曇り空です。駅前の公園にあるケヤキの木、高さがビル5階ほどのものですが、上の方から紅葉が始まってきました。
戦国時代に、お城があったところで、少しだけ石垣が残っています。 子供のころ、近所の友達と遊んだ場所です。記憶では、夜は暗く、夏休みは肝試しをしたような場所でした。 うっそうと木が茂り、小高い築山があって、広い場所だと感じていたのですが、大人の今、見て感じるのはなんてちっぽけな場所だと。 笹が茂っていてかくれんぼの絶好の遊び場だったのですが。 何でも、昔の城址を再現建築する話があると聞いて、びっくりしました。少し残っている石垣の周囲、現在は、県道と市道、花壇になっている部分が昔のお堀で、亡くなった祖母の話では、戦時中までお堀の一部が残っていたのだそうです。 城の建物そのものは、江戸時代の初期にはすでに無かったはずなのです。 そんなものを作ってまで公共事業をする必要があるかという話ですね。 わたしの住んでいる市も平成の大合併で合併したのですが、大きな負債を抱えています。合併直前に、合併特例債の発行が認められ、その半額は、国からの補助で返還するという話でした。いずれにしろ、合併前の各市町村にそれぞれ合併特例債の起債が認められ、競って箱物を作ったのはいいのですが、全部、運営しているだけで赤字を垂れ流す状態なのです。 合併前は、各市町村の首長が理事長を勤める財団法人が、市町村から補助金をもらって運営する第三セクター方式でした。税金で借金垂流し装置を構築し、そこへ税金を投入して穴埋めするというわけです。 合併後、それまで、市町村ごとに分かれていたこれらの財団がひとつに統合されました。赤字のものが集まったところで、赤字は減りませんし、経営能力のある人がその任に当たっているというのでもありません。 そこで、市は、これに対する支出を帳簿から外すために、指定管理業者に運営を任せることにしました。誰がやろうと、赤字は変わらないけれど、市の帳簿からは、外れたのですね。 次年度から、それらの施設のひとつが閉鎖されることになりました。すでに休業状態に入ったのですが、その後始末のつけ方もおざなりなものでした。 自主財源の税収は、半分が合併しても減らない人件費、残りの半分が、地方債の償還で消えるというのが市の財政の実情です。国保の財源その他、地方自治体が本来行うべき業務、あるいは、施設の維持管理費自体がないのですね。この分は、国等からの交付金によって賄われているわけです。 当然のことですが、後期医療者保険制度導入以前から、合併によって大幅な市民サービスの低下が見られたところへ、今回の大不況が直撃というわけです。 そこへ、なんで、城址の復元なんて話が持ち上がるのか。 バブルのときに造成した工業団地が10年ほど塩漬けになっていたのです。高すぎて誰も買わなかった。これが、個人レベルでは実感できなかったこの前の景気拡大局面で全部、なんとかはけたようです。そこで止めておけばいいものを、二匹目の泥鰌という言い方は泥鰌を誹謗する言い方なのでやめますが、新たな工業団地をまた造成したのですね。造成を始めた時点は、リーマン・ショックの直前。そこで止めておけばいいのに、これまた広大な工業団地用地が造成されて残っています。 前は、きれいな水田でした。 私が小学校のころの春の遠足というのは、砂浜のある海岸の海水浴場まで歩いていくものでした。ちょうど、そのあたりの田んぼがみな消えたのです。このあたりは、扇状地なので、昭和40年代のそのころは、田んぼのあちこちに伏流水が自噴している場所があって、冷たい水が飲めたのです。 江戸時代に、大規模な区画整理が計画的に進められ、治水が完備した水稲地帯だったのですが、バブル前後から、国道を中心として再開発が進み、田園風景はほとんど消え、全国どこにでもある郊外型のありふれた風景になってしまいました。 前述のように、この平野は、典型的な扇状地なので、市街地の山側の水田をつぶして大きなショッピング・モールをいくつも建築し、コンクリートで覆ってしまったため、何が起こったか。 わたしが、小学生のころ、つまり、昭和40年代半ば以後、絶えて久しくなかった街がちょっとした雨で浸水被害が出るということになったわけです。 しかし、全国紙あるいは全国版のテレビ・ニュースに出るときというのは凶悪犯罪が起きたときだけという悲しい街であります。凶悪犯罪がたまにあるのならいいのですが、そうでないから、なお困ります。 人心が荒廃している、あるいは、学校教育が荒廃しているせいかと感じるのです。