elastic people

東京での二泊三日は疲れました。地震で揺れたし。

昨日の夜は、Derek & Dominos を聞き出して直ぐに寝てしまいました。LPの二枚目の頭に当たる部分から聞き出したのですけれど。
Layla のアルバムは、ボックス・セットと現在一般に発売されているCDとではミックスが違うのですが、そんなことはどうでもよいです。
Tom Dowd のお仕事だから、どうでもよいのです。
疲れていて、トム・ダウドをけなす元気がありません。

しかし、友人に本なぞ貸すものではないですね。Federal Income Taxation のケース・ブック、100ドル以上したのですが、友人が大学院の法学部の博士課程の試験を受けるというので貸しました。
アメリカの租税判例が出るという予想だったわけです。
東京在住のその友人とは二ヶ月に一度は最低会うのですが、試験が終わっても本の話になりません。貸したら帰ってこない。
友人は、博士課程へ進んだので、運が良ければ博士課程が終わったときに・・・帰ってこないでしょうね。
友人もアマゾンでケース・ブックを買ったといってましたが、外れだったと。そりゃ、ゴミ蒐集に関しては、こちらの方に一日の長があったというべきです。

まあ、私も覚えがありますけれど。
昔、オーディオ・ブームなぞというものがあった頃、友人の家でJohn Coltrane と Cecil Taylor の共演盤があるのをみつけ、借りて借りっぱなしです。

セシル・テイラーなんか聞いていたこともあるのです。というのは正しくなくて、セシル・テイラーを聞いたこともあるのです。
馬鹿ですから、LPを買ったこともあります。レコード針が飛びました。CD世代にはわからない感覚でしょうが、レコード針が飛んだレコードは二度と聞けなくなります。
レコードが傷むのを気にするからです。セシル・テイラーのパリ・コンサートのLPが二度目にターン・テーブルに乗ることがなかったのはそのせいではありませんでしたけど。
Looking Ahead! は、ジャケットが気に入って買いました。LPは、ジャケットに惹かれて買うということがありました。
1958年のこのアルバムは、テイラーの最初期の録音の一つで、オーソドキシーを感じました。

セシル・テイラーは、New York College of Music を経て New England Conservatory などというアメリカの西洋古典音楽で一番とされる学校へ行ったりしたことが完全に裏目に出ている人ではないのかなと後年、思いました。
Ornette Coleman のようにR&B畑から出てきたわけではなく、正統派クラシック音楽をバック・グラウンドとしていることは、結果的にプラスだったのかどうか。

技術的に優れているが故の破壊的というか、技術を無視するかのような演奏(それ自体は、高度な技術的裏づけを要しているのかもしれませんが)については、既成の価値を否定することに価値があるという観点からしか評価されなくなってしまうことになるのではないかと思います。

結局、音楽は聞いて、心地よければすべてよしというのはあまりに極端だとしても、不快感を与えるというと語弊がありますが、聞き手の予測を外すことに全力を傾注することに意義があるのかと。

なによりも、よって立つべき基盤をぶち壊すことに意味があるか。破壊の先に新たな創造があるのか。
オーネット・コールマンもR&Bからやってきたといって他のジャズ・メンに馬鹿にされたがゆえ、ルーツを否定、破壊することだけが目的化していたのではないか。

ジャズ自体がモダンなものとして一定の価値を持っていた時代というのは存在するのだと思いますが、モダン・ジャズというか、ビバップの誕生は、ジャズの音楽的価値を高めるものだったのかという疑問を持ちます。

だって、スウィング・ジャズ時代は、ダンス音楽として見られていたとしてもポピュラー音楽としての存在価値が充分にあったはずです。
ただ、第二次大戦終結後、アメリカの大衆は、嫌な世相を忘れるためのダンス音楽に熱狂することをやめ、いわゆるビッグ・バンド・スタイルの編成による楽団は経済的に立ち行かなくなるわけです。

こうした背景を唯一の原因とするわけではないですが、この状況下で少人数コンボによるいわゆるバップ、モダン・ジャズが登場するわけです。
モダン・ジャズの聞き手は、いわゆるアフロ・アメリカン大衆ではなかったわけで、知的に洗練された黒人ジャズ・ミュージシャンによるハイ・アートとしての音楽と位置づけられるようになったのだと思います。

それから、レコード技術の進歩により、SPの時代が終わり、LPの時代になり、録音音楽として聞かれることを前提として進化を遂げたのは紛れもない事実だと思います。
ですから、1950年代から1960年代にかけて、いくつものマラソン・セッションが行われたわけですが、それらは、プロデューサーの手によって編集されてLPという商品というか、ちゃんと聞ける形にして世に出されたのです。

そこのところをレコード会社の商魂が、ファンの心を見透かしたようにしてコンプリートと称して、編集前の音源をそのまま高価なボックス・セットとして出すことは、アーティストに対する偽善だと思いますね。
Miles Davisは、このあたりを死ぬ前に予見したような発言をしています。

