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snow crystal

 久しぶりにフリートウッド・マック聞いてます。ピーター・グリーンがいた頃のやつしか聞きませんけどね。というか、アメリカに渡ってからは興味がなくなった。
 FENで、何気なく聞いてて、ヒット曲を出してるので驚いたのは、一つがマック、も一つは、スティーヴ・ミラー・バンドかなあ。今朝も、聞いてたんだけど、ブルース・ハープをダスター・ベネットがやってるのがあるのだなって。

 母の父の話でもしますか。

 母の父の名前を検索しても出てきません。同姓同名の別の人がいるようですがまだ20代であるようで。

 まあ、その一家の本家筋の当主の名前は出てきます。地租改正のときの百姓一揆のところで初めて名前を見たのだけど、その県史のページ目録はウェブから消えてるみたいです。時代が下がって明治30年代半ばの帝国議会議事録にいくつか記載があるのを見つけました。同一人物じゃなくて、きっと、焼き討ちにあった人の息子なんだろうな。母方の祖父の父の世代か。

 父方の話でもしますか。祖父と祖母は姓が同じです。おそらく遠い親戚なのだろうと思うけれど、原戸籍から底まで遡れません。寺の過去帳あたるしかないですね。今は合併して同じ市になってしまいましたが、以前は違う町だったし、さらに昔は違う村だった。
 父方の祖父は、百姓一族の次男坊だったので、農家は継がなかった代わりに学校へ行かせて貰った。父方の祖母は、98歳まで生きました。最後は、私たちの顔も忘れてしまってましたが、酸素マスクが嫌で、「お願いです。どうか、これを外してください。」っていつも言ってました。子供に戻ったせいか、言葉から方言が抜けてました。
 この祖母は、生まれ育ったのは舞鶴です。祖母の父、つまり私の曽祖父が海軍軍人だったからです。農家の三男坊で継ぐべき田もなく、志願して帝国海軍に入ったのですね。日露戦争に従軍しています。駆逐艦に乗ってたのだけれど、撃沈され、一晩、海を泳いでいたのだそうです。で、助けられて、最後は、海軍特務大尉で辞めたそうです。江田島出じゃなくて、たたき上げだから、特務ってつけるんですね。身分制度の国です。
 まあ、それでも海軍将校の娘だったわけです、祖母は。
 祖母から聞いた話ですが、2歳年下の弟と二人、いつも紋付を着て小学校へ通ってたそうです。大正の初めごろですね。曽祖父は、昭和天皇が戦艦三笠で世界一周したとき、三笠に乗船してたそうです。
 祖母は、小学校で周りの同級生が、いつも弟や妹を連れて、あるいはおぶって学校へ来てたのがうらやましかったそうです。要するに、子供の面倒を見る人がいないほど周囲の子供たちは貧乏だったってことですが。それで、わざわざ、学校に上がる前の大叔父を連れて小学校へ行ったのだといってました。
 祖父母は、どちらも、小学校の教員をしていました。まあ、そんなだから親父がぐれたのだと思いますけどね。

 祖父は、気難しい人で嫌いでした。親父とも余り口をきかなかったけれど、祖父ともそうですね。妹たち二人を溺愛してましたが。これは、ずっと後で聞きました。彼女たちは、二人とも小学校の宿題をやったことがないっていってました。全部、祖父がやってくれたって。女好きなんです。親父もそう。私は、反面教師で。

 戦時中、終戦直後、祖父は、地元の小学校の給食の係りだったそうです。祖父の教え子で私の同業者になった人が少なからずいるのですが、一番、切れる方が、かつて、そっと寄ってきて、うちの祖父が一番の権力者だって俺は知ってたって。そりゃ食糧難の時代ですからそうですよね。

 祖父は、音楽教師で卒業式とかで君が代を弾いてたのだそうです。まあ、それはともかく、家にはたくさん楽譜があったのだけど、あれ、どうなったんだろう。自分でもよく解らないのは、12歳の時には楽譜を読めたこと。誰に習ったって記憶はないのだけど。私は、いつもなんでも自己流独修なので、駄目なのですが。
 祖父は、地元のわらべ歌の蒐集をしていました。小学校の生徒を集めて録音をしNHKの地元放送局が流したことがあったようです。これは、NHKがそのテープを持ってきたから知りました。兵隊さん、ありがとうって言葉から始まるので時代が偲ばれますね。

 祖父や祖母については、この商売始めてから、昔、世話になったって話を聞きました。気難しい祖父、お嬢さん上がりで料理が下手だし家事が嫌い、一日中、小説を読んでいる祖母でしたが、教え子を連れて何か食べにいったりしてたみたいです。女性には、手に職をつけるのだといって励まし、看護婦さんになって勲章貰ったって話を聞いたりしましたが。

 家では、僕らはほったらかしでした。少なくとも私は。

 まあ、私は百科事典少年だったので、中学くらいまでは教科書に書いてあることはみんな知ってたってかんじですね。よく解りませんが、私の中学時代は、自主学習スタイルというのでグループで予習をしてきてみんなで勉強するという形でした。まあ、みんなで教えあったり、解らないところは先生が居残りさせたりしてましたね。私は、やたらと器物損壊をするやつだったので親が呼ばれた。

