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day 19, windy

さすがに、11月も間近になってきました。今日は、快晴、絶好の行楽日和というわけには行かず、朝から曇っていて、冷たい風が吹き、午後からは、一雨来そうな雲行きです。

足指天気予報によるとそうなる気がします。

1960年代というのは、私にとって、ちょうど小学校と中学校の合計9年間がすっぽりとはまります。

しかし、何も覚えていないおのですね。読み書きと加減乗除レベルの簡単な算数以外は忘れています。
幾何だの、因数分解だの言葉しか覚えていません。
小学校で何を教わったのか。本当に教わるべきことを教わっていないような気がします。
百科事典少年だったので、知識だけはありましたが、本で読んで知っているということと、社会の仕組を知っているということとはまったく別です。

小学生時代のできごとなどといっても、小学校4年生のとき運動会の徒競走で転んで、ひざをすりむいて痛かった、などとどうでもよいことだけ思い出します。

なぜか、小学校6年生の卒業式の日、教室の窓から見えた道路を隔てた畑の黒い土の色だけ目に焼きついてはいます。今は、完全に住宅街の真ん中なのですけれど。

ただ、明日は、今日よりもよくなるという空気が社会全体にあって、それは空気という言葉が表すようにその存在自体はほとんどの人にとっては自明だったためにその存在すら意識していなかったのだと、今になって考える感じます。

当時の日活映画を今、見たりすると特にそれを感じますね。

おそらくアメリカでもそうだったでしょうし、イギリスやドイツも同じだったと思います。ディープ・サウスでさえその気配があったとMark Kemp は、著書で書いています。

数日前、アメリカのテレビ番組でクリーブランドで今人々がどのように生活しているかをちらと垣間見ましたが、驚くべきものでした。
世界有数の工業都市、Randy Newman の歌にも出てきますが、化学工業を中心とした大都市だったと昔、地理で習いました。それが、現在は、1950年代の半分に人口が減ってしまい、街中に打ち棄てられたかつての大工場の跡地が廃墟として残っている様は、現実離れをしているように感じました。

去年あたりのワシントンD.C.とかニュー・ヨークの金ぴかとは大違いです。

アメリカの大統領選挙は結局、選挙広告にどれだけ資金投入できるかということなのだと勝手に仮定すれば、ニュー・ヨークを地盤とした民主、共和両党の当初有力視された候補者が脱落したのも、金づるがうせたせいかもしれません。

シカゴはつい先ごろまで商品取引バブルをやってましたからね。

今日もThe Byrds を聞いています。Younger Than Yesterday です。数年前、車で移動中このCDを聞いていて、突然、このドラムは、Jim Gordon だと気がつきました。続いて、Clarence White のギター・ソロの入った曲が聞こえてきたのですけれど。

先週は、本当に疲れました。今週は月末なのできつい一週間になりそうなので、今日は、少しできることを片付けておかないと思うわけですが。
Desperately Seeking Seriousness

By PAUL KRUGMAN
Published: October 26, 2008

Maybe the polls and the conventional wisdom are all wrong, and John McCain will pull off a stunning upset. But right now the election looks like a blue sweep: a solid victory, maybe even a landslide, for Barack Obama; large Democratic gains in the Senate, possibly even enough to produce a filibuster-proof majority; and big Democratic gains in the House, too.

Yet just six weeks ago the presidential race seemed close, with Mr. McCain if anything a bit ahead. The turning point was the middle of September, coinciding precisely with the sudden intensification of the financial crisis after the failure of Lehman Brothers. But why has the growing financial and economic crisis worked so overwhelmingly to the Democrats’ advantage?
http://www.nytimes.com/2008/10/26/opinion/26krugman.html?partner=permalink&exprod=permalink
世界経済がどうなろうと明日は、来る?!

いや、永遠に続く今があるだけですね。ただ、人間は永遠に続く今を確認することができないだけすけど。

ザ・バーズの歌は、明日を信じていますね。

このあたりで止めるつもりでしたが、今ふと思い出したので。

ハリウッドの音楽シーンとニュー・オーリンズをつなぐ線は明らかに存在する。Earl Palmer という大物に象徴されるように。
小物ですが、Gib Gilbeau とかCrazy Cajun ことDoug Kershaw とか。Dr. John は、当然ですし。

アメリカの南北境界線がメイソン・ディクソン・ライン。
東西に関しては、おそらくミシシッピ川ですね。ロッキーとアパラチア山脈よりもミシシッピ川の東西の違いの方が文化的な違いをもたらしているのかもしれません。

メイソン・ディクソン・ラインの南でミシシッピ川の東側では1960年代の変化というのはほとんどなかったようですね。
そのバリアを突破する結果となるバンドがあったようですが、ものの見事に70年代半ばに空中分解。
飛行機事故にあった方は、本質的には若干違う守備位置だったのだと思われます。

いわゆるアメリカにはバイブル・ベルトと呼ばれる地域があって、宗教的価値観が非常に重要であるようです。ネット上に、自分で自分の思想信条がどのあたりに位置するかということを診断できるサイトがありますが、アメリカ版だと、妊娠中絶の賛否、同性愛に関する質問等が出てくる後半は、浄土真宗のご先祖経の日本人には辛いですね。

色の見え方というのは、人によって違うのではないかと思います。緑と赤の識別のできない人がいますが、これは特定の周波数の色を目が認識できないからなのでしょうか。
ヨーロッパ車は、赤とか青といった原色がきれいですが、同じような色目でも日本車とは違うように感じます。色の透明感が違います。
よくわかりませんが、虹彩の色が違うので赤は同じ赤でも、平均的な日本人とは、異なる見え方がするのでしょう。平均的な日本人と同じ色の見え方を自分がしているかどうかというのは、自分では確かめようがないですね。

音でも同じようなことが言えるかもしれません。人間が普通聞こえる音の周波数の帯域というのは決まっているとされています。しかし、大多数の人より、高い周波数の音まで聞こえる人がいたとしたら、その人は、同じ音楽、演奏を聞いても違う印象を受けるでしょうね。
歌声や楽器の音に含まれる倍音の聞こえ方が異なるはずです。

先天的な能力として色の見え方や音の聞こえ方が違うということもあるでしょうし、育った環境によって異なることもあるのでしょうね。

味覚なども同様でしょう。

その意味で、家庭料理と食堂、レストランといった不特定多数の客を前提とした場合の味付けというのは、難しいことだと思います。
その意味でポピュラー音楽、映画といった不特定多数のお客を前提としたものは、非常に洗練されているのだと思います。

泥臭く聞こえるからといって、泥臭い育ちが必要だということではないのでしょう。受け手が頭に浮かべる泥臭さというニーズにどう当てはめるかというところが、プロの仕事なんでしょうね。

沼地には泥がありましたっけ。
by nk24mdwst | 2008-10-26 13:25 | その他


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