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comming depression

Emily Dicinson の身を削るような詩が、何で中年になった私の心に沁みるようになったのか。
年をとるということにも意味があるのでしょう。

       

      The body grows outside

THE BODY grows outside,—
The more convenient way,—
That if the spirit like to hide,
Its temple stands alway

Ajar, secure, inviting;
It never did betray
The soul that asked its shelter
In timid honesty.

わたしは,アルコールを絶ちました。
アルコールが入ってハイになる代わり、翌日が辛いだけ。
二日酔いは、どんなに飲んでもしないのですけどね。

    84

      I had been hungry all the years

I HAD been hungry all the years;
My noon had come, to dine;
I, trembling, drew the table near,
And touched the curious wine.

’T was this on tables I had seen,
When turning, hungry, lone,
I looked in windows, for the wealth
I could not hope to own.

I did not know the ample bread,
’T was so unlike the crumb
The birds and I had often shared
In Nature’s dining-room.

The plenty hurt me, ’t was so new,—
Myself felt ill and odd,
As berry of a mountain bush
Transplanted to the road.

Nor was I hungry; so I found
That hunger was a way
Of persons outside windows,
The entering takes away.

この昼間からワインを飲む、ギムレットを午後四時から飲むなんて生活、したいものです。
命を削る、肝臓を削る生活ですけどね。

昨日、ブログに書いたこと、何も結論がなくて、思い付きを書きなぐっただけです。
まあ、性格だから仕方がない。

しかし、出版物の寿命と出版部数を考えるとブログの方が長生きするような感じですね。
ごく限られた読者相手に大と期限を設定されて、書きたいことでもないのに書かなければならないというのは苦痛です。ことしは、その類が山積していて。

本が一冊終わったら、次、とその次が待っているという感じで。

やっぱり、逃げ穴としてのブログは必要ですね。ザッパや、カントリー・ロックをきちんと検討するなんて独りよがりをする意欲があるかどうか。

「狂奔する資本主義」アンドルー・グリン(ダイヤモンド社)を読みました。トッドの「文明の接近」(藤原書店)よりもすとんと来るところが多かったです。

しかし、Capitarism Unleashed というのが原題ですから、解き放たれた資本主義とか、資本主義は解き放たれたくらいの邦題にすればいいのに、狂奔はないだろって。
百歩譲って、頚木をとかれた資本主義、とか。

Tom Disch のSF に Concetration Camp という長編があって、エイリアンに人類がつながれている話でした。Humankind on the leash という表現が記憶に残っています。

資本主義のはじまりを論じるなんて無謀な話ですが、東インド会社って何だったのかっていつも思います。それと、中国とかインド、オリエントは無視するわけですが、現代につながる国際金融センターの移動の話について書かれた興味深い本を昔読んだのですが、実家の押入れの奥で書名も思い出せません。

11世紀のビザンチンが中心だったというところから話が始まるのです。
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by nk24mdwst | 2008-03-31 09:45 | その他

grammer

Emily Dickinson です。

       85

      A word is dead

A WORD is dead
When it is said,
  Some say.
I say it just
Begins to live
 That day.

詩の解釈は基本的に今までしてきていないのですが、短いので挑戦、というわけでもないのですけれど。

「言葉は、死んでいる
発せられたとたんに
と人は言う。
私はこう言いたい
言葉は生きはじめるのは
その日からなのだと。」

それを言っちゃお仕舞いよって人は言うけど、言わなきゃわからないじゃないって私は言いたいの・・・などと勝手に解釈しました。

森の誰もいないところで倒れる木の音を聞く者がいないとき、その音は存在するか、という問いに通じるのかなどと考えるのは私の勝手です。

アメリカのロー・スクールは、職業学校であり、法学の体系的概論は教えないのだという話を聞きました。語学教育でも同様で、音楽のように耳から覚え、grammar つまり文法は教えないのだと。文法は最後に少しやるだけだと。

このロー・スクール職業学校論は確かに一理ありますが、その理屈でいけば、アメリカのメド・スクール、つまり医学部もGraduate School なので一般の大学を卒業した後で行く職業学校だという理屈になります。
Riberal Arts に関する部分は、ロー・スクールやメド・スクールに入る前の段階でラテン語教育も含めてなされていて、人間形成のための基礎はなされているという認識が前提にあるのではないかと思います。

あと、娑婆に出てしまえば資格なんて何の役にも立たないのであって実力がすべて。実力が身につくかどうかは、もって生まれた資質、経験を知識に変える能力を持っているかどうかだと思います。

というのが、画に書いたようなアメリカ立志伝的な理想像ですが、実際、実力主義ではあるにしろ、強力な縁故主義が存在するのは事実でしょう。階層移動に関してアメリカが非常に開かれているというのは幻想にしか過ぎません。

潜在能力があったとしても実力を付けられるような経験を積める部署に配されるかどうか、法律家でいえば連邦最高裁とか、ワシントンの大法律事務所に雇われるかどうかというのは、生成期が優秀なだけでは駄目でしょう。コネクションが必要です。
300年来のコネクションが生きているのだから日本よりも古い社会じゃないですか、アメリカのある本質的一面は。

確かに、一般的な日本の教育の仕方とは決定的に異なります。

個人的な疑問ですが、グラマー、つまり文法の教育が有意のものであるかということがまずあります。文法が存在する前に言語は存在し、文法はそれをあと知恵で体系化しようとしたものです。学問としての文法学には意義があるでしょうが、母国語ではない言語を学ぶときに文法が最優先なのでしょうか。母国語においてもそうなのでしょうか。
例えば、英語を例に採ると、文法の例外が非常に多いというべきです。いわゆる、ノルマン・コンクエストによってフランス語経由でラテン語源の用語が少なからずあること、さらに、アングロ言語以前のセルティック語源のものも存在することをあげてもよいです。
このあたりのことは、イギリスにおける階級による発音、語彙、用法の違いに如実に現れているわけです。このような事実を押さえた上でどう捉えるかということです。

さらに、詩人や作家というような文学者は新たな言語、用法を用います。口語を重視するのは現実的な方法であり、それをおざなりにする日本の外国語教育の失敗をあげつらうまでもないでしょう。

いずれにしろ、アメリカのロー・スクールの学生は、大学において学士号をとっているので基本的にラテン語の知識があるはずです。このラテン語の知識は、判例法だとはいうもののロー魔法にまでさかのぼることを要求するアメリカの法曹にとって必須のものだということになるのでしょう。
ラテン語ほど文法的に整合性のある言語はありません。