 中学時代の思い出か。プールで体育の授業中おぼれた。アポロが月に行ったとき、学校の中庭の掃除をしてた。冬の雪かきは寒かった。中学3年生の夏休み前で部活を卒業させられたので、9月からは勉強ばかりすることになったわけですね。趣味がギターを弾くことというのは、結構辛いです。だって、勉強してるよっていってギター弾いてたら勉強してないこと解りますからね。まあ、なぜか、勉強も嫌いじゃなかったというか新しい知識を吸収すること自体は嫌いじゃなかったので勉強の習慣はつきました。

 高校受験が終わって、3月20日頃に高校の教科書を貰いました。買ったのですよね。することないから、勉強初めて、4月に学校が始まる頃には全教科、一学期分くらいは終わってたのかな。高校時代は、学校では勉強しました。授業なんか聞かずに、自習です。家ではギター弾いて遊んでた。後、本を読んでた。
 この調子でやってたら、高校3年の1学期に全部終わったのですね。みんなは、ここから受験体制に入るのだけど、大学受験問題ってのが面白いものもあればそうでないものもあって投げやりになった。まあ、理由は、高校3年の夏休み、全然、勉強しないで9月試験受けたらその結果が・・・だったからつまらなくなったのです。

 まあ、受験ってテクニックだから、受験テクニックを磨けば誰でも何処でも合格する可能性があるって税理士試験受験経験から言えるけど、昔はそんなことも思ってなかったし。そもそもなぜ、大学に行くのかって理由が自分でもよく解ってなかった。さらに、日本のヒエラルキーって何なのかってことも知らなかった。どっちにしろ、私のような生まれの人間は、何処まで行けるかって生まれたとからわかってるってことかな。当時は、知らなかったですよ。

 まあ、その後色々、あったけど、折々、道を拓いてくれる先生が現れて・・・これは、感謝、感謝、感謝でしかないですね。
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by nk24mdwst | 2012-12-15 18:00 | 記憶

it's gone

 きのう、ここに、母方の祖父の家のことを色々書いているとき、来客があり、1時間余り応対。書きかけだったことを失念してて、消しちまった。メモを取って、ここへ貼るなんてことはしないので。

 今日は、本気で宿題しないと叱られる。

 明治時代の地租改正とその後の一揆の方が江戸時代のやつよりひどかったなんて話だったんだけど、いずれ、いつか気が向いたら。
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by nk24mdwst | 2012-12-15 10:26 | 記憶

ever or never

 人は、永遠には生きられない。永遠に続く今日を生き続けるだけなのだけど、それには、当然限りがあって、それがいつか、普通はわからないからなんとなく日々をすごしていられる。

 一応、私は、半世紀以上、生きてきたわけで、これから先の方が短いことだけは確かです。何をすべきか。それを考えるだけで何もせずにすごすなんていうのありかもしれません。限られた人生なのだから、有益に使おう、などと殊勝なことを考えたりもする。

 まあ、最低限、母親とかみさんの母親が存命なので、それより先に、この世からおさらばというわけには行かないと覚悟だけはしているものの、結果がどうかは神のみぞ知る。
 今日もザッパを聞いているけれど、ザッパなんか50代半で、亡くなったし。ラヴィ・シャンカルは、まだ、生きてたとは知りませんでした。

 生きている間は元気でいたいと思うけど、これだって解らない。とはいうものの、元気いられる間に何をすべきか。もちろん、こんな駄ブログ、書いているのが一番の無駄。

 食って寝て、ボーっとして、それでいいか。もちろん、それは最高ですね。

 ボーっとしてられるか。残念ながら、それは無理です。理由は簡単で、関与先のために働かなければならない。嘘です。自分の食い扶持(借金の返済)のために働かなければならない。これは、仕事があるだけましなのだけど、消費税率の引上げと同時に生活全般の危機に陥ることは目に見えてる。まあ、日本全体が沈没すると思っていますけどね。みんなで沈没するから恐くない?馬鹿いっちゃいけない。どこかの馬鹿のおかげで沈没の巻き添え食うのなんて真っ平御免です。だけど、所詮、私の稼業は、中小礼さ事業者のコバンザメなので、サメが死ねばおしまいです。

