there'll be another sonday

1月3日じゃなくて、1月の最初の日曜ですね。

なぜか、Dead に捕まってしまって、Anthem Of The Sun, Aoxomoxoa, Live/Dead と聞いて、1968年のLake Taho のライブ、1969年のFilmore West のライブ(ライブ/デッドのネタ)と続けております。
デッドの基本的な音楽的なストラクチャーは、完全にもう出来上がっています。
時代を感じさせるのは、スタジオ録音ヴァージョンにおけるテープ編集やコラージュ、ライブでは、フィードバックを聞かせた大音量の不協和音といったところですね。これは、後年、消えていくことに。

同時期のJeffersson Airplane に比べるとはるかに演奏力はあるし、Quicksilver Messenger Service のようにだらけたジャムも無い。いや、私は、Gary Duncan のファンですが。

Grace Slick をエアプレーンに入れたというのは、どこかの会社の方針だったりして。

1966年がターニング・ポイントだったということは間違いないですね。そこから、良くなったのか悪くなったのか。こっちの方は、個人の価値観の問題、世代の問題でしょう。

突然ですが、Delmore Schwartz の詩です。
This Is A Poem I Wrote At Night, Before The Dawn

This is a poem I wrote before I died and was reborn:
- After the years of the apples ripening and the eagles
soaring,
After the festival here the small flowers gleamed like the
first stars,
And the horses cantered and romped away like the
experience of skill; mastered and serene
Power, grasped and governed by reins, lightly held by
knowing hands.

The horses had cantered away, far enough away
So that I saw the horses' heads farther and farther away
And saw that they had reached the black horizon on the
dusk of day
And were or seemed black thunderheads, massy and
ominous waves in the doomed sky:
And it was then, for the first time, then that I said as I
must always say
All through living death of night:
It is always darkness before delight!
The long night is always the beginning of the vivid blossom of day.
この詩人に影響を受けた有名ロック・ミュージシャンがいますが、私には余り縁がない人であります。

数年前、松山で研究会がありました。研究会場兼宿泊先は、道後温泉ではなく、松山のメルパルクで、料理も酒もちょっといかがなものかと思いました。
北海道から来ていた友人が、その前の年に松山へ来ていて、いいところを知っているというので、タクシーで松山市街に戻りました。

行った先は、松山の東急インのすぐ近くのバーでした。8時前だというのに、客一人いないバーのマスターは、完全に出来上がっていて、どういう店なんだと思いましたが、友人は、やあやあ、と。
まあ、世界中どこへ行ってもそんな調子の人なので、別に驚きはしませんでしたが、カウンターの向こうに並んだ酒のビンの列の真ん中に、例のウォーホールがデザインした、Velvet Underground のバナナのジャケットのLPがありました。
止せばいいのに、そのレコードのことを私が口走ったので、マスター(私より少し若いくらい)は、うれしがってそのレコードに針を落としてくれました。まあ、やたらと針飛びのする擦り切れたレコードでありました。
完全に酔っ払っていたマスターが、私に、世界で一番強いカクテルを作ってやるというので、お願いしますと。
名前は失念しましたが、テキーラとウォッカを足して、ジンで割ったような代物でした。きれいな水色をしていたので何かリキュールを足したんでしょうね。
確かに、衝撃的な飲み物でありました。

余り酒は飲まないのですが、外で飲んでいる限り、絶対に私は酔わないので、その後も得体の知れないカクテルをやたらと飲まされたように記憶しています。
ギターとピアノがあったので、友人と2人で、交代にでまかせを弾き、歌いました。いや、正しくは、私は出まかせですが、友人は、自作の歌を。

日付も変わりそうになったので、宿へ戻ろうとタクシーでメルパルクへ。
役所は役所ですね。着いてみると、玄関に鍵がかかっていて、中へ入れませんでした。帰ろうとUターンしていた底まで乗ってきたタックシーにまた乗りこみ、元の場所まで戻りました。
東急インで部屋を取って寝ました。

友人は翌朝、早起きしてタクシーでメルパルクへ戻り風呂へ入ったのだそうですが、8時まで寝ていた私は、結局、松山まで行って風呂へ入らずに帰ったというお粗末。

まあ、色んなところで締め出しを食らうのに離れていますが。

金融危機と不況について、クルーグマン。
January 2, 2010, 10:34 am
Warnings not heeded, self-referential edition

Hmm. I’m preparing for my Monday talk at the economics meetings in Atlanta, which is going to be about the relationship between currency crises and broader financial crises, and ran across a paper I wrote myself in 2001 — then largely forgot about.
http://krugman.blogs.nytimes.com/2010/01/02/warnings-not-heeded-self-referential-edition/
ここで触れられているアトランタでの講演は、こんな感じになるのだそうです。
CRISESと題した小論ですが、講演では、原稿を読むスタイルじゃやらないよって。

クルーグマンは、1967年に何を聞いていたのかな?!まあ、私と同世代だから、同じようなものを聞いていたんでしょう。
彼は、クリントン政権で政権の経済関係の中枢メンバーになれると思っていたようですが、なれなかったのが今でもトラウマになって残っているような気がします。
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by nk24mdwst | 2010-01-03 14:00 | 音楽


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