oh no, no more

Ogden Nash を二つです。

     I Do, I Will, I Have

How wise I am to have instructed the butler
to instruct the first footman to instruct the second
footman to instruct the doorman to order my carriage;
I am about to volunteer a definition of marriage.
Just as I know that there are two Hagens, Walter and Copen,
I know that marriage is a legal and religious alliance entered
into by a man who can't sleep with the window shut and a
woman who can't sleep with the window open.
Moreover, just as I am unsure of the difference between
flora and fauna and flotsam and jetsam,
I am quite sure that marriage is the alliance of two people
one of whom never remembers birthdays and the other
never forgetsam,
And he refuses to believe there is a leak in the water pipe or
the gas pipe and she is convinced she is about to asphyxiate
or drown,
And she says Quick get up and get my hairbrushes off the
windowsill, it's raining in, and he replies Oh they're all right,

it's only raining straight down.
That is why marriage is so much more interesting than divorce,
Because it's the only known example of the happy meeting of
the immovable object and the irresistible force.
So I hope husbands and wives will continue to debate and
combat over everything debatable and combatable,
Because I believe a little incompatibility is the spice of life,
particularly if he has income and she is pattable.

結婚してしまったものはしょうがない。別れるエネルギーと一緒にいるエネルギー、どちらを選択するかという話ですが。

最後の一節から話を飛躍させて、日本における税制上の配偶者控除論、あるいは、国民年金保険制度における三号保険者論をしても・・・いいはずないですね。

もうひとつ、Bylone Berline を聞きながら。

     So Does Everybody Else, Only Not So Much

O all ye exorcizers come and exorcize now, and ye clergymen draw nigh and clerge, For I wish to be purged of an urge. It is an irksome urge, compounded of nettles and glue, And it is turning all my friends back into acquaintances, and all my acquaintances into people who look the other way when I heave into view. It is an indication that my mental buttery is butterless and my mental larder lardless, And it consists not of "Stop me if you've heard this one," but of "I know you've heard this one because I told it to you myself, but I'm going to tell it to you again regardless," Yes I fear I am living beyond my mental means. When I realize that it is not only anecdotes that I reiterate but what is far worse, summaries of radio programs and descriptions of caroons in newspapers and magazines. I want to resist but I cannot resist recounting the bright sayins of celebrities that everybody already is familiar with every word of; I want to refrain but cannot refrain from telling the same audience on two successive evenings the same little snatches of domestic gossip about people I used to know that they have never heard of. When I remember some titlating episode of my childhood I figure that if it's worth narrating once it's worth narrating twice, in spite of lackluster eyes and dropping jaws, And indeed I have now worked my way backward from titllating episodes in my own childhood to titillating episodes in the childhood of my parents or even my parents-in-laws, And what really turns my corpuscles to ice, I carry around clippings and read them to people twice. And I know what I am doing while I am doing it and I don't want to do it but I can't help doing it and I am just another Ancient Mariner, And the prospects for my future social life couldn't possibly be barrener. Did I tell you that the prospects for my future social life couldn't be barrener?

いつも、詩は、コピペで貼り付けています。著作権のことが常に頭をよぎり、おまけにアメリカの政府機関へリンクを貼ってあったりして、連邦最高裁まであるのですが、気になるのですが、一応ネットに転がっていたということで。ただ、権利関係を明示してあるものもあるので、気にはしているのです。

Gov't Mule を三晩続けて聞いて、結論は大体出ました。Matt Abts の本質は、ジャズ・ドラマーだと。現在の私にとって、このカテゴリーに入るということはランクが下がるということですね。

The City のJim Gordon を聞き納得しました。Carol King たちは、このアルバム、基本的に歌っているだけでしょう。余り上手くないピアノやベースが聞ける曲もあるので演奏しているものもあるという位ですね。Danny Cootch も一応参加しているくらいでしょうか。
ドラム・レスのグループだから、コーラス・グループというかThe Byrds のデヴューと同じ位置づけかな。

Laura Nyro は、ニュー・ポートの上がりっぷりはひどいものでしたが、スタジオ物は悪くないですね。彼女の声がふらつかなければもっといいのですが。
つまり、歌手が本職なら言うことなしということですけど。
David Geffen は、1970年ごろはローラ・ニーロの付き合っていたはずですが、Cher がGreg Allman と結婚する直前に付き合っていたのは彼なのだそうで。

