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aunt maggie's charm

Pentangle の Sweet Child で、Bert Jansch が歌っているのが流れています。このライブ・アルバムは、一曲終わるごとに満場から上品な拍手が起こるので、白けます。
演奏は、手抜きはしてないけど、本気かな?!
一時期、彼らはかの国で人気絶頂だったことがあったのです。テレビ・シリーズの主題歌をやったせいです。

マネージャーは売れるうちに売れってコンサートの連続、アルバムの連発・・・バート・ジャンチとJohn Renbourne は、適当に手を抜いて、ソロの下地を、というかもともとソロだったわけで、自然に崩壊すべくして崩壊したというべきグループだったと思います。

コンサートの連続、年に二枚のアルバムを出す、プロモーションでツアーなどというのは、60年代の終わりから70年代初頭のロック・バンドのお仕事だったわけです。
大阪の興行会社じゃないですけど、バンドのメンバーは諸経費をアドバンスで差っぴかれ、ロイヤリティというか印税が入るのは、作詞、作曲のクレジットのある人間だけ。
そりゃ、みんな潰れます、仮に才能があったとしても。

マイケル・クラークにドラムの才能があったかどうか以前に、当時の業界慣行、バンドのスケジュールなどから考えると半年、スタジオに籠もってアルバム作るなんて事はほとんど不可能だったわけです。

レイラ・セッションだって、実際には、2週間のやっつけ、うち半分はクスリでヘロヘロだったわけです。
それを天才プロデューサーのTom Dowd 氏があのような名作に仕立て上げたわけですね。

忘れないうちに、先日来触れているScott Freeman の本は、おそらくネタ元はローディだった連中とEC、ダウドどまりですね。
だから、レイラ・セッションにDuane Allmanが参加することになったいきさつ、あるいは、ECとABBの初対面のときのいきさつが、Skydog の記述とは異なります。
どちらもインタヴューに基づくので少子、私は目撃者じゃないのでどちらが正しいとは言えません。

ただ、フリーマンのABBのFillmore Live の記述は、レコードの収録順に演奏が行われたかのようなものになっています。
現実には2日間に2セットやっているのですから信頼性にかけるように思います。それと、当初からフィルモア・ライブは、LPとして売る予定で録音していたわけですが、初日のセットで競演したブラス・セクションの存在について一切、触れられていません。
私は、フィルモア・ライブは、二枚組みでラックスより、オリジナルのCD一枚の方がまし。できの良くないMoutain Jam がどうしても効きたければ、それにEat A Peach がある。デラックス版の二枚組みだとフィルモア・イースト・ラスト・コンサートがおまけされているので、こっちがはるかに良いと思っています。

1973年までのABBは、スタジオに続けて1週間いたことがないはずです。

ライブ・アルバムをどう位置づけるか、という問題になるとGrateful Dead の存在を外すわけにはいかないのですけれど、そこへ踏み込む余裕が今ないのです。

ライブとは逆のスタジオ録音とロック(ロックンロール)という話になると、作曲家としてのプロデューサーという概念が登場するのだということに関しては、 Virgil Moorefield の'The Producer as Composer: Shaping the Sounds of Popular Music 'という本がそのタイトルで示しているように事実だと思います。
この本の記述、論理にすべて同意しているわけではありませんが、Jerry Leiber and Mike Stoller を嚆矢とし、Phill Specor が歴史的には頂点を極めるというような感じでしょうか。
私は、リヴァプール出身の四人組のよい聞き手ではないので、George Martin については、触れられません。

昨日の晩、Does Humor Belong In Music?を聞いていて、AMG(どうせ当てにはなりませんが)やRolling Stone などもほとんど完全に無視しているFZのアルバムですが、強烈な衝撃を受けたので、そのことだけ書いておきたかっただけなのですけど。
1984年のツアー・バンドのライブ演奏が基本となった「スタジオ・アルバム」です。まあ、ほとんど、ライブですけど。
1970年代にMothers のライブ・アルバムがあります。それから、Joe's Garage の用にライブ音源を元に編集を強力に加えた一群のものを1970年代後半から1980年初めにかけてFZは、出します。
そして、1980年代の半ばになると、従来編集が必要だったレベルの演奏を実演でノン・ストップでできるバンドを楽器として扱えるようになるわけです。
1980年代になって、FZは、その政治批判姿勢を強力に強め、音楽的には非常に同時代性を高め、あるいは、1960年代以来のおなじみレパートリー、実演不能だったレパートリーを実演できるようになります。
この1980年代のシンクラヴィアにのめりこむまでのFZについて、セルフ・パロディに堕したと評価するかどうかというのが分岐点だと最近、感じています。

ZFTに対する見方、考え方も方向転換の必要アリかな、とも考えました。

先に述べた作曲者としてのプロデューサーという概念ですが、実際には、ライバー&ストーラーやスペクターは、歌を書いています。
一応、力量をどう評価するかという問題はあると思いますが、Gary Asher、Terry Melcher、Russ Titleman, Ted Templeman までひっくるめてこの枠でくくってしまうということにします。
非常に乱暴なカテゴライズであるのは、十二分に承知していますが、ロックやポップにおいてある時代においてプロデューサーが力を持っていた、あるいは発揮できた時代があったということを確認しているだけです。誰が入ってどういう位置づけかは、別の検討課題です。

いい加減なカテゴライズをした後に、その人たちの共通点を挙げようというのも論理矛盾であるのは承知の上で、上記の人たちは、例外はいますが、正規の音楽教育を受けていないこと、楽器の演奏や歌唱に秀でたものをもつ人たちではないという共通点があるのではないか、などと考えるわけです。

その上で、1960年にウェスト・コースとで活動を開始した二人のミュージシャンが非常に気にかかるというわけです。作曲者であり演奏者、歌手でありつつ作曲者としてのプロデューサーであるという人たちです。

John Berryman のDream Song からです。

     101: A shallow lake, with many waterbirds

A shallow lake, with many waterbirds,
especially egrets: I was showing Mother around,
An extraordinary vivid dream
of Betty & Douglass, and Don—his mother's estate
was on the grounds of a lunatic asylum.
He showed me around.

A policeman trundled a siren up the walk.
It was 6:05 p.m., Don was late home.
I askt if he ever saw
the inmates—'No, they never leave their cells.'
Betty was downstairs, Don called down 'A drink'
while showering.

I can't go into the meaning of the dream
except to say a sense of total Loss
afflicted me therof:
an absolute disappearance of continuity & love
and children away at school, the weight of the cross,
and everything is what it seems.
by nk24mdwst | 2008-06-27 13:11 | その他


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