ラテン語から派生した言葉としては、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語等がありますが、スペイン語が最も古い言葉の要素を持っています。
逆にいうと、発音と表記は基本的に同じですし、文法も理にかなっています。
イタリア語やフランス語は方言なので、発音しない音を表記したりしていて難しい部分があります。

英語はノルマンの征服でアングロ・サクソンの言葉(さらに下層にけると語源の言葉があったりするのですが)の上にラテン系のフランス語語源の言葉が載っているので非常に複雑です。
例外ばかりで、文法なんて体をなしていません。

まあ、日本語もピジン・コリアンだと私は考えていますけど。

次に、比喩としての音楽について考えてみます。
音楽についても、譜面を読めず、全て耳から覚えるという人もいます。しかし、読譜能力という一定の論理システムに対する理解が要求されるのも事実です。ここでいう譜面は、単に西欧古典音楽の譜面のみを指してはいません。
また、西欧古典音楽の譜面を読み、理解して演奏するということは、誰もが同じ演奏をするということとは違います。演奏技術の問題とは別です。
西欧古典音楽おいては、ロックなどよりも小節の伸縮、リズムの伸縮、タイムの変動、揺らぎがあるのが通常です。タイムの揺らぎに対して、厳格なロックは、逆に異質なものと位置づけることも可能なのかもしれません。
揺らぎのあるタイムの国に生まれながら、ロック至上主義者として音楽を聴いてきた私などはかえっておかしいのかもしれません。ある畏敬すべきブロガーの受け売りだと正直に書いておきます。
アフリカ音楽や、その影響を大きく受けているアフロ・キューバンをはじめとするいわゆるラテン音楽には、ポリ・リズムやポリ・フォニーがごく当たり前に見られますし、それとはまったく由来を異にするインド音楽においては、芸術音楽においても大衆音楽においてもどちらも普通に見ることができます。
絶対音感の話はやめます。
世界的に見ると異端である平均律と和声の世界でも小節、あるいは、リズムの伸び縮みがあり、ポリ・フォニー、ポリ・リズムもあるのだということです。

文法と語学習得能力に関して言えば、ノーム・チョムスキーは、全ての人間の言語には生成文法という普遍的特性があるとする言語生得説を唱えています。認知言語学説はこの説を批判しています。私には、これらの説の優劣を評価するだけの能力も知識もありませんが、チョムスキー的な考え方は、根本的な人類平等思想を論拠としているわけです。まあ、チョムスキーは、コミュニストであるのは間違いないところですけれど。
チョムスキーの主義に賛同するかどうかとは別に、個人的には言語生得説には、一定の説得力があると感じます。逆に、これを否定する立場は、優生思想と結びつきやすいというべきです。

法学を社会科学の一分野として位置づけられるか、あるいは、それ以前に租税方が法学の一部なのかなんて議論もあります。
ダーウィンの進化論なんて社会進化論のほうが先にあるのではなどと考えてしまいますが、それはともかく、進化論において現在優勢な遺伝子浮動による中立的進化説に対置するものとして、スティーヴン・グールドに代表される断続平衡説があります。
断続平衡説というのは、生物の進化は漸進的に行われるのはなく、ある日一気に大進化が起こるという考え方です。全身的進化の立場をとると、鳥の誕生とか、鯨の誕生といった進化における中間形の化石の不存在、あるいは、中間形の脆弱性を説明できないのですね。この断続平衡説は、社会科学的に言うと、一時の大きな変化を前提とするという意味で、革命を容認する、言い換えるとマルクス主義的な考え方に通じます。

さらに飛躍して、一般相対性理論に基づくビッグ・バン理論は、神の存在、唯一絶対の一神教の世界の考え方と親和性があります。
それに対して、ノイマンの不確定性原理の考え方は、確率論に基づく考え方で、色即是空、東アジア的な多神教の考え方と親和性があるように感じられます。

さて、この文脈の中で、中小企業の親父としてのFrank Zappa はどこにいるのか。

ここで絶対音感に再登場してもらいましょう。

FZのバンドでいえば、Flo & Eddie は、いわゆる perfect pitch の持ち主だったと思いますが、FZと共演した日本女性で自ら絶対音感の持ち主だと宣言した人を知っています。

Yoko Ono です。'Playground Psychotics'(John Lennon のSometime In New York と同じコンサートです。サングラスをして付け髭をつけたEC がいたりしますけど)を聞いていると、このときのMothers は、フロー&エディーが主役なんですけれど、小野洋子さんの歌声はそれほどの違和感なしに聞くことができたのが最近の発見です。

35年前に、レノンのLPで聞いたときは、こんなもので金を取るかと感じましたが。
ミックスが違うのです。Mothers の演奏に焦点を当てているわけですが、そうするとオノ・ヨーコの奇声は、全く自然に溶け込んでしまっちゃったのですね。
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by nk24mdwst | 2008-03-30 09:29 | 租税法(日本)

FZ & dope

Allen Ginsberg は、好みじゃないのですが、こんなのを見つけました。

    First Party At Ken Kesey's With Hell's Angels

Cool black night thru redwoods
cars parked outside in shade
behind the gate, stars dim above
the ravine, a fire burning by the side
porch and a few tired souls hunched over
in black leather jackets. In the huge
wooden house, a yellow chandelier
at 3 A.M. the blast of loudspeakers
hi-fi Rolling Stones Ray Charles Beatles
Jumping Joe Jackson and twenty youths
dancing to the vibration thru the floor,
a little weed in the bathroom, girls in scarlet
tights, one muscular smooth skinned man
sweating dancing for hours, beer cans
bent littering the yard, a hanged man
sculpture dangling from a high creek branch,
children sleeping softly in their bedroom bunks.
And 4 police cars parked outside the painted
gate, red lights revolving in the leaves.

