snow crystal

 久しぶりにフリートウッド・マック聞いてます。ピーター・グリーンがいた頃のやつしか聞きませんけどね。というか、アメリカに渡ってからは興味がなくなった。
 FENで、何気なく聞いてて、ヒット曲を出してるので驚いたのは、一つがマック、も一つは、スティーヴ・ミラー・バンドかなあ。今朝も、聞いてたんだけど、ブルース・ハープをダスター・ベネットがやってるのがあるのだなって。

 母の父の話でもしますか。

 母の父の名前を検索しても出てきません。同姓同名の別の人がいるようですがまだ20代であるようで。

 まあ、その一家の本家筋の当主の名前は出てきます。地租改正のときの百姓一揆のところで初めて名前を見たのだけど、その県史のページ目録はウェブから消えてるみたいです。時代が下がって明治30年代半ばの帝国議会議事録にいくつか記載があるのを見つけました。同一人物じゃなくて、きっと、焼き討ちにあった人の息子なんだろうな。母方の祖父の父の世代か。

 父方の話でもしますか。祖父と祖母は姓が同じです。おそらく遠い親戚なのだろうと思うけれど、原戸籍から底まで遡れません。寺の過去帳あたるしかないですね。今は合併して同じ市になってしまいましたが、以前は違う町だったし、さらに昔は違う村だった。
 父方の祖父は、百姓一族の次男坊だったので、農家は継がなかった代わりに学校へ行かせて貰った。父方の祖母は、98歳まで生きました。最後は、私たちの顔も忘れてしまってましたが、酸素マスクが嫌で、「お願いです。どうか、これを外してください。」っていつも言ってました。子供に戻ったせいか、言葉から方言が抜けてました。
 この祖母は、生まれ育ったのは舞鶴です。祖母の父、つまり私の曽祖父が海軍軍人だったからです。農家の三男坊で継ぐべき田もなく、志願して帝国海軍に入ったのですね。日露戦争に従軍しています。駆逐艦に乗ってたのだけれど、撃沈され、一晩、海を泳いでいたのだそうです。で、助けられて、最後は、海軍特務大尉で辞めたそうです。江田島出じゃなくて、たたき上げだから、特務ってつけるんですね。身分制度の国です。
 まあ、それでも海軍将校の娘だったわけです、祖母は。
 祖母から聞いた話ですが、2歳年下の弟と二人、いつも紋付を着て小学校へ通ってたそうです。大正の初めごろですね。曽祖父は、昭和天皇が戦艦三笠で世界一周したとき、三笠に乗船してたそうです。
 祖母は、小学校で周りの同級生が、いつも弟や妹を連れて、あるいはおぶって学校へ来てたのがうらやましかったそうです。要するに、子供の面倒を見る人がいないほど周囲の子供たちは貧乏だったってことですが。それで、わざわざ、学校に上がる前の大叔父を連れて小学校へ行ったのだといってました。
 祖父母は、どちらも、小学校の教員をしていました。まあ、そんなだから親父がぐれたのだと思いますけどね。

 祖父は、気難しい人で嫌いでした。親父とも余り口をきかなかったけれど、祖父ともそうですね。妹たち二人を溺愛してましたが。これは、ずっと後で聞きました。彼女たちは、二人とも小学校の宿題をやったことがないっていってました。全部、祖父がやってくれたって。女好きなんです。親父もそう。私は、反面教師で。

 戦時中、終戦直後、祖父は、地元の小学校の給食の係りだったそうです。祖父の教え子で私の同業者になった人が少なからずいるのですが、一番、切れる方が、かつて、そっと寄ってきて、うちの祖父が一番の権力者だって俺は知ってたって。そりゃ食糧難の時代ですからそうですよね。

 祖父は、音楽教師で卒業式とかで君が代を弾いてたのだそうです。まあ、それはともかく、家にはたくさん楽譜があったのだけど、あれ、どうなったんだろう。自分でもよく解らないのは、12歳の時には楽譜を読めたこと。誰に習ったって記憶はないのだけど。私は、いつもなんでも自己流独修なので、駄目なのですが。
 祖父は、地元のわらべ歌の蒐集をしていました。小学校の生徒を集めて録音をしNHKの地元放送局が流したことがあったようです。これは、NHKがそのテープを持ってきたから知りました。兵隊さん、ありがとうって言葉から始まるので時代が偲ばれますね。

 祖父や祖母については、この商売始めてから、昔、世話になったって話を聞きました。気難しい祖父、お嬢さん上がりで料理が下手だし家事が嫌い、一日中、小説を読んでいる祖母でしたが、教え子を連れて何か食べにいったりしてたみたいです。女性には、手に職をつけるのだといって励まし、看護婦さんになって勲章貰ったって話を聞いたりしましたが。

 家では、僕らはほったらかしでした。少なくとも私は。

 まあ、私は百科事典少年だったので、中学くらいまでは教科書に書いてあることはみんな知ってたってかんじですね。よく解りませんが、私の中学時代は、自主学習スタイルというのでグループで予習をしてきてみんなで勉強するという形でした。まあ、みんなで教えあったり、解らないところは先生が居残りさせたりしてましたね。私は、やたらと器物損壊をするやつだったので親が呼ばれた。

 中学時代の思い出か。プールで体育の授業中おぼれた。アポロが月に行ったとき、学校の中庭の掃除をしてた。冬の雪かきは寒かった。中学3年生の夏休み前で部活を卒業させられたので、9月からは勉強ばかりすることになったわけですね。趣味がギターを弾くことというのは、結構辛いです。だって、勉強してるよっていってギター弾いてたら勉強してないこと解りますからね。まあ、なぜか、勉強も嫌いじゃなかったというか新しい知識を吸収すること自体は嫌いじゃなかったので勉強の習慣はつきました。

 高校受験が終わって、3月20日頃に高校の教科書を貰いました。買ったのですよね。することないから、勉強初めて、4月に学校が始まる頃には全教科、一学期分くらいは終わってたのかな。高校時代は、学校では勉強しました。授業なんか聞かずに、自習です。家ではギター弾いて遊んでた。後、本を読んでた。
 この調子でやってたら、高校3年の1学期に全部終わったのですね。みんなは、ここから受験体制に入るのだけど、大学受験問題ってのが面白いものもあればそうでないものもあって投げやりになった。まあ、理由は、高校3年の夏休み、全然、勉強しないで9月試験受けたらその結果が・・・だったからつまらなくなったのです。

 まあ、受験ってテクニックだから、受験テクニックを磨けば誰でも何処でも合格する可能性があるって税理士試験受験経験から言えるけど、昔はそんなことも思ってなかったし。そもそもなぜ、大学に行くのかって理由が自分でもよく解ってなかった。さらに、日本のヒエラルキーって何なのかってことも知らなかった。どっちにしろ、私のような生まれの人間は、何処まで行けるかって生まれたとからわかってるってことかな。当時は、知らなかったですよ。

 まあ、その後色々、あったけど、折々、道を拓いてくれる先生が現れて・・・これは、感謝、感謝、感謝でしかないですね。
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by nk24mdwst | 2012-12-15 18:00 | 記憶


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