寝る前に聞いてる音楽なんだから気楽に聞き流せばいいのに、なぜ、分析的になるのか。どうせ分析するならコピペした詩の分析をしろ・・・と言われても、力不足でありまして。

アメリカ詩は、大学時代に勉強したというか、アメリカ詩のクラスを採ったというわけです。マンモス大学の法学部でもアメリカ詩のクラスに誰が来るか。
最初は、4人でしたね。うち、一人は、文学部から来ていた女性、もう一人は東京の有名国立大学出身の社会人の方が聴講に見えていました。もう一人は、いたはずですが、直ぐに消えたので。
Ms. Phillips というマヤコフスキーと言うロシアのアヴァンギャルド詩人を専門に研究する女性が先生でした。
毎回、彼女が詩のコピーを持ってきてそれについて自由に話し合うという感じでした。この一行の意味がどうのこうのってことにはなるはずもなく、授業は全て英語で進行するし。

このクラスに続けて出られたのは女史の魅力に惹かれたからですね、今、思うと。雰囲気は、アメリカ映画なんかだと生徒に嫌われる中年独身女性教師という風情ではありましたが、話をすると実に楽しかったですね。
英語が特に上手に話せたなんてことはないですが、とにかく主張することだけは主張しないという態度でした。アグレッシブで典型的な日本人だって言われて、言われた本人がびっくりしたわけです。

女史はちゃんとした大学を出て大学院へ進み、奨学金をもらってロシア留学していたような人でしたが、アメリカ社会の機微とか本質的な階層性、階級性の問題等について率直に話してくれたのが記憶に残っています。

そうでした、寝る前に分析的に音楽を聞くなでした。気持ちがよければそれでいいのです。詩は、目で見て声に出して読んでみてどう感じるかでしょう。
ロックとかブルースの歌詞も、大体、昔の歌詞カードの間違いの多さからわかるようにそもそも英語を母国語とする人でも聞き間違いをしているわけですし、まあ、それを狙っているものもあったりしますが、イギリス英語とアメリカ英語の違いなんていうのもあって、詮索してもしょうがないと大抵割り切ります。

つまり、耳から入って理解できるだけで充分だとするわけです。だったら、このドラムは誰だなんて気にしなければいいのに、と言うことになりますが。

イアフォンというかヘッドフォンで聞くと昔のようなステレオ・システムで聴いているのと違う聞こえ方がしますね。ステレオ、まあ、モノラルでもいいのですが、あの頃は音場感が一番でしたが、ヘッドフォンになると細部にこだわりたくなります。
もちろん、ドラムやベースなんていう基礎部分はヘッドフォンだろうがスピーカー・システムだろうが関係ないですけど。

歌詞もヘッドフォンだと言葉がわからないのに頭に直接響いてくることがあってぞっとすることがあります。Warren Zevon を聞いていてそれを感じた事があります。

別に自慢をしているわけではないのですが、70年代半ばくらいまでの歌だと英語の歌でも、歌詞が聞こえます。意味がわかりはしないとしても歌詞が言葉として聞こえます。
ラップが嫌いなのはさっぱり意味がとれないからです。意味がとれなくても構わない、音韻だけを楽しめばよいのだということは理解してもいいのですが、趣味じゃない・・・少なくとも私の生活環境とは無縁ですから。

問題は、最近、と言ってもこの10年ほどですが、日本語の歌の歌詞がわからない。言葉が聞こえないのです。非常に大きな苦痛です。
同世代だからいいますが、南部全員集合バンドは、きらいです。特にしゃがれ声のリード・ヴォーカリスト。分不相応にもLowell George Tribute なんかに一曲入っていて、同世代だから影響を受けたことはわが身を省みてよくわかりますが、できは最悪ですね。

馬鹿なDave Marsh は、Dead がまともなリード・シンガーもいないのに長く活動を続けたのはヒッピー・バンドだからだろうなんて書いていました。同じことがFairport にもいえそうです。
でも、歳月って不思議なもので、若造の私は、そうだそうだって思ったのですが、最近は、Jerry Garcia の歌も悪くないなんて思うわけです。Simon Nichol も捨てたもんじゃないとかって。

