anyway, finished still unfinished

さて、今日も例によって、5時に目が覚めたのですが、さすがに目が開けられなかったのです。理由は、簡単で、昨日、3時に起きてそれから、宿題をやってたのですね。一応、7時ごろまでに何とか格好をつけました。メールを見逃していて、事務所へ行ってから、もう少し、見直しの時間があることがわかり、午前中いっぱい、見直しをしていました。

なぜ、いつもこう、締め切りぎりぎりにならないとできないのか。人間性が出てます。宿題をしたくない、人から催促されるとなおさらやりたくなくなるという天邪鬼な性格。うさぎとカメの、カメのようにこつこつ少しずつやればいいのに。それも、きちんと計画を立て資料をそろえ。それができれば苦労はない。いや、昔は、火事場の何とかで土壇場の集中力があったのですが年でそれがなくなった。おまけに、老眼と近視でとにかくものが見えない。画面と文献や本を見ながら何かするというのは苦痛そのもの。

この目の衰えは、仕事に一番差し支えていて生産効率の低下に参っています。仕事もこつこつやれないというのは内緒です。

このブログ、連日更新だけがとりえだったのに、それをやめたら、とたんに更新がなくなった。これも性格が出てまlすね。なぜかというとウェブとのかかわりあい方が変わったからで、ツイッターにはまり、次いで、今は、完全にフェイスブックが主戦場と化していて、というわけです。

今日は、これからここをどうするか、ここで何をするべきかという話ですが、すでにちょっと疲れてきました。目を閉じながら何を書こうか考えていたのですが、そのとき考えていたことについては、まだ何も触れていないですね。

ご報告、誰が待っているのかって、そんなことは言わないで。長い長い宿題が一応、一段落。これがまだまだ完成品になるのに手がかかりそうなのですが、この宿題について少し書く必要があるでしょう。それと、この宿題は、報酬はないのですが、逆にちょっと宣伝して何とか世に広めたい。いや、とにかく出版社の赤字を減らしたい、いや、無理やり買取なんて事態を避けたい。というわけだけど、広くみなに読んでもらえるほどのものになったという自信がなくて。ただ、これ何人もの人が多大な時間を費やしたものなので、やっぱり宣伝しないと。どうせ、他のどこでも宣伝されないだろうし。
新聞等での広告スペースをほとんど持たないところが出す予定なので。
宣伝とは言いませんが、何について、何を目的として書かれていて、内容はどうで、それについてどう考えるべきかという話は、ここで私がしないとウェブには現れない可能性が高いから、恥ずかしいけど、いずれ、やります。

税務行政手続関連の本なのですが。

以前よりもこのブログへ来訪される方は減っていますが、一定の数がいらっしゃって、その方たちの要望にこたえる必要もあるのかないのか。

キーワードを見ると、やはり税金関連、音楽、、詩の順です。税金可憐のキーワードをみると、おそらく税法等を勉強している人が多いように思えます。明らかな傾向があります。大学等でレポートを出すことを迫られているのか、あるいは、訴訟等で問題になる点でもあるので、関わっている方がいたらすいません。ただ、そのテーマで訴訟してたら勝てません。

もう一つは税制改正の動きが少し反映されてきているのかな。これは自分に跳ね返ってきていてフェイスブックで遊んでいないで、震災を隠れ蓑にしたドサクサ増税批判をしないといけないと思うわけですが。

3.11以後の日本と世界は後戻りできないということも考えないといけないんだけど。これについては、来仕方、現状、行く末を考えないといけないのだけど。単に日本の震災、原発の歴史と対策がどうであったからということよりもう少し始点を広げて、19世紀半ば以後の世界の政治経済氏を振り返る中での位置づけをやるくらい風呂敷を広げるというのが私のスタイル。広げた風呂敷が足に絡まり転んでしまうという落ちも見えますが。

フェイスブックの利用法なんてそんなの人それぞれだからどうでもいいのだけれど、垣間見えるアメリカの社会というのをどうするか。これは非常に個人的な付き合いの話なので書くのがためらわれるのですが、FBに書くわけにいかず、ツイッターでは中途半端だからここでしか書けない。アメリカのベビー・ブーマーの人たちと交流が少しできたわけです。その人たちが典型だとは思いませんが、やはり何か見えることがあるのじゃないか。少なくとも、以前思っていたとおりだということよりも、新たな発見のほうが多いわけで。

音楽は、今、実にいい加減な聞き方をしています。仕事場では、シャッフルさせています。ウォークマンでは、アルバムをアルファベット・オーダーで聞いてます。アーティスト関係なしに。
つぶして行こうと思っているのですね。このつぶし先方に変えてから、今まで好んで聞いていた、気に入りのアルバムが邪魔って感じるようになりました。その代わり、こんな詰まらんものなぜ聞かなきゃならんというものも聞いてます。えり好みしないで、聞き漏らしている何か新しいものがないか探しているんですけどね。

まあ、基本的にその音楽を好きになるかどうかの尺度は変わらない。逆に偏狭になる一方です。ただ、ハリウッドのプロがやっているのと同様、ナッシュヴィル、メンフィス、マスル・ショールズにはそれぞれプロがいるのだということを再確認しつつあります。ハリウッドとアメリカ南部とでは微妙な時間のずれ、音楽性に関してもそうだし、曲の演奏の仕方という意味でもそうですがあるのですね。下手な人駄目な人が、全く評価が変わるなんてことが私の中で起きるわけじゃないけれど。

アメリカ南部、要するにメイソン・ディクソン・ラインの南のときの流れ方というのが音楽にどう反映しているかというのがわかり始めたというか、それを受け入れるのも気持ちがいいというのが今の心境でしょうか。
ハリウッドとサウスとの違い、同じところを認識し、応用問題としてのイギリスの音楽をどう考えるか。そしてもう一つ大きなテーマとして、ザッパとビーフハート、デッドですか。この三つは全く違う代物だからこそですが。

なんだか、昔の調子が戻ってきた。ほとんど目が見えない状態で書いているので誤変換、変な日本語、ご容赦ください。

では、また、いつか。

何とかチューブについて思うところというか、また、今度
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by nk24mdwst | 2011-06-28 07:00 | 音楽


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