レコーデッド・ミュージックとして成長したいわゆるモダン・ジャズと、ライブ演奏を前提としている西洋古典音楽は、根本的に異なる性格を持つということになります。後者は、編集を作曲者や演奏者は予定していないはずなのです。
しかし、編集することによりその演奏をpermanentなものにしようとした指揮者がいて、それがカラヤンという人なのですね。

ベートーベンの第五交響曲をベルリン・フィルが演奏し、フルトベングラーが振った演奏のCDを持っていて、気に入って聞いていたことがあります。その演奏は、第二次大戦末期のベルリンでのラジオ放送のライブ録音なのです。
そう思うと、なかなか素晴らしい音がしています。

私は、フルトベングラーのこの演奏等を聴いて、曲の出だしがパッという感じで始まるはずのものがザザザッーという雰囲気で始まるのが気に入っていたりしたのです。
しかし、これは考えてみると録音時のマイクの位置の関係の性ではないかと。
フル・オーケストラの場合、後と前とでは距離があるので、音の速さに制約を受け、同時に音を出すと、客席ではずれて聞こえるので、うしろ、つまり、客席から遠い方のパートは、識者の指揮より早めに演奏しているはずです。
マイクのセッティングの位置によっては、ザザーッという感じで録音されるのではないかと思ったわけです。

ロックの世界で自らの作曲、演奏をpermanent な物にした人がいて、60年代のベースとドラムのパートを入れ替え、物議をかもした人もいますけれど、それはまた別の話です。

マイルス・デイヴィス は、Bob Dylan のLPがCBSのポピュラー音楽部門で自身の売上げを上回ったときに大きな衝撃を受けたといっています。
マイルスの場合は、この1960年代初頭の時点で、自身のバンドに危機感を抱き、コルトレーンが去った後、Ron Carter、Herbie Hancock、Tony Williams それにWayne Shorterからなる編成に一気に若返らせて起死回生を図ろうとするわけです。このバンドは、実質的にはウェイン・ショーター・バンドであり、推進力を与えていたのはトニー・ウィリアムズなのだと思います。
このマイルス・バンドがその後のフュージョン・ブームの原点になるのですが、ミイラ取りがミイラになったような感、無きにしも非ず。

思い出したのですが、最初に手に入れたジャズのレコードは、コルトレーンでした。ニュー・ポート・フェスでのMy Favourite ThingsとAscension がそれぞれ片面というものでした。
非常に貴重な出会いをしたわけです。「アセンション」には参りました。感動したという意味ではもちろんありません。白旗を上げたわけです。
レコードを一定金額買うとポイントがたまってただで一枚入手できたので、これを選んだのです。ただで、宝物が手に入るはずがないという教訓です。

私も色々な精神状態のときがあってドシャメシャ音楽が心地よいと感じたことがあるのも事実ですが、アセンションは未だかつて許容範囲に入ったことはありません。

コルトレーンは Thelonious MonkのPrestige 時代のMonk's Music に参加しています。このアルバムでは、駆け出しコルトレーンなんかより、大御所Coleman Hawkins のテナーの印象の方がはるかに強いのですけれど。

モンクは、少なからず興味を持っているかず少ないジャズのひとです。このアルバムでは、モンクがコルトレーンをソロの出番ではないのに名前を連呼するところがあって、おずおずとコルトレーンが出てきます。
困ってしまったのが、Wilbur Ware(Bass)、と Art Blakey(Drums)で四小節ほど、4/4でただリズムを刻むという始末。
ブレイキーという人は、なぜか私がドラマーの実演を最初に見た人なのですが、まあ、いつものとおりの演奏で、あれが良いというのならきっと良いのでしょう。

このアルバムを何度も聞いたのは、コールマン・ホーキンズがいるからです。彼のソロは悪くないと思いました。

モンクは個人的に好きな人ですが、ベストは、SP時代にブルー・ノートに録音したものだと思います。SP時代なので3分弱の曲ばかりですが、緊張感があります。ただ、ドラムはブレイキーさんだったりするので。
モンクもこの数年、聞かなくなりました。

オーネット・コールマンとその弟子でジミヘンと同い年のギタリストのかつてと今を比較してけなそうと思うのですが、元気がありません。
Are You Glad To Be In America ?はCDでは入手困難なようですね。

今日は、ぼんやりBobby Charles なんて聞いてます。
眠たげなボビー・チャールズの歌を聞いているとそうでなくても眠いのに眠気が。

See you later alligator の作者ですが。

ニュー・オーリンズの独特のスタイルがあるのは事実ですね。ただし、Little Feat は、決してディキシー・ロック・バンドなんかではない。
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by nk24mdwst | 2008-06-16 12:08 | その他


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