good morning folks


松山で飛行機に乗ってから、羽田で乗り継ぎ間に2時間あまり時間があることに気づく。松山で、あんなあわてて動いている必要なかったのだ。この計画性の無さが私の人生の全て。
羽田でいったん、外へ出て、エアポート・バーバーへ行って頭をすっきりさせることを機内で思いついたので、散髪した。計画性の無い私にしてはいいアイディア。

計画性の放棄というか、私のいい加減さについての言い訳というか、まあ、なんというか。
個人的には、高校3年生の1学期に、高校の教科書全部を自習で学習し終えたときに、電車から降りた気分であります。
まあ、いわゆる進学校にいたのだけど、大学へ進学することの意味、大学で何を学ぶ、何をすべきかということの意味を教わっていなかった。まして、家族で大学まで行った人間は、誰もいなかったので、要するに大学にさえ入ればいいのだということ以上のことは、親たちに求めても答えの出ない質問。
親たちは、大卒出ないこと、地方採用であることの不利益だけは認識していたので、大卒で中央で採用されることが日本のシステムでは、不可欠だということは身にしみて知っていた。
ただ、そのシステムの根の深さまでは、わかっているはずもなかった。
少なくとも、現在の私が感じているこのシステムの根の深さは、世界的に共通のものであり、根が深いがゆえに、部外の人間に知られないよう、巧妙に隠蔽されているという認識は、平均的な日本人には、無い様に思えるわけです。

ワシントンDCとかニューヨークの特権階層が世界を動かしていることを、本能的に感じ取っているのが、アメリカという強大な田舎国家の平均的市民なのかな。だからといってそれが、何か、建設的な運動に結びつく、結びついたのかどうかは、わからない。

これ、何で書いていると思いますか。Drive-By Truckers の音楽性論の前ふりです。
大げさですね。
DTBの音楽性という言葉は、ここでは、歌詞、メロディー、歌唱法、なまり、演奏スタイル、演奏技術、録音スタイル、アレンジ等々全てを含んでいて、背景にあるはずの、アメリカのアラバマのような深南部の現在、過去を検討することが前提です。
この南部の過去論というとき、トーマス・ジェファーソンやマーク・トウェイン、あるいは、独立革命までさかのぼりもしますが、公民権運動から70年代半ばにカーターがジョージア州知事になるまで、そのご、南部民主党員が、レーガン・デモクラットとして共和党に鞍替えする当たりのことまでを過去としてくくることにより、現在につながるという認識です。

DBTの音楽は、Beautifulだとストレートに感じることができたのは、暗い歌詞とか、陰気な歌い方、アンチ・クライマックス的な曲の構成が、気にならないほど私が疲れていたからでしょうね。それと、音楽の構成だのスタイル、背景を考える余裕もないほど疲れていた。
要するに力が及ばないことを考えるようなばかげたことをしないで、ストレートに音楽だけ聞いていたら、その力そのものを感じたということですか。頭で聞かず、サウンドとして聞いたら違う本質というか、音楽そのものの力強さ、魅力が理解できた。

LDPに投票したこともないし、DPJの支持者でもないですが、ツイッター上で、なぜか、アメリカ民主党支持ありがとうみたいな書き込みを発見し、絶句。

たとえば、DTBは、どちらの党を支持しているかというのは、かなり明快ではあります。ただ、南部でどちらの党を支持しているかということと、リベラルか保守かなどと余計なことは考える必要があるなどと、今はもう余計なことばかり書いているわけです。

羽田での待ち時間に本を読みながら、FZの200 Motelsを聞いていて、このアルバムの素晴らしさを再発見したりして。マスター・ピースじゃないかって・・・また混沌ブログの本領発揮なので、こっちは、また別に。

クルーグマンは、日本からブログを沢山書いて、アメリカへ帰途につくって。こっちもまた別に。
[PR]
by nk24mdwst | 2010-09-12 05:48 | 音楽


<< still such a fo... at a local airp... >>