 仕事って一応アウトプットなのかな。真面目に仕事しようとするとインプットが必要なのですけどね。

 アウトプットとインプットのどちらに時間を割くべきかって考えてしまいます。経済成長が必要か論に通じる。ははは、得意のジャンプしたのでついてこられませんね。

 人生の残された時間で読むべき本、聞きたい音楽、これがたくさんなある。このブログに少しそうやってインプットしたものをアウトプットしたい。原稿の締切りとかあって、とにかくそれが嫌で、これ、書いてるのです。原稿のテーマはとても難しい。簡単すぎて難しい。個人の価値判断や経験則、私の個人的な考えを求められていないので難しい。というか、やる気がわかない。2万字、あるわけじゃない殻、取り掛かったらすぐにできるという頭が半分。逆に、残りの半分は、誰が書いても同じ答えだから個性を出すのがとてつもなく難しい。個性って書くとかっこいいけれど、誰かの盗作、丸写しにしないようにするのは難しい。かれこれ4ヶ月抱えていて、出来野は、単なる天邪鬼。途中で、循環の新聞原稿を5回連載する羽目になって、毎週の締切りにあわせて原稿書いたりしたのだけど、あれは、テーマ自体は自分が選び、好きなように書いたから。
 一本だけの約束だったのが、書くはずだった某有名弁護士が、飛ばしちゃったので、週末までに一本とかいわれて書いたのが運のつき。勝手に、続くなんて終わりに入れられたので続けざるを得なくなった。そのテーマとは違うやつを一本書いて、ごまかそうとしたら、一回お休みにして、次でおしまいなんて風に持っていかれたので、最後の総論的まとめを一本入れた。
 
 本当は、ネタ集めはしてて、日本の消費税法の抱える問題点を比較税法の視点も入れて少し長いものを書こうと思ったのだけど、そんな余計な原稿が入ったので、消費税法再訪は、このブログにあるやつを全面利ヴァイズしたところでおしまい。アーロンとかペックマンの議論をいれ、さらに、イギリスのVATの話までぶち込むところまで行かなかった。

 何をしたいかって話ですよね。このブログを始めた頃の気分に戻って、日本の税法を実務をやっているものの目から見直したい。そこに比較税法の視点を入れてやりたいというのが私の望みなんですね。学者は実務も知らないし、それほど新しい海外税制を勉強している人もいない。まして海外の税制の実際なんか知るわけないわけで、どれも浅いけどかなり客観的に広い視点からものを見ているのだと勝手に自分では思っているわけです。というか、私みたいなへんてこなやつは、日本にいない。色んな学会にも出たし、雑誌なんかに書いている人たちとも一通りの面識ができて感じたのがそういうことです。

 財政学者は簿記も法律も知らないし、税法学者は実務を知らない。裁判官は税法知らずに判決書くし、税法知らなくても、税金かちあげる税務職員が一番。

 何を書いてるんだろか。

 インプットとアウトプットの話でした。意味ないアウトプットをしなければいけない、つまり原稿の締切りとか毎月の決算(意味がないことはなくて、納税義務の確定、多くの人の関わる出版だから私の個人的感情よりはるかに、重大だけど)に追われているので、インプットができない。いいわけです。インプットできないのはアウトプットに追われているから。だったらアウトプット早くやれ。あるいは、アウトプットしなくてすむようにしろですね。

 ザッパのThing Fish 聞いてます。まあ、下らない話だけど、なんだか今の社会を四半世紀前に予言していたようなというか、その頃から既に十分に予見できたのだけど・・・政府の管理社会に対するザッパ的批評・・・これ、拒否反応のある人覆いと思う・・・なまじソフト・ポーンだったりするし・・・音楽自体は悪くない・・・とはいうものの、ベストでもなく・・・いや、これくらいは簡単にできたろって・・・

 しかし、日本の今の歌、何を歌っているのか言葉が聞き取れない。ザッパのアルバムの歌、しゃべり、言葉はわかる。意味が全部解るとはいわないけれど、ストーリーくらいは理解できる。どこか変です。あ、Thing Fish 派ナレーション自体が、意味不明の黒人なまりの英語なので半分くらい解らなかったりするんだけど。ところが、何度も繰り返して聞いていると自然にわかるのですね。チョムスキー的な言い方ですが、人間の言葉だから、生来的に理解する能力があるってやつ。自然生成文法論って左翼思想なんだって思いますけど。
 進化論における断続平衡説と同じ。

 途中に特に説明もなく、進化論の話まで来てしまってて、どうしてこうなったのやら。

 ちょっとお休み。
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by nk24mdwst | 2012-12-13 14:50 | 記憶

in short

 私の姓をXとすると、両親の姓は、Xと甲となるのが普通。父親がXだから祖父がX、祖母の旧姓は、違うのが仏だけど、なぜか、X。これは、どうも偶然であるようで、少なくとも六親等レベルの親族ではなかったようです。ただ、遠い親戚であったことは間違いない。田舎ですからね。

 母の旧姓は乙で、これは母の祖母の姓と同じ。母の祖母と同居していた母の伯母夫婦の姓は丙でした。長女の母の姉と結婚した伯父は、本当なら養子になって家を継ぐという約束だったのだそうだけど、そうしなかったのだそうです。まあ、伯母夫婦には娘が二人で、二人とも結婚して姓が変わったので丙という家は、もう、なくなったというわけです。墓参りはしてますけどね。