December 1965

FZ は、バーバンクの連中、つまり、ワーナー・ブラザーズの連中のことをかばんに楽譜じゃなくて白い粉を入れてる連中だなんて酷評していましたが、William Burroughs、Ginsberg 友親交があったようです。

バロウズの原作によるミュージカルを作ろうとしたんだとか。

中小企業の親父だと最近つくづく感じます。

Dope と CIA をテーマにしたギンズバーグの詩もあります。

       CIA Dope Calypso

In nineteen hundred forty-nine
China was won by Mao Tse-tung
Chiang Kai-shek's army ran away
They were waiting there in Thailand yesterday

Supported by the CIA
Pushing junk down Thailand way


First they stole from the Meo Tribes
Up in the hills they started taking bribes
Then they sent their soldiers up to Shan
Collecting opium to send to The Man

Pushing junk in Bangkok yesterday
Supported by the CIA


Brought their jam on mule trains down
To Chiang Rai that's a railroad town
Sold it next to the police chief brain
He took it to town on the choochoo train

Trafficking dope to Bangkok all day
Supported by the CIA


The policeman's name was Mr. Phao
He peddled dope grand scale and how
Chief of border customs paid
By Central Intelligence's U.S. A.I.D.

The whole operation, Newspapers say
Supported by the CIA


He got so sloppy & peddled so loose
He busted himself & cooked his own goose
Took the reward for an opium load
Seizing his own haul which same he resold

Big time pusher for a decade turned grey
Working for the CIA


Touby Lyfong he worked for the French
A big fat man liked to dine & wench
Prince of the Meos he grew black mud
Till opium flowed through the land like a flood

Communists came and chased the French away
So Touby took a job with the CIA


The whole operation fell in to chaos
Till U.S. Intelligence came into Laos
I'll tell you no lie I'm a true American
Our big pusher there was Phoumi Nosovan

All them Princes in a power play
But Phoumi was the man for the CIA


And his best friend General Vang Pao
Ran the Meo army like a sacred cow
Helicopter smugglers filled Long Cheng's bars
In Xieng Quang province on the Plain of Jars

It started in secret they were fighting yesterday
Clandestine secret army of the CIA


All through the Sixties the Dope flew free
Thru Tan Son Nhut Saigon to Marshal Ky
Air America followed through
Transporting confiture for President Thieu

All these Dealers were decades and yesterday
The Indochinese mob of the U.S. CIA


Operation Haylift Offisir Wm. Colby
Saw Marshal Ky fly opium Mr. Mustard told me
Indochina desk he was Chief of Dirty Tricks
"Hitchhiking" with dope pushers was how he got his fix

Ken Kesey とLSD、Grateful Dead、CIA にPhillip K. Dick か・・・

FZは、LSDとCIAの関係、ドラッグしようを公然と認め全米を巡業しているヒッピー・バンドとCIAの関わりの可能性にもインタヴューで触れてましたが・・・まあ、ちょっと考えすぎかなと。

葉っぱと税金についての詩です。Ray Lucero のいうのはもっともな部分もあるかな?!

     MARIJUANA (Quatrain)

Herb that opens up ones mind
Feds can’t tax, so deem illegal
Those that grow get confined
Perhaps time to make it legal

私は、マリファナを合法化すべきだとは考えませんが、ドラッグとしての意味においてはたいした違いのない、アルコールとタバコについては、課税を条件に合法とされているのは事実ですからね。
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by nk24mdwst | 2008-03-29 12:15 | 音楽

bureaucracy

tax がテーマの詩って、結構、面白いということを発見しました。
源泉徴収制度と年末調整で飼いならされた羊にされている大多数の日本のサラリー・マンにはわからないかもしれませんが。

Hariharans Sundaram という詩人は、不勉強であまり知りません。

        Tax, Tax


Tax tax what a faux
Tax tax never to relax
Yet tax is always a must

We have sales tax, service tax,
We have road tax and house tax
Yet we have to pay the income tax

You have to pay tax on the expenses
You have to pay tax on the income
Yet again there is always a deficit budget

In a business you are taxed after the expenses
In a job you are taxed before you get your income
Yet the benefits you get are nothing but none.

Sometimes tax is called a duty
Sometimes duty is called levy
Yet if you do not pay in time you pay a huge penalty

Rich are taxed less, the poor none
It is the middle class which is always prone
Yet the rich get richer and the poor poorer, a real shame.

租税論というか、税とは何かという本質的な問いかけをしています。まあ、解説なんかする必要はないのですが
Yet again there is always a deficit budget
いくら税金を払っても赤字財政だと皮肉っているので共和党の均衡財政論者か、なんて突っ込みたくなります。
ただ、アメリカは連邦政府は大規模な財政赤字を抱えていますが、州政府以下の地方政府レベルでは、原則として均衡財政を採る事を法により義務付けられているのが通常です。
だから、財政赤字を理由に警察の人員整理が行われたりするのです。
逆に、財政黒字が出たときは、減税等によって還元することが義務付けられています。

租税、賦課金、保険料等と呼名は変わっても、支払と給付が必ずしも一致しないのがいわゆる広義の租税だといちづけるとすると、やはり、所得税に対する抵抗感というのはかなりあるようですね。

日本の従来の一般的な租税法の教科書的な発想による所得税の効果なんてのはやはり学者のというか、取る側の論理を発展させたものでしょう。

それから、アメリカやイギリス的なプラグマティズムによれば、中央、地方の政府が公共財を提供するための資金としての租税は必要であり、そのためにどのような形式の租税を使うのが効率的かという考え方になるわけです。
日本のように、租税法概論的な発想はしないことに注意が必要です。これは、租税政策を立案する上でも租税訴訟においても全く同様です。
このような考え方に違和感を覚えるか、それなりに優位意義だととらえるかは個人の考え方です。

日本の法科大学院を出て受ける司法試験では、判例研究が必要です。ただ、その出題傾向を見ていると、ある程度実務を知り、かつ、租税法全体の判例の位置づけを理解していないと回答がかなり難しいように思います。

日本の司法試験では租税法の論文問題であっても正解があるのでしょう。アメリカ的な考え方であれば、正解は存在しないという前提になります。従来の判例及び成文法から論理的に整合性の結論を如何に導く力があるかが試されるわけです。

なお、アメリカのロー・スクールでは租税法というのは、最も重要な科目です。要するにこれが飯の種になるわけですから。

まあ、最後の三行は、一般大衆の考える共通項ですし、真理を付いているというべきなのでしょう。

税金取立て役は嫌われるわけで Elliot Turner Cravern の詩です。

      The Tax Man

Empty pocket, empty wallet
You left me high and dry
Business bust and I feel crushed
The tax man answer why?

IRSなんかにおいては、日本と同様、やはり徴収担当者は一段低く見られているようです。税法を知らなくても調査、徴収ができるというのが官僚機構の素晴らしさなんていうと叱られそうです。

IRSも年金記録を符合させられない日本の社会保険庁と同じような状況だというRobert Pettit の詩です。

      Where Is Saipan, Michigan?

