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White Bicycles

White Bicycles: Making Music in the 1960s by Joe Boyd は、60年代のロック・シーンについてProducer の Joe Boyd が書いた本で、同名のCDも出ています。ボイドの語り口は平易で、客観的でなかなか面白い本です。ハーバード出は、違います。

CDの方は、White Bicycles: Making Music in the 1960s - The Joe Boyd Story です。収録曲は、以下のとおりで、What’s Shakin’ (Electra)のコンピレーションと重なっている部分があります。それも当然で、What’s Shakin’ をプロデュースしたのがボイド自身というわけです。What's Shakin’ については、いずれ検討することがあるかもしれません。

1. Crossroads - Eric Clapton & The Powerhouse
2. Way Back In The 1960s - The Incredible String Band
3. Because It Wouldn't Pay - Johnny Handle 
4. Spanish Ladies Medley - Dave Swarbrick, Martin Carthy & Diz Disley  
5. Arnold Layne - Pink Floyd 
6. Granny Takes A Trip - The Purple Gang
7. She's Gone - Soft Machine
8. If I Had A Ribbon Bow - Fairport Convention
9. Seven Yellow Gypsies - Shirley Collins
10. Chinese White - The Incredible String Band
11. Autopsy - Fairport Convention
12. The Deserter - Fairport Convention
13. Poor Boy - Nick Drake
14. The Sea- Fotheringay
15. Flowers Of The Forest - Mike Heron
16. Come Wind Come Rain - Vashti Bunyan
17. Primrose Hill - John & Beverley Martyn
18. I Don't Mind - The New Nadir
19. Church Mouse - Dudu Pukwana & Spear
20. Andromeda - Chris Mcgregor's Brotherhood Of Breath
21. Afraid - Nico
22. Way To Blue - Nick Drake
23. Brazil - Geoff & Maria Muldaur


The Incredible String Band は、Painting Box を歌っています。


ブリティッシュ・フォークだけではなく、ブルース・ロックからプログレ、ジャズまで実に守備範囲が広いのです。

私が初めてプロデューサーとしてのジョー・ボイドのクレジットを見たのは、記憶をたどるとthe Incredible String Bandのセカンド・アルバム、The 5000 Spirits or the Layers of the Onionで次は,Fairport Convention Liege & Leafだったように思います。

インクレディブル・ストリング・バンドは、基本的にMike Heron, Robin Williamson のコンビですが、ロビン・ウィリアムソンは、Bert Jansch 同様二ブリティッシュ・フォーク・リヴァイヴァルの流れから登場してくるわけです。

1942年生まれのボイドは、1964年にハーバード大学を卒業しました。年下ですが、ハーバードをドロップ・アウトしたのがGram Parsonsです。

ハーバード在学中から、ボイドは音楽業界と関わりを持つことになります。ボイドが大学生だった時代というのはアメリカの東海岸ではフォーク全盛時代でした。学生時代に南部へ出かけSon House を「再発見」するグループに参加しています。いわゆるフォーク・リヴァイヴァルは、アメリカでもイギリスでも白人青少年にとってのBlues に対する関心を持つ大きなきっかけとなっているのです。イギリスの事情については、バート・ジャンチ についていずれ書くことになると思いますが、そこで検討するつもりです。
ハーバードの学生時代にGeoff MuldaurMaria Damato (結婚後Muldaurとなります。)が同窓にいて、ニュー・ポート・フォーク・フェスティヴァルに関わることになります。

Bob Dylan が、ニュー・ポートでエレキをもって現れたとき、その大きな音に驚き、商業主義のロックンロールに堕したと怒るPete Seger が電源を切れと叫びますが、そのとき、スイッチの前にボイドが座っていたのです。

ブリティッシュ・フォーク・リヴァイヴァルには、ピート・シーガーも大きく関わっています。もっとも、ビザの問題で渡英できなかったのですけどね。

1965年、ロンドンにいたボイドは当時、若者にもっとも人気のあったUFO Club を仕切っており、ハウス・バンドが後年Pink Floyd と名乗ることになります。ピンク・フロイドのデヴュー・シングルをプロデュースしているのです。

エレクトラのイギリス担当者としてブリティッシュ・ロック・シーンの1960年代中頃の動きの只中にいた彼は、Eric Clapton と Stevie Winwood に Jack Bruce が加わったPowerhouse をプロデュースします。このときのセッションはWhat's Shakin' におさめられるわけですが、この演奏に大きな影響を受けた南部の若い白人ギタリストの中に、Duane Allman Dickey Betts がいたわけです。

アメリカのサザン・ブルース・ロック・バンドは、ブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて誕生したものがほとんどです。

ボイドは、クラプトンを中心にしたバンドを作ってマネージメントをするつもりだったようですが、Robert Stigwood に取られてしまったわけです。Graham Bond Organization のバンド仲間ですが、ジャック・ブルースとは当時から犬猿の仲だったGinger BakerをCreamに加えたのは、クラプトンのバランス感覚だったのでしょうか。ゆがんだバランス感覚ですね。

イギリスでギター・ヒーローが誕生していたのを見て、ボイドはエレクトラが契約したPaul Butterfield Blues Band Micael Bloomfield を加えるようバタフィールドに勧めます。

イギリスに行ってる間に昔なじみのLovin' Spoonful もよそへ持っていかれてしまい、Pink Floyd もボイドとは離れてしまいます。

1968年ごろのユーロ・ヴィジョン・コンテストで民族衣装を着て古い民謡を歌っているスウェーデン出身の男女4人組がいて、これがABBAに化けちゃったのだそうです。
by nk24mdwst | 2007-12-16 16:32 | 音楽


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