 祖母の姓と祖父の姓がが違ってたので、中学三年生はびっくり仰天したのです。母は、生まれて直ぐ祖父母の名前と共に、祖母の籍に入っていました。祖母自身が、「他家」という名前で曾祖父母は、養女に出すつもりだったようで、生まれて直ぐ、親戚で跡継ぎのいなかった乙という家に養女に出されています。乙という家は、伯父が継いでいれば残ってた。少なくとも伯父の世代までは。
 母の祖父の姓を丙としますが、乙と丙の家の両方を残そうということで入籍していなかったようです。一種の足入れ婚だったのですね。そんなこと13歳には解りませんでしたが。母は、生まれて直ぐ、祖父の養女として入籍されてて丙の姓を継いでいました。ところが、まだ母が幼女のころに、祖父が急死し、母は、祖母の乙の姓に戻っています。これについて、母は、理由がわからず、納得がいっていないようです。
 今、私が推測するに、祖父の家の家督相続の問題があって、将来的には母に婿を取るつもりだったのが予定が狂ったのでしょうね。祖父の生前に遡って、養子縁組を破棄し、別の親戚の男子を養子として迎えていました。

 このあたりは、戦前の親族法における家督相続の考え方がわからないと理解できないということです。最初、私は、母が妾腹なのだと思いましたからね。

 顔を見たことがない祖父の名前をグーグルで検索してみたら、祖父の祖父らしき人物の名前が県立図書館の県史の中にあることがわかったということです。その祖父と似た名前で同郷の人が書いた随筆が、中学校の教科書に載ってたので、なおさら、おいおい妾腹?って思ったのですが。
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by nk24mdwst | 2012-12-08 10:12 | 記憶

don't wanna come

 今日は、叱られました。叱られるだけの理由があり、やるべきことをやらない私が悪い。さて、だとしたら、こんなこと書き始めないで、やるべきことをやれという話か。

 どこから始めるか。再開するべきか。中学時代を振り返る?

 私が初めて、自分の戸籍謄本を見たのは、高校1年の入学式の前、入学手続のために提出するものを見たときですね。私の兄弟、両親、両親の祖父母が誰かということが記載されているわけで、当時は手書きでしたね。まあ、その中身を見て驚いてしまい、そのことについては、20年近く、尋ねることができませんでした。なぜ、そのような記載が行われていたのかは、大学時代の民法の親族法の講義の最初の方で、なんとなく理解しましたが、まあ、真の理由はそれ以上のものだったようで。具体的に書いても別にかまわないのだけど、残念なことに、当時の事情を母より詳しく知っていたはずの伯母が鬼籍に入ってしまい、真相は憶測でしかありません。

 昭和一桁時代のころの話なので、現在の民法とは違うのだという前提があるので、母よりも私の方が事情については推測がつくのですけどね。家督相続制度だったからしようがなかったのだと理解しています。

 母方の祖父は、写真しか知りませんが、亡くなったのは、昭和11年2月28日だったようです。2.26事件の年です。私の一家は田舎なので、東京とは関係ないはずですけどね。

 この祖父の名前をグーグルで検索してたら、似た名前をみつけました。県立図書館蔵書で、県史をきちんと調べればもう少し解るのだということを知りました。

 話は、変わりますが、昔の戸籍の出生届ってかなりいい加減だったようですね。亡くなった私の祖母は、12月28日生まれだということになっていますが、どうも生まれたのは1月であるようです。1月生まれだと丙午になるので、12月末で届けを出したのらしいですね。

 またまた話が変わるのですが、私の本籍の住所がどこかということはともかく、その住所を示す知名に使われている漢字、具体的には熟語ですが、これが、普通に使われるものと違っているのです。正しい熟語ではなく、当て字をしているだけならともかく、使割れている漢字自体が、誤字なのです。漢和辞典には存在しない寺です。明治時代に戸籍を手書きで作った人が、漢字を誤って書いてそれがそのまま残ったというわけです。

 一日(いちにち)と書くべきところを一旦と書いていちにちと読まそうとしているのです。さらに、旦と書けば、まだ漢字としては存在しているのに、旦の下にもう一本、線が引いてあるという具合でありまして。ワードでは出ない漢字です。

 何で、夜中にこんな意味のないことを書いているのか。戸籍の字が誤字だということぐらいはどうでもいいけど、戸籍に登場する人物の記載状態等をこんなところに書ける訳もなく。しかし、本当に親族法の講義を受けるまでは、かなり大きな誰にも言えない悩みでありました。

 そうだ、何で、小学校や中学校の先生は、生徒に質問するのか理由が、理解できなかったってはなしでもすればよかったですね。

 百科事典少年だったのはともかく、文学全集なんてものは読んでない方が良かったなって、今は、思います。13歳向きじゃないですから。

 デュマのダルタニアン物語から始めるべきでした。
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by nk24mdwst | 2012-12-08 02:21 | 記憶

are yall talkin to me?