One day, I saw a very unusual thing
in a business newspaper I was perusing.
It was a brief story present on the front page.
A taxpayer considered this thing an outrage.
He was a very honest and straightforward man,
an American from the island of Saipan.
This is a territory in the Pacific;
the Marianas Islands to be specific.
He filed his Federal Income Tax return.
He did not omit anything that he would earn.
The territory was reported as “M. I.”
Some IRS agents soon caught this with their eye.
It appeared that somebody goofed up again.
He got a state income tax form from Michigan.

最近の有名な事件でマリアナ諸島(the Marianas Islands; M. I.)も米国領だと日本人もみな再確認したわけですが、サイパンの住人にミシガン州の州個人所得税が課されるなんて、です。

確かにMichigan 州は、略表記するときはMIにはなりますが。

Jeff Simmons のCDは、いただけませんでした。

the Byrds のどの時代、どのアルバムがすきかというのは色々あるかと思いますが、私は、ほとんど目立たない The Ballad of Easy Rider がClarence White 参加後のものとしては好きです。
今出ているCDは、ボーナス・トラックがたくさんおまけでついてますが、二曲ほどGene Clark がリード・ヴォーカルの曲があり、正式発売ヴァージョンのJim McGuinn の歌のものよりずっといいと思います。
ジーン・クラークは例によってバーズの周辺を出入りしていたという証拠です。
色んな本にも書かれているとおり、ツアーに出ることを拒否するジーン・クラークを入れてザ・バーズとして出すことはできなかったのでしょう。
最近出たバーズのボックス・セットにテレビ出演時の映像がDVDで収録されていますが、その中で、公式にはジーン・クラークがバーズを抜けてからの演奏があります。口パクではありますが、ジーン・クラークがタンブリンを持って歌っています。逆に、David Crosby が不在だったりするのですね。

ツアーに出て、リハーサルと作曲をやすみなくやっつけるFZは、本当に変な人です。ZFTについては、また、いずれ。
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by nk24mdwst | 2008-03-28 12:09 | 租税法(アメリカ)

a phone call from the office

今朝の朝一の電話のせいで、今日はTaxがテーマの詩を拾ってみました。

アメリカじゃなかなか面白いものがありますね。

Kenneth Snow という詩人は知りません。Henry David Thoreau の方は、ハーバード出身の思想家、著述家です。tax resister としても知られています。
tax resister は、連邦、つまり合衆国が州民に租税を課すことは、合衆国憲法に反するとして抗議をする人たちのことです。
現在も、この立場で、U. S. Tax Court で租税訴訟を行っている人が少なからずいるということです。

       On Henry David Thoreau

Henry David Thoreau was not a recluse or hermit
It’s true he spent many hours in solitude at Walden,
writing and contemplating nature; however
he frequented the town of Concord when the
mood struck him. He even got arrested once,
for failure to pay a poll tax.
He would have been content to remain imprisoned—
but he was released,
most likely when Emerson settled his tax bill.
He was not happy with this turn of events—allegedly.
After his experiment in living was complete and the
book he produced was published (to poor sales)
he went back to making pencils…a noble calling

ケネス・スノウ氏は、ソローに対してかなり皮肉な見方をしているようではありますが。
詩の中に出てくる、これまた有名なRalph Waldo Emerson の詩です。

      The Apology

Think me not unkind and rude
That I walk alone in grove and glen;
I go to the god of the wood
To fetch his word to men.

Tax not my sloth that I
Fold my arms beside the brook;
Each cloud that floated in the sky
Writes a letter in my book.

Chide me not, laborious band,
For the idle flowers I brought;
Every aster in my hand
Goes home loaded with a thought.

There was never mystery
But 'tis figured in the flowers;
Was never secret history
But birds tell it in the bowers.

One harvest from thy field
Homeward brought the oxen strong;
A second crop thine acres yield,
Which I gather in a song.

エマソンの方は、謝っているのかどうかよくわからない詩ですが、言い訳しているようには取れます。

まあ、税金でイギリスから革命を起こして独立した国ですからね、アメリカ合衆国は。

念頭においておかなければならないのは、まず、アメリカに住んでいる人たちは一義的に州民であり、二義的に合衆国民であるということでしょうか。

ソローが納税を拒否して投獄されたのは、poll taxです。当時、連邦所得税は存在しませんでしたから。
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by nk24mdwst | 2008-03-27 09:57 | 租税法(アメリカ)

who are paying tax in japan?

今日は、雨模様なのでEmily Dickinsonです。

          I LIKE to see it lap the miles

I LIKE to see it lap the miles,
And lick the valleys up,
And stop to feed itself at tanks;
And then, prodigious, step

Around a pile of mountains,
And, supercilious, peer
In shanties by the sides of roads;
And then a quarry pare

To fit its sides, and crawl between,
Complaining all the while
In horrid, hooting stanza;
Then chase itself down hill

And neigh like Boanerges;
Then, punctual as a star,
Stop—docile and omnipotent—
At its own stable door.

Jeff Simmons のソロ・アルバムを入手しました。Zappa のグループに入って、唯一、勘違いして独立しちゃった人という位置づけでしょうか。
しかし、1969年ごろには、ゼップもみなハリウッドで録音していたのですね。
だから、私が探していたGTOsなんてMothers のGroupie Bandの録音がJeff Beck のアンソロジーの中に入ってて驚くなんてことになるわけです。

さて、日本で税金を払っているのは誰かという問題です。
税金を負担しているのは、普通の人という話になるのですが、払っているのは違います。
源泉徴収制度があるからではなく、源泉徴収制度と年末調整制度がセットになっているからです。給与等の支払者が、源泉徴収義務者であり、税金を支払っているという形になっているわけです。
戦時下でナチスの制度を真似たこの制度をシャウプは廃止の勧告をしたのですけれどね。

日本における給与所得者のおかれている立場は、実質的に無権利状態です。この状況は、実は、厚生年金加入者の場合も同様なのですね。

この小論は、私がある租税専門誌に寄稿したものを英語にしたものです。基本的な主張は変わっていませんが、日本語で書いたものは、アメリカの税制を例として日本の給与所得者課税のあり方について論じました。
それに対し、こちらの方は、読者として日本の税制を知らない外国の人を前提としたので、重点を日本の税制の説明に置き換えて、問題点を指摘するスタイルに書き直しているので元の日本語のものとは同じではありません。

なお、2002年の書いたものなので、当時の税調答申資料等を引用していますが、状況自体は、当時より悪くなっているだけです。

Salaried Employees and Necessary Business Expenses

Introduction

Taxation on salaried employees, the biggest group of Japanese taxpayers, is under review as part of drastic tax reform. This paper discusses the status and position of salaried employees, focusing on the relations between the employment income deduction and necessary business expenses of salaried employees under the Japanese taxation system with respect to income of individuals, as implemented on the principle of self-assessment and taxation on comprehensive income.