勝手に自分で解った気分でいるというのと、半数以上の人が納得する解釈を示すと言うのは全く異なることだと思います。

辞書を引かないことにしてからペーパー・バックが読めるようになりましたが、業としての翻訳、業とはしていなくても翻訳ということになると全く違う営みなのだと思います。

それと、基礎的な語学やその分野の知識があるかどうかということもありますが、翻訳するという行為の中には、翻訳者の価値判断が入ります。この翻訳者の価値判断が入っている国際制度比較をするのが上手なのが財務省主税局ですね。
それをネタにいくら議論したところで答えは自ずと決まってくるわけです。
社会的識見の高い人として政府税調委員になっている人に言っているのです。税調特別委員と称している学者の人にもそういいたいのです。

Oliver Wendell Holmes, Jr. の判決文にない言葉を勝手に英語にしている金子租税法の現在の版を書いている人にもいいたいわけです。

このブログをやって本当に良かったと思うのは、コモン・ローの父とされるホームズ二世判事の父親が有名な詩人で人種差別主義者だとわかったことですね。

The Civilization の中には、日本の文化、文明、少なくともペリーが来る前までのものはカウントされていないのです。

さて、Paul Krugman がファニー・メイとフレディ・マック救済、要するに日本が昔やったように税金で破綻した住宅ローン会社をなんとかする法案を議会が通したことを評価しつつ、これで終わりじゃなくて、これが始まりだといっています。
Op-Ed Columnist
Another Temporary Fix
By PAUL KRUGMAN
Published: July 28, 2008

So the big housing bill has passed Congress. That’s good news: Fannie and Freddie had to be rescued, and the bill’s other main provision — a special loan program to head off foreclosures — will help some hard-pressed families. It’s much better to have this bill than not.

But I hope nobody thinks that Congress has done all, or even a large fraction, of what needs to be done.
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The back story to the current crisis is the way traditional banks — banks with federally insured deposits, which are limited in the risks they’re allowed to take and the amount of leverage they can take on — have been pushed aside by unregulated financial players. We were assured by the likes of Alan Greenspan that this was no problem: the market would enforce disciplined risk-taking, and anyway, taxpayer funds weren’t on the line.

And then reality struck.
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The moral of this story seems clear — and it’s what Barney Frank, the chairman of the House Financial Services Committee, has been saying for some time: financial regulation needs to be extended to cover a much wider range of institutions. Basically, the financial framework created in the 1930s, which brought generations of relative stability, needs to be updated to 21st-century conditions.
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But let’s hope that the sheer scale of this financial crisis has concentrated enough minds to make reform possible. Otherwise, the next crisis will be even bigger.
http://www.nytimes.com/2008/07/28/opinion/28krugman.html?_r=1&oref=slogin
納税者に尻拭いさせるようなことになるまで自体をホ負ったら貸しにしていた真犯人は、誰かって名指しで批判していますね。グリーンスパンみたいな輩、単独犯じゃなくて十把ひとからげの一人扱いですが。

今回のアメリカにおける税金投入策は、住宅ローンの返済が滞って差押えを食らっているような人にはこうかがあるかも知れないわけですが、本体はそんなところではなく、証券化され世界中にばら撒かれているわけですからね。

1930年代の規制の時代を思い起こせという結論、時代がやっぱり一巡りしtな尾ですね。
1960年代までの経済政策を担った人たちは30年代の不況の怖さを骨身に沁みて知っている。その世代が退場し、80年代以後に経済政策を担ったのは、豊かさが当然だという世代です。それも、その第二世代になっている。
アメリカにおける階層間の移動、社会の流動性、自由の国アメリカなんていうのは幻想だと民主党のクルーグマンも共和党シンパのケヴィン・フィリップスも異口同音に行っているところに病根の深さがあるのでしょう。
あるいは、本当にターニング・ポイントに来た、潮目は変わりつつある。

ボケているのは、極東の某国でしょう。
法人税率が低い、消費税を福祉財源に・・・・確かに一理あります。
無駄を省こう・・・そりゃ、タクシー代は無駄かもしれません
本当の無駄ってどこにあるのでしょう。
寒いから当直が艦橋に入っちゃう船とかって無駄じゃないですか?

バターがないなんていってましたが、昔、大砲かバターかなんて議論があったのですよ。
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by nk24mdwst | 2008-07-29 09:41 | Poetry


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