 一番、古い記憶って何かな。

 町内でとおりの向こう側4軒の家が全半焼したことがありました。家の前が騒がしいので、出てみると目もくらむような火でした。3歳くらいのときなのだと思いますね。そのとき家に誰がいたかということからの逆算です。
 父親は、出張か何かで不在。大事なときは、必ずいない人でした。
 同居していたというかこっちが同居したわけだけど、祖父母、母親。私には二人妹がいますが、上の妹を母がおぶっていた記憶があるのでしたの妹が生まれる前で妹が生まれた頃か。あと、当時まだ未婚だった叔母が二人いましたね。8人家族。下の妹が生まれたとき、9人家族だと学校で先生に話したことを記憶しているので。
 父親は、男3人、女5人の兄弟姉妹の長男でした。叔母のうちの二人は、戦前に小学校に上がる前に病気で亡くなったそうです。母親が家に嫁いできたときは、祖父母、叔父、叔母が3人、それに両親だから、やっぱり8人家族だったんですね。私が生まれて9人になったのか。9人家族の当時、仕事をしていたのは祖父、叔母、両親でした。

 家の中を、農業用水が通っているような田舎で、ちょっと雨が降ると直ぐに床上浸水したものです。家の中の用水(といっても幅40センチくらいですが)、タニシや泥鰌がいました。ノダじゃないです。

 昭和38年1月の豪雪のときは、屋根雪を下ろしたので家の前の道に雪が二階屋根の高さにまでなりました。

 どんな中学生だったかって話をしようと始めたのに、まだ小学校時代か。

 私の通っていた小学校の校舎は取り壊されてもうありません。中学、高校、大学、全部、取り壊されて跡形もない。何で古いものを残さないんでしょうかね。ちなみに、その小学校の校舎は大正時代に建てられたものでしたが、日本で一番古い鉄筋コンクリート三階建ての校舎でした。陸屋根の屋上があったのですが、雨漏りするので、屋上の上に屋根をかけてありました。正真正銘、屋上屋です。屋上は、屋根裏と化して、色んな学校行事用の物置になってましたね。暗くて恐くてなかなかいけませんでした。危ないから行ってはいけないという、お約束の禁止令もありましたし。そう思うと、小学校の頃は素直だったのですね。その屋上変じた屋根裏で遊んだ記憶がないのですから。
 職場にいる母に担任から電話があり、学校へ呼びつけられた中学校時代とは大違い。

 小学校のときのことで記憶に残っていることか。

 小学校一年生のとき、担任の先生、名前、思い出した、加藤先生だ。運動会の開会式のとき整列をしますよね、クラスごとに。私は背が低かったので(今もそうですが)、最前列にいました。加藤先生が隣のクラスの担任の先生に皆が整列したので、後ろへ行こうと言ったのですね。子供の列の前に離れて先生が並ぶというわけです。このやり取りが耳に入ったので、先生が後ろに下がるのと同時に、最前列の私は、校長の前まで歩いていってしまいました。
 一年生の思い出ってこれくらいかな。ぼんやり、一年に上がる前に図鑑を買ってもらって読んでたことを思い出しますが。
 二年生のとき、クラスが二階になった。
 三年生のときの思い出ね。勝手に小学校三年生のときにビートルズの来日公演をテレビで見たと思っていたのですが、明らかに記憶間違いでした。小学校三年生の年の11月23日の朝のことは、今でもよく覚えています。
 祝日だから休みです。ちょうど、太平洋を挟んで初めての日米間の衛星中継のある日でした。その最初のニュースがJFKが暗殺されたというニュースだったのですね。このニュースを小さな白黒テレビで見た記憶があります。
 アニメでなくて人間がかぶりものしてやった鉄腕アトムも、見た記憶があるな。
 ということですから、ビートルズの来日は1966年、つまり、私が小学校6年生のときに見たって言うことに成るんだと四半世紀ほどしてから気がつきました。ビートルズは、ラブ・ミー・ドゥーから聞いて知ってるのだけど、ビートルズ世代だと思ったことはないです。いわゆる洋楽を楽しみにして聞き出したのは1966年なのですけどね。ビートルズは古いとか思ってた。馬鹿ですね。ギターを叔母に買ってもらったのは、1966年の12月です。

 親の職場の慰安旅行で野尻湖温泉に夜行列車で行ったのを覚えています。おそらく3年生くらいのときかな。いつかは、曖昧です。昔の汽車ですから、急行といっても駅で長い間、止まっていたりしました。酔っ払った親の同僚にからかわれていたと母からいわれたのですが、当の本人は、実に真剣そのものだったのです。
 ニワトリと卵、どっちが先か。延々1時間以上、ニワトリは、卵から。卵は、ニワトリからってやってたのを覚えてます。1時間以上というのは、母の記憶ですが。

 小学校の春の遠足は、市内の海岸まで歩いていくことでした。10キロほどでしょうか。私の住んでいるところは扇状地で、当時は、町の北端にある駅から向こう、海までは、集落が点在するもののずっと水田ばかりでした。今のように工業用水をくみ上げることもなかったので、道端のあちこちで、湧き水が自噴してましたね。
 町内にも井戸がありました。当時、周辺の集落は、皆井戸水を使ってたし、私の住んでいた市街地(人口3万弱でした)も水道でしたが、地下水をくみ上げたものでした。
 当時、県庁所在地に住んでた叔父や伯母の家に行って水を飲まされると、こんなカルキ臭くてまずいもの飲めるかと思ったものです。その頃、そのカルキ臭い水は全国の県庁所在地で一、二を争う美味しい水だって話だったのですが。