Ⅰ Salaried employees, Withholding tax system and , Year-end adjustment

In Japan, employment income is subject to tax withholding at the source. The payers of salaries, wages and other allowance are obliged to withhold the tax when paying salaries, bonuses, etc. to their employees and remit the tax withheld to the national tax authority. Most salaried employees are not required to file a final return. Because if his or her employment income was paid by only one employer and his or her employment income receipt was ¥20,000,000 or less the year-end adjustment of withholding income tax is made in the final payment for the year by the employer, thereby clearing the difference between the finalized tax liability and tax withheld during the year.
With the employment income deduction discussed here and through the tax withholding system, most salaried employees in Japan are able to satisfy their tax obligations and are not required to file tax returns, which means they are almost isolated from the national tax authorities.

Ⅱ The system of employment income deduction

1.Historical development and significance
The history of employment income deduction started in 1913 with the introduction of the earned income deduction. After World War II, the “Shoup Mission’s Recommendation” (*) clarified the rationale of the earned income deduction. In this, they cited that
(1) the deduction represents a sort of depreciation allowance for the exhaustion of working life of individuals; (2) it represents a recognition of the effort and sacrifice leisure involved in “earning”; (3) it is a rough allowance for additional expenses incurred because of the work which nevertheless cannot for administrative reasons be allowed as specific deductions, since they are often almost indistinguishable from normal living expenses; (4) it operates to offset the relatively more adequate assessment of wages and salaries as compared with other form of income.
It deserves note that the Shoup recommendation included abolishing the year-end adjustment.

2. The Supreme Court decision in the case of Prof. Oshima’s litigation
Prof. Oshima of the Doshisha University filed a suit stressing the Constitutional illegality of the taxation scheme whereby necessary business expenses, such as are deductible from business income, are not deductible from employment income. The Supreme Court dismissed this suit quoting the following characteristics of the employment income deduction.
  
The employment income deduction allows for a predetermined equitable amount for necessary business expenses. It (1) supplements the unstable capability of tax due, which can be seen, for instance, when an employee dies, with income ceasing and (2) the disadvantage that employment income, withheld at the source, is more accurately assessed than other form of income. Moreover, (3) since withheld income tax is paid earlier than other form of income tax that is paid with filing a final return, it compensates for the interest employees could enjoy if their tax were not withheld (Note 1).

In my assessment of the court judgment, the Supreme Court characterizes the employment income deduction as standard deduction for necessary business expenses, but they failed to verify how the above elements are numerically reflected in the employment income deduction. It merits regard that, in reality, ordinary salaried employees tend to overestimate their necessary business expenses.

3. Specific expense deduction for salaried employees
After the case of Prof. Oshima, the income tax reform of 1987 provided for a special arrangement to specific expense deduction for salaried employees. If the amount of specific expense deduction for salaried employees exceeds the amount of the employment income deduction, the excess is allowed as a specific expense deduction (Article 52-2, the Income Tax Law). However, specific expenses are limited, which include; necessary transportation expenses for commuters, ordinary and necessary expenses to move in connection with job transfers, necessary expenses for education and training directly related to qualifying for one’s job (but not for expenses of qualifying as a professional, such as a lawyer, CPA, etc.), travel expenses of a single person starting in a new post (tanshin funin – i.e. visits to family home by a person in a temporary assignment away from home). Owing to such limitations, this scheme applied to only seven individuals in the fiscal year of 2001. In practice, the arrangement does not appear to be functioning well and we cannot but doubt that it is actually a scheme to allow salaried employees to claim a deduction for necessary business expenses (Note 2).

4. Opinions stated in the Government Tax Council’s Interim Report, July 2001
In its Interim Report of July 2001, the Government Tax Council stated
"…employment income deduction is characterized as a ‘standard deduction for necessary business expenses’ and ‘functions to offset a heavier tax burden compared with that of other form of income.’ However, the Council hereafter will consider the employment income deduction necessary business expenses’….”

The Council concluded,
"If the current scheme of employment income deduction is to be reviewed, considering its element as standard deduction for necessary business expenses, application of specific expense deduction for salaried employees will increase, which will provide salaried employees with more chances to personally assess their income and tax amount.”

Although the Council predicted that application of specific expense deduction for salaried employees would increase, they did not review the contents of specific expenses. This implies that the Council suggested lowering the level of employment income deduction as a precondition.

Ⅲ Necessary business expenses for salaried employees

1. Comment by the Government Tax Council
The Interim Report of the Government Tax Council stated,
"…to estimate the actual employee business expenses in Japan, the Council studied the result of the household survey and chose certain expenses deemed necessary in relation to employee business, taking into account the employee business expenses deductible in other countries….”

According to the Council’s studies, the average annual employee income was ¥6,510,000 and the average employee business expenses were ¥433,000, which represents some 6.7% of the gross earned income.
The Council recognized that certain irrelevant items such as haircuts, clothes cleaning, pocket money, etc. are counted as employee business expenses. A few relevant items were omitted. The reason the Council showed no material which distinguishes employee business expenses and household related expenditure might stem from problems in statistical techniques, but the Council seemed unable to establish a clear concept of employee business expenses, which are deductible.

