ハリスというアメリカ組、イギリス組で、サンディ・デニーとクリスティン・パーフェクトを並べてみると何が見えてくるか。キャス・エリオットも加える必要がありますか。
それから、ドリー・パートンかな。

リンダ・ロンシュタットはよい声だし、歌もうまいし、スリックなつくりになってスターになりました。ジャニス・ジョプリンのルックスがロンシュタットくらいだったらどうだったんでしょう。
こういうことを書くと、ジェンダー論の点で問題があるかもしれませんが。

1970年くらいまでのリンダ・ロンシュタットの原から発生するアルト・ヴォイスはよいと思うのですが、それでは大衆的な人気は得られなかったのでしょうか。ボックス・セットを聞いていると、実に才能豊かで色んなスタイルを軽々こなして見せているかに聞こえますが、逆に、私には、彼女のアイデンティティがどこにあるのかと感じるのですね。

彼女のアリゾナ出身のドイツ系アメリカ人のお金持ちのお嬢さんのテキサス・カントリー路線では、押し通せなかったのでしょうね。
スタンダードはちゃんと歌っていますね、さて、それでどうなの?!無いものねだりでしょうか。バックの演奏も含めて破綻が無いという以外・・・。

ドリー・パートンも才能豊かだと思うのですが、クレンジングされたというか、本物のヒルビリーであるにjも関わらず、ハリウッド・ヒルビリーになってから大スターになったというのとも共通するように感じます。

あの世へ行ったら、Magic Migits を見てみたいです。
疲れた酔っ払いの戯言で。

あ、ジョニ・ミッチェルもカウントに入れておかないと。

イギリス組では、あと数人、抜けているのですが、名前が出てこない人がいて。声が思い出せるのに。

ロンシュタットのスタンダードを聞いていて、ちょっと、???です。年齢を重ねると高い声が出なくなるのに、高い声が出るというか、発声の仕方自体を変えているのですね。スタンダード用だから当然ですか?!
バックの演奏も1960年代半ばくらいの水準でしょうか?
そもそも、時代が違うのに、こんなアレンジでこんなスタイルの曲を太平楽に歌っているからアメリカ経済が破綻するだけではなく、世界中を巻き込むのだ・・・なんか腹が立ってきた。

経済ってリニアじゃなくて貸借対照表、確率論じゃないし大数の法則でもない。人間は忘れるからいき続けられるのですが、それは個人レベルの話です。

意味無く突然、怒りが湧き起こってきた。リンダ・ロンシュタットのせいじゃない、せいかもしれない?!

Peter Green 聞きながら寝ます。
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by nk24mdwst | 2008-11-22 02:02 | 音楽