 まあ、音楽と本を読むのが好きな子供でしたね。親父が戦争映画と西部劇が好きだったので60年代のその類の映画は、かなり連れて行ってもらってみた記憶があります。日本映画は、連れて行ってもらえなかったというか親父が行かなかった。ヤクザ映画とかチャンバラ映画って旧作の放映をテレビで見た記憶しかないです。

 父親は、旧制中学のとき勤労動員で愛知県の工場へ行ってたそうです。だから例の大地震のことも知ってました。三州は、任侠のメッカですから、そのとき工場でお兄さんから仁義の切り方もちゃんと習っていて、その道に入ろうと思っていたのだそうです。

 親父の話か・・・親父のスクラップブックの一番最初のページには山本五十六元帥の写真がはってありましたね。典型的な軍国少年だったのかな。中学を繰上げ卒業して海軍に入営したのですが、その年に戦争が終わりました。「同期の桜」を嫌ってましたね。あれは、士官の歌で、水兵の歌じゃないって。

 親父の思い出話に、といきたいところですが、親父と息子というのは難しいものでまともに口をきいたことがないまま、逝ってしまいましたね。親父と反対のことをしようとして結局、根っ子は同じだって今頃わかるわけです。
 親父がああなったのも祖父のせいだってこともわかりますしね。

 ミュージック・ライフという雑誌があって、初めて本屋でそれを買ったのが1967年1月号だから、66年の12月なんですね。田舎にいたので、マイク・ブルームフィールドとかクリームって名前は音楽を聞く前にその本でしったのです。その号で。
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by nk24mdwst | 2012-12-06 18:10 | 記憶

without net

 ブログでは、嘘をつきたくないというか、嘘をつく必要はない。求められて書いているわけではないので、単に沈黙すればいい。ここが現実と違う。もう、原稿、できました?はい、いま、見直しているところです。・・・嘘、今、取り掛かったところなんて子という必要ない。
 まあ、一番、嘘や言い訳が必要なのは、身近な家族に対してということですからね。なぜ、といわれて、沈黙するわけにはいかない。ブログなら、なぜ、と思われるようなことは書かなきゃいい。

 うそは、ついてないつもりだけど、間違い、思い違い、勘違いは、仕方がない。編集者のいない書きっぱなしだもの。変換ミス、変な日本語も仕方ない。後者は、単なる手抜きだけど。

 できるだけ、間違いをなくし、議論のある論点でも筋道立てて書いてもいいのだけど(それができそうな書きぶりは、嘘といわれるかもしれないけど、そう思っているのだとしたら勘違いでしょ。)、そしたら、文献調べたり、検索したり。そこまで、したいか。したくないわけではないけど、脚注だらけにするのも、ね。いや、他所でそれを強いられるとしたら、ここじゃ、そんなことしたくない。

 上述のような前提に立つと、私個人の記憶に頼って、思いつくまま、書き連ねる。

 ここへ、日本国憲法第1条と大日本帝国憲法第1条を貼り付けて比較論なんてやりだすなんてのが、一番大上段に振りかぶったやりかただけど、引用文献をたくさんつけて議論したところで、毒にも薬にもならないというのが、この立憲国家を標榜する国のいいところでありましょうか。

 税法って法律じゃないけどって思ってるんだけど、こっちは、解釈論で話ししてればいい学者さんと、それで飯食ってる実務家の私とでは、同じ論点でも、真剣度は違うのですよ。学者で、役所の見解と違うことを書くのにビビッているって人がいたら・・・そんな人、いないですよね。
 嘘は書かない約束でした。学者でなんでびびる?やっぱり地位ってそう簡単に守れないんでしょうね。
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by nk24mdwst | 2012-10-29 07:27 | 記憶

today, to die

昨日から少し、涼しくなりましたね。

タイトル、要するに、オーストラリアでは、コックニーと同じでtoday をto-dieと発音するというくらいの意味です。
意味ですとつけるのはおかしいか。
オーストラリア出身の歌手とか俳優さんはなまりの矯正が難しいでしょうね。
逆に、ミック・ジャガーなんか、わざとあんなしゃべりかたをして、イメージを作ったんだと。ビートルズよりちょっと上のクラス出身でしょうから。

特に当てもなく漕ぎ出す、難破船ブログ。いや何、難破船がジャケットのRoger McGuinnのソロ・アルバムをウォークマンで聞いているだけです。
Byrds以後のマギンをどう考えるか。
マギンは、バーズでオリジナル・メンバーが自分だけになったとき、本当は、辞めたかったのだと思います。それは、レコーディングで主導権を取ろうとしている気配がうかがえないことに現れている。
主導権どころか、他の連中の好きにやらせている。ステージでは、Clarence Whiteのギター・ソロを延々とさせたり。
長いクラレンスのソロは、時代だったからとしか思えませんけどね。
要は、マギン以外のメンバーがみんないなくなる直前にバーズは、CBSとアルバム5枚作るという契約をしていて、その契約を果たす義務があったからバーズの名前のアルバムが残っただけなのだと思います。
マギンは、抜けると契約上の問題があったのかと。