2. The concept of necessary business expenses in Federal income taxation of individuals in the U.S.
(1) Federal income taxation of individuals who have only wages, salaries, etc.
Federal income tax withholding is required for wages and salaries, but without the year-end adjustment as we have in Japan, every individual who has income from wages, salaries is required to file a return.
Adjusted gross income is defined as gross income minus: trade and business deductions, certain trade and business deductions of employees, and others. Taxpayers who do not itemize their deductions are entitled to a standard deduction. Taxpayers have the choice of itemizing deductions or taking the applicable standard deduction amount, whichever figure will result in a higher deduction.
(2) Standard deduction
The amount of the standard deduction varies according to the taxpayers filing status. For example, a husband and wife who file separate returns cannot claim the standard deduction when his or her spouse chooses to apply an itemized deduction.
The amount of standard deduction differs according to the status of taxpayers. For 2002, it is $7,850 for a husband and wife who file a return jointly, $4,700 for an unmarried person, and $6,900 for a head of household.
A taxpayer who chooses to apply the standard deduction cannot apply the itemized deduction such as business expenses, theft or casualty loss, medical expenses, donation to charities, interest on housing loans, state taxes, plus a few others.
Reportedly, about 70% of American wage earners choose the standard deduction.
(3) Itemized deduction
The basic code sections that define what is deductible are Internal Revenue Code section 162 and 262. I.R.C. section 162(a) defines,
“There should be allowed as a deduction all the ordinary and necessary expenses paid or incurred during the taxable year in carrying on any trade or business….”

This provision applies to a taxpayer, whether a corporation, an individual, a partnership, or a trust or estate. Needless to say, individuals include salaried employees. I.R.C. section 262(a) also provides that
no deduction shall be allowed for personal, living, or family expenses except as otherwise expressly provided.

(4) Ordinary and necessary expenses
Whether an expense is ordinary and necessary is based on the facts surrounding the expense. An expense is necessary if it is appropriate and helpful to the taxpayer’s business. An expense is ordinary if it is one that common and accepted in the particular business activity.
Thus, interpretation of the “ordinary and necessary expenses” concept is given wide latitude. However, it deserves note that legislation places a specific limit on expenses, such as 50% for food and beverages.
(5) Employee business expenses
The performance of service as an employee is considered to be a trade or business. Thus, employee business expenses are deductible, generally. Individuals who are considered to be “statutory employees” may deduct their allowable business expenses from gross income. Statutory employers include a full-time traveling or city salesperson, a full-time life insurance agent, an agent-driver or commission-driver, a home worker performing work on material or goods furnished by the employer.

3. Standard deduction and minimum taxable income
International comparison of the minimum taxable income among various countries whose taxation system, social welfare system, etc. differ from each other requires caution. It would not be appropriate to select salaried employees who belong to a standard type of family in each country as examples, apply the exchange rate to their minimum taxable amount to get the equivalent in local currency and compare them according to country. I also insist it inadvisable to include employment income deduction in the general discussion on calculation of the minimum taxable income (Note 3).

Ⅳ Final tax returns filed by salaried employees

The cost and merit of filing final tax returns by salaried employees
If Japan introduced the principle of allowing salaried employees to choose either the standard or the itemized deduction and file their own final returns, the administrative cost would increase. Salaried employees would be required to keep books of accounts and relevant records or documents, which would impose a new burden and cost on the taxpayers. In addition, the number of taxpayers filing tax returns would increase. Whether the current framework of the certified public tax accountants could cope with such a change remains somewhat debatable.
The merit would be the possibility of introducing negative income tax, such as the earned income tax credit in the U.S. or the GST (Goods and Sales Tax) credit in Canada (Those are refundable.). The introduction of requiring salaried employees’ filing final tax return also would be it possible taxing on fringe benefits, which are one of the biggest loopholes. Then Japanese people would get more conscious about the use of taxes.

Ⅴ Taxation issues for small and medium-scale enterprises

There are more than 2.5 million corporations in Japan. Most of them are small or medium-scale family operations. An obvious reason for the existence of such a large number of small corporations is that they can enjoy a lighter tax burden by using the system of employment income deduction. Everyone knows that by incorporating their business and paying salaries to the proprietor and employees, who are usually their family members, they can apply employment income deduction for salaries paid and can save more taxes than if they file individual income tax returns for their business income.
If Japan introduces the itemized deduction for salaried employees, I suggest considering a scheme of taxation whereby a company below a specific size is treated as group of individuals such as “S Corporation” of the U.S. and individual stockholders are taxed.
Regarding the theory of dual income taxation recently discussed, we should not consider the situation in Japan merely by comparing it with that of Nordic countries: Japanese income taxation of individuals is a kind of schedular one, where separate taxation applies for income from interest, dividends, capital gains, while comprehensive income taxation was norm in Nordic countries. We also must recognize that even by discussing the theory of dual income taxation, as for as taxation on small and medium-scale firms, it is not easy to divide the income derived from finances or assets and that derived from labor (Note 4).

Conclusion

I recommend that salaried employees be given a chance to file their final return with claiming a deduction for necessary business expenses. I also recommend the alternative system so that taxpayers can choose either the standard or itemized deduction. The amount of standard deduction should be determined taking into consideration the minimum taxable income, with its upper limit set.
Introducing a system whereby salaried employees file their final return means that a huge number of taxpayers well aware of their rights will emerge in Japan and that it would be effective in resolving the feeling of unfairness held by many salaried employees. It is highly doubtful that the conventional tax administration in Japan could cope with such a new group of taxpayers. Taxpayers, including the people who earn business income under the current taxation scheme, would be required to keep accurate books of accounts, relevant records, documents, etc. In other words, since it would be a precondition for taxpayers to keep books of accounts, the current system of “blue tax return filing” (**) as a “privilege” would be abolished. At the same time, provisions for the obligation of taxpayers to keep books of account must be prepared, with rules for tax administrative procedures and legislation on taxpayers’ rights required. Those arrangements would be essential since it would be in the nation’s best interests under circumstances where all Japanese citizens must file tax returns.

Note 1:Decision by the Supreme Court, 27 March 1985 (P.5507 “Tax Litigation Materials No. 144”)
Note 2: P. 200 “Tax Laws, 8th edition,” authored by Prof. Hiroshi Kaneko (published by Kobundo in 2001) states different views.
Note 3:“Comparative Studies on Minimum Taxable Income in Japan & U.S.” in “Ten Years’ Implementation of the Consumption Tax Law,” authored by Prof. Takehiro Negishi (published by Horitsubunkasha in 2000) takes the comparative approach by the substantial minimum taxable income.
Note 4:“Economic Policies of Nordic Countries” in “Taxation on Income for Small and Medium-Scale Enterprises,” by Hagen, Kare, Petter, et al. (published by Japan Securities Research Institute in 2001)

(References)
- McNulty, John K., Federal Income Taxation on Individuals, West Group, St. Paul, 1999
- Mitsuaki Usui, “Deduction for home office expenses in the U.S.” in “Tax Administration and Remedies for Taxpayers” (Chuokeizaisha 1997)

(notes)
* “Shoup Mission’s Recommendation”
The mission headed by Dr. Carl S. Shoup was invited from the U.S. in 1949 to review and modernize the structure and administration of the Japanese tax system. After four months’ study, they submitted the recommendation for an overall tax reform plan, which became the foundation of today’s Japanese taxation structure.
** “Blue Tax Return”
Taxpayers who earn income from businesses, real estate or timber and fulfill certain requirements, including keeping books of accounts, are allowed to file blue colored tax returns and enjoy certain privileges such as special deductions, etc.