どこかの組合のせいだというよりは、教育を所管する役所の締め付けが厳しいせいなのだろうと推測します。 私自身は、いわゆる労働組合というものに加入したことが無いのです。両親ともに当たり前のように給料から組合費を天引きされ、メーデーでは行進するという世代だったのですが。特に思想性が云々レベルではなかったのは当然ですが。 後年、組合運動史上に残るとんでもない人物が、わたしの実家の近くに住んでいたのだということを知り、驚いたのですが。 このブログをはじめて、もうすぐ、丸2年ですが、税金や税理士会の話題についてコメントがあったのは初めてで、戸惑いもありますが、税理士も見ているのだなと思った次第です。 知人は、知らずにこのブログをヒットし、キーワードから、こんなものを書くのは私以外ないと言われたのですが。 コメントでちらと書いた、牛島税理士訴訟というのがあります。たとえば、ここで見ることができます。このサイトでは、牛島訴訟最高裁判決以後、続いている、歯科医師連盟や行政書士会の政治資金をめぐる訴訟をとりあげています。 牛島訴訟事件というのは、税理士会(牛島税理士の場合は南九州税理士会)という税理士法で加入が強制されている公的団体の会費から、特定の政党に対する寄付金を拠出することの合憲性が問われたものです。 この事件が起きた背景には、税理士法改正という状況があったわけですが、会費を納入しなかった牛島税理士に対して南九州税理士会が課した処分が、最終的に違憲であるとされたわけです。 この訴訟をどう評価するかについては、わたしの中でも、単に思想信条の自由と強制加入の公益団体の政治活動という額面だけで捉えていいものかどうかは、ちょっと、複雑なものがあります。 この訴訟では、北野弘久教授も鑑定文を書かれ、証言されています。ついでに言えば、松澤智教授も証言されていたはずです。そのあたりの経緯は、牛島訴訟について書かれたものを読めば知ることができます。先に書いた、同郷のとんでもない人も、この訴訟で証言していらっしゃるのですね。 この各単位税理士会が会費から政治献金を行ったというのは、別に、南九州税理士会だけが行ったことではありません。私のいる地方の税理士会でもまったく同じことが行われました。といっても、私なんかは、そのころ、税理士というものの存在も知らなかったような気がしないでもないですが。 税理士会、日税連が行う税制建議をどう考えるか。その前に税理士会の組織、監督についてどう考えるか。日本弁護士会と日本税理士連合会とはどこが違うのか。税理士制度とは何かという本質論になるわけです。 単位税理士会や日税連幹部の不勉強と当局迎合姿勢を糾弾してみたところで得るところは少ないので、やめます。 ただ、民主党政権になり、どのように税制が決定されるかという政治過程の問題もありますが、実際に実務の現場でどう税理士が新しい制度等に対応していくかなんて問題もあるはずなんですが。 電子申告達成率だけ競っているようでは、駄目です。まあ、私は、名指しで批判されたこともあるのですが、少しは電子申告制度について、日本とそれ以外の国の諸事情については勉強したこともあるのです。 例によって思いつくまま、書き連ねているので、エネルギーが切れてきました。 日本では、税制に関しての最大のロビーストは、経団連ですよね。ロビーストの存在の是非自体を否定するつもりはありませんが、経団連は、日本人、つまり平均的な日本人の利益を代表する団体かどうかが問題となるだけでしょう。 アメリカでは、連邦税レベルと州等の地方税レベルとでは分けて考える必要があると思いますが、少なくとも連邦税レベルにおいてもっとも大きな力を持っているロビーストは、ダウ平均企業ではなく、ワシントンD.C.の租税法専門の大手法律事務所であるようです。 UBS関連事件で有罪答弁をした人物の弁護を一手に引き受けているところなんかが典型なのでしょう。 シャウプ勧告以来、日本はそれまでの分類所得税から脱却して包括的所得税に立脚する総合所得課税を累進税率で行うようになったのはアメリカの影響であり・・・なんていうのは、半世紀前の財政学の教科書の書き出しですね。今の、金子租税法も無定見にもそれを引きずっていますが。 ここらで切っておく方がよろしいようで。
by nk24mdwst
| 2009-10-07 16:00
| 租税法(日本)
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