上記の契約のとき、ロイヤリティ・メンバーは、他にヒルマンと、マイケル・クラークなのですが、この二人が抜けちゃいます。契約更新のときにクラレンス・ホワイトはロイヤリティ・メンバーとして加入するチャンスがあったけれど、セッションで稼いでいたから、メンバーにならなかった。
マギン以外、オリジナル・メンバーがいないヴァージョンのバーズでは、他のメンバーはみな雇われです。
つまり印税もらえる立場にない。賃労働者。

いまおもうとおかしいけれど、バーズとしての印税はもらえないのに、雇われメンバーが勝手に曲をアレンジしたり、作ってアルバムをでっち上げていったのは不思議といえば不思議。売れなかったから、たいした金にはならなかったでしょうがマギンにはバンドの印税が全部入ったはず。
ただ、当時のマネジメントは、汚いから、経費差っぴくと、マギンの取り分、無いなんてやりかねない。

これをやられたのが、ロバート・スティグウッドと手を切ろうとしたときのJack Bruce。RSOの節税スキームでだまされていて、君に渡す金は無いけど、貰わなければいけない分がこれこれあると。
クリームの上がりでスティグウッドと同じオーストラリア出身のビージーズを売り出したはずなのですね。
別勘定のはずだけど、それを上手く隠蔽した。
もちろん、課税庁に対しての目くらまし画目的。税務署だませるるほどなら、音楽しか知らないやつをだますのは簡単。

ジャック・ブルースの自伝からこれを知ったのですが、Layla を作る前、Eric Claptonは、金が無くて、Whitlockと二人でセッション・プレイヤーやって金を稼いだという話とも符合する。

アメリカの税金、日本の税金の話は、やめよう。

こんな書きなぐりに、どんなタグつけるか。

夫、もともとマギンのソロ・ワークを振り返るつもりだったのが、ぜんぜん、振り返っていない。
誤変換があるかわからんけど、ここで登校しちまう。登校ボタンを押す。
もちろん投稿なんだけど、登校ボタンってあったら不登校はいなくなると、不登校経験者は思う。

高校三年生の二学期から不登校になったのです。
私のいっていた高校は高校三年の二学期から受験体制になるスタイルでした。県立でしたけど。
高三の一学期で、高三の教科書全部自習で終わらせちまったので、夏休みからずっと遊んでいました。
高校へ通っていたのは授業中、自習で教科書のずっと先の方をやるためだったので、行く勝ちを見出せなかった。

今、思うと、もっと真剣に受験と大学の序列からなるこの国のシステムに対する理解が足りなかった。

税理士試験受験したからわかるのですが、受験勉強に特化して、いい点数を取ることを目指して後半年頑張ることに面白さが見出せていたらと思うのですが。
受験派テクニックだから、高三の自分にメールして、受験勉強のやり方と面白さを教えてやれば違った人生があったかも。違った人生があったかもなんて思ったのは、20代ですね。
ここまで来ると、途中経過が違っても、中身の本質は変わらんから結局同じだって思います。

大学で映画と野球を沢山見たこと自体は意義があったと思います。本も読んだしギターも弾いた。
ただ、私の行っていた大学には、今、私が興味を持っている分野で偉い先生が何人もいたので、ちゃんと十号を聞くべきだったかなとも思うわけです。
ただ、そのとき興味が無かったんだから、これも仕方ないことですな。

小切手帳も見たことの無い商業高校生に簿記を教えるって大変だと思う。

ますます脱線が広がり

FENのヒットパレードと野球とフットボールの中継が楽しみでした。だから70年代半ばのトップ40にはアレルギーができました。
このアレルギーを克服するのに40年。基本的に、昔の判断は違っていなかった。半分以上は。
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by nk24mdwst | 2010-09-04 07:00 | 記憶

after the hottest hours

けさは、曇りで、朝は、気温27度、小一時間雨が降りました。
カラカラに干からびて、茶色くなっていた庭の苔も、ちょっとのお湿りで一変、緑色に。自然の生命力は凄い。
先々週、一週間のエアコンなし生活のせいで、身体は、完全に夏バテ、何とか回復途上というところです。何とか月末まで頑張っていたPC群ですが、昨日、ワークステーションが、発熱異常。
仕事用の機械なのでサービスを呼びました。
今日は、サーバーが、警告音。ボタンをおして警告音を消し、サービスに電話して指示に従って警告ランプも消し。本体の修理はしないのか・・・
火災報知機のスイッチ切っただけじゃないか。
サービス曰く、3ヶ月余裕を見ているから・・・機械自体の更新の問題があるのでそういうことになっているわけです。どこも問題が無いのだけれど、税務関連ソフトのヴァージョン・アップを来年の1月から、私が使っているヴァージョンに関して止めるという話で。
やらずぶったくり、金も無いのに。