アメリカにおける概算控除は、給与所得者だけではなく、全ての個人所得税申告者に認められているものです。概算控除を選択した納税者は、日本では実額控除が選択できる医療費控除、寄附金控除、雑損控除等の適用を受けることができず、人的控除のみとなります。

給与所得控除をどう位置づけるかという問題を抜きにして、これを含めて上での国際的な所得税における課税最低限論は全く意味を持ちません。
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by nk24mdwst | 2008-03-26 09:30 | 租税法(日本)

it'S juSt Spring

きょうは、本当に、春が来たという日和であります。

E. E. Cummings の有名な春の詩を。

         In Just-

in Just-
spring    when the world is mud-
luscious the little
lame baloonman

whistles    far    and wee

and eddieandbill come
running from marbles and
piracies and it’s
spring

when the world is puddle-wonderful

the queer
old baloonman whistles
far    and     wee
and bettyandisbel come dancing

from hop-scotch and jump-rope and

it’s
spring
and

    the

        goat-footed

baloonMan    whistles
far
and
wee

陽気に浮かれて素っ頓狂な声を出して読むのです。

特に最後のところ far and wee !!!! って。

Well, then today's secret word is ……

Yellow Shark は、FZのスワン・ソングなのかな・・・
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by nk24mdwst | 2008-03-25 12:15 | Poetry

it's raining, where is spring?

春は、まだかというよりは、今年は冬がなかったというべきで、冬か春かは、日照時間が延びたことで感じるだけです。

気分が春めいてきたら e. e. cummings を採り上げようかなと思っていますが、Emily Dicinson をまだ引きずっています。
それでも、例年よりは、はるかにましなのですけれど。

         Who never lost, are unprepared

                  36

WHO never lost, are unprepared
A coronet to find;
Who never thirsted, flagons
And cooling tamarind.

Who never climbed the weary league—
Can such a foot explore
The purple territories
On Pizarro’s shore?

How many legions overcome?
The emperor will say.
How many colors taken
On Revolution Day?

How many bullets bearest?
The royal scar hast thou?
Angels, write “Promoted”
On this soldier’s brow!

エミリー・ディキンソンが男に生まれていたらなんてどうでもいいことを考えてしまいました。

Gary Snyder の詩です。

      Civilization

Those are the people who do complicated things.

they'll grab us by the thousands
and put us to work.

World's going to hell, with all these
villages and trails.
Wild duck flocks aren't
what they used to be.
Aurochs grow rare.

Fetch me my feathers and amber

               *

A small cricket
on the typescript page of
"Kyoto born in spring song"
grooms himself
in time with The Well-Tempered Clavier.
I quit typing and watch him through a glass.
How well articulated! How neat!

Nobody understands the ANIMAL KINGDOM.

               *

When creeks are full
The poems flow
When creeks are down
We heap stones.

京都の春をテーマにしているわけではないです。
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by nk24mdwst | 2008-03-24 09:56 | Poetry

What is trust?

Frank Zappa の遺族によって運営されているZappa Family Trust があまりに絶対権力者として振舞うので、さすがに、みな怒り出したというわけです。
家族が勘違いしちゃっているのですね。
    Aggressive Action by the Zappa Family Trust

To: Zappa Family Trust

We the undersigned petition the Zappa Family Trust (ZFT) to cease and desist from making threats of legal action against FZ tribute bands, FZ fan sites, Zappa music festivals and other related activities that are designed first and foremost to honour and promote Frank’s music, despite not being ‘approved’ by the ZFT.

While we applaud the work that the ZFT has done – especially in recent years, with the Zappa Plays Zappa tours and the release of CDs & DVDs such as Buffalo, Wazoo and Baby Snakes – we do not see those threatened by the ZFT as being in any way detrimental to Frank’s legacy. Indeed, while recognising that there truly can be no real substitute, we perceive any attempt to curb such alternative activities will be more likely to have a detrimental impact on the legacy.

We consider that the ZFT would be better targeting those who produce and sell Zappa bootleg recordings and pirate memorabilia – of which there are a numerous examples on the Internet. If the ZFT are to unleash the lawyers, they should be aimed at them and not us - the truly devoted fans.

Sincerely,

The Aggressive Action by the Zappa Family Trust Petition to Zappa Family Trust was created by and written by Gwyn Hubball (gwyn@weblogistics.co.uk). This petition is hosted here at www.PetitionOnline.com as a public service. There is no endorsement of this petition, express or implied, by Artifice, Inc. or our sponsors. For technical support please use our simple Petition Help form.
http://www.petitiononline.com/ZFT/

ザッパ・ファミリー・トラスト御中

われわれは、ザッパ・ファミリー・トラスト(ZFT)に対して、フランクの音楽を称えること及び広めることを第一かつもっとも重要な目的として企画されているFZトリビュート・バンド、FZファン・サイト、ザッパ音楽祭のうち、ZFTによる許可を受けていないものに対して法的手段を講じるという威嚇を取り止めることを求める請願書に署名しているものである。

われわれは、ZFTによる、特に、近年におけるZappa Plays Zappa ツアーやBuffoa, Wazoo それにBaby Snakes のようなCD、DVDの発売といったZFTの業績を賞賛するものである。他方、ZFTにより威嚇されている人々については、フランクの遺したものを汚すような存在であるとは全くいえないと考えている。実際のところ、現実的な代わりの手段が存在しうるとは考えてはいないものの、このような変則的な行為がフランクの残したものを汚すことになるのを食い止めるためにいかなる手だてが講じられるべきか認識している。

われわれが見る限り、ZFTはザッパのインターネット上に無数に存在する、ブートレッグ録音や海賊版回想録を作ったり売ったりしているものたちをターゲットとするべきである。

まあ、いい加減な訳です。特に Indeed 以下のところは適当にやっつけてあります。
FZTのやり口に反対の人は、つまり、この申立てに賛同して三世の署名をしたい方は、上記のサイトへアクセスして下のボタンを押して申立人として署名することにより参加できます。

一応、バランスをとるためにZFT及びザッパのオフィシャルサイトはここです。

ZFTがFZの曲等を演奏したり、引用することことに関して絶対的な拒否権を行使することに対する抗議です。FZの名前を汚すような行為をしているのはZFTの方であって、そんなことをして得をするのは、ブートレッガーの方だというわけです。
United Mutations のようなファン・サイトに対しても同様の態度をとっているようですね。
ZFTが、訴訟を起こすなら受けて立つって言ってます。
Mothers OB による Banned From Utopia あたりの演奏をどう評価するかは、人それぞれでしょうが、FZが遺した楽曲、編曲も含めた演奏の全てに対する批評、解釈の権利はZFTが優先的かつ独占的に有するというのは理解に苦しみます。

しかし、この訴訟好きというのは、FZ譲りだとしかいいようがないですね。
Verve から、Master Tape を取り返すこと、Royal Albert Hall との有名な訴訟、マネージャーだったHerb Cohen との訴訟、Werner Brothes との訴訟、はては、オリジナル・マザーズのメンバーだったJimmy Carl Black との訴訟(ここで和解ができたので、Ahead of Their Time が世に出せるようになったわけです。)、FZは、音楽家なのか訴訟マニアなのかよくわからないくらいです。

FZの名義となっている楽曲における作曲、編曲、歌詞の中に、それらが作られたときのバンドのメンバーのアイディアやインプロヴが元となった部分があるのは、みなが知っていることのはずですし。

まあ、自分に自身のある職人肌の中小企業の親父そのものですね。アントレプレーナーなんていうと格好がよいですが。

ZFT は、DVD の Frank Zappa: Apostrophe / Over-Nite Sensation の中でちらりと出てくる、FZの自宅地下倉庫に膨大にあるテープ群の中からJoe's Domage レベルのものではない演奏を引っ張り出してきて公にすべきだと思いますね。それがFZのためになることだと私なぞは考えますが。

信託法が日本でも改正施行されたばかりですが、投資信託とか金銭信託、不動産信託とは違う、事業信託の概念が日本でも使えるようになり、法人税法の改正によってそれに対する課税の仕方が規定されました。

このTrust が事業を行うということについて、日本ではちゃんと理解できている人が少ないようです。

Jimi Hendrix の遺族のほうはExperience Hendrix, LLCによって遺族がロイヤリティ等を受け取れるようにしています。

Wikipedia は例によって、知識不足を露呈していて、LLC と trust の区別がわからない人が書いたような解説になっています。
事業信託という概念というのは大事だと思うのです。

trust というと Gram Parsons を思い出すのですが。

私は、自作の中でIRSについてふれているFZは、税制上のことも考えてLLCではなくtrust を選んだのだと考えてますが。
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by nk24mdwst | 2008-03-23 08:52 | 音楽

I'm nobody

またEmily Dickinson です。

         I ’M nobody! Who are you?

              27

I ’M nobody! Who are you?
Are you nobody, too?
Then there ’s a pair of us—don’t
tell!
They ’d banish us, you know.

How dreary to be somebody!
How public, like a frog
To tell your name the livelong day
To an admiring bog!

なんという絶望感、疎外感なのでしょう。

19世紀のアメリカ東海岸の女性の詩ではありますが、現在では誰もが感じることではないのかと。

The Prisoner におけるNumber 6が常にNumber One は誰だと問いかけ続けていますが、これはこだまのように自らに跳ね返り、ナンバー6、お前は誰なのだという問いになってしまっているように感じます。

ナンバー6が自らの素性を明かさない、明かせないのと同様、ナンバー1が誰かというのも永遠のなぞです。

例によって話は急に変わるのですが、Frank Zappa の音楽の本質をSatire としてとらえるとした場合、それをどう評価するかということはかなり難しい問題です。
FZは、非常に優れたsatiristであったのは間違いないと私は考えますが、優れているがゆえに強力な同時代性を持っているわけです。
この優れて同時代批評的な精神は、その時代を理解できないと評価をすることができません。

私は、個人的には、1971年のフィルモア・ライブあたりから発売時にレコードを聞いていますが、はっきりと時代批評精神を理解して聞くことができるようになったのは1980年ごろです。
そのころに追いついたような気がするのです。しかし、当時の私は、FZがやっている音楽自体については、1960年代の焼き直しをやり続けている、自己複製をしているとしか感じられませんでした。
FZ自身は、そのあたりもおそらくきちんと自覚していたのは間違いないところではありますが。

1970年代初頭の Flo & Eddie にAynsley Dunbar がドラマーだった時代のMothers がやっていた、当時のLAの音楽シーンに対する斜に構えた風刺劇は、残念ながら当時、日本の田舎の高校生だった私には難しすぎました。
Happy Together のキラー・ヴァージョンがあってもその真意がつかめませんでした。

Terry Bozzio を擁してディスコ・ブームを皮肉った時代に私は、音楽的に追いついたのが今の実感です。理解できたといっているわけではもちろんありません。

Freak Out!における、ドゥー・アップやストレートなブルース・ナンバーとは裏腹な当時のアメリカ社会批評の意味なぞ今頃になってそうなのだとわかっているだけです。

音楽による社会批評に意味があるか、あるいは、音楽業界風刺を意図した音楽にどんな意味があるかということ自体については、留保せざるを得ません。

ブーレーズやアンサンブル・モデルンによるFZの曲をいわゆるアヴァンギャルド・クラッシックとして聞くと、逆にその聞き易さに驚きます。逆に、譜面に書いてあるとおりだからそうなるだろうという話です。

1968年ごろにズービン・メータとロサンジェルス交響楽団がFZに委嘱して作曲させ、Mothers が共演した演奏がきちんとした形で残っていれば、後年のフル・オーケストラ・ヴァージョンに対する評価も違ってきたかと思いますが。

FZが、Live で徹底的に腐しているPeter Franmpton ですが、リアル・タイムでは個人的にフランプトンのことがよくわかりませんでしたが、今は、Eric Clapton よりはるかにましだと考えています。Steve Marriott とフランプトンは好きなものは好きとしかいえないのですね。
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by nk24mdwst | 2008-03-22 22:39 | 音楽