ソニーが音楽配信を始めるというのは、これまた嫌な予感で従来のウォークマン専用のATRACという圧縮ファイル形式がどうなるのか。ソニック・ステージは自分の判断で私の違法取得したわけではない、自己所有CDリップ・ファイルを消してくれるという、隠れ技を持っているので、CDをPCの取り込むのをどの方式にしようか迷っていたところへ、このニュース。
そのまま取り込んでFLACというのがベストかな。
ウォークマンへの転送に一手間かかるのが面倒だけど。もっとも、元のファイル形式のままで今は取り込めるので曲数を絞れば別に問題ないんだけど。
ただ、勝手に消す得意技は、ソニックステージに取り込んでしまうともう一度ソニックステージでのバックアップをしないと消されるのではないかという心配があって。
一度やってみればいいのだという話なのですが、全部のファイルを一括してバックアップしないとだめだなんて言っているので、試せない。コピペでPC間の移動ができなくなっているのですね。
以前は、それができたのですが、今のヴァージョンではだめ。

ここで税制の話にしましょうね。

日本の国税や地方税の体系というのは、個別税法、つまり所得税法とか法人税法という個別アプリが相互に関連したシステムなのですね。さらに、住民税のような地方税の体系は国税を基礎にしている部分と、地方税法で付加した部分、それに、地方自治体ごとの条例で加減のできる部分といった具合になっているのですね。

個別の税法の一文を書換えるということは、他の税法条文の関連、対応部分を書換える必要があり、それをしないと矛盾が生じる。レジストリの書換えと同じ。

税法が法律かどうか、疑わしいと思っていますが税法では、民法や会社法で用いられている概念を借用概念として使っている部分や、それ以外に税法で規定する固有概念とが税法には存在します。
民法、商法は典型ですが、税法に関連する私法が改正されると、それに適応できるように税法条文(政省令、告示、通達まで含んだ意味でここでは使います。通達が法律と同様の規範性があるかどうかという問題ではないので。)を全面的に見直す必要がでます。
これは、基本OSのヴァージョン・アップに伴うアップデートというわけですね。

日本の場合は、私法の改正があった場合、それは、国の法律だから、国税や地方税を規定する法律の改変を伴うというのはまだ理解しやすいわけです。アメリカでは、多くの私法分野、例えば民法、会社法が州法だったりするので、連邦法である内国歳入法典は、はるかに網羅的に個別独立した法律として機能するよう構成されています。

要するに、ここの国によって法体系、国家の成立体系(連邦制とか)が異なるので、簡単に税法を比べるなんてことはできないのは自明だと思うわけです。だから、少し頭が回れば法人税率を下げて国際競争力を引き上げようなんて発言は軽々しく出ないわけです。
しかし、素人の政治家はともかく、あるいは、経済学者や財政学者はともかく、色々な背景を熟知しているキャリア・システムや経団連がそれを言うということは、嘘をついていることを自覚して言っているといえばいいのかな。嘘はついていないのですね。彼らは逃げ道として、勝手に定義をしますから。定義をして比べられないことを知っていながらですけどね。

昨日は、お通夜に行ったので晩飯は、買ってきた弁当。寝る前に何を聞いたか。Roger McGuinnだったか、Dillards、Kentucky Colnelsだったか記憶に無い。寝つきがいいことは喜ばしい。
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by nk24mdwst | 2010-09-03 15:59 | 記憶

so you, wannabe

昨日から、25度を超える気温で、いっぺんに夏が来たような感じです。
老体には、こたえます。

ソニーの音楽ファイル管理ソフトの悪口を書きましたが、訂正。ちゃんと手順を踏めば、大丈夫でした。
なんでもオートランさせたのが失敗で、きちんと設定を確認してやれば、ファイルは復活しました。

ヘッドフォンと称するイアフォンは、低音から高音まで良く出ていて、解像度も高いと思います。別にそんなに高いものを使っているわけじゃないのですが。
でも、これもみんな錯覚で、頭の中で音を補正しているのですよね。
機器の性能が上がったことは認めますけど。

ファン・フォクトの「ナルA」シリーズでは、空間瞬間転送装置が登場します。1940年代の小説なので、スイッチを入れるためには、「真空管」を押し込む必要があります。
しかし、小説を読んで、作者の頭の中にある現実に存在しない風景や物体を、頭の中で思い描くというのだから人間の脳というのもなかなか、やるものです。
コンピュータを使って、色んなグラフィック処理をされたものより、昔のブルー・スクリーンとかガラスを使った遠景の表現には、敵わないと思うのは、私が年だからでしょう。
しかし、「ベンハー」、「十戒」、「スパルタカス」、「クレオパトラ」といったセシル・B・デミル的、歴史絵巻の人海戦術を見てしまうと、インチキグラフィックは、そこが浅いなと感じます。

アンソニー・クインの「パラバ」という映画をスカパーで見ましたが、遠くの丘の上にもちゃんと大量の人がいて演技している。
この手の人海戦術は、昔の日本の時代劇の大名行列や街道のシーンを見ても良くわかります。
日本映画の時代劇は、いまや、風光明媚な日本のコンクリート以前の風景がないので、駄目ですね。それと、背が高くてスタイルのいい今の役者さんは、まげと着物が似合わない。
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by nk24mdwst | 2010-05-06 